2022年8月25日木曜日

日本人の発明



 






最近では、日本の科学力は後退していて、論文数、検索の多い重要論文数でも隣国の中国に負けているし、人口が半分の韓国にも迫られている。また世界大学ランキングでも、東京大学は清華大学、北京大学の中国の大学やシンガポール国立大学にも負けて7位、京都大学は12位で、上位20校のうち中国が7校、香港が4校、韓国が5校、シンガポールが2校となる。このランキングは集計方法などに問題があるが、それでもアジアにおける日本のポジションは以前に比べるとかなり下がっているのは確実である。ところがである。日本人が発明した、あるいは世界に広めたものというと、アジアの他国を圧倒している。ちなみ現在、世界で普通になっているもの、なくてはならないものを挙げると。

 

1.     カラオケ

2.     家庭用コンピューターゲーム

3.     インスタントラーメン

4.     ウォークマン(のちのアップル、iPod、さらにはiPhoneにつながる)

5.     漫画、アニメ

6.     土足厳禁(室内では靴を脱ぐ)

7.     空手、柔道

8.     俳句

9.     抹茶

10.日本料理(寿司、カレー、ラーメン、うどん)

11.点字ブロック

12.光通信

13.マイクロプロセッサー

14.3Dプリンター

15.LED

16.クオーツ時計

17.カッターナイフ

18.囲碁、将棋

19.カーナビ

20.アシストバイク(E-bike

21.医療器具(パルオキシメーター、胃カメラ)

22.

23.味の素

 

一方、日本以外のアジア、中国、韓国、シンガポールなどで発明されたもので世界的に普及しているものはほとんどない。一つあげるとなると、韓流ドラマ、歌手などの韓国のエンタメで、これは世界中にフアンがいる。また中華料理は世界中のどんな僻地にも中華料理屋があるほど広く世界に普及している。ただエンタメも中華料理も、とても発明品と呼ばれるものではない。

 

昔、日本人には想像力がなく、これは詰め込み教育の弊害と言われてきたが、上記のような発明の多くは詰め込み教育全盛の時に生まれたものであり、あまり関係ないし、むしろ他国に比べても日本人の創造性は高いように思える。一つには江戸時代から日本人は好奇心が強く、わからないことを知ろう、あるいは工夫をすることが得意であった。韓国、中国は、新しいものを開発するよりは、似たようなものがあれば、それをパクってしまえというのが一般的である。1から開発するよりは、開発したものをパクった方が早いし、安いという合理的な判断からそうする。実際、家電の分野で、韓国のサムソン、中国のハイアールが日本メーカーを抜いた時期から、新しい、革命的な製品は出ていない。LEDの開発には、ノーベル賞を受賞した赤崎勇、天野浩、中村修二などが絡んでいるが、照明やテレビなどにも利用されていて、その発明の恩恵は大きい。また八木秀次、宇田新太郎博士が発明した八木・宇田アンテナも100年近い歴史があるが、いまだにテレビアンテナとして世界中で使われている。

 

2000年代になり急速に普及したグッツとして、まず商用ドローンがある。元々は軍事用であったが、誰でも簡単に飛ばせるようにしたのが、フランスのパロー社のもので2010年に販売された「AR.Drone」。これは一気に広まり、同タイプのドローンはウクライナ戦争にも使われている。もちろん21世紀最大の発明はアメリカ、アップル社のiphoneで、これは世界中の人々の生き方を大きく変えた。ファイスブック、ツイッターなどSNSの分野では日本人の活躍はなく、21世紀になると,日本人による大きな発明はなくなった。ビットコインの発明者、サトシ・ナカモトがもし日本人であれば、これは大きな発明であるが、どうもそうでないらしい。近年、日本人による世界を幸せにする発明品が減ったのは気になる。ただ最近の日本人が発明した製品で気になるの、筑波大学の山海教授が発明したロボットスーツは、実際の工事現場や倉庫などで実際に使い始められ、今後、加速度的に世界に広がるだろうし、21歳の村木さんが発明した二酸化炭素回収装置も注目され、金儲けでなく人々を幸福にしたい、楽にしたいという思いからの発明は日本人がもっとも得意な分野である。

 

2022年8月21日日曜日

子供の矯正治療は必要?

