2017年12月28日木曜日

アメリカに留学した明治の女医 相澤操 2



 以前のブログで、尚絅女学校、同志社女学校を卒業後、ペンシルベニア女子医学校を卒業して医師となった相澤操(みさお)について少しふれた(2015.6.19)。明治期、女性が医師になるためには開業医資格試験を受けるか、外国の医学校を卒業する必要があった。多くの場合、当然、予備校に行って医学の勉強をして、試験を受けて医師免許を取得した。一方、須藤かくや阿部はなのように海外の医学校を卒業して、日本に帰国して、医師となった者も少数ながらいる。その一人が相澤操である。

 相澤操の故郷、旧:岩手県胆沢郡金ヶ崎村、現在の奥州市の方から、今でも同地に彼女の親類がいて、地元でも顕彰の動きがあることを知った。相澤については福嶋正和先生の「岩手県金ヶ崎町より輩出せる明治女医2名」(第110回に本医学史総会)に詳しく紹介されているが、さらに何か資料はないかと思い、出身学校の宮城県尚絅学院に問い合わせたみたところ、彼女の自伝が載った同窓会誌のコピーをお送りいただいた。大変ありがたいことである。その一部について、少し引用したい。

「私の歩いた道(二) 曽根みさほ
シカゴを立って、目的地のフィラデルフィアに向かいました。随分長い汽車の旅だったように憶えています。フィラデルフィア駅にはヴォクレン夫人のお出迎えをいただき、自動車で郊外のロスモンドのお宅に連れて行っていただきました。翌日は、ご主人が、市内の名所旧跡を見物に、ドライブに連れて行って下さったのでした。しかし、若かったし、話題もなく、語学力も未だ不十分であり、はずかしさも手伝って、車の中でが、黙りこんでおったことを、本当にヴォクレン氏に済まなかったと、今更追憶しております。ヴォクレン氏は、ある鉄工会社の重役でしたので、お宅はまるで御殿のような豪華ないえで、召使いも沢山おり、自家用車も何台かあり、馬車もありました。お出かけの時は、電話で、どの乗り物を使用するかを指定される有様でした。五十年も前のことで、日本ではまだ自動車も珍しい時でしたので、田舎者の私共には、ただ目を見張るばかりでした。私たちは、祖末な和服で参りましたので、洋服を作って下さいました.近い所は馬車で、遠い所は自動車で、何度かドレスメーカーやデパートに連れて行って下さって、仕立てました。貧乏学生から一躍ブルジョワお嬢さんらしくなり、三週間ばかり、その豪華な邸宅に人として暮らしました。しかし、いよいよ学校入学の準備をせねばならないので、下宿に移りました。入学する学校は、フィラデルフィア市内のWoman’s Medical College(女子医科大学)でしたが、種々打ち合わせのために、ヴォクレン夫人と一緒に、校長に会いに参りました。その結果、私たちはラテン語を全然勉強していないので、ラテン語の入学試験を受けなければならないことになりました。夫人の好意で、ラテン語の家庭教師を招いていただき、毎日、一生けんめいに勉強しました。そして、シーザー四冊を勉強して、翌年、入学試験を受けました。幸いに好成績をとり、入学を許可されました。米国の学校は、九月に始まります。教室に入って講義を受ける段になって、どの教室でもむずかしい講義ばかりで、最初は、ノートも充分取ることは出来ませんでした。幸いに旧友達が親切で、ノートを貸してくれるので、大変助かりました。専門の学問を、しかも外国語で勉強するのですから、生半可の勉強では到底、追いついては行かれません。米国の学生より何倍かの努力が必要でした。私たちは、どうしても、口で表現するより、紙に書く方が容易なので、試験の時には、思ったより好い点数をとることができました。科目も、基礎から専門まで何十科目もありました。死体解剖の時などには、最初は、ほんとうに驚きましたが、慣れるに従って平気にやれるようになりました。」

