2019年2月11日月曜日

国歌が否定される国 韓国




 シンシアリーのブログという、韓国人の歯医者さんが書いたブログをよく見ます。最近のブログの中に、「31運動100周年記念行事推進委員会」が韓国国歌、愛國歌の作曲家が親日であるから、式典で国歌を流すのはふさわしくないと言っているようです。呆れはてます。愛国歌の作曲はアン・イテク(安益泰)、作詞はユン・チホ(尹 致昊)で、アンはウイーンでリヒャルト・シュトラウスに学んだ朝鮮を代表する偉大な作曲家であり、多くの交響曲を作っています。愛国歌は留学中に作曲され、大韓民国成立後の1948年に国歌となりました。ところがアンは2008年に民族問題研究所で親日派と認定されてしまいます。親日人名辞典にも日本の植民地支配に協力したとされています。また作詞家のユンは朝鮮を代表する政治家、教育者であり、本当の愛国者でしたが、親日派とされ、終戦後は売国奴、親日派として石を投げられたといいます。彼の31運動に対する評価も厳しく、“独立運動家に対して”自分たちは死ぬ勇気もないにも関わらず、他の純真な人々を死の谷間に押しやる呪われるべき悪魔のような存在“と手厳しい評価をしています。愛国歌の作曲家、作詞家はいずれも親日であり、韓国左翼に従えば早々に国歌を変更する必要があります。

 それでは肝心の3・1運動はどうかと言うと、これは191931日にソウル中心のパゴダ公園にて宗教指導者を中心とする33名が独立宣言を読み上げたものです。現在の文政権では最も重要な出来事とされ、今年は100周年を記念して大掛かりな式典が行われます。この独立宣言は、崔南善(チェ・ナムソン)によって書かれたものです。このチェも韓国の近代文学の開拓者ですが、朝鮮総督府に勤務し、満州の建国大学の教官もしていました。戦後は反民族行為処罰法にて処罰を受けました。現在でも親日派リストに入っています。さらに言うと、この運動に参加した33名のうち、親日リストに載るようになったのは、鄭春沫、崔麟、また後に独立運動に貢献したと言われる人でも戦前になくなったのは韓龍雲、劉如大、申洪植、朴東完、吉善宙、李弼柱、李昇薫、李種一鍾勳、梁漢黙、朴準承、孫秉熙純粋に抵抗したのは呉世昌、東鎮くらいで、金乗詐、申錫九は北朝鮮により処刑されています。呉、権のように純粋に抵抗しものでも、いわゆる独立運動に参加して日本軍と戦ったものはいません。親日リストに載る人以外は、ほとんど韓国政府から建国勲章をもらっていますが、この人たちも長生きしてなら親日リストに載ったかもしれませんし、逆に親日リストに載った人たちも早く亡くなったら建国勲章をもらったことでしょう。

 中国にあった大韓民国臨時政府の少数の朝鮮人以外の国にとどまった優秀な人たちは、日本政府と協力して朝鮮人の立場の向上に努め、その結果として日本からの自治権獲得を目指しました。非常に現実的な行動であり、多くの特攻隊志願の朝鮮人も自分たちの死によって少しでも朝鮮人の地位が上がればと考えました。いずれも非常な高尚な考えです。逆に朝鮮においても全く沈黙する、隠遁する、あるいは重慶において実態のない臨時政府を作り、何ら戦いもしなかった人々が建国の英雄となりました。

 大学で言えば、現在のソウル大学の前身、京城帝国大学の関係者はほとんど親日派であり、またそこを卒業して役人になったものも親日派となります。さらに名門校、高麗大学の創立者、金性洙も親日派リストに含まれ、梨花女子大学の初代学長の金活蘭もまたリストに入っています。日本統治下で活躍した朝鮮人はほとんど親日派ということになり、これは論理的には非常にまずいことであり、日本統治時代(1910-1945)に活躍した朝鮮人を全て否定することになります。朝鮮の近代化が進んだ時代でしたので、そうした近代化に関わる人々は親日派となりました。もちろん大統領でも朴正熙は満州軍の将校であり、また陸軍のトップ、参謀総長も1970年頃までほとんど日本の士官学校出身者で占められ、のちに親日リストに載ることになります。