 



現在は、子供の矯正治療はしていないが、それまでは患者の3/418歳以下で、さらに一期治療の対象となる小学生の患者が半分くらいであった。つまり患者の半分が小学生、1/4くらいが中高校生、そして残りの1/4が成人という構成であった。

 

一期治療では、反対咬合では上顎骨前方牽引装置とセクショナルアーチによる被蓋の改善と上顎骨の前方への成長促進を狙った。上顎前突では、機能的矯正装置、主として佐藤式FKOか、ツインブロックによる下顎骨の成長促進を、稀にはユーティリティーアーチとヘッドギアによる上顎骨の成長抑制を行うことがある。叢生では、基本的には永久歯が完成するまで経過観察するが、これも稀には急速拡大装置あるいは拡大床とセクショナルアーチにより混合歯列で整列することもある。

 

ここからは私のあくまで長い臨床経験からの私見である。いわゆる理想咬合を治療の目標とした場合、一期治療のみでこの目標に達する確率は1/5くらいで、また患者の親がこの程度でいいと、来院しなくなる確率が1/3くらいで、実際に二期治療をする患者はほぼ半分くらいである。さらに一期治療で効果があり、二期治療はすごく簡単になった、あるいは抜歯しなくてすんだ症例は、その内のほぼ半分で、残りは二期治療の効果が少ないか意味なかった症例である。

 

不正咬合の種類別に見ると、反対咬合ではほぼほとんどの症例で、一期治療は効果があり、一期治療の効果がなく、手術になった症例はおそらく数パーセントくらいであった。成人の反対咬合患者の80%が手術の適用であり、それを考えると反対咬合の一期治療は意味があると思われる。また下顎骨が小さい上顎前突では、機能的矯正装置の効果があり、二期治療がいらなくなった、あるいは叢生のみの治療になった確率は半分程度で、残りはほとんど効果がなく、二期治療が主体となる。叢生については、叢生がひどい、あるいは切歯がもともと飛び出ている症例は、将来的に小臼歯の抜歯症例になるために、一期治療は何もしない症例が半分くらいいる。残りの1/4は拡大床や急速拡大装置により叢生が改善して二期治療が必要なくなったが、そして1/4は上の前歯を一期治療で、セクショナルアーチにより整列、リンガルアーチで保定しても、最終的に二期治療を必要とする、すなわち叢生の場合は一期治療で終了できる確率は1/4位と思う。すなわちこれはあくまで私感であるが、反対咬合ではほぼ100%は一期治療をした方がよいが、上顎前突では50%、叢生では25%しか効果がない。

 

子供、特に一期治療の対象者である小学生で、矯正治療を自分からしたいと子供はほとんどいない。子供にとって矯正治療は苦痛でしかない。ある知人は、小学生の6年間、ずっと下顎の成長抑制のためにチンキャップをしていたが、50歳になった今でも嫌な思い出だったという。またうちの衛生士の娘さんは子供のころ数年にわたり床矯正装置による治療を受け、友達から“入れ歯女”と言われ、からかわれた。歯磨きがひどく、ブラケット周りにう蝕ができることもあり、子供にとって矯正治療は基本的には嫌なもの、避けたいものと考えた方がよい。いくら親が早期治療の効果を説明しても、そんなものは子供には理解できず、結局は親のいうことをよく聞くかどうかにかかっている。

 

結局、子供の矯正治療は、親がするものであり、最終的にはあまり効果の少ないものを長期に使うことは考えものである。そのため反対咬合の上顎骨前方牽引措置や上顎前突の機能的矯正装置は、長くても2年間、効果がない、あるいは本人が使わなければ、すぐにやめるようにしている。叢生に関しては、床矯正や急速拡大装置で凸凹が治っても、口元で出ているということで、成人になって治療を希望する人が多く、上記のように叢生の早期治療の成功率は1/4だが、実際、口元の突出感も含めれば、もっと成功率は低いと思われる。

 

日本矯正歯科学会のガイドラインによれば、反対咬合に対する上顎骨前方牽引装置や上顎前突の機能的矯正装置、ヘッドギアの効果はエビデンスが少ない、すなわち治療してもあまり意味がないが、反対咬合の被蓋の改善はした方がよいということになっている。叢生については、まだガイドラインは出ていないが、おそらく早期治療には否定的な見解となろう。早く叢生の早期治療のガイドラインを発表して欲しいところである。ただアメリカでは、そもそも日本で行われている叢生の早期治療、床矯正、急速拡大装置などを使った小学生の治療はあまり行っておらず、ある意味、日本での子供の矯正治療、特に叢生の治療については、少し特殊である。