続く

2017年12月20日水曜日

音程の狂う歌手




 先日、ある有名な女性歌手のコンサートに家内と一緒に出かけた。一昨年の山下達郎のコンサート以来なので、久々のライブである。早めにチケットをとったので、前から9列目のベストボジションで期待が高まる。ところが一曲目が始めると、どうも違和感がある。音程が明らかにはずれている。次の曲、次の曲を聞き、今度は音程が大丈夫と思って聞くが、途中からやはり音程が変だ。私は、音楽は大の苦手で、通知簿でも音楽だけは常に評価3で、ギター、ピアノはだめ、歌うのも音痴、唯一、少しできるのはハーモニカとリコーダくらいで、全く音楽的な才能はない。ピアノの上手な家内とは大違いである。ただどういう訳か、演奏の失敗箇所が不調和音として聞こえる。例えば、プロのピアニストがテレビで演奏していても、ミスタッチがわかる。それでも、もともと音楽的才能はなく、この歌手の場合も自分だけが音程が狂って聞こえるものと思っていたが、隣の家内に“音程狂っていないか”と聞くと、家内もそうだという。ただ周りの皆はライブに熱狂しているが、どうも演奏に集中できず、残念な夜となった。

 家に帰り、ネットで調べると、この歌手は“音程がおかしい”とのかき込みが多くあり、その原因として耳の病気があり、ファンによっては音程がおかしいと思うような人は聞くな!“、”そうしたことを越えた感動がある“という。確かに歌の上手とは色々な要素があり、音程もその一つであり、音程が多少くるっても問題ない。例えば、ノーベル文学賞をもらったボブ・ディランは、ライブ演奏では伴奏と歌が合っていないことも多く、ギタリストのジミー・ヘンドリックは「初めてボブ・ディランを聴いたときは思わず”こんなにキーを外して歌える奴は、尊敬に値するぞ“って言っちゃたね」と、メロディラインを完全に無視して自分の歌、気持ちを伝えるディランに感動している。ディランの場合は、完璧に音程を合わせられるが、わざとキーを外して個性を出している、つまりピカソは具象画の達人だか、自分の個性を出すために敢て抽象画を描いているのと同じだと言うひともいる。ただどうもディランは、上に示したスティービーワンダーとの絡みをみても自分の世界に入りきって、音程の解釈に苦労している。それでも誰一人、ディランを音痴あるいは歌が下手だとは言わない。もう一人、フジコ・ヘミング、人気のあるピアニストだが、彼女ほどプロのピアニストでミスタッチをするひとはいない。結構、難曲と呼ばれる早弾きの曲を演奏するが、かなり間違いが多い。ただ本人は、それも自分の個性と考え、自由に演奏しており、フアンもそれを受けとめている。

 話を元にもどす。私がショックを受けた女性歌手。音楽的ハンディは本人が一番知っていることであり、それを承知で歌い続けるのは非常に勇気がいるし、それを理解して応援するフアンもすばらしい。私のような、たかが音程の狂いのみが気になるような人間は、真の音楽を理解する能力に欠けているのだろう。その後、何度もこの歌手のライブ映像をYou-tubeで見た。もともと非常に歌のうまい人だが、ここ数年のライブは体調や雰囲気により調子の善し悪しが激しい。それでも懸命に歌う姿を見ると、泣かされる。音程が狂うか、合うかの、微妙な揺らぎというか、不安定性がこの歌手の魅力になるのかもしれない。懸命に全力で歌う姿の中に、そうした可能性を見出す。この歌手は音域の合うディエットで歌うと本当にうまく感動するが、体調によるのか、違う男性歌手とディエットで歌うと全く音程が合わず、その差には驚く。



 歌の力をして人を泣かせるのは、すごいことであり、そうした才能を持つ歌手はある意味、選ばれた人間なのだろう。ただベートベンの例を出すまでもなく、耳や声の問題を抱える音楽家は多い。ことに大音量で大きな会場で歌うことは、難聴の原因になったり、のどを痛めやすい。現代の音楽は、ロックのみならず、ポピュラー音楽でも、エレキギター、キーボードなどの電子楽器とドラムがメインで大型のスピーカーにより大音量で鳴らす。これは難聴などの耳の障害を起こしやすい。すでにひどい難聴に悩まされるKinki Kidsの堂本剛のドーム公演は生音のオーケストラを使うという。それほど大きくない会場で、生音で静かに聞くのも、歌手生命を考えると、特にすでに耳の病気を持つ歌手では、重要なことかもしれない。1970年代のロックはスピーカをプレーヤーの後ろに置いていた。これでは耳にはきつい。




