2018年10月24日水曜日

医学部入試に思う


 昭和大学医学部、東京医科大学の入試不正の問題が話題となっている。例えば、東京医科大学では一次試験では理科、外国語、数学の試験があり、それを通った者が二次試験に進むが、二次試験では小論文、面接、適正検査となる。このうち小論文(100点満点)で点数に全員、0.8を掛け、減点した上、現役と二浪までの男子は20点加点、三浪男子は10点加点、四浪以上と女子には加点なしと操作していた。昭和大学でも現役と一浪には加点するが、二浪以上は加点せず、補欠合格選定に際しても大学卒業者の子弟を優先していることがわかった。

 不公平というのが世間一般の声であるが、海外を見渡すとこうしたことは当たり前にあり、特にアメリカの名門私立大学がひどい。有名な話としてブッシュジュニア大統領はイエール大学、ハーバード大学大学院を卒業したが、とても入学できるような成績ではなく、名門ブッシュ家の七光りと多額の大学への寄付で、こうしたことが可能となった。大学としては多くのコネを持つ家の子弟は優先すべき対象だし、寄付の多いところを優先するのもひどく当たり前のことと考えている。こうした不公平はあまり問題となっていない。またイギリスでもオックスフォードやケンブリッジ大学では入学にあたり面接を重視する傾向があり、どうしても親が代々、卒業している名家が優先される傾向がある。一方、貧困層ははなからこうした大学に入ろうとしない。

 これはもう40年以上前のことで時効であるが、私が受験したある私立の歯科大学では、この大学の子弟のみを集めた一週間ほどの夏期講座があり、ここでの模擬試験(数学)がそのまま本番の入試にもでた。私の場合は本番でも同じ問題を間違えたが。もう一つの大学では、一般入試の英語が物凄難しくして最高が60点、平均が20点くらいにして、実技試験と面接の点数を多くしていた。理事長が親父の友人だったので、面接は昔話で終わった。いずれも卒業生を重視した試験であった。一般大学と違い、歯科、医科大学の卒業生は、卒業後も何かと集まりが多く、さらにやれ50周年記念とか新校舎を作るとかの度に寄付金が集められる。さらに歯科医師会や医師会の講演に卒業学校の教授を招くこともある。

 こうした不正は世の中にはたくさんあり、それをいちいち間違っていると指摘するのは正しいのかもしれないが、かえって社会にひずみが出る場合がある。医学部入試が難しくなり、子弟が医学部に入学できなくなったため廃業に追い込まれる医院は地方には本当に多い。親が医者で、跡を継がなければいけないので、子供は地元の病院、医院に帰るのだが、そうでなければ、誰も地方には行こうとはしない。あまり頭が悪い子弟が医者になるのは困るが、昭和大学のように子弟をある程度優先するのは必要悪かもしれない。昨今は優秀な学生は、収入のよい医学部に進学することが多いが、数学が極めて優秀な生徒はできれば理学部に進学して、将来的にはノーベル賞をとってほしい。正直なところ、頭がよいだけでいい医者になれるかは疑問であり、親が医者である場合の方が私の知っている限りいい開業医になっている場合が多い。確かに学力のみで合否を判定するのが、最も公平なやり方かもしれないが、自分が患者となった時のことを考えると、高校、中学で最も成績のよい同級生を思い浮かべればよい。果たしてその同級生に命を託せるか。あいつにはと思うこともあろう。ただ現行の入試では、成績トップから医学部を受験し、医師になる。むしろ入試点数は7割くらいで、残りを高校時代の部活動やボランティア活動などの内申と面接で決めた方がよい。確かに男女や現役、浪人による差をつける必要はないが、子弟、学校や地方自治体の強い推薦(町の唯一の診療所の子弟など)については多少優先してもよかろう。

 一方、こうした問題に対して、最初から明示して試験するというばかげたコメントを出す人(アエラ、内田樹、アドミッション・ポリシー公開が筋目)がいる。“うちは卒業生の子弟を優先します”、“中国人受験生はお断り”など入試要項に書けると思っているのだろうか。社会では不文律という、暗黙のルールがあり、それをすべて開示することはできないし、開示したからよりよい結果が出るとはいえない。内田さんは学習院の入試要項に“天皇家の子弟は優先する”という項目を本当に求めているのだろうか。難しい問題であるが、グレーにしておいた方がよいことも、社会には実際に多い。

2018年10月19日金曜日

サーモス山用水筒とチタンマグ雪峰

左が500ml、右が900ml


雪峰マグはスタッキングできる



 先月、世界最高保温性能のサーモス山用水筒(500ml)を買った。うわさに違わず、その保温性能には驚く。娘の旦那は、車に乗っての仕事が多く、休憩中に冬は暖かいコーヒー、お茶、夏は冷たいジュースを飲むには、この山用水筒は重宝すると考えた。そこで今回は彼のために大型のもの(900ml)を買った。

 ただこの水筒の最大の欠点は、プラスティックの蓋をコップとして使うとかなりプラスティックの臭いがする。あまり気にならない人もいるだろうが、私の場合、水筒の臭いは小学校の頃を思い出し、あまりいい記憶はない。さらに寒い日などは、コップに熱いコーヒーを入れて、暖かいまま飲みたい。そこで、水筒に合ったマグを探した。

 サーモス山用水筒の大きさ、500mlの口径が7cm900mlの口径が8cmくらいである。これにぴったりのマグを探すことにする。“サーモス山用 マグ”で検索すると、好日山荘春日井店のブログにたどり着いた。ここではサーモス山用水筒900mlにはスノーピークチタンダブルマグ(450ml)が、500mlにはDINEXクラシックマグがぴったり合うと書かれている。スノーピークのチタンマグは登山用具としては有名で、シングルとダブルがあり、シングルはそのまま火にかけられるが、飲み口が熱くなり、冷めやすい。一方、ダブルは値段が高くなるが、暖かい、冷たいまま飲め、軽いという評判である。900mlにあうダブルマグとなると450mlのもので、価格も4244円(アマゾン)する。おそらく500mlは、この下の300ml3704円)で合うだろう。飲む立場からすれば、450mlのマグは少し大きすぎる。300mlくらいがいいのだろう。

 そこでスノーピークを中心にチタンのマグを探してみると、スノーピークの雪峰というシリーズがある。これも単品は高さが大きく、容量も多くなるが、スタッキングマグは高さが小さく、ちょうどよい。そこで雪峰Mセットを買い、その3つのマグのうち、小(200ml)を500ml水筒用に、中(300ml)と大(400ml)を900ml水筒用となるかと考えた。値段は8424円とびっくりするほど高いが、ちょうど楽天のポイントが5000円分くらいあったので、思い切って買ってしまった。

 本日、商品が届いたので、水筒に合わせてみると、狙い通り、雪峰Mセットの小は500mlの水筒に、中と大は900mlに合う。水筒の底にマグを着けるなら、ゴム底カバーを外さなくてはいけないが、上に着けるならそのまま被せられる。さらに水筒本体の黄色のゴムをずらして蓋につけ、マグを被せるときちっと固定できる。このマグは取手がついていないので、持つのはかなり熱いように思わせるが、チタンの二重構造になっているので熱くなく、取手の必要はない。スタッキングもできるので、900mlの水筒であれば、中と大のマグを上に被せられるので二人でどこかに行くのにマグが二つあってよい。

 これから寒い季節になるので、朝出かける時にコンビニでホットコーヒーのLサイズを頼み、それを水筒に移し替えて、昼休みに飲みたい。いつもコンビニでホットコーヒーを買ってもそれをカップで診療所に持って行くと少し冷めてしまう。また買ってすぐに飲まないといかないのもいやだった。ただ水筒にコーヒーの臭いがつくかどうか気になる。少し試してみたい。

*チタンマグは普段使いにもいい。ビールは冷たいままだし、お茶も熱いまま飲める。こんな薄くて、軽いもので、持ってもぜんぜん冷たく、熱くないのに、飲むと冷たい、熱い感覚は不思議だ。チタンタンブラーに比べると高くはない。

2018年10月14日日曜日

韓国国際観艦式





幕僚長は旧軍の大将の相当するが、勲章はつけていない
 先日、韓国で行われた国際観艦式では、当初、海上自衛隊が参加する予定でしたが、韓国政府が世論を気にして旭日旗を上げるのを止めさせようとしました。そこで、何を血迷ったのか、参加各国に軍艦旗を降ろして、国旗と韓国国旗をあげるように要請しました。軍艦旗というのは国際慣習法で、軍艦が公海を運行するためには必ず上げることになっている旗で、それを降ろすのは降伏する時か除籍、沈没の時だけに限られます。いかに不当な要求であるかは、軍関係者、韓国海軍もよく理解していることです。結局、海上自衛隊は騒動が大きくなることを避け、不参加することにしましたが、その後、各国はこうした不当な要求にどのような対応をしたかよくわかりませんでした。
 私がよくみる“北大路機関”という軍事ブログがあります(https://blog.goo.ne.jp/harunakurama)。ここにその経緯がよく書かれていますので、一部、引用してみます。まず各国の反応は、当然、韓国の非常識な要求にあきれたようで、中国海軍、マレーシア海軍は不参加、ロシア海軍は艦尾に軍艦旗をあげず、マストに軍艦旗と韓国国旗を上げ、さらに韓国国旗より高い位置に上げました。軍艦旗を上げるなという要求を無視して、さらに韓国国旗より上に自分の軍艦旗を上げました。ほかにはオーストラリア海軍、カナダ海軍、ベトナム海軍、タイ海軍、ブルネイ海軍、インド海軍も韓国の要求を無視し、軍艦旗を上げました。ちなみにアメリカ海軍は星条旗がそのまま軍艦旗なので関係ありません。タイ海軍はマストに大型の軍艦旗、これは戦闘旗といい、決して観艦式には上げない非礼なものです。シンガポール海軍はマストに韓国国旗を半旗、つまり弔意を表し、抗議しました。肝心の韓国海軍も政府の要求に拒否し、前代未聞の李氏朝鮮時代の軍旗を上げました。政府要求に対する反乱に近い行動です。政府のむちゃな要求に韓国海軍も恥ずかしい思いをしたでしょうし、耐えきれなかったのでしょう。
 海軍というのは、国が違っても、海軍軍人としての同志感は強く、こうした観艦式や共同訓練、寄港など、国同士の行き来も多いところです。さらに第一次、第二次世界大戦で国の形態そのものが変化しても、基本的には海軍はその創設時からの伝統を色濃く残しており、空軍や陸軍以上にそうした傾向が強いように思えます。かって日本海軍はイギリス、アメリカと並ぶ、海軍大国であったので、今でも海上自衛隊の国際的な地位は高いと思います。そうした中、今回の韓国で行われた観艦式は、いくら旭日旗が憎いといっても、非常に残念な結果に終わり、かえって韓国海軍の国際的な信頼を失った結果となりました。
 軍隊というのは、非常に保守的なところで、なまじ訳知り顔で政治家が軍の慣習に首を突っ込むとおかしくなることがあります。もちろんシビリアンコントロールという点では、政府の干渉も必要です。今回の韓国の対応には、日本政府ももちろん抗議しました。さらに韓国旗と自国旗だけ上げるようにいいながら、韓国海軍自身が李朝の軍旗を上げたことに批判が高まっていますが、これは韓国海軍による政府への抗議ですので、その意味を充分にわかってほしいと思います。
 話しが変わりますが、逆に自衛隊が世界中の笑いものになっていることがあります。自衛隊は軍隊ではないという建前なので、一佐、一尉といった特殊な階級(大佐、大尉)や普通科といった特殊な部隊名称があります。ただこれについては海外に行っても英語名称を変えるだけで問題はないのですが、問題は勲章です。さすがに軍をもつ国で勲章のない国はなく、各国の武官が集まる今回の観艦式のパーティーなどでは基本的には勲章をつけて参加します。ところが自衛官は防衛功労章くらいしかなく、メダル着用ができないことになります。隣国の中国軍も長い間、解放軍の成立過程から勲章のない国でしたが、最近になりようやく八一勲章というものを作りました。日本でも戦前の金鵄勲章復活の声もありますが、それにかわる勲章を是非とも早く制定してほしいものです。

2018年10月8日月曜日

江戸時代の弘前の道 その2

四ツ堰、 この堰の上の方でキリスト教徒の処刑が行われた?
道を横切る堰(水路)には橋があった、現在の文化センターあたり
かなり複雑は堰の通路、水路の幅とどれくらいだったろう。
マックレー、明治7年、左の2階建ての洋風建築は佐々木元俊宅 
メアリー・リンド、世界周遊記、明治27年、上の写真とは逆方向からの眺め、家の前には溝があった。







3.      具体的な例
 追手門から市役所と図書館の間の道をみてみよう。「弘前大絵図」では712.6mの広い道である。今は歩道も入れて12.6mでほぼ一致している。図3は東奥義塾の宣教師であったマックレーの本に載る同じ道の挿絵である。この本は明治七年に書かれ、左の二階建ての西洋館(弘前最初の西洋館、本町一丁目の佐々木元俊の家、明治七年に建てられた。)を除くと、ほぼ江戸時代の町並みである。図4はメアリー・リンドの世界周遊記(明治27年)に載る同じ道の写真である。明治27年で写真であるが、明治七年とあまり変化はない。城方向から本町方向の写真なので、二階建ての家は右に見える。雨上がり直後か、かなりぬかるんだ道となっている。家の前には細い溝のようなものがあり、道からは小さい敷居を通して入る。建物は変わっているが、道そのものは江戸時代と同じである。こうした写真や絵をみるとよくわかる。

4.     その他
 江戸時代、弘前の町中には岩木川、土淵川から堰(水路)が町中に血管のように分岐していた。各家には井戸があって、飲料などはこの水を使ったが、洗濯や野菜の洗い、あるいは農園の水やりにはこの堰の水を使ったと思われる。明治二年弘前絵図にも記載されているが、細かい通路が不明であったが、この「弘前大絵図」では堰の道筋もはっきり記載されている。さらに堰が道を横切る場所では、方法としては暗渠か、そこに小さな橋をかける方法が取られる。橋をかける場合も兼平石のような平の石を使う場合や、木造の場合もあり、また道幅全体にかけるか一部にかけるかがある。この絵図では木造の小さな橋を道の真ん中にかけることが示されている。大きさは道幅の半分くらいのところや道幅一杯のところがある。堰の幅は町中ではせいぜい50cmくらいなので橋がなくても乗り越えられるが、雪の時には橋のないところは、ズブット足が入ってしまうだろう。また木製なので、頻回の修理が必要だった。

 この「弘前大絵図」は調べると非常に面白い絵図であり、明治二年弘前絵図には載っていないキリシタン処刑場とされる四ツ堰も描かれている。一軒だけ堰上にある「山田司?」という人物が非常に気になる。全くへんなところに家がある。こうしたデジタルデータがあれば、高校生くらいでも充分に研究でき、夏休みの課題として、明治二年弘前絵図(1868)と比較、例えば道幅の詳細な変化、戸主の変遷な、町家と士族の屋敷の違いなどを研究できよう。さらに私は明治8年の新町地区の地籍図のデータを持っているが、それには「弘前大絵図」と同じく、家の敷地(幅、奥行き)や道幅が載っている。これと「弘前大絵図」との比較により、1800から1868年までの土地所有とその変遷も調べられるだろう。色々な活用が考えられる。全国高校生歴史フォーラム(地歴甲子園)では、こうした高校生による研究を募集しており、きちんとした指導者がいれば、こうした絵図を利用してすばらしい研究ができるだろう。


*上の3枚の写真は勝手の引用しました。申し訳ございません。