2022年8月18日木曜日

インビザライン をする人への注意

 
日本矯正歯科学会からのお知らせ



あいも変わらず、インビザライン の問題が目立つ。先日も、成人反対咬合の患者が来院し、青森市のインビザラインで治療をしているところで相談したところ上顎の小臼歯を抜歯してインビザラインで治療するという。確かに外科的矯正をするほどのケースではないが、骨格性反対咬合では、基本的には非抜歯の治療、抜歯の場合も上顎は第二小臼歯、下顎は第一小臼歯、あるいは下顎の第一小臼歯の片顎抜歯も理論的にはあるが、上顎小臼歯のみの抜歯が外科的矯正の術前矯正以外はあり得ない。この症例は、上顎の叢生はあるが非抜歯で治療可能で、おそらくインビザラインでもゴムをうまく使えば治療可能であろう。ただ上顎の小臼歯抜歯では、治療はかなり難しい、あるいはできないであろう。検査を受ければ、治療方針を変更するだろうが、それでも担当医の診断能力は低いと言わざるを得ない。

 

矯正治療は、素人の一般歯科医は手を出すなというのが、多くの矯正歯科医の本音であり、あまりこうしたことを強く言うと反発されるので言わないだけである。少なくとも、大学病院矯正科、あるいは矯正専門医で3年以上の研修は必要であり、こうした基礎研修をした先生が一般歯科をしながら矯正歯科をするのは問題ない。基礎研修もなしで、講習会を受けただけで治療をすることが問題なのである。自分は大学に残っていないが、認定医に負けないほど勉強したし、実力もあると豪語する先生もいよう。一度、日本矯正歯科学会の臨床指導医の症例展示を見て欲しい。カテゴリーの違う10症例の提出を求められるが、同じような治療結果を提出できるか自問して欲しい。おそらく誰一人、合格できないであろう。これは外科治療で考えれば、すぐに理解できる。もし外科の基礎研修を受けていない医師がいて、この医師が胃がんの手術をした場合、他の外科専門医がどう思うのかということである。もちろんこうした先生に胃がんの手術を受ける患者はいないと思うが。

 

患者は、歯科にも専門性があるとはわかっていないようで、矯正治療をどこでも治療できると考えている。矯正歯科という看板を挙げているなら、それなりの研修を受けて治療もできると患者は思うようだ。これまで子供の矯正治療はするが、大人の矯正治療はしていないという歯科医院は多かった。リンガルアーチやチンキャップ、機能的矯正装置による治療を行い、ある程度まで良くなればと治療をした。ところがここ数年、インビザライン に代表されるアライナー矯正が登場すると、一般歯科でも成人の矯正治療をするケースも増えていき、それに伴うインビザライン による治療を行なったが、治らないといった相談が日本矯正歯科学会にも殺到し、先ごろ学会でも緊急の注意声明を出した。極めて異例の事態で、アライナー矯正の患者被害が多いことを物語っている。

 

実際、コロナ下で、マスクで口元を隠しているとかえって歯並びが気になるようで、3年ほど前から成人患者が急増した。ほぼ7割は軽度から中等度の叢生で、凸凹を取るなら簡単であるが、大部分は口元の突出も気になるようである。今年、当院で治療に入った60名くらいの成人患者でも、アライナー矯正の適用とされる軽度の叢生、非抜歯の症例は3名ほどで、他の症例は口元を後退するために、全て小臼歯を抜歯している。さらにこのうち5名ほどは、アライナー矯正をした経験がある、相談に行ったことがあるケースで、全て非抜歯での治療を勧められ、あるいは治療をした。ディスキング程度では絶対に標準値まで口元を後退できず、他の患者も、もしアライナー矯正をしたなら、ほとんど全ての患者は口元の前突に不満を持つに違いない。実際、鹿児島大学矯正歯科の同門会や日本臨床矯正歯科医会の会員アンケートでも、アライナー矯正をしている先生は多いが、適用はせいぜい全症例の10%程度、さらにほとんどのケースでワイヤー矯正を併用し、仕上げ、特に咬合の緊密性が甘いと言う回答が多かった。私はアライナー矯正をしていないが、実際にしている矯正専門医の印象である。

 

正直にいうと、小学生の矯正治療は、別に治らなくても、仕上げの治療で治れば良いと思うので、気がラクである。中学校、高校生の治療は、患者本人がそれほど仕上げに対する要求も強くなく、早く装置を外して欲しいと気持ちが強いため、これも気が楽である。さらにゴムを使ってくれない、歯磨きが悪くて装置を外すこともあり、治療結果の一部を患者の非協力のせいにもできる。一方、成人矯正については、要求も強く、細いところまで気にする人や、質問、疑問を強くぶつけてくる人も多く、神経を使う。稀に舌機能の問題などで、治療がうまくいかない場合は、患者協力がいいだけに、こちらの一方的な責任となり、謝るしかできない。本当に辛い。そのため、開業医の矯正専門医では、できるだけリスクを減らそうとする。外科的矯正の頻度が増え、30年前では、重度の反対咬合が適用であったが、最近では中程度の反対咬合、顔面非対称、重度の上顎前突にも適用が拡大され、出来るだけ、成人患者の不満を少なくしようとしている。以前なら下顎が後退した上顎前突では、なんとか上顎切歯を後退して改善したが、十分な口唇の閉鎖ができないため、最近では上顎前突、ANB10度を超えるケースは外科的矯正の適用にしている。このように成人の矯正治療は、子供、中学生、高校生の治療に比べて、精神的にもかなり気を使うため、インビザランだけで治療を行おうとする一般歯科の先生はよほど精神的にタフなのであろう。

