2013年4月29日月曜日

阿部はな 5



 阿部はなについては、その後新たな情報はなかったが、小野一雄のルーツというブログ(http://blog.zaq.ne.jp/kazuo1947/article/523/)に外国医学校出身の女医についての情報が載っている。原本は日本女医会雑誌73号、昭和11年を参考にしている。

 それによると我が国に最初の外国医学校を卒業したのは岡見京、東京、ペンシルベニア女医学校 明治22年登録となっている。岡見京子のことで、出身は東京ではなく、南部藩の商家である。2番目は菱川ヤス、神奈川、外国医学校、明治24年登録とある。三番目は福井繁、岡山、ドイツマルブルヒ大学、明治27年登録とある。4番目は中村唯、熊本、マルブルヒ大学、明治31年登録、そして5番目が阿部ハナ、神奈川、外国医学校、明治31年登録、6番目が須藤カク、青森、外国医学校、明治31年とある。

 さらに日本杏林要覧(明治42年)の説明も載せており、阿部ハナは神奈川平民、慶応二年生まれ、神奈川県横浜市仲村町1557、須藤カクは神奈川士族、文久元年生まれ、神奈川県横浜市仲村町1557となっている。

 この記述は、重要である。これまでHana Abe と表記したものを勝手に阿部はなと書いていたが、少なくとも安部ではなく、阿部であることがはっきりした。また生年月日が慶応2年、1866年であることがわかった。さらに神奈川平民となっており、少なくとも阿部ハナは平民出身であることがわかる。ただ弘前出身の須藤カクが神奈川士族となっているところから、阿部ハナの出身が神奈川かどうかははっきりしない。住所の横浜市仲村町は今の中村町のことで、横浜共立女学校にちかい。

 そこで阿部ハナについて、もう一度まとめると、生まれは慶応二年(1866)で、横浜共立女学校入学が1879年ころ、1886年に卒業し、1893年にシンシナティー女子医学校に入学した。27歳の時である。1911年に結核のためウェストデールで、45歳で亡くなったことになる。須藤カクが1861年生まれであるから、阿部ハナは5歳年下となる。

 2012.7.22のブログでCincinnati Enquirer Mar 3,1895の記事では、須藤カクはたった10歳の時に兄と一緒に東京に行き、東京に適当な女子教育機関がなかったため、横浜共立女学校に行ったとの記事がある。須藤カクが横浜共立女学校にいたのは1876-1881年と推測され、入学時の年齢は15歳ころとなる。それに対してもしこの記述の須藤カクが阿部ハナの間違いであれば、阿部ハナが横浜共立女学校に入学したのが11歳ころと仮定すると、入学は1876年ころで須藤カクと同期となり、卒業が1886年で10年近く、学校にいたことになる。

 ここからは小説風となるが、五所川原羽曳野の大地主阿部家の一族が、長男阿部漸が東京に進学する折、妹の阿部ハナも一緒に東京で教育を受けたいと言い出し、二人で遠路苦労を重ねて東京にいった。兄は明治法律学校で法律を学び、その後、横浜で弁護士業を行う。一方、10歳の妹、ハナは入るべき学校がなかったところ、郷里の弘前から須藤カクが横浜共立女学校に本多庸一のつてで入学することを聞き、ここに入学することにしたのだろう。須藤カクにとって、阿部ハナは妹同様であり、アメリカに留学する折も二人は一緒に行ったのであろう。阿部ハナが平民となっているのは、豪族で名字帯刀を許された大阿部家とはいえ、平民となるのであろう。兄が横浜で弁護士を開業していたので、ハナも神奈川平民となっていたのではなかろうか。

 東北女子大学保村和良先生が「明治期にアメリカへ渡った本県出身の女性医師 : 須藤カクと2人の共働者Dr. ケルシーと阿部ハナ」という重要な論文を発表しており、そこには晩年の須藤カクの写真が載っている。この論文はインターネット上で見れるため、読んでいただきたい。この写真を見ると、どうも上のイラストの右に座っているのが須藤かくであるようで、私の間違いだったかもしれない。