2017年12月17日日曜日

冬用のブーツ 2

KeenのウィンターポートIIとソレルのAlphapac XT

ソレルのカリブー

インナーブーツはそれぞれ9mmだが、XTの方が活動しやすい


 いよいよ本格的な冬となりました。昨夜は一日で30cmほど雪が積もり、朝から雪かきです。門から玄関まで20mくらいあるので、新聞を取りにいくのにも雪かきが必要ですが、こんなに降ると、スコップでも50cmずつしか進めないので大変です。

 こうした季節に必要なのが、スノーブーツです。江戸時代は、藁ぐつ、その後、長い間、ゴム製の長靴でしたが、最近は色々なスノーブーツが登場してきました。こうしたブーツを選ぶポイントはまず、滑らないこと。といっても、世の中どんなアイスバーンでも滑らないない靴はないので、あくまで滑りにくい靴と言っていいでしょう。最近の靴で、これをクリアしないものはほとんどないでしょう。次には、防寒性。1、2月になると津軽でもマイナス5−8度になります。足下が暖かいと体は冷えにくく、逆に足が寒いと、すごく寒く感じられます。これに関してはゴム性の長靴は寒くてしょうがない。

 以前は、LLビーンのビーンブーツが好きで、これまで4足ほど履いています。ただ12月ころはまだいいのですが、本格的な雪シーズンとなる1、2月はもっと暖かい靴を履きたい。そこで数年前にカナダのソレル社のカリブーというブーツを買いましたが、これは暖かくていいのですが、インナーブーツが厚く、歩きにくく、あまり使っていません。そこで3年前にKeen Summit County IIIというブーツを買いました。これは暖かいし、滑りにくく、冬用のブーツとしては非常に優れています。ただ欠点は、ヒモで締めるタイプの靴のため、着脱に時間がかかります。近くに買い物に行ったりするには、ちょっと面倒です。そこで作年、もう少し、簡単に着脱できる長靴タイプのものを探していたところ、KeenのウィンターポートIIというのが1万円以下で売っていたので、これはいいと早速、購入しました。暖かく、滑りにくく、なかなかいいスノーブーツです。ただこれは私だけなのかもしれませんが、靴の脱着がたいへんで、ことに脱ぐときは、死ぬかと思うほど、力を込めないと脱げません。サイズ自体は9.5でピッタリですが、とにかく脱着が大変です。履いているうちの延びるかと思い、しばらく履いていましたが、どうにも苦痛で、その後は、箱にしまったままです。

 それでも今年、やはり長靴タイプのものがほしくなり、1万円くらいのものを探したところ、カナダのカミック社のGreenbay4というものと、ソレル社のブリザードXT、 Alphapac XTが見つかりました。いずれも厚いゴム底にナイロンの本体、中はインナーブーツとなっています。カミックは普通の長靴ぽいが、ソレルの方がいかにも冬用のブーツぽい。使用限界温度、マイナス51.5度(この0.5度は何か意味があるのでしょうか)と南極観測隊にも使えそうです。

 貯まっているポイントと割引を使うと12000円くらいで買えるので、アマゾンで購入しました。物凄く大きな箱に入って届きました。心配した足入れは容易で、まずは安心しました。前のソレルのカリブーが9だったので、これも9で注文しましたが、ピッタリで、上のサイズ10ではゆるかったでしょう。カリブーに比べてインナが薄い感じがして、早速、雪かきに利用し、近くのデパートにも履いて行きましたが、それほど滑らなくて、いい靴です。今シーズンはかなり寒くて雪が降る予想なので活躍しそうです。ただこうしたブーツは東北、北海道、長野のような雪の多いところ以外では全く必要なく、そうした意味では地域にあった靴を履いて自然を楽しむのもいいのかもしれません。夏の暑さは裸になっても暑いのですが、冬の寒いのは衣料に工夫することで快適に過ごせます。今のところ、クールネックシャツにパタゴニアR3LLビーンのメイン・ワーデンパーカ、下はユニクロのヒートテックの下履きに、LLビーンの裏地付きチノかグラミチのウール・クライミングパンツ(パタゴニアのシンチラスナップTパンツは外では風を通し寒いです)、帽子はフィルソンのダブルマッキーノ・キャップ、靴は今回買ったソレルのAlphapac XTのコンビで最強でしょう。エベレストにでも行くのでしょうか。寒い弘前でもこの格好では浮いています。