 1910-1945の全ての歴史、人物を否定する韓国はおかしな国で、まさに細かな原理原則に固執する小中華、朝鮮そのものです。常識的な国であれば、戦後間もなくならいざ知らず、数十年も経って親日リストを作ったり、親日派の子孫の財産の没収などはしません。グレイゾーンがあってもこうした極端なことはしません。まして尹致昊のような偉大な人物が罵倒され、従軍慰安婦のおばさんが英雄視されるのは狂っており、それが韓国という国家です。


2019年2月7日木曜日

迷宮グルメ異郷の駅前食堂 韓国編




 ヒロシさんの迷宮グルメ異郷の駅前食堂については以前、書かせてもらいましたが、最初の回から欠かさず見ています。以前は1時間の番組で、前半は新作、後半は再放送分となっていましたが、最近は人気が出たのか2本とも新作になっています。これまでトルコ、ベルギー、オランダ、クロアチア、スロベニア、台湾、韓国、マレーシア、フィリッピンなどを旅しています。あまり観光地には行っていないので、NHKの世界ふれあい街歩きとは全く趣は違います。世界ふれあい町歩きは観光地を綺麗に撮った番組ですが、迷宮グルメの方がよりその国のありのままの姿を伝えてくれているように思えます。

 例えば、フィリッピンの人には申し訳ありませんが、ヒロシが行くフィリピンは、恐い。街が汚いのはわかるが、歩いている人の人相が悪く、また刺青をしている人も多いようです。欧米に比べてフィリッピンの犯罪率が高いわけではありませんが、日中でも、とても裏通りを行こうとは思えません。これは番組の中でのフィリッピンの姿ですが、実態はこれに近いでしょう。一方、日本に出稼ぎに来た人も多いようで、番組でもそうした人からヒロシさんもよく声をかけられます。みんな明るくて人懐っこい感じがします。それでも私には汚いことと、恐い感じがしてフィリッピンには行こうとは思えません。

 韓国編は、笑い転げます。うちの家内は韓国ドラマが好きで一日中見ていますが、そうした華やかな世界はドラマの中、あるいはソウルの一部だけなのでしょう。数年前、韓ドラの好きなうちの母親と姉が韓国旅行しました。地方を回るとおばさんは見事なほど、チリチリパーマをしていて綺麗な人はほとんどいないと言っていました。まあそうかなあとは思っていましたが、ヒロシの迷宮グルメでもこれまで二回、ソウルから離れた街を探索しましたが、全くその通りで、見事にチリチリパーマに紫の服を着た無愛想なおばさんが出てきます。どの店のメニューには日本のような料理の写真が載ることは一切なく、ハングルで書かれたものだけです。全くサービス精神が欠けていますし、愛想は決して良くありません

 昔、と言っても数十年前、1960年頃。尼崎の私のいたところは、在日韓国人が多くいた地帯でした。そうした場所ではよくつかみ合いの夫婦ゲンカがありましたし、アル中や薬中の人が暴れていました。女の人は、できるだけパーマが持つように、オバQの小池さんのようなきつめのパーマをかけていました。上は柄物のブラウスに下はどういう訳が原色のモンペのようなズボンでした。女同士でガヤガヤと大声で喋っていた記憶があります。これと全く同じような光景がヒロシの行ったと韓国にあります。尼崎にも同じような食堂、一杯飲み屋がありました。店の中にはカウンターがあり、そこで酔っ払いがたむろしていますし、外でも天気の良い日は椅子を持ち出し、昼間から飲んでいます。かなり安いのでしょう。ホルモンなどの何が入っているかわからないごった煮もあります。懐かしい感じですが、一方、あまり行きたくないところです。なんか、変に人懐こいのですが、深入りしたくないところです。私は在日韓国、朝鮮人の友人も多くいますが、口を揃えてもう韓国では生活できないといいます。在日も二世、三世さらには四世になると精神的にも文化的にも日本人で、こうしたいかにも韓国ぽいところは我慢できないようです。韓国も町は汚いし、周りはハングル文字だらけで、愛想もないので、あまり行く気が起こらないところです。またヒロシの番組でもそうですが、予想以上に英語が通じないようです。私の英語の先生も、韓国の大学に行き、そこの受付で、英語で聞いても全く理解できず、入り口にある案内図もハングル語だけで、歩いている学生、10名以上に聞いても皆んな逃げるだけだと怒っていまいした。