2013年4月26日金曜日

ウルヴァリン1000マイルブーツ


 前からワークブーツが欲しかったのですが、若者でもあるまいしとなかなか踏ん切りがつきませんでした。レッドウィングのブーツは、昔、1970年代にポパイという雑誌を購読したときからのあこがれのワークブーツで、気にはなっていましたが、どうも作りがごつくて、ブログを読んでいると、慣れるまで何年もかかるという。マメに悩まされながら、何年も履く気にならず、もう少しごつくないワークブーツを探すことにしました。

まず映画「インディージョーンズ」でハリソン・フォードが履いていた「インディー・ジョーンズ ブーツ」というものがあります。オールデンというアメリカの最高級の靴会社のもので、非常にいい革を使っていますが、値段も7万円以上で、とても手がでません。そこで、これに近いものを探すと、レッドウィングのベックマンとウルヴァリンの1000マイルブーツが候補に残りました。ワークブーツというよりはクラシックブーツと呼ぶようなもので、いずれも定価は4万円以上もします。それでもインターネットでの最安値を探すと、ベックマンは25000円、1000マイルブーツも26000円ほどの値段でしたが、靴だけは実際に履いてみないと大変なことになります。通販で買った靴で何度か痛い目にあっているので、安いからと言ってもインターネットで買うのは結局やめることにしました。

 そこで店舗販売していて、比較的安いところを探すと、神戸の高架下の「Fun to age」という店がありました。帰省した折にここに行って、色々なブーツを試着しましたが、ウルヴァリンの1000マイルブーツがスーツにも履けるほど、いい革を使っており、いっぺんに気に入りました。ところがサイズを9にするか9 1/2にするかで随分迷いました。サイズ9では、幅がDと狭く、横、高さも幾分きつい感じがします。逆に9 1/2では余裕はあるのですが、歩くと踵が抜ける気がします。店主曰く、このウルヴァリンの革は非常に柔らかい革(クロムエクセル)を使っているので、最初きつくても次第に慣れてくるということでした。それでもきつい靴を履くほどいやなことはなく、何度も両方のサイズの靴を履き直し、15分悩んだ末にようやくサイズ9のものを購入しました。36000円、これまでの人生で買った最も高い靴です。

 家で毎日20分くらい履き、その後、外で30分、1時間、2時間と履いているうちに、約1ヶ月で完全に履き慣れました。革が適用に伸びてぴったりです。店主の言う通りです。履き心地は、今のクッションのきいた靴とは全く異なり、カツカツと音が鳴るような硬い感じのものです。ビジネス靴を履いたときの感触に近いもので、いかにも靴を履いているというものです。さらに長く履けば、もっとぴったりとしていくでしょう。ブーツですので、履くのが面倒ですが。

 ただ靴床が革なので、耐久性はかなり低いと思いますので、早めにピブラムソールに替えたいと思っています。

*2014.4.29   買って1年経過します。冬に間は雪道を歩くのはもったいないので、先週から履き始めました。完全にフィットして、1000マイル、歩けるかなあと思ったりします。履くにつれ革が馴染みます。大きなサイズだとぶかぶかになったでしょう。ピブラムソール張り替えはは2000-3000円くらいとのこと。底があまり新しくなくても大丈夫とのことで、もう少し張り替えは延期します。


2013年4月22日月曜日

本の出版



 新編明治二年弘前絵図、先週の火曜日ころから書店に並んでいます。紀伊国書店弘前店では付録の地図もコーナーに掲げ、平積みで売っていただき、大変感謝しています。残部が一部だったので、そこそこ売れているようです。中三デパート内にあるジュンク堂にも3冊ほど歴史コーナーに陳列していましたが、横置きに入れているのであまり気づかれないかもしれません。また弘前のイトーヨーカ堂内の本屋にも3冊ほどあったので、青森県内の多くの書店で買えるようです。昨日は、出張で青森市に行きましたが、駅ビル宮脇書店や新町の成田本店でも置いていました。とくに成田本店では郷土本コーナに飾っていただき、ありがとうございます。郷土史に興味のある人を対象にしているため、そうはたくさん売れないとは思いますが、弘前の人は割合、こういった分野に興味がある方が多く、この5月の連休にどれだけ売れるかが勝負でしょう。

