2008年12月28日日曜日

津軽のぼろ布文化






 紀伊国屋書店で「BORO」(小出由紀子、都築響一 アスペクト)を購入した。青森の”ぼろ”と呼ばれる使い古されて何度も継ぎはぎされた衣類のコレクションを紹介した本だ。

 青森では、東北本線が開業する明治中頃まで、木綿が非常に貴重で、衣類としてはもっぱら麻が使われていたようだ。麻の種まきから始まり、収穫、糸にして、それを織り上げる、おそろしく手間がかかる工程のため、布は非常に大事にされ、一片、糸くずまでも捨てられずに使われた。衣類はおしゃれのためではなく、寒さを防ぐための生活上欠くことができないものであった。ただ麻は非常にもろく、すぐに破けたため、何度も補修して用いた。その結果、何層も違った布が継ぎはぎされて、写真のような作品となった。津軽の女たちは少しでもおしゃれに美しく直した。

 津軽といえば、こぎん刺しや裂織などが有名だが、今のようなおみやげものには何の感動も覚えないが、こういった生活着のなかにこぎんやサクリなどの技術が見られると実の迫力があり、きれいである。現代抽象絵画やアンティークの絨毯を思い出す。欧米の最先端のファッション界でも十分に通用するデザインと色使いである。驚いた。最近ではジーンズにもこのぼろの感覚を取り入れたものが人気があるようだが、著者も「作り手が意図したものではないとしても、限られた資源の再利用、超絶技巧、愛情、経年美などきわめて今日的テーマーを示唆する」と述べている。全く、その通りで、非常に力強いインパクトを覚える。欧米ではこのような布を額にいれてリビングなどの飾ることがあるが、十分に通用する芸術作品であるし、ファッションとしてもすごい。

 ドンジャと呼ばれる布団がある、着物を何度も継ぎはぎし、その中に麻から糸を作る時に余った茎や枯れ草を入れて布団とした。重さが14kgもあるものもあり、立つものもあったという。稲茎や枯れ草の上に布を敷き、その上にこのドンジャを重ねたという。寒い冬には、服を着るとしらみが出るため、家族みんな裸で寝、男の子は父親と女の子は母親に抱かれて寒さをしのいだ。昔の家内の実家がそうであったが、いろりが各部屋にあるものの、外との間には障子一枚で前は熱いが、背中が寒いといった環境である。おそらく太古の昔からそうやってきびしい冬の夜をしのいだのであろう。

 いまではこのようなぼろ布はほとんど捨てられ地元にも残っていないが、青森市に住む田中忠三郎さんがみんなにばかにされながらも集めたコレクションがあり、それを本書は紹介している。地元ではこじき服としてだれも相手にしなかったものを、このような本にして紹介していただいた小出さん、都築さんに感謝したい。同時にこの衣類の配色、デザインの秀逸性はこの土地の人々の感性の鋭さを示していると思われる。

 津軽のぼろ布文化については、田中忠三郎さんの解説を参考にしていただきたい(http://www.sakiori.com/colum/News22/22b-tanaka/22b-tanaka.html)。

2008年12月25日木曜日

弘前の交通ルール



 青森に来てから車に乗ってないので、どこに行くのにも歩いて行くことが多いのですが、弘前の交通ルールは最悪で、本当に怖い思いがすることが何度もありました。先日も郵便局の前の広い道の横断歩道を青信号で渡っていると、前から来る数人の歩行者と私の間の3mくらいの間を右折するワゴン車が全速で通過して行きました。私のほんの1m前を横切ったのです。前から数人の歩行者が来るのですから、こちらも右折車を確認してなかったのですが、それにしても本当に怖いことです。その後、さらに歩いて、ダイエーの前の横断歩道を歩いていると、さすがに前のこともあり、傘を前に振り回しながら歩いていると、今度は左折車が突っ込んできます。急ブレーキで止まりましたが、さすがにきれて「止まれや」と大声で叫んでしまいましたが、運転しているおばさんはきょとんとしたままでした。

 数年前には娘が青信号で横断歩道を歩いていると信号無視の車に当てられ、幸いけがもほとんどなく、よかったですが、今年も上の娘の成人式でタクシーに乗っていた時にまたもや信号無視の車に横に当てられました。よほど運がないかと思われるかもしれませんが、いままで数度、右折、左折車による事故を目撃しました。診療所の前の横断歩道を歩いていると、前の自転車に乗ったおばさんが左折車にぶつかりました。自転車はぐちゃぐちゃになり、買い物品はそこらじゅうに散乱、それなのにぶつけたタクシーはそのまま行ってしまいます。さすがに腹が立ち、走ってタクシーを捕まえると、「お客さんを乗せていて急いでいる」と言われ、散乱した買い物品を集めているおばさんには「何ともありません」と言われ、そのままになってしまいました。またヨーカー堂の前の道では、これも右折したタクシーに高校生の自転車が引っ掛けられ、見ていると、降りてきたタクシーの運転者は何と曲がった自転車も手で曲げ直し、「直ったよ」と言って、そのまま走り去りました。また下の娘も自転車を引っ掛けられ、これもハンドルが曲がったのですが、「けががなくよかったね」と言われ、そのままだったようです。帰って来て、「なんで警察に通報しないのか」と言ってやりましたが、高校生には無理のようです。