 ヒロシの番組で逆に行きたいなあと思ったのはベトナムと台湾で、ここは良さそうです(台湾はもう一度行きたい)。迷宮グルメは食番組ですが、いい観光案内番組になっています。

2019年2月2日土曜日

揚州周延の明治浮世絵




 来月、アメリカから友人が二人、弘前に来る。また米山奨学生として世話している中国人の学生も3月で卒業となる。外国の方に何かいいお土産、記念品はないか、できればあまり高価なものは相手も気を使うので、できれば1万円以下のものが望ましい。今の時期は、ひな祭りの人形がデパートで売っていて、小さなものなら予算範囲内で買える。また最近、若者にも人気のあるこけしも、可愛くていいのかと思った。ただちょっとありきたりで、面白みに欠ける。もっと日本的で、できれば将来価値があるものはと思って見つけたのが、浮世絵である。

 浮世絵といえば、日本を代表する美術であり、外国人にもよく知られたものである。江戸時代の広重や北斎の浮世絵は高価でとても1万円以下では手に入らないが、近代のものであれば、買えるかと思い、ヤフーオークションで“明治 浮世絵”で検索すると、月岡芳年、小林清規、歌川国貞などの作品が出てくる。スタート価格は1000円くらいで、うまくやれれば安く手に入ると考え、その中から女性を多く扱った揚州周延(ようしゅう ちかのぶ)を検討した。大型浮世絵が3240円くらいから始まっている。版画は刷りのエディション、早い刷りが高く、後の刷りが安く、またコンディションの違いが値段の差となる。まず本物の値段がいくらくらいするか、“周延 値段”で調べると、“東風俗福つくし”シリーズで15000円から25000円くらいであった。これまでの経験から業者の買取価格はこの1/10、インターネットオークション価格はこの半分から1/3と推測した。すなわちオークションの価格は5000円から10000円くらいとなる。さらにエディションについては、このシリーズの版画が近代デジタルライブラリーに収蔵されているので、これを最高のものとして比較できる。

 最初に落札したのは“馥郁”という作品で、梅の香りを楽しむ人々が描かれている。非常に綺麗な作品であるが、この段階ではライブラリーとの比較は思いつかなかったので、後で比較すると、左の女性の打掛の柄が不鮮明であり、また制作年月日が入っていないことから、後刷りの可能性が高い。それでも4600円で買えた。次に買ったのが、“福寿草”というもので、明治時代には福寿草を売る夜店があったのだろうか、これは十分にライブラリーの絵と比較したし、コンディションも良さそうである。落札価格は7750円であった。届いた作品を見ると黒の外套が本当に美しく、キラキラ光っている。線も細くて綺麗で、美しい。これは買ってよかった。この二つはアメリカから来るお客さんにそのままあげよう。ボール紙に挟むか、円筒のボール紙に入れればかさばらず、スーツケースに入れられる。中国の学生は若いので、もう少し明るいものを探した。“ふくりん”という作品は色の対比が美しいのでこれを買うことにした。あまり競う人もおらず、4600円で購入し、いつもよく利用する額縁のタカハシでそれにあう大きさの額と額装マットを購入した。2682円となった。二つで7282円となる。まあ予算範囲内におさまった。喜んでくれるといいのだが。

 今回、始めて明治期の浮世絵版画を買った。これまで浮世絵といえば江戸時代、明治のものなど大したことはないと考えていたが、その作品を見ると版画そのものの技術は非常に高い。明治期の木版画が、日本版画史上、最高の到達点と評する人もいる。明治になると西洋から新しい色、顔料が入り、一方、これまでの浮世絵は廃れたため、より細かい、多色で精巧な作品が作り出され、そのレベルは驚くほど高い。一方、浮世絵コレクターからすれば、赤、ピンクなど原色は派手すぎて嫌いという人も多いだろう。ただ“Chikanobu”と検索すると驚くほどたくさんヒットする、とりわけ”Toyohara Chikanobu”Wikipediaはたくさんの画像があって詳しい。

 欧米ではこうした明治の浮世絵も人気が高く、これまでもかなり流出しているのだろう。ある意味、日本美術の海外への流出は、明治初期、戦後にピークがあったが、床の間、和室のなくなった現代もまた一つの流出ピークなのかもしれない。私も揚州周延の3つの作品を海外に出すのだから。周延の作品は多く刷られ、残っている作品も多いのだろう。それにしてもこうした優れた作品が5000円程度で買えるのは信じられない。作品内容を考えると将来的にはもっと高くなってもよい。

2019年2月1日金曜日

小児歯科



 青森県の矯正歯科の認定医は10名、口腔外科の専門医は16名、歯周病専門医は3名、補綴専門医は9名、小児歯科専門医は2名となっている。医学部でみると整形外科専門医は青森県だけでも158名、日本消化器内視鏡学会専門医が124名、リューマチ専門医は21名、さすがにマイナーとなる日本婦人科腫瘍専門医は3名しかいない。全国の専門医数で見ると一番多いのは外科専門医で21275名、続いて整形外科専門医が17280名、小児科専門医14940名となる。一番少ないのは肝胆膵外科高度技能専門医が61名である。概して医科では、専門医の種類も多く、また専門医の数も多いのに対して、歯科はそれ自体が医科の専門と見做すことができ、専門医の種類の少ないし、専門医の数も少ない。一つは、医科、歯科とも大学は六年であるが、研修医は歯科が一年、医科は二年となる。その後、大学に残る場合は外科や内科の大学院に進むことになる。最近は医科では博士号より専門医の取得を目指す学生が多いため、大学院に進まずに臨床研修機関で臨床を学ぶことも多い。その後、4年間の大学院あるいは五年の専門教育で博士あるいは専門医の資格を得て、大学の助教などを経て、病院勤務あるいは開業となる。早くて開業するのは40歳以降となる。それに対して、歯科では大学の医局に残る学生は少なく、開業医での勤務を経て30歳頃には開業することが多い。そのため最初に見たように医局に残らないために専門医の数が非常に少ない。

 例えば、小児歯科の専門医は青森県では2名、一人は青森市、もう一人は三沢市で、弘前、五所川原市などには1名もいない。一般の方からすれば、一般歯科と小児歯科専門医の区別はつかないと思うが、私は、今は小児歯科をしてないが、小児歯科の医局に三年いた経験からすれば、まず治療の内容が違う。虫歯があって、治療する場合も小児歯科では必ず、麻酔、ラバーダム防湿をして例えレジン充填でもまず二次カリエスになることはない。なぜなら充填も確実にやるだけでなく、その後も定期的に歯磨きの指導、フッ素塗布などをしていくのからである。さらに虫歯が神経までいった場合では、その後、予後が悪く、歯根に膿を持つ場合があるが、それでも一般歯科医より予後は良いという自負はすべての小児歯科専門医が持つであろう。さらにいうと子供治療に特化しているため、治療スピードも早く、これは障害児の治療では重要である。東北大学の小児歯科にいた時も何度か全身麻酔下での治療を経験したが、1時間くらいで8本の生活歯髄切断と乳歯冠を行う。これはかなり慣れが必要となる。最近、青森県でも障害児に対する歯科治療をする施設ができ、そこには大学から口腔外科の先生が出向するようだが、おそらくは若手の先生が派遣され、抜歯はできるかもしれないが、他の小児歯科治療ができるとは思えない。むしろ岩手医科大学か東北大学から小児歯科の先生を派遣してもらった方が良いだろう。

 ただ小児歯科専門医もなかなか大変で、専門開業をしている友人によれば、ほとんど子供の虫歯がなくなり、来院する患者の7割は虫歯がないし、虫歯のある子供にしても虫歯の軽度である。歯髄処置、乳歯冠などの処置は年に数度くらいしかないと言っていた。昔は来る患者、来る患者、ほとんどの歯が虫歯だった。東北大学では、乳前歯はレジン充填、臼歯部はインレーか乳歯冠だったが、鹿児島大学では、ほぼすべての症例でラバーダムを乳犬歯、第一、第二乳臼歯のかけ、麻酔をして1/4ブロックで治療していた。どんな症例も4回で直すようなシステムで、レジン充填か乳歯冠で処置し、乳前歯はサフォランド塗布で終了だった。もはやこうした大掛かりな治療をする症例はほとんどなくなったのだろう。