 親しい人や、資料の協力いただいた方、図書館に送ると、すでに60冊がなくなりました。またB1サイズの付録の地図は1000部印刷しましたが、そのうち500部は本の付録に使用し、残りの500部は折り曲げない形で、持っています。弘前コンベンション協会なら何らかの活用、例えばふるさと納税のおまけや講習会の教材になどに使ってもらえたらと思い、昨日、地図100部を持っていきました。図書館、博物館など公共的な目的で地図が必要であれば、まだ400部ありますので、無償でおわけしますので、ご連絡ください。

 こういったことをしていて、何よりうれしいのは、うちのお袋がよろこんでくれたことです。90歳になっても、子供の書いた本はうれしいのか、一番の読者です。前回、帰郷した時に、私に触発されたのか、昔の徳島のことをノートに書き留めていました。昭和始めころの徳島県脇町(現美馬市)のことを思い出しながら、ノートに書いています。できるだけ、思いつくことを細かく書くように、プライベートで人には言えないようなことも、登場人物はすべて死んでいるから、あまり気にしないで書くように、アドバイスしました。まとまったら、私がワープロで原稿を起こし、本にする予定です。お袋は画家ですので、できれば挿絵もふんだんに入れた方が本としての体裁がいいと、編集者のようなことは言っています。これで2冊目ですが、本の出版については少しは慣れるました。次はお袋の回想を本にしたいと思います。

 本を書くとなると皆さん驚かれますが、自費出品でだせば、誰でも書けます。自費出版の暗部を描いた作品に今、売れに売れている百田尚樹さんの「夢を売る男」(太田出版)という本があります。あくどいというかやり手の編集者が小説家志望の人々をうまく丸め込み自費出版される行程を描いていますが、地方での出版は思いのほか安いものです。お袋のような自伝めいた話であれば、100ページ、300部で3040万円くらいで出版できます。これを売るとなると難しいが、すべて贈呈しても、ハワイ旅行並みとなり、考えようによれば、数十年後も残り、決して高いものではありません。通常、ワープロ原稿を印刷所に渡し、装丁などの打ち合わせをし、大まかな印刷原稿をつくります、初校、二校、三校ののちに印刷となり、ここまで3ヶ月ぐらいです。この本を書店で売るとなると、発行元の手数料、書店の委託料がかかり、売れたらその分を引かれた金額が払われます。売れる本なら印刷料から売れた本代を引いた金額がもうけとなりますが、数百部程度では絶対に黒字にはならず、赤字です。

 いまではインターネットという手段を用いれば、ほぼ無料で、本は書けますが、やはり本の醍醐味は本という現物にすることと思います。写真は、徳島県立美術館にあるお袋をモデルにした画家河野太郎さんの絵です。

2013年4月15日月曜日

新編明治二年弘前絵図 発刊しました



 「新編明治二年弘前絵図」、本日発刊しました。ようやくです。午前中に発行所の北方新社から本が到着しました。今回は前回より多めの500冊、発行しました。全部売れたらうれしいのですが、まあ数年で売れてくれたらいいかなあと思っています。

 今日は、弘前ロータリークラブの例会日でしたので、出席予定人数の25冊を持って、ホテルニューキャッスルへ、これが重い。出席者、全員に配布し、喜ばれました。診療所に帰ってからはお世話になった方々に贈呈するために、受付にも助けてもらい20冊の宛名と封筒の準備をしました。そして、郵便局に行ってもらい、投函してきました。あとは弘前市立図書館などの公共図書館への寄贈、これはゆっくりしていく予定です。とりあえず、送るところはすべて送り、従業員にもプレゼントし、あとは本屋で売れるのを待つばかりです。