2017年12月15日金曜日

津軽美人 2




 
 美人の多い都道府県を挙げてもらうアンケート調査によれば、一位は秋田、二位は東京と続き、青森県は沖縄に続く13位となります。これはあくまでイメージですので、実際にそうかはわかりませんが、まあまあの成績と言えると思います。随分前のことですが、週刊朝日の記事で「日本海美人一県おき説」を考証しようと、作家の酒井順子さんが、県庁所在地の繁華街で、美人と認める女性100名を調べました。結果は、青森県では12.5%が美人、秋田県が20.5%、山形県が7%、新潟県が12.5%、富山県が9%、石川県が12.5%、福井県が6.5%と、青森を除くと美人一県おき説はほぼ正しいとしています。ちなみに東京は4%かなり少ないようです。この結果では、青森は新潟なみに美人が多いと言えます。


 作家の今東光によれば、「津軽女は円顔が多く、黒目勝ちの大きな眼が印象的で、色は抜けるように白い」と絶賛しています。それでもシャイな性格の県民性のためか、津軽出身の女優さんは少ないようです。古くは、大正時代に活躍した澤村春子(1901-1989)という人がいます。北海道、礼文島生まれということになっていますが、両親とも黒石の出身で、小学校二年生まで黒石の小学校に通っていましたが、両親の仕事のため、礼文島に転居します。成人になり、松竹キネマ俳優学校に学び、「路上の霊魂」という同郷の小山内薫の作品で初出演します。その後は大きな役もなく、青森県の駄菓子屋の女房になって1989年に亡くなります。次に紹介するのは昭和20年代に活躍した相馬千恵子(1922-)です。宮本武蔵の映画でお通の役をしていたことから、“お通さん”と呼ばれていたそうです。この人も大柄な女優さんですが、着物姿はしっとりして美しく思います。1922年生まれですが、まだ存命のようです。その次となると、歌手の方が有名な奈良光枝(1923-1977)がいます。生まれは私の今、住んでいるところの近く、萱町の出身です。「青い山脈」、「赤い靴のタンゴ」などのヒット曲がありますが、大映映画「或る夜の接吻」ではキスシーンが話題になりました。身長は165cmで、戦前の女優さんでは最も身長が大きかったようです。現代風の美人です。他には忘れて行けないのが、長内美那子(1939-)です。お父さんは歯科医ですが、役者バカと呼ばれて、仕事より劇団活動に熱心でした。美那子さんが今でも美人ですが、若い時はそれはきれいな人でした。女性の少ない頃の弘前高校の卒業生で、在学中は目立ったことでしょう。他には、北海道開拓で活躍したお雇い外国人、エドウィン・ダンの夫人、松田ツルもきれいな人で、この人を愛するあまりダンは生涯日本にいることになります。あるいは太宰治の姉、津島タネも、残っている写真をみると美人です。最近の人では、東京の新橋で芸者さんをしている寿寿女(すずめ)さんもきれいな人で、大相撲観戦の際にテレビに写り話題になりました。またモデルさんでは、聖愛高校を卒業した西村みえこさんや、中央高校を卒業し、映画にも出ている飯村未侑さんや、附属中学校を卒業した駒井蓮さんもいます。

 津軽の女性は全国的にみて、身長が高く、肌が白く、二重まぶたの人も多いようです。また変わった点として瞳が青い、緑、グレーの人も見かけることがあります。さらに全国と比べると血液型はA型が少なく、B型、O型の多い、縄文系であり、血液型からは北秋田からの流入が示唆されます。728年から922年のおよそ百年間に、現在の中国東北部、シベリアにあった渤海国から大規模な使節が能代などの北秋田に何度も来ます。1000名以上の帰化希望者がいて、地元民との混血化が進んだのかもしれません。戦後、全国的には移動することも多くなりましたが、戦前まで婚姻圏は非常に狭く、ほぼ同じ地域の中で結婚し、県外に行くことはありません。最近でこそ、そうした意味では混血化は進んでいるが、それでもまだまだ地域性があるようです。津軽美人というのは、北秋田からの流入がもとになっており、基本的には秋田美人に属するのでしょう。青森県といっても八戸のような南部よりは津軽地域に、津軽の中でも青森市よりは弘前市に、さらに黒石、平川、板柳のような郡部の方がより美人が多いように個人的には感じています。

*内容は弘前ロータリーの卓話で話したものです。上の動画は津軽出身の若手女優の駒井蓮さんです。下の動画にはお岩さんの役で、弘前市出身の相馬千恵子さんがでています。