 私の知っているアメリカ人も横断歩道を歩くときは怖いので、傘を前に振り回して歩くと言っていましたが、私もよく傘を前に振り回して歩いています。自衛にためですので、変態扱いしないでください。それにしても歩行者優先の概念のないひとが多すぎます。横断歩道を歩いていても通常は歩行者の横断を待って進むのがルールですが、平気で前を横切ります。かわいそうなのは気の弱いひとで、青信号になっても左折車がどんどんと走るため、信号を渡れないのです。先ほども一人の老人が横断歩道を渡れず、困惑していました。前に会った気の弱い若者などは結局は青信号でも最後まで渡れませんでした。

 これと同じような経験をしたのは、中国とインドで、どちらも交通ルールはひどいところです。中国の交通ルールについては次のようなブログがありましたので引用します。

「交通マナーのひどさは我々日本人の想像をはるかに超えています。
歩行者信号「青」の状態で、左右を見ずに歩き出せば、「ほぼ100%に近い確率で轢かれます」。そんなばかな?っと思われるでしょうが、残念ながら事実。これは、北京、上海等の我々がイメージする「大都会」であろうが全く変わりなし。車は米国式で右側通行、これも米国と同じで右折は赤信号でも「可」です。が、米国のように、一時停止後、歩行者を確認後に右折、なんてマナーは存在しません。歩行者がいようと、ほぼ速度を緩めずに交差点に「突っ込んで」きます。避けるのは「歩行者の義務」。

留学期間中、GWがあり、嫁が日本から遊びに来ました。交通マナーや公共での不条理を「口すっぱく」聞かせておきましたが、一瞬気が緩んだのでしょう、北京の「建国門」(街のど真ん中です)の大きな交差点で歩行者信号が青に変り、つい日本の感覚で踏み出してしまった瞬間、嫁の目前に右折しようとしているスピードに乗った「公共バス」が迫って、横にいた私からも「大声で罵っている運転手の表情がはっきりと見えるほどに接近、「ああ~ヤバイィィィ~~~」っと叫んだ瞬間、引き戻された嫁が歩道に尻餅、間一髪で「生還」。一緒にいた、韓国人の屈強なクラスメート男子が咄嗟に嫁のショルダーバッグのストラップを掴み引き戻した、というのが理解できるまでに零コンマ何秒だったでしょうか?公共のバスですらこの有様。以降、嫁は二度と中国には行く気がしないとの事。まあ当然でしょう、死にかけましたから。」

 さすがにここまでひどくはありませんが、弘前の交通ルールもこれに近いとも言えるでしょう。青信号を渡っている歩行者にぶつけると100%運転者の責任で、場合によっては業務上過失傷害罪になります。車を運転する方はくれぐれもご注意ください。それと同時に歩行者もぶつけられたら、そのままにせず、少なくとも警察には通報した方がよいと思います。数秒急いでどうするんでしょうか。

世界ふれあい街歩き


 NHKハイビジョン、BSで放送されている「世界ふれあい街歩き」にはまっています。この番組は世界各国の街をあたかも一人歩きしているように旅行するもので、「世界の車窓」同様結構コアなファンがいます。ただNHK総合では日曜日の深夜(12時ころ)から始まり、月曜日を控えるものとしては少し放送時間帯にはきついものがあります。

 他の旅行番組と異なり、まるで自分がその国に行って歩いているような錯覚を起こせる点もおもしろいのですが、全体的な雰囲気がのんびりしているところが好きです。実際はハイピジョン撮影の機器と、常にブレないような装置を身につけ、相当重装備で撮影しているようですが、それほど打ち合わせ、編集もせず、その場で会ったひとに話しを聞くというスタイルをとっているため臨場感があります。

 地中海のマルタ島(写真)と最近見たニュージランドのウエリントンもよかったです。この番組を見るたび、考えさせるのはみんな街を愛しており、何もなくても生活をエンジョイしている点です。老人は木陰で酒を飲みながら友人と日がな話しをしている、海岸で奥さんと一緒に夕日を毎日見ている、庭いじりに精を出す、など、日本人からすればひまでしょうがないと感じるかもしれませんが、そんな生活を市民は実に楽しでいます。見終わると実に幸せな気分になります。