 前回は、出版社をまったく通さなかったので、個人で土手町にある紀伊国屋に持っていき、売ってもらいましたが、今回は北方新社から青森県内の大きな本屋に卸してもらうことにしました。100部のみ北方新社に渡し、残り400部は私の診療所の倉庫に置くことにします。今回の本には絵図の縮小版が付録として入っていますが、この絵図は多めに印刷してもらいました。100部ほどは弘前市に寄贈して、ふるさと年金のおまけなどに使ってもらえばありがたいのですが。来週には一度、弘前コンベンション協会にでも行く予定です。

 本というのは、通常、本屋で売ってもらう場合、委託料がかかります。これは25-30%となります。さらに出版会社に販売を頼むとその手数料がかかってきます。ちなみにアマゾンで扱ってもらうと手数料2万円の他に一冊ごとに委託料が40%かかります。非常に高く、送料もこちらもちです。今回の定価は1800円ですが、委託料、手数料を引くと、ほぼ印刷料となり、利益はありません。まあ自主出版ですから、もともと利益があると考える方がおかしいのですが。

 本の大きさはB5版の2段組み、130ページで前の本の2倍以上の分量になります。内容は誠にお恥ずかしいもので、おそらく間違いも相当数あると思いますが、こちらは本職が歯科医師で歴史についてはアマチュアと開き直っています。いつもお世話になっている土手町の紀伊国屋をメーンとして販売していますので、是非ともお買い求めください。


2013年4月11日木曜日

未来の歯科医療




  友人の歯科医が今度、CAD-CAMの機械を買った。これまで虫歯ができ、歯の欠損が大きい場合は、金属のインレー、クラウンという補綴物を入れていた。まずタービンと呼ばれる切削器具で歯を削り、その後、歯の型を取り、模型にする。技工士さんがこの模型を使ってワックスでまず補綴物の原型を製作し、それを金属に置き換える(ロストワックス法)。最も精巧なものができるやり方である。こうしてできた補綴物を患者さんにいれる。

 これに対して、CAD-CAMによる方法は、まず歯の形を口に入る小さな機械でスキャンする。それを使い、コンピューター上で補綴物を設計する。そして陶器の棒のようなものを削りだして、補綴物を作る。最小45分でできるため、患者さんに少し待ってもらえば、即日に治療ができる。

 20年前からドイツの会社がシステムを発表し、即日にできるため、何度かテレビでも取り上げられたが、やや精度が悪く、また色調にも問題があったので、奥歯の補綴物に限定されていた。ところがここ数年の開発のスピードはすさまじく、精度は十数ミクロンとなりロストワックス法より、優れ、また材質に気泡が不純物も入らず、均質性が高い。さらに色調も多く、従来の陶材を使った方法とも併用できるいため、前歯にも十分に使えるようになったし、ジルコニアという非常に硬い材質も使用できる。

  近年、各社がこの方法に力を入れ、新しい製品を開発している。価格が高く、スキャナー、コンピューター、切削機を含めると1500万円以上する。ただ原料の陶材の棒のようなものは2000-3000円と安く、数がこなせば大きな収入となる。仮に7年間でもとをとるためには、年間240万円、月に20万円の収入がいる。人件費を無視して、一個5万円とすると、粗利が47000円、1ヶ月に5本入れれば、ペイできる。さらにいうと、こういった機械を用いた製造は数が多ければ、それだけ価格を下げられる利点を持つ。単純に機械の償却費だけを考えれば、月に200個以上いれる歯科医院であれば1個につき、1000円の利益があればよく、切削バーの消耗品を入れても患者さんには1本10000円で提供できる。これは安い。

  さらに各社が研究を進めているのは、3Dプリンターで、陶材を使えるプリンターも発明されており、将来的にはこちらの方向に向かうだろう。入れ歯もこういった3Dプリンターでできるだろうから、ますます歯科の分野でのCAD-CAMは大きなツールとなろう。

 ただこういった機械は非常に高く、新規開業では金がなく、持てないし、既存開業でもはやっているとことのみが買える。もっと言えば、超大型スーパーのような歯科医院が圧倒的に強くなる。前述したように、従来型の小さな開業医が、技工士さんに注文して前歯の補綴物を3万円で外注し、それを7万円で売ったとしよう。患者数の少ない開業医では、仮にCAD/CAMを無理して買っても、やはり7万円くらいにしないと合わない。ところが大型の最新のCAD-CAM設備をもつ歯科医院では、薄利多売をするなら、価格は2万円くらいに下げられるであろう。CAD-CAMの場合は、歯科医のする仕事は形成だけであり、患者数が増えてもそれほど負担とはならず、薄利多売ができる仕事である。こうなると価格差は1/3となり勝負にならない。さらにこういった機械は5年でほぼ陳腐するため、その期間にできるだけもうける必要があり、その点でも大型店が有利となる。

 うちの患者も進学で東京に行くと、すべての銀歯が白い歯になって帰ってくる。虫歯治療ではなく、金属のものを白くするのが歯科医の収入源となっているようだ。CAD/CAMもそういった流れで使われていくのであろう。東京ではこんな高い機械でも結構売れている。

  前回、A-decのことを書いたが、2013.3の記事で、米国海軍と約40億円の歯科器材の契約を結んだとの発表があった。歯科ユニットで約1000台分以上の契約で、病院戦、空母、基地の歯科ユニットの更新が行われるのであろう。

2013年4月5日金曜日

小学校における偉人教育


 下村博文文部科学大臣は、小学校における道徳教育の充実を提唱し、道徳教材として使われている小中学生向けの「心のノート」の全面改定に関し「たとえば偉人は歴史、国境を越えて人が人として生きる道標として参考になる。エピソードをいろいろと入れることで生きる勇気や頑張る気持ちを提供する」と述べ、偉人伝を盛り込む意向を表明した。

  そして郷土の偉人の存在を子供たちに伝えることで、このような人間になりたい、こういった生き方をしたいという心の高揚をもたらせようとする試みは各地で行われている。弘前市でも、「弘前人物志」という副読本を中学生に配り、郷土教育に使われているが、実際は本を配るだけで、読んでおくようにと、授業で取り上げられることはない。中学生の授業は忙しくて、受験にも関係ない、こういった授業に時間を割けないことが理由であろう。

  ただ週に1回、あるいは月1回でもこういった授業をちゃんとして、子供たちと教師がともに学ぶことは大事であり、今後、県外や海外に行っても、郷土のことを知っていることは、人間としての太い幹となる。

  どういった人物を取り上げれば、いいか、難しいところであるが、これは将来子供たちがどんな人物になってほしいかによる。私としては、津軽人の特徴、頑固で、周囲が何を言っても自分で正しいと思ったことをやり抜く心構えを郷土の偉人に学んでほしい。そういった観点から候補として

1. 笹森儀助
生涯を日の目の見ない辺境に住む人々に向けた視点はやさしい。琉球、沖縄への探検は、悲惨な生活を送る当時の島人の状況を報告することで、初めて日本政府が取り上げる結果となった。
.佐々木五三郎
 周囲のあざけりにもめげず、独力で東北最初の孤児院を開いたじょっぱり精神はすごい。
.山田良政、純三郎兄弟
 中国人民のために、孫文を助けたこの兄弟は、今日的な感覚的でも日本人にありながらも、外国の人々のために命を捧げるという国際人といえる。
.菊池幾子(菊池九郎母)、須藤かく
 学問をするのに年齢は関係ない、困難な状況にもまけない女性像を示す。

 珍田捨巳、一戸兵衛、陸羯南、本多庸一などもいいのだが、子供たちに教えるにはやや内容的に難しい。川口淳一郎という弘前の生んだ、最近の偉人については、映画「はやぶさ」などで取り上げられ、子供たちにも最もポピュラーなものであるが、ここでは敢えて知らない人物がよかろう。あるいは、拙書などを使ってもらい、自分の住んでいる学区あついは近所の偉人を研究するという手もあろう。実際にコンデコマこと前田光世については母校の船水中学では授業に使われている。