 

どうしてもインビザライン で治療したい人は、1。“でこぼこも治したいし、口元が出ているのも治したい”とはっきりいうこと、2。セファロ写真を撮らない場合は、前歯の突出度を調べるのに必要なのになぜ撮影しないか尋ねること、3。セファロ分析で、非抜歯の治療でどれくらい歯および口元が引っ込むかシミレーションしてもらう。また“必要があれば歯を抜いてください”と言っておいた方が良い。後で文句を言っても歯を抜きたくないと言ったじゃないかと言われるからである。特に2については、横顔を撮影したセファロ写真は、矯正治療では必須の情報であり、この検査をしないでいきなり治療をしようとするところは100%やめた方がよい。多くの症例を見てきた私でも、セファロ分析なしで矯正治療はできないし、90万円といった高額な治療費をとって成人患者の矯正治療をするなら、セファロ撮影装置くらいは買えと言いたい。




2022年8月12日金曜日

夏休みの思い出 徳島県脇町

 

穴吹駅 ほぼ100年

昭和20年後半の脇町


母親の実家 井川本店








子供の頃、昭和40年前後の夏休みといえば、毎年、母の実家である徳島県脇町(現:美馬市)に帰省し、2週間ほどいた。

 

住んでいた兵庫県尼崎市、尼崎駅から神戸元町まで阪神電車で、そこから関西、加藤汽船の乗り場、ポートタワーのところまで歩いていく。神戸から小松島までは汽船「ぐれいす丸」に乗った記憶がある。神戸—四国間運行の大型船で、人気があり、この船のプラモデルを買った。中学生くらいになるとたまに昼間運行の高速船、水中翼船で行くこともあったが、波があると船酔いがひどく、あまり好きではなかった。

 

出港は夜の11時頃で子供にとっては眠たい時間で、お盆時期を外れていれば広い2等客室を自由に使えたが、お盆の時期に帰る時は、ものすごく混んでいて畳一畳あたりに二人くらいが寝た。一度は、船内に座るところもなく、外のデッキで夜空を見ながら寝たこともある。小松島港に着くのは朝早く、ここから小松島線で小松島に行き、ここで立ち食いうどんか名物の竹ちくわを食べ、そのまま徳島市を経由して穴吹駅まで行く。途中、列車の左手に吉野川が見えるようになるといよいよ脇町に近ずく。数年前に久しぶりに脇町に行った時に驚いたのは、昭和40年頃と駅舎は全く変わらず、トイレも昔もまま汚かった。一緒に行った娘はあまりの汚さにギブアップした。

 

穴吹駅からは、バスかタクシーで母親の実家のある脇町まで行く。脇町は、阿波藩家老の稲田家の所領であったところで、明治後も藍の生産、集積所として大いに栄えたところで、母親の実家は脇町のメインストリート(川北街道)にあり、化粧品と洋服などの雑貨を経営していた。子供頃、すでに母親の父親、つまり祖父は脳梗塞を患い、店の奥の10畳くらいの和室で寝たきりであった。田舎に着くのがお昼頃になるので、近くのうどん屋から出前をしてくれる。このうどんは本当に懐かしい。手打ち麺で、太さが均一でなく、うどんなのに少し縮れている。出汁がうまく絡まり、脇町の田舎というと、このうどんを思い出す。このうどん屋は、母の実家から20m西にある道を山側にさらに20m上がると成田医院があり、この前にこのうどん屋が(母に聞くと”よしろく”という名前で、母が生まれた頃にはあったので、少なくとも大正の頃からあった)あった。小学校5年生の時に、何となくここで遊んでいると、尼崎の難波小学校の同級生で友人の篠原くんとばったりあった。彼の母親の実家はこのうどん屋の近くであったようで、その奇遇に驚いた。

 