2019年1月27日日曜日

ねぽりんぱほりん



 NHKEテレで毎週水曜日の11時から放送される“ねほりんぱほりん”という番組がある(新作は毎月1週目と2週目)。この番組は放送限界と思えるほど内容が過激で、かっての週刊実話をはるかに凌ぐやばいものである。見たことがない人に説明すると、主として対談を中心とした人形劇で、山里亮太による“ねほりん”と、Youによる“ぱほりん”が、その日のテーマとなる人形、ブタ人形と対談する。ただ対談内容がやばく、HPから取り上げると、「元薬物中毒者」、「マッチングアプリにハマる人」、「買い物依存症の女」、「ネトゲ廃人」などで、前回は「あるコスプレイヤー 自分は捨てた!衝撃の闇深きコスプレ人生」というものだった。母子家庭で、幼稚園に行く頃から自分にはなぜ父親がいないと母を恨み、ほぼ小学校から不登校となり家でゲームとネットで過ごすようになり、その中からコスプレプレーヤーに目覚めるとまっしぐら、母親の首を絞めて殺そうとする。通常ならドキュメンタリタッチで、深刻な話であるが、この番組ではお下げ髪のロングヘアーのブタ人形と、メガネをかけた母親役のブタ人形で登場して話しているので、全くあっけらかんと番組中でケンカしている。最後は、ヤンマディーゼルの天気予報をパクったエンディング曲でお終いとなる。

 この番組の制作は、大古滋久氏。障害者が主体となった「バリバラ」もそうだが、教育テレビが過激である。どちらもさすがNHKだけに予算、制作費も民放より贅沢なのであろう、内容も濃い。以前は、本多勝一のNHK“受信料拒否の論理”という毒に侵され、少しNHKを批判的に見ていたが、むしろ本多勝一氏から批判されるのは勲章になるだろう。ちなみに大学生の頃、本多氏の本を片っ端から読んだが、今となっては本当に腹立たしい。そうした意味では、彼がNHKの報道の偏向性を批判するのは、自分のジャーナリズムのさらにひどい偏向とその影響(南京事件など)を考えると、甚だおかしい。

 話は逸れたが、「ねほりんぱほりん」の内容は、いずれもテーマにしても、各界の知識人で討論させると深刻な話になろう。昨日放送してしていたのは再放送の「少年院の入っていた人」というテーマで、夫婦で少年院に入っていたカップルが登場した。内容はこれも深刻なものであるが、それでも結構笑わせるエピソードがあって、気持ちよく見られる。これが教育評論家の誰それさん、少年犯罪を専門にする誰それさん、弁護士の誰それさんといった対談では、全く面白くはないし、実際、綺麗ごとの話ばかりで中身のない陳腐な番組になっていただろう。かなり実際に少年院に入っていた人の本音を人形劇という匿名の形で聞くことができたし、それが番組の面白さに繋がっている。よく本人の話にモザイクを入れて、音声を変えて放送しているが、まるで犯罪者のようで、それならブタ人形に喋らせた方がよほど良い。またブタの人形がよくできていて、その動きもさすがにチロリン村からのNHKの十八番、人形劇の技術を継承していて、本物の人間が喋っているような感じがする。キャラやその人の経歴によって人形や着せる衣装も変えていて、かなり長期の制作日数がかかっていると思う。
 
 昔は、小学校生徒は午前11時に視覚教室に行き、そこで決められた教育番組を見た。むしろこの“ねほりんぱほりん”は高校生くらいの生徒に見させて、こうした生き方について議論するのも良いであろう。

2019年1月22日火曜日

ヒキコモリ 山田ルイ53世


 以前から気になっていた本、「ヒキコモリ」(山田ルイ53世、角川文庫)を読んだ。面白く一気に読めた。著者とは、六甲学院、サッカー部という共通の繋がりがあるため、妙に親近感があり、本で取り上げられた場面、ことに六甲学院の場面は具体的に辿れる。よく知られた山田さんの逸話だが、学校に行く途中で、急に便意をもよおし、我慢できなくなり、通学途中でしてしまう。そのくだりは通学途中の道のどのあたりのところで便意をもよおし、運動グランドのどの便所に行ったかもわかるため、妙に生々しく、まるで映画の映像のように目に浮かぶ。その後、それをきっかけに6年間に及ぶ引きこもりを送ることになる。