 英語教育の重要性を知るためには、東奥義塾からアメリカに渡った多くの人物を取り上げ、東京を目指さず、いきなりアメリカを目指した明治の弘前の若者たちの改新性を学んでほしい気がする。多くの若者が東京に行くのも、アメリカに行くのも変わらないやといった感覚で、留学し、海外の大学で博士号をとってくるやり方は、今日でも一部の非常に優秀な学生が高校卒業後に東大や京大に行かず、アメリカのマサチュセッツ工科大学やハーバード大学に学ぶやり方と同じである。こういった先取的なことがもっと弘前でもおこり、弘前高校から東大に5名いくよりは、アメリカのエール大学に2名、イギリスのオックスフォード大学に1名、中国の北京大学に1名、イランのテヘラン大学に1名の方がよほどすごいことであり、はっきりいって、東大を狙う受験はもはや古いやり方であろう。実際に100年前に弘前の若者はこういった選択をしていたことを今の若者に伝える意味はあると思う。


2013年4月3日水曜日

A-dec 300 その2





 前回に続き、a-decに歯科用ユニットについて述べる。現在、A-decの日本での販売、設置はエーデントという会社がしているが、輸入元はイボクラールという会社がしているため、あまり積極的な商品販売はしておらず、知名度は限りなく低い。かっては三金が販売していたため、50歳以上の先生には幾分記憶があろうかと思うが、若い先生にとっては、歯科雑誌にもほとんど広告がないため、全く知られていない。

 ただし、これは日本だけの話であり、おそらく世界的な販売数ではシロナやカボといったメーカーと遜色はないし、当然日本のモリタやタカラといったメーカーとは販売量で比較にはならない。なにしろアメリカでは70%以上のシェアーがあり、歯科大学のユニットはほとんどこのA-decなので、アメリカの歯科医にはなじみの深いユニットである。また陸海空軍の歯科ではすべてA-decのユニットが使われている。ちなみに最新鋭の空母ロナルドレーガン(2003)とジョージ・ブッシュ(2009)はそれぞれ3000人以上の乗組員がいて、艦内には歯科診療所もある。上がロナルドレーガン、下がジョージ・ブッシュの歯科診療所であるが、双方ともA-decのカスケードという古いユニットを使用している。このユニットは1994年ころから生産され、2008年ころまでカタログに載っていたもので、2003年、2009年であればA-dec500シリーズも何とか間に合ったと思うが、軍隊というところは最新製品よりは信頼性を重んじるため、敢えて古い機種を装備品として選択したのであろう。いずれにしても空母も一旦外洋にでると、ユニットが故障したからといって修理ができるわけではないため、故障の少ないということが最も求められる。A-decの製品は、こういった空母だけではなく、アフガニスタン、イラクなどの陸軍の戦地にも持っていかれ、その信頼性の高さは他の追随を許さない。我が自衛隊にも、歯科診療所があり、そこでの歯科ユニットは国産のものを使っているが、災害用の野外診療所用のユニットはa-decのものである。何しろ小型の発電機があれば、治療ができる。

 他にも3番目の写真は、アメリカの南極基地内の歯科診療所のユニットであるが、チェアーはA-decでないが、ユニットはPac1 Self-contained unitと呼ばれるもので、機械下部に小型コンプレッサーがあるので、電源にコンセントをさせば使用可能となる。4番目の写真はネパール、エベレスト麓のナムチェバザールの歯科診療所の写真で、これはチェアーがA-decPorta-chairと呼ばれるもので、ユニットは持ち運びが可能なPac1 field unitと呼ばれるものである。これらの機種は非常に古い製品であるが、未だに世界のあらゆるところで使われている。

 A-decの歯科用ユニットはアメリカでは標準の機械となっているため、部品も多くのサードメーカーより格安で販売されており、それもパッキングなど小さな部品まで通販で買える。E-beyでもたまにユニットのシート部分が新品で出品されていて、シートが汚れれば、これを買って簡単に交換できる。また一機種の販売期間が長いため、部品の在庫も長いため、未だに先ほど述べた20年前のカスケードやデケードといった機種の部品も豊富にあり、修理には困らない。