 Youtubeを貼付けようと思いましたが、NHKの規制がきびしく、すべて削除されています。またNHKの過去の番組はアーカイブされ、インターネットで引っ張れるようになっていますが、一番組300円くらいかかります。イギリスのBBCでは無料なのにNHKもちょっとがめつい。テーマ曲も結構よく、Cで吹けばハーモニカでも簡単に吹けます。

 過去の無くなったもので今見たいものと尋ねられても、皆さんは何をイメージするでしょうか。私は船であれば、戦艦大和、建物であれば安土城を見てみたいと思いますが、それ以上に見てみたいのは建物や物より街とそこに住む人々です。江戸時代の大川周辺や吉原はいったいどんなところだろう。弘前の昔の土手町はどんなだったろう。本当に見たいものです。人々の記憶は、物や建物ではなく、街とそこに住む人々に結びつけられています。そういった意味ではこの番組で取り上げられる街はそれほど時代の波にも弄ばれず、昔のままの姿を今に伝えています。安易に街を便利なように再開発するのではなく、街の臭いを残して、多少不便でも、愛される街を作ってほしいものです。

 今、グーグルアースのストリートビューという機能を使えば、あたかも街を歩いているような体験ができるようですが、こういった記録、あるいは世界街歩きのような映像が残っていれば、100年後、200年後の人々は昔の町並みを追体験できるのかもしれません。

 12月29日の午前4時から1月2日までの連続5日間、総合テレビでアンコール放送が決定しましたので、録画してみてみてください。それにしてもすごい時間帯です。

12月29日(月) 午前4:00~「レイキャビク~アイスランド~」12月30日(火) 午前4:00~「ミュンヘン~ドイツ~」12月31日(水) 午前4:00~「レーゲンスブルク ~ドイツ~」1月1日(木) 午前4:00~「リンツ ~オーストリア~」1月2日(金) 午前4:00~「ウィーン ~オーストリア~」

2008年12月23日火曜日

顎変形症の治療


 日本顎変形症学会雑誌の最新号(18巻4号 2008)に、「本邦における顎変形症治療の実態調査」(小林正治ほか)と題された論文が載っていました。これは昨年、私の診療所にもきたアンケートを集計したもので、2006.4-2007.4の1年間の顎変形症の実態を調査したものです。外科系92施設、矯正歯科97施設からの回答で、本邦のほぼ実態を示したものと思います。

 顎変形症の手術数は、1年間で2926例(外科系)で、そのうち下あごの出た下顎前突が1977例(67.6%)、上顎前突は237例(8.7%)、上顎後退が310例(10.6%)、非対称が278例(9.5%)でした。この数が多いか少ないか、何ともいえませんが、以前に比べて上顎前突の比率が高くなっている気がします。欧米では上顎前突(下顎後退)の比率が高かったのですが、日本ではあまり下あごが小さくとも気にしないひとが多く、以前いた大学でも上顎前突の患者さんで手術を希望するひとは非常に少なかったと思います。

 また手術を行う前に、矯正歯科にて手術後にきれいに咬むように準備する術前矯正の平均期間は非抜歯では13か月、抜歯では18か月となっています。当院での平均とほぼ同じです。また術後の細かい修正を行う術後矯正の平均期間は11か月となっていますが、当院では約半年で、全国的な平均よりは早く装置をはずす傾向があります。患者さんからすれば手術前はなんとか辛抱できても手術後は一刻も早くはずしたいようです。

 また手術時間は、下顎後退術で69-337分(平均163分)、上下顎骨同時移動術では98-560分(平均285分)で、平均をみればこんなものかと思いますが、意外に施設間で差があるようです。出血量は下顎単独で50-512ml(平均203ml)、上下で20-1171ml(平均512ml)でこれも施設間で差が大きいようです。上下の場合は、血圧を下げて手術中の出血を減らす低血圧麻酔が行われていると思いますので、1000mlを超える出血はまずないと思いますが。

 入院期間は下顎単独で平均で15日、上下で17日となっており、以前に比べて固定法の改良によりずいぶん短縮されました。ワイヤーで固定していた頃は、約1か月の入院でしたから短くなりました。アメリカなどのでは手術後1,2日で退院させるようですが、これは医療保険の関係で、こんなに早く退院させるのは患者さんにとってきついと思います。

 合併症と偶発症は、術中の異常骨折が17施設、大量出血が9施設、吸収性骨接合システムの破折が8施設、神経損傷が8施設とのことでした。異常骨折といっても術式あるいは固定箇所を変えれば何とか対応できるので、そう大きな問題ではありません。大量出血はおそらく上顎の手術の際に上あごの奥の方の血管叢を傷つけたものでこの部位の止血は難しく、大量出血につながります。また吸収性骨接合システムとは確かサトウキビでできたネジやプレートを用いