2014年12月31日水曜日

養護学校でのリンゴ籠作り





 先日の弘前ロータリークラブのクリスマス例会では、弘前第一養護学校の校長先生も出席いただき、生徒の作ったコースターをいただいた。ブナの薄い板を編んだコースターで晩酌の時に使わせてもらっている。生徒さんの作った作品は、毎年11月ころに作品展を行い、一部の製品については販売もしている。例会の席で、校長先生から何か販売作品でいい知恵があれば、お教えくださいとの挨拶があった。

 そこで後日、メールで、以前から考えていたリンゴの竹籠作りを提案させていただいた。私が高校生の時、今から40年前、修学旅行で弘前に来た。弘前には昼過ぎに到着して、弘前公園を見学して、駅前のリンゴ店でみんなが竹籠入りのリンゴを買った。確か籠には、56つのリンゴが入っていたと思う。大阪への夜行の電車の中で食べる生徒もいたが、私はそのまま持ち帰った。大阪駅で解散となったが、阪神電車で尼崎に帰る際には、他の乗客から「青森の行ったのか」と声を掛けられた。それだけりんご=青森という共通意識があった。父の学生時代の友人が青森市で開業していたので、子供のころから毎年、リンゴ箱が送られてきた。籾殻に入ったリンゴは甘い香りがしていたが、失礼ながらそれほどおいしいとは思わなかった。というのは当時、青森から大阪まで列車で1週間ほどかかったことと、リンゴの品種が日持ちしなくて、すぐに柔らかくなったからだ。

 後で調べると、リンゴの入っていた竹籠は青森名産の根曲がり竹を使ったもので、主として岩木町植田、今の弘前市愛宕周辺で、土地のおばちゃんらが手間賃稼ぎで作っていた。ただ作り手がいなくなったことと、ビニールでできた籠に価格競争で負けたことで、あっという間に消滅した。今、作っているのは工芸品に該当する立派なもので、値段もそれなりに高い。昔のお土産用リンゴ籠の簡単なものは一切作っていない。

 弘前駅やねぶたの里などのお土産屋をみてもリンゴ箱の宅急便が中心となっている。家庭をもつひとはそれでもいいのだが、独身の若い人からすれば、一段でも箱買いするほどリンゴは欲しくない。こういった観光客には籠入リンゴは売れるはずである。少し重いが、いいお土産となる。

 幸い、養護学校の周りはリンゴ畑で、愛宕地区もそれほど遠くなく、昔のりんご籠の作り方を知っているひとはきっといると思う。すべて竹で作るのもいいが、あまり手の込んだものは生徒には難しいだろうし、単価も高くなるので、簡単でデザインのいいものが必要となる。またこれは私の以前からの提案であるが、必ずブランド名、制作者のサインを入れる。たとえ単価が300円くらいのものであっても、自分の名がはいることで責任が出るし、やりがいとなる。北欧陶器ではサインあるいはチュリップのような絵が入る。古備前焼のように横1本の線でもよい。

 市や県、あるいは民間のリンゴ販売所、農協などからも積極的に支援してもらい、プレミアムリンゴとして1個300円のリンゴ5個を竹籠に入れて2000円。修学旅行で買った竹籠がどんなだっか。おそらく写真上のような、八甲田丸のジオレマで飾られているようなものを小さくした形だった(写真1、2)。工芸品の竹籠は、かなり手間をかけて作られるが、農作業用のリンゴ籠では補強にテープを用いている(写真4)。お土産もすべて竹で作る必要はなく、取手部を赤ピンクのテープで巻いても良い。伝統工芸の継承、地元地域との交流、将来的な生活設計など養護学校でのりんご竹籠作りはいいアイデアとは思うが、実際に生徒さんたちがどこまでできるか、材料の入手はどうか、など作っている人の意見を知りたいところである。

2014年12月23日火曜日

なぞの画家 芳園







 シンシナティー美術館のHou-meiさんから“Masterpieces of Japanese art”という本を送っていただいた。私の須藤かくと阿部はなについての論文も取り上げていただき大変感謝している。内容はシンシナティー美術館が所蔵する日本美術品をくわしく解説した本で、日本美術に対して予備知識のない一般アメリカ人にうまく説明するのは難しかったと思う。取り上げられた作品は、名前だけ見ると、いわゆる有名作家は少ない。表紙を彩る動物戯画は小川破笠の肉筆画であるが、破笠といえば日本人からみると漆器作家と見られる人で、肉筆画は浮世絵がやや知られている程度である。ところがこの本で紹介さえている破笠の作品は、コンデイションがやや悪いが、従来の破笠の肉筆画を一変させる優れた作品である。

 本で紹介されている他の作品も、作家の名前で評価したものではなく、純粋に絵の内容で選ばれたもので、Hou-meiさんの審美感、鑑識眼が表れている。伊藤若冲のように海外での評価が先にあって、その後、日本で評価される作家は最近多い。河鍋暁斎などもそうであろう。こういった強い性格の絵は、日本では床の間が荒れると言われ敬遠されてきた。一方、外人からすれば、浮世絵もそうだが、こういった絵の方がおもしろい、西洋画にはない表現とうつるのである。そのため明治期に多くの作品が欧米に流出した。シンシンティー美術館の日本美術品もそうである。

 この本の中に不思議な作家がいる。天岩戸伝説をモチーフにした作品で、天照からの光が印象的でみごとな構図となっている。作家名は“芳園平吉輝”あるいは“芳園輝”の落款がある。芳園の号は、“西山芳園”が有名である。実際に大英博物館所有の芳園“の名のつく作品はすべて西山芳園の作となっている。ただインターネット、デジタルライブラリーで西山芳園の作品を調べると、号はすべて”芳園“のみで”平吉“や”輝“に記載はない。西山芳園の名は成章、字は子達で、平吉、輝との接点はなく、また画風も異なる。

 そこで他の“芳園”を探すと、菊池芳文の師に滋野芳園がいる。この人についてはほとんどわからない。他には「森琴石.com」に京都府画学校の出仕画人の一人に、明治17年のところに岸派の画家として香川蟾麿(芳園)の名がある。さらにデジタルライブラリーの「現今日本画家人名録」(明治18)の岸派の中に「兵庫 山水 澁野蟾麿 芳園」とある。おそらく滋野の間違いであろう。蟾麿という名は珍しく、おそらく滋野蟾麿(芳園)=香川蟾麿(芳園)であろうか。一方、「本朝画家人名事典 上」(明治26年)には「芳園 香川芳園は京都の人なり岸岱に就いて画を学ぶ天保十一年生(1840)」となっている。さらに「菊池芳文 菊池常次郎と称す京都の人なり画を滋野芳園に学ぶ文久二年生(1862)」と香川芳園と滋野芳園は別人物のようにも思える。作品はインターネット上ではないが、唯一、大英博物館所蔵の狐の嫁入りをモチーフにした“西山芳園”作となっている絵は、この滋野あるいは香川芳園の間違えであろう。Hou-meiさんも作品説明で、天岩戸の絵は西山芳園の作品でないとしているが、私もそう思う。画風からはおそらく幕末から明治中期に活躍した日本画家であることは間違いない。


 Hou-meiさんも、このなぞの“芳園”について調べている。是非とも情報をお持ちの方は連絡ください。3画像は上記本から勝手に引用しています。申し訳ございません。本はアマゾンでも買えます。最後の画像は大英博物館のHPからの引用です。

2014年12月21日日曜日

39年目のロレックス


 以前のブログ(2010.1.2)で私の愛用のロレックスを紹介しましたが、その後、誤って床に落とし、ガラスケースの一部にひびが入りました(写真右下)。またリューズも壊れて別のもので代用しています。それでも19歳の時に買ったこの時計は、季節により遅くなったり、早くなったりするものの、大体正確で、2、3か月に1回くらいの時刻合わせでよかったのです。ところがここ2か月くらいは1週間で1分くらい狂うようになり、さらに一日で1分、そして急に止まってしまいました。

 19歳の時からですので、39年間、ずっと動き続けていたのが、急に止まると淋しいものです。毎日使っていれば、機械ですので、いつかは壊れるとは思っていました。ただ実際に壊れるとあせり、取りあえずイトーヨーカー堂で9000円のシチズンのエコドライブの時計を買いました。この時計はチタンで軽いし、正確ですが、視認性がひどく、失敗でした。一方、壊れたロレックスは近所の時計屋に持っていくと直るとのことでしたので、修理に出しました。2週間して、ようやく直り、また動き始めました。うれしいことです。

 私が初めて時計を持ったのは、中学1年生の頃で、当時はやっていた“セイコーファイブ”というものでした。しばらく使っていたのですが、母親の知人からスイス製42石の中古の時計をいただいたので、これを気に入って使っていました。名前は忘れましたが、いいものだったと思います。石数が多いと正確と思っていました。高校3年生のある夜、二階で勉強していたのですが、机にこの腕時計を置いて、下の部屋に降りてテレビを見ていました。階段を誰かが降りる音と玄関のドアが開く音が聞こえました。母親に聞いても、気のせいということで、そのまま2時間ほどして二階に上がると、時計がありません。泥棒が入ったと思いましたが、下には母と私がいたのですから、あまりにも大胆です。時計が盗まれただけでかえってよかったかもしれません。

 その後、安い時計を使っていたのですが、一浪して大学に入る際に父親がいい時計を買えばよいといい、以前時計をもらった方が近々香港に行くというので、確か10万円くらい渡して買ってきてもらったのが、このロレックスの時計です。おそらくこの方もお祝い代わりに足して買ってくれたのだと思いますが、オイスターパーペチュアルの一番安いモデルだったと思います。たぶん15万円以下だったでしょう。大阪のロレックスの会社でバンドの調整をしてもらい、一度無料でオーバホイルしてから35年以上、何もしていません。ホテルや風呂屋に何度も忘れたりしましたが、不思議に盗まれることもなく、今まで常に腕につけていました。実はもうひとつ、親父が患者さんからもらった1990年代のデイジャストもあったのですが、自動巻の場合は片方を使うと片方が止まってしまうので、ほとんど使わないまま甥っ子にあげました。

 もうすぐ40年、そろそろ時計も人間同様、引退かと思い、新しい時計をと、ひさびさにロレックスを調べました。ところが信じられないくらい値段が上がっていて驚きました。10年前くらいに一度、サブマリナーが欲しかったので調べたことがありました。並行輸入品であれば確か40万円前後でしたが、今はこの倍近くします。他のエクスプローラーなども2030万円だったのが50万円以上します。とてもじゃないですが、ぼったくりです。それじゃということで、グランドセイコーについても調べましたが、ロレックスほどではありませんが、機械式はかなり上がっています。セイコーがクオーツを発明し、特許公開したことで、スイス、アメリカの時計会社が大打撃を受けました(クオーツショック)。ロレックス社も1970-80年代は非常に危ない状態でした。ただこれは経営モデルにできるでしょうが、時計マニア化を図りました。今や若者向けの時計雑誌が数多くあり、世界中に時計マニアがいます。

 直っちゃうと、まあこれでもう少しがまんしょうということになりました。今回、調べた時計の中で、一番引かれたのは、セイコーのスプリングドライブという機械式の最新版で、これは電池いらずで、多分20年はもつでしょう。この中でもSBGA001とうモデルには引かれますが、48万円。これからしばらく貯金します。

2014年12月18日木曜日

手先の器用さ プラモデルによる教育


 歯医者になるためには、ある程度手先が器用でないといけません。私自身、あまり器用な方ではありませんが、それでも細かい物を作るのは結構好きです。歯科技工をした後、家に帰って気分転換のためプラモデルを作っていた時期もありました。

 子供のころ、家が歯医者だったせいか、プラモデルや竹飛行機などは手先が器用になるということで、好きなだけ買ってもらいました。小学校前の文房具屋には文房具とともに、入り口右の棚には100-500円程度のプラモデルや竹飛行機のキットが売っていました。

 竹飛行機と言っても今の人はピンとこないと思いますが、薄くて細長い紙袋を開けるとバルサ材の胴体とプラスティックのプロペラ、ゴムとあとは細長い竹ひごと真鍮のチューブ、そして薄い紙が入っています。設計図に合わせて、ろうそく、お湯で竹を柔らかくして曲げていきます。ここであまり力を入れるとポッキリと折れてしまいます。接続は真鍮のチューブに挟み込みペンチでしめます。胴体と翼は糸でしばり、さらに接着剤で固めます。翼には紙を糊で貼っていきますが、皺のでないように貼るのは大変難しいものです。こうした完成した機体を空き地で飛ばす訳ですが、ほとんどきれいに飛んだことはなく、いつのまにか壊れてお終いです。

 「少年」や「冒険王」などの月刊誌には、色々な付録がついていました。この組み立ても結構むずかしく、はめ込み、のり付けの組み合わせで完成させていきます。ゴム動力によるレコードプレイヤーというのもありました。

 凧の製作など、昔は子供の社会の中にも、器用、不器用がわかる遊びが多かったように思えます。竹飛行機など今の小学3、4年生で作れる子供はほとんどいないでしょう。プラモデル、竹飛行機、月刊誌の付録、駄菓子屋の型抜き、夏休みの工作など、男の子の器用さを求める遊びが多く、女の子もリリアン、編み物、刺繍などがありました。こうした遊びは今やすべてコンピューターゲームに移ったようです。そのため、うちの二人の娘も親から見ても器用か、不器用がわからないし、本人もそうでしょう。

 歯科医や技工士のように器用さを要求される職業に、不器用なひとが就くと、かわいそうな結果になります。昔はクラスでも家庭でも、あるいは本人も自分がこういった物作りに器用が不器用かは色々な遊びや経験からわかったものですが、今の子供はこういったことがわかりません。

 学校でも教材としてプラモデルでも作らせるか、あるいは夏休みの特別教室で、竹飛行機や真空管ラジオなど作らせたらどうでしょうか。弘前でも発明クラブがあってこういった活動をしていますが、あまり盛り上がっていないようです。技術立国日本、それを続けていくためには、頭脳だけではなく、手も動かせる人が必要です。こういった物作りの教育、特に手先の器用さを試す授業があってもいいでしょう。不器用とわかるだけでも教育となります。それにはプラモデル作りが色んな要素が詰まっています。設計図を理解する。パーツを切り離し、バリをとる。そしてきちんと組み立てる。さらに言うと規定された色を塗る。資料を読むなどがあります。工場生産のすべての過程が詰まっています。