 もし広告が許されるなら、「アメリカ陸海空軍で使われている世界一タフな歯科用ユニット アメリカでのシェアーの70%以上を占める信頼性の高いマシンで、南極基地、エベレスト、戦場でも使われる故障しらずのユニットである」といえそうである。飛行機でいうならA-10サンダーボルトか、というと、ちょっとマニアックか。

2013年4月1日月曜日

a-dec300 その1



 待合室、受付のリフォームに合わせて、開業当初からある古い歯科用ユニットを撤去して、新しいユニットを入れることにした。6年前に購入したアメリカのa-decのユニットが故障が少ないので、同じa-decのものを候補にした。最初に買ったのは最上級のA-dec500というシリーズで、これまで6年間で壊れたのは、3Wayシリンジの水漏れ、水供給ボトルの装着不良であったが、いずれもパッキングの問題で、取扱会社のエーデントから翌日、部品を届けてもらい、それぞれわずか1分で修理完了した。それ以外の故障はない。A—Decはアメリカで圧倒的なシェアをもつ歯科用ユニットメーカであるが、あの広いアメリカ大陸のこと、壊れてもすぐにサービスマンが修理にいける状況ではない。そこでこのメーカーのとった方法は、メインの機械は絶対に壊れないようにし、パッキングのような消耗品、小さな器具はすべて取り替え式にして、故障があれば、そのパーツナンバーの部品を送り、歯科医が部品を交換してもらう。また壊れても手動で何とか動かせようにできている。

 前回、a-dec500を買った後、その廉価版として300 シリーズが出たので、当初、これにしようと思ったが、エーデントのひとに言わせると、座り心地は圧倒的に500>300ということだった。一方、私のような矯正専門医はそれほどタービンやエンジンなどの切削器具は使用しないので、ユニット本体はそれほど高いものである必要はない。そこでチェアーは500、ユニットは300という組み合わせを提案したところ、それも可能とのことであった。500300500のふたつを見積もりしたところ、案外両者に価格差があったので、今回は300500でいくことにした。最近はやや円高で、なおかつ本国の価格も上がっているため、前回より高くなっている。

 土曜日の夜から日曜日の午前中、古いユニットの撤去、移動、新しいユニットの設置を行った。チェーアのベース部分が非常に重く、200kg以上あるため、三階まで人力で運ぶのは大変だった。国産のユニットでこんなに重いものはない。何しろ肥満揃いのアメリカ人、200kgを越える患者にも対応するためにはこれくらいの重さが必要なのだろう。チェアーの構成は6年前のものとほとんど同じであるが、メーカーに言わせれば、故障が報告された部分、例えばオイル関係などは故障のおきないようなものになっているとのことで、次回古いユニットも新しい部品に交換してもらうことになった。同一機種を長く売るやり方の利点は、こういった改良を加えられる点で、故障報告が多くなればなるほど、その部分を強化し、結果的には故障の少ない製品となる。日本の歯科メーカーではNakanishiのタービン、エンジンはこの方法で、世界中で売れている。うちのナカニシのPMTC用のハンディータイプのエンジンも最初、研磨剤はよくつまり故障をした。2度ほど修理に出したところ、ある時、バーと本体の隙間にゴムのパッキングをしてきた。その後、同様の故障は激減した。おそらくここの部分の修理が多く、原因を調べ、改良したのであろう。その後、同社の製品の多くは、そういった構造になっている。

 500シリーズに比べて300シリーズは各部の動きがいくぶん滑らかでない。ライトは明るいが、動きは完全に三次元には動かないし、助手側のホルダーもちゃちい感じがする。国産品に比べると見た目では見劣りがするように思える。19インチのテレビが19000円で売っていたので、今のところこれといった使い道も考えていないが、一応モニタースタンドにつけてもらった。このモニタースタンドも500に比べるとかなりちゃっちくなっている。といってもブラウン管テレビが設置できるようにした500のモニタースタンドがオーバースペックなのだが。タービン、エンジンホルダーも固定式で、細かな調整はできないが、これもそれほど必要な機能ではない。

 全体的な印象としては500の機能から必要最小限の機能を残した構成となったのが300シリーズである。おそらくチェアーについては300より500を選択したのは正解だったと思う。