2025年7月11日金曜日

一番いい時代は?

 



私が生まれたのは昭和31年(1956年)で、今は令和7年(2025年)だから、このほぼ七十年の間で一番いい時代と言われると、おそらく1975 年くらいから1985年くらいの10年間だと思う

 

子供の頃は、まだまだ戦争の影響を引きずっており、阪神梅田駅にも傷痍軍人が座っていた時代で、自家用車もほとんどなく、スーパーやコンビニもなかった。既製服もなく、服を作ろうとすると仕立て屋に注文した時代で、服も靴もよほど高価なもので、親父は歯医者をしていて、決して貧乏ではなかったが、それでも革靴や2足、スーツも2つしかなかった。子供は年がら年中同じ服を着ていたし、家に風呂がなかったので近所の銭湯に行った。夏場は2日に一回くらいだが、冬場は3、4日に一回くらいのものであった。決して日本も裕福な国ではなく、欧米諸国に比べてとむしろ貧乏な国であった。

 

日本が豊かな国と実感したのは、昭和55年(1970)の大阪万博で、当時の雰囲気は山田洋次郎監督の「家族」という映画によく表されている。日本中がいわばお登り状況で、沸き立っていた。私など初めてここで外国人を見て、今考えるとアホで、サインをもらったりした。さぞかしびっくりしたことであろう。景気もこの頃から良くなり、周囲にも大学生が多くなり、グループサウンドやフォークをする若者も少しずつ増え、また長髪の若者も多くなった。ただ1970年の初めはまだ一部の若者で、学生帽を被った大学生がまだいた。中学三年生の時に初めて東京に行き、新宿にフーテンと呼ばれる若者集団を見て、さすがに東京都だとえらく感激した。

 

月刊ポパイが創刊されたのが1976年、そこにはアメリカ西海岸の空気が満載され、夢中になった。この頃からジーンズに、Tシャツなど今につながる若者ファッションが定着し、ディスコもあり、音楽は1978年にはサザンオールスターズの勝手にシンドバット、ユーミンの飛行機雲が1973年。ユーミンは天才で、とりわけ70年代の曲は際立っている。

 

私が一浪して仙台の大学に来たのが1975年で、最高に楽しい時代であった。仕送りは他の学生より多くもらっていたので(10万円)、バイトもせずに、アパート代や食費を払ってもまだまだ遊べる金があった。映画も名画座であれば1000円くらい、学生向けの飲み屋やディスコも2000円くらいで楽しめた。また友人の家で飲めば、もっと安く酔えた。個人的には全くモテなかったが、東北大学歯学部は仙台の女子大には人気があり、かなり合コンをした。小遣いを貯めては、ポパイで紹介された靴や洋服を買い、仙台の一番町の喫茶店モーツアルトに行くのが何よりの楽しみであった。よく休日にはロードレーサタイプの自転車に乗り松島に行った。また軽音楽部の友人が多かったので、ロックからジャズ、ゴズペルなどいろんなジャンルを聞いたが、当時の日本のヒット曲はあまり知らない。インドと中国に行ったのもこの時代だった。結局、1983年まで仙台にいて、その後、1994年までは鹿児島にいた。もちろん鹿児島にいた時も楽しかったが、バブル崩壊後は、昔ほどの活気もなくなり、私自身も1984年に結婚し、子供もできたため、そんなに遊んでいるわけにもいかなくなった。

 

1975-1985年の10年間は、ちょうど私にとって大学および卒業後の独身時代に一致し、そのこともあってこの時代が一番いい時代と思っているのかもしれない。任天堂のファミコンが登場したのが1983年だが、これは子供向けで、私たちの世代は、2000年に登場したソニーのプレイステーションもあまり夢中になっていない。またインターネットが普及したのは1995年頃からで、今のようなスマホが登場したのが2007年なので、完全に別の時代のものだ。ただ感覚としてはゲーム、インターネットやスマホのなかった1970-1980年代の方が実感としてよほど面白かったのは私だけであろうか。シティーポップが世界的に流行っているというが、今の若者にもこの時代への憧れがあるのかもしれない。


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