 この本では山田さんの生まれたところは記載していないが、HPで調べると兵庫県の三木市ということである。三木市と言えば神戸市の隣町なので、ベッドタウンと言えそうだが、感覚としては、どちらかとういうと姫路に近く、ギリギリ明石が神戸圏であっても、三木市は加古川市や高砂市に近く、また三田市の匂いもある。はっきり行って六甲学院の通学範囲は超えている。私の学年で言えば、西は大阪、東は須磨くらいが限度で、多くは神戸から西宮にかけての生徒が大半であった。

 当時とは時刻表は違うと思うが、ちなみに乗り換え案内で三木から六甲学院への道筋を調べると、三木6時発、神戸電鉄栗生線新開地行き、新開地到着75分、神戸高速線梅田行き713分発、阪急六甲駅到着729分となる。ここから学校までは長い坂となり15分はかかるため、学校到着は745分頃となる。彼は他の生徒より早く学校に行っていたようなので、この時間くらいであろう。本によれば駅まで自宅から20分かかるようなので、上記のような通学でも家を5時半には出ないといけず、通学時間に2時間15分かかることになる。往復で4時間半、流石に私の同級生でもこれほど通学時間がかかった生徒はいない。

 山田さんは六甲学院の51期生とのことで、私が32期生なので19年の差がある。51期と言えば、サッカー部も栄光の時代は去り、兵庫県でも弱いチームではなかったものの、全国大会や近畿大会には出ることはない。彼は小学校の頃からサッカーをしていたというが、それでも中学二年生でレギュラーになるのは才能があったのだろう。高校は受験のために三年生の5月頃には引退していたので、テレビでやっている正月の高校選手権には高校一年生と二年生のチームで出るが、逆に中高一貫だったので高校受験がなく、中学は3年間、目一杯試合に出られた。さらにサッカーは人気があったので一学年20名以上は部員がいて、中学だけでも50名はいたため、2年生でレギュラーであったのはすごい。成績も学年で十番以内だったとようで、このままひきこまないで、高校卒業まで行けば、京都大学、あるいはどこかの国立大学の医学部に入っていただろう。あれだけ口が上手ければ、医者になっても繁盛したであろう。両親も含めて今とは全く違った人生であったのは間違いない。

 山田さんは、記者から「引きこもりの6年間があったから、いまの山田さんがあるんですね」という質問が一番嫌いで、その答えとして「いやあの6年間は完全に無駄ですね」と答えている。といって特に他人の引きこもり生活を否定している訳でもない。ただの便の失敗というある意味、些細なことが人生を完全に変えることもあるし、山田さんの例で言えば、成人式のニュースがひきこもり人生をストップした。偶然による。私の場合は、高校一年生の頃、大学に行かないとダダをこねる時期があり、その時、兄の家庭教師をしていた先生から一人旅に行けと言われた。ちょうど夏休みの終わる頃で、今からですかと聞くと、そうだ学校なんか休んでしまえと言われたものの、それまで学校に行くのが義務みたいに感じていたので、抵抗感は強く、勉強が遅れる、休学の理由がないなど色々と理屈を並べたものの、すべて論理的に否定された。親に話すと何も聞かずに旅費をくれ、次の日に神戸港から沖之永良部島行き船に乗った。もちろん初めての一人旅で、大学生と一緒に遊んだり、地元の女子高校生と仲良くなったり、奄美大島では旅館の人に自殺客と勘違いされた。登校日から2日ほど遅れて帰ってきたが、先生からも同級生からも欠席の理由は聞かれなかった。何か心の重しから解放された気分になった。六甲学院はカトリックの学校で規則にやかましいところであったが、そうした規則をきっちりと守る自分に嫌気がさしたのであろう。ちょっとくらい羽目を外してもいいと思うと楽になった。山田さんの場合は、往復で4時間以上の通学をきつかったのだろう。どこか息抜きができればよかったのだが。

2019年1月18日金曜日

弘前新美術館

弘前犬もできれば外での展示を願います

旧タケウチ自転車店

 弘前市の市政で、個人的に最も期待しているのは、弘前市吉野町のレンガ倉庫にできる弘前市芸術文化施設(弘前アートセンター)である。設計は現代日本人建築家で最も注目されている田根剛さんで、国内では少ない彼の作品となる。弘前では名建築家、前川國男さんの設計した建物が5軒ほどあるが、それに田根さんの建築がつけ加わることになる。2020年の春ころに開館となる予定であるが、建物については具体的な予想図があり、実際にレンガ倉庫でも工事が始まっている。ところが内容については市、博物館の人に聞いてもあまり知らない。というのも、建築と運営に関しては、「弘前芸術創造」という集団が行うことになっており、弘前市はこの事業体にほぼ丸投げに近い。

 この事業体は平出和也という人が代表で、スターツコーポレーション、大林組、NTTファシリティーズ、エヌ・アンド・エーなど8社の共同出資となっている。このうち大林組は美術館本体の建築を担当することは理解できるし、NTTファシリティーズが省エネ、エコの美術館に関係することはわかる。またスターツコーポレーションについては、知られた会社ではないが、インターネットで調べると不動産、管理、セキュリティーで実績のある会社であり、弘前芸術創造の代表の平出和也氏はこのスターツコーポレーションの役員である。エヌ・アンド・エー(N&ANanjo Associates)という会社は、HPで見ると、芸術文化施設の企画、運営、マネージメントをしている会社で、十和田市現代美術館の創設、運営に関わっていて、特に現代美術では多くの企画に関わっている。代表取締役は南條史生氏であり、同時に弘前市芸術文化施設の総合アドバイサーでもある。つまり「弘前芸術創造」の中でも実際の展覧会や作品集めなどの運営の主体となるのはN&Aである。
 現在の美術館運営は非常に難しく、多くの入場者を集めるためには高度なノウハウが必要であり、ましてや台湾や中国からの観光客の誘致にも関与するとなると、ユニークな企画が必要となる。なかなか市町村程度の職員ではそうしたノウハウはなく、N&Aのような専門集団に任せるのはわかる。ただ総合アドバイサー=運営主体となると、全く南條氏の個人的なものとなり、弘前市の独自性をどこまで追求できるか疑問である。特に契約主体の弘前市に芸術に関する専門家がいないと南條氏の専門集団、会社のいいなりとなる。例えば、現代作家の作品購入において、最終的には弘前市の承認が必要としても、作品の選択、価格は南條氏が決めることになり、弘前市に専門家がいないとそのまま通すしかない。弘前市芸術文化施設のメイン展示物は、弘前市出身の奈良美智さんの作品であり、彼の大型展示物が常設の中心になるだろう。これは過去にレンガ倉庫で行われた伝説的な“A to Z”などの個展の再現であり、誰がこの個展を作ったかというと、奈良美智さんであり、grafであり、そして弘前市民であった。であるなら、新しい美術館もこの制作集団を活用したらどうだろう。現代絵画はおそろしく高騰しており、今では世界中の金持ちの投資対象となっていて、そうした意味では弘前市芸術文化施設では、限られた作品収集の予算ではたいしたものは買えないし、その必要もない。もちろん評価の定まらない若手の作品を買う冒険も必要ない。むしろ転売が難しく投機商品になりにくいあおもり犬のような大型展示作品を中心にすべきであり、そうなると20204月に開館となると、すでに遅いかもしれないが、奈良美智さんとの話し合いも必要であろう。

 アメリカの多くの美術館は、市民の寄付によって成り立ち、図書館とともに市の文化的な象徴となっており、美術館の理事となることは名士となる証である。おらが町の美術館ということである。弘前市芸術文化施設もその運営を全て東京の会社に任せるのはどうかと思う。少なくとも地元愛を持つ芸術の専門家を弘前市としては任命すべきであり、佐野ぬいさんやA to Zの主催者、あるいは奈良美智さんもいる。残された時間は少ないが、今のままでは地元の美術館としての市民の支持は少ないように思える。せっかく弘前に美術館ができるのであれば、市民に愛されるべきものであるべきで、そのためには開館の前段階から市民の参加が求められる。また弘前博物館との連携は今のところ全くない。おそらく南條氏は博物館とは関係ない独立した美術館を作るつもりで、そうであれば話し合い価値もないと考えているのだろう。ただ弘前博物館には、地元出身画家の作品所蔵しており、限られた予算の中で有効な活用が必要であろう。さらに言うなら、近年、日本美術は欧米では現代美術として再脚光を浴びており、博物館の古い作品も新美術館で活用できる。