祖父が寝ている隣の8畳くらいの和室が客間兼食堂で、その横に土間があり、二つのかまどがあり、ここで煮炊きをした。そしてこの和室の奥には離れがあり、風呂と叔父さんの部屋があった。風呂はいわゆる五右衛門風呂で、和室の横にある庭に焚き口があり、ここで木を燃やして焚いた。最初は小さな木片と新聞紙で火をつけてそれをより太い木材に火を移していく。客間の二階が、私たちが泊まるところで、ここに蚊帳を張って寝る。

 

母親の実家の西隣はまなべの洋装店、鉄筋の立派な建物で、ここではおしゃれな服が売っていた。まなべのお兄さんが帰省すると、私たちに怪談など怖い話をしてくれた。東隣には古い貸本店があった。徳原のおじさんは、何でも若い頃は新聞記者をしていて、その蔵書を貸し出していたようだが、難しい本ばかりあって、お客さんが来ているのを見たことがない。この店も裏には広い庭があって、私と同じくらいの女の子がいて遊んだものだった。また店の前の道を東に向かって歩いていくと橋があるが、その川沿いを南に下りたところにオデオン座があった。一階は客席、二階は畳になっていて、この畳が珍しかったので、姉、兄と一緒に行くのはこの二階席で、年寄りは弁当を持って、また横になって寝ていたりした。一番印象に残っている映画は、「世界残酷物語」と「四谷怪談」で、これは怖かった。オデオン座のある大谷川沿いの道を歩いていくと、吉野川の川岸にすぐに行けたので、ここで子供は泳いだり、大人は釣りをしたりしていた。当時は藍染の工場跡があったが、その後、スーパーとなり、今は地域交流センターとなっている。

 

母親の妹は、この橋を超えたところに菓子屋をしていたので、そこに遊びに行くと店内に置いているお菓子をくれるので、楽しみであった。またある時、祖母からこずかいとして10円札をもらった。10円というと、その頃はすでにコインであったので、10円札を見たのは初めてあった。使えるものかと思い、兄と一緒に脇町中学校、最明寺に行く坂の入り口前にある雑貨店、ここでは子供向けの菓子や雑誌が置いていて、ここで使えるか試してみると、普通に使えて驚いた。

 

数年前に30年ぶりにこの通りを歩いてみたが、その凋落ぶりには本当にがっかりした。昔の面影は全くなく、東京、大阪ならいざ知らず、こうした田舎でも時の変化の激しさを感じた。



上記写真辺りの今 google streetviewより





 

 

 

 

最初の写真のカラー化 結構派手な着物



2022年8月11日木曜日

なぜ広告可能な矯正歯科専門医がないのか

 



ホンダの創設者、本田宗一郎は、昭和48年(1973)に昭和53年(1978)に67歳で、自分が作った会社の発展のために社長を辞め、後進に席を譲った。自分がいつまでも会社に残っていたのでは、若い人が活躍できず、世界的企業になるためには、自分は早く辞めた方が良いと決意した。本田宗一郎は84歳まで生きたので、まだまだ元気なうちに会社から身を引いたのである。

 

矯正歯科でも、1980年代、カリスマ的な先生がいて、一世を風靡した。多くの弟子が日本中にいて、その先生の名前を冠した研究会もできた。あんなに上手な矯正歯科医になりたいものだと憧れ、自分も実力がついたら、是非入会したいと考えていた。そうした折、2003年頃に、この先生を担いで、ある矯正歯科の団体が立ち上げられた。その発足理由として、矯正歯科の専門性の向上を目指したもので、矯正治療なら矯正歯科専門医という社会を目指そうというもので、賛同者も多かった。ところが会が正式に発足されると、次第に大学主体の日本矯正歯科学会と反発するようになり、日本矯正歯科学会とは別の開業医を主体とした認定医を作るようになった。この頃から厚労省としても歯科の専門医制度を検討し始めた。もちろん矯正歯科においても日本矯正歯科学会の認定医制度があったので、それをそのまま専門医制度に移行すればよかった。ところが、この団体も含めて2つの別の矯正歯科認定医ができ、日本矯正歯科学会による認定医制度がそのまま国の制度になることを頑強に反対した。この団体は政治家などに強い影響力があるため、結局、厚労省から3つの学会でよく検討して、まとめるようにということになった。それから約十年、三者で話し合い、ようやく二年前に統一試験を実施することができ、試験結果も発表されたのが昨年の1月。ところが、日本口腔外科学会、小児歯科学会などの反対があり、ストップしたままとなっている。すでに厚労省の認めた学会専門医は全て大学を中心とした学会が主導したため、専門医の資格に大学での研修期間を重視した。もちろん日本矯正歯科学会の専門医は全く問題がないが、他の2つ団体にはそうした研修期間の資格が不十分なのである。ここにきて最初に戻り、日本矯正歯科学会単独で検討することになった。

 

 

 

優れた臨床技術、考えを普及させるための研究会レベルであれば、全く問題ないし、偉大な臨床家の名をつけた、例えばアメリカのアングルソサエティー、ツイードファンデーションなどがある。ただ国が認める専門医の資格となると、日本矯正歯科学会以外の他の二団体は、どこかの時点で無理だろうということはわかっていたと思う。特に医科も含めた日本専門医機構など第三者機関ができた時点では。ところが、団体として引くに引けない状態となりそのまま20年過ぎ、結局、元に戻った。全く無駄な時間であり、昨今の一般歯科医でのアライナー矯正の患者被害を考えると、なぜ広告可能な矯正歯科専門医制度がまだできないか、善意で始めたものであったし、無理からぬ事情はあったにせよ、反省しなくてはいけない。

 

私も今年で66歳、本田宗一郎に例で言えば、そろそろやめ時である。歳をとると経験値は高くなるが、反面、融通がきかず、自分の意見を曲げない。自分のことで言うと、会合でも黙っていればいいのだが、つい何かしゃべりたくなり、理屈ばかり述べる。反論されると素直に従えばいいのに、ムキになって反論し、まとまらない。反省しているが、一種の老害かと自覚している。偉くなれば、その意見は無視できないため、より厄介である。会社組織では定年制を設けて、年寄りの発言を抑えてきたのは、老害の欠点をよく知っているからである。ただ唯一の例外は、終戦の大命を受けた鈴木貫太郎で、首相になったのは77歳。4ヶ月首相をして終戦でやめた。これだけは鈴木以外にはできなかったし、使命を果たすと、そのまま職を辞し、フェイドアウトした。


2022年8月9日火曜日

矯正専門医が足りない

 






数年後には矯正歯科も引退しようかと考えているのだが、患者も多く、なかなか決断ができない。現状では、矯正専門で開業するには、日本矯正学会の認定医の資格が必要であるし、将来的には日本矯正歯科専門医機構の矯正歯科専門医(仮)が必要となってくるだろう。認定医は現在、3000名くらい、矯正専門医はまだ発足していないが、初年度は300人程度が予想されている。

 

日本の人口は約1億2000万人で、少なくとも矯正治療をした方が良い中等度以上の不正咬合は30%いると思われるので、潜在的な矯正患者数は約4000万人、10から30歳代の若い世代を対象にしても600万人、毎年の出生数は80万人なので、このうち治療対象者は24万人いる。これを認定医数3000人で割るとそれぞれ2000名、60人となる。実際は一般歯科での治療が半分を占めるので、認定医一人当たりは1000名、30名くらいとなる。

 

アメリカの場合を考えると、人口は32千万人で、日本の3倍、矯正歯科医は10500人で、認定医でみると約3倍いるが、10万人あたりの矯正歯科医は3人で、それほど差はない。ただアメリカでは年間の新患数は約250名であるのに対して、日本では100名と半分以下である。私の知っている矯正歯科医院でみると、多いところで年間250名くらい、少ないと60名程度である。今後、日本でも矯正治療が普及していけば、アメリカ並みに患者数は増えていきそうである。

 

当院でも、子供を受けつけていた数年前まで、成人:子供の比率は30%70%で、ほぼアメリカと同じような比率であった。さらに成人のうちの半分は外科矯正患者だったので、純粋の成人矯正患者は15%くらいに過ぎなかった。それゆえ、子供を診なければ、かなりの患者減少が予想されたが、実際はコロナ禍により成人患者数が5倍くらいになり、結局、患者数はあまり変化ない。逆にほぼ全ての患者がマルチブラケット装置による治療のために、15分の診療予約枠が終日いっぱいとなった。ただこれも一時の上昇で、今後が減少していくと思う。

 

ただ十万人あたりの矯正歯科医数が3人くらいは必要で、青森県の場合は125万人なので、37人くらいは必要であるが、現在、青森県の認定医数は11名で、青森市に3人(充足数9名)、弘前市に4人(5名)、八戸市と三沢市に3人(認定医をやめた先生含む、充足数8名)で、むつ市に1名(1名) でかなり少ない。さらに言うと、青森市の2名、八戸市1名の計3名の先生は私と同級生で、おそらく後、数年には引退するであろう。もちろん新しく開業する矯正歯科専門医院も出ていると思うが、とても充足数には達することはなかろう。認定医あるいは今度できる日本矯正歯科専門医機構、矯正歯科専門医(仮)を取るのは、かなり期間がかかり、また費用もかかる、だいたい卒業後、一年の研修医を経て、4年間の大学院を出て、さらに二年ほど医員などを経てから認定医をとる。早くて30歳頃になる。専門医になるとさらに5年ほどかかるので、これでは10万人当たり3人の矯正歯科医と言うのは都市部では達成できても、地方では難しい。

2022年8月4日木曜日

昭和天皇のドラマ 「プリンスの修学旅行」 妄想






Netflixの番組では、「ザ・クラウン」が面白い。エリザベス女王とその周辺、英国王室を描いた作品で、さすがに現役の女王のことをドラマにするのは勇気がいったと思うが、エリザベス女王も見ているという。

 

この番組を見ていて思ったのは、日本にも天皇がいて、特に昭和天皇の生涯を作品にするドラマ、映画が出てきても、もはやいい時代になったと思える。イギリスと違い日本では、長い間、天皇家をマスコミ、特にテレビ、映画で扱うのは何となく抵抗があった。昔の“日露戦争と明治大帝」などでは嵐寛寿郎の演じる明治天皇の場合が少し出るだけで、映画によって顔は出さず、背中しか映画では出ない。あたかも欧米の映画でのイエスキリストの扱いに似ていた。ただ最近ではリメイク版の「日本のいちばん長い日」では本木雅弘さんが、昭和天皇の役を演じていて、少しずつであるが、皇室を扱う壁が低くなったように思える。

 

個人的に、是非、ネットフリックスで、昭和天皇を扱ったドラマ、大正10年、皇太子時代に行ったヨーロッパ諸国を回る欧州訪問を取り上げて欲しい。昭和天皇自身、人生の中で最も懐かしくて、楽しい旅だったと回顧しており、ドラマには向いている。タイトルはズバリ「プリンスの修学旅行」

 

ドラマは、大正9年の良子女王との結婚問題からスタートする。いわゆる宮中某重大事件と呼ばれるもので、良子女王の親族に色覚異常の人がいるということで元老の山縣有朋が結婚に反対した事件である。これは皇太子の欧米訪問を行うきっかけになった事件であり、その後、反対も多かったが、日本の皇太子が半年に渡ってイギリス、フランス、ベルギー、イタリアなどの訪問し、ここでの見聞が昭和天皇の人格形成に大きな影響を与えた。もしこうした経験がなければ、太平洋戦争後の状況も変わっていた可能性がある。ドラマの一つの縦の流れは、天皇教育を主眼とした戦前の皇室と皇太子の暮らし、横の流れとして、この欧米訪問を支えた二人の人物、お召艦、鹿島艦長、漢那憲和と旅行の全責任者、供奉長の珍田捨巳の生涯を描く。

 

配役は、まず昭和天皇は、その上品な顔つきから松田龍平。珍田捨巳役は、一番似ているのは亡くなった東野英治郎だが、現役では誰がいいだろうか。ここは阿部サダヨを思い切り老けさせ、津軽弁を喋らせる。漢那艦長はかっこいい向井理でどうだ。殿上人として世間の常識はほとんど知らない皇太子を、何とかヨーロッパの社交界に出してもおかしくない礼儀を身に付けさせようと、悪戦奮闘する様をおかしく演じて欲しい。日本からイギリスまでの船中での皇太子と軍艦、鹿島乗務員のふれあい、パリのエッフェル塔で買った初めてのお土産、イギリス国王、ジョージ5世がお忍びで皇太子の寝所にきて、珍田を通訳として、国王としてのあり方を聞くシーンがハイライトとなる。この時の経験が、昭和天皇の一生の宝となる。一方、漢那艦長の故郷、沖縄と珍田の故郷、青森の対比も面白い。南国の空と雪の対比、沖縄弁と津軽弁、琉球王朝と弘前藩、王族と士族、琉球神道とキリスト教(珍田)、など二人の環境は全く違い、それもドラマの横線となる。一方、皇太子の少年時代の思い出、学習院院長、乃木希典、幼児期の養育係、足立たか(のちの鈴木貫太郎首相夫人)、などとの関係も詳しく掘り起こせば、ドラマとなろう。

 

「ザ・クラウン」では実写シーンも巧みに使っているが、皇太子の訪欧旅行については、多くの古い動画を残っており、こうしたシーンもドラマに導入できる。戦前の皇室については、天皇家に残る古来からの慣習が随所にあり、天皇、皇太子の私生活も謎に満ちている。

 

最初のシーンは、昭和天皇の晩年の自室。回復を願う国民の記帳を、一人一人確認する天皇。その中に“漢那”の名を発見する。お付きに、これを記入したのは、軍艦鹿島艦長であった漢那憲和の親類の者かと尋ねる。これは実話。ここから昭和天皇の若い頃のヨーロッパ旅行の思い出に話は進む。

 

2022年8月2日火曜日

北欧家具 Scandia Jr. チェアー





 



久しぶりに北欧家具を購入した。欲しい家具があっても、モノがモノだけに置く場所が必要で、我が家のリビングだけで3人掛けのソファーとパーソナルチェアーが4客ある。日常は家内と二人だけなので、全ての椅子を使うことなど滅多にない。そのため、家具の購入はかなり慎重にならざるを得ない。


一番最後に購入した椅子は、宮崎椅子製作所のぺぺ・ラウンジという椅子で、調べると
2007年購入とあるので、すでに15年前のことである。この椅子は、当時、土手町にあったベターホームズで、最初45000円で売っていたので、仕上げに比べると安いと思い、即購入したが、途中に値段が56000円になったというものだった。今でも販売されている名作椅子で、値段も税込、70000円くらいでそれほど値上がりしていない。すでに2万脚以上売れた宮崎椅子製作所のヒット品である。うちの椅子のロット番号は0006なので、2万脚のごくごく最初のものといえよう。

 

今回、購入したのは,Scandia Jr.という椅子で、どちらかというとダイニング用の椅子に分類できそうである。1957年にノルウエイのHans Brattrud(ハンス・ブルットルウ)がデザインしたもので、細い木板の縦の重なりで優美な曲線を描き、座り心地の良いフォルムを作っている。1961年に製品化されたものの、1970年代には生産されなくなり、その後、2001年からFjordfiesta社がBrattrud本人と組んで復刻したものである。

 

6つの細い木板を微妙に曲げたものを重ねた椅子で、元々はブナ、チークなどの木材そのものを加工し作られていた。おそらく曲げ技術を使って作られたと思うが、6つの木板を寸分の狂いもなく曲げていくのはかなり難しかったと思われ、それが短い製作期間に繋がった。そのため、復刻にあたり、合板を使い、より製作が容易にできるように工夫したのであろう。現在、種類としては、ベーシックのScandia Jr.と背もたれがハイバックとなっているScandia Prince, Scandia SeniorScandia Netなどのシリーズがある。

 

扱っている店は色々とあったが、ノルウエイ大使館にも、この椅子を納品しているNorwegian Iconという東京、渋谷にある会社から購入した。10万円を超える品物を見もしないでオンラインで購入するのは、相当覚悟がいったが、おそらく為替、物価上昇の関係で、値段が確実の上がると思われ、急いで購入することにした。同じように思う人もいたのか、最初希望していた色、オークは注文寸前に売り切れてしまい、ウオルナットにした。他にもコンランショップなどでも扱っているが、在庫がない場合は数ヶ月待たなければいけない。Norwegian Iconという会社は、メールでもきちんと対応していただき、いい会社である。北欧家具というとデンマーク、スウェーデン、あるいはフィンランドとなるが、ノルウェイの家具はあまり知られておらず、その普及を図る店である。

 

実際、届いて椅子を座ると、8枚の積層合板のフォルムが見事にお尻の形態にマッチし、また適当なしなりもあって座り心地は良い。試しに持っていた人工皮のチェアーマットを敷いてみたが、何もないほうが良い。詳細にみてみると、8枚の板は少しずつフォルムが違っていて、それを組み合わせて3つの横板とスチールの脚部と組んでいる。かなりの精度が求められ、その加工は積層合板でも難しく、初期の製品、無垢の木材ではさらに難しかったと思われる。類似の椅子としては、Mikadoというチェアーがあり、背もたれの部分が8つの棒でできているが、Scandia Jr.に比べると簡単な構造である。ありそうなデザインであるが、製造が難しく、コピー商品は知らない。

 

名作椅子と呼ばれる椅子に興味を持ち、いろんな本を買ってきたが、この椅子は製作期間が短かったせいか、あまり名作椅子としては取り上げられなかった。私もこの椅子に気づいたのは、ここ一年くらいである。復刻したのが2001年であったが、日本で販売されるようになったのはそれほど前でなかったかもしれない。世界で最も素敵なカフェー、「飛行機に乗って試しにいく価値がある」と評されるノルウエイのオスロ“FUGLEN”にもこの椅子はある。東京にも4店舗あり、実際にこの椅子が置かれているところもある(Fuglen tokyo)ようなので、試しに行かれるのもいいだろう。



Fuglen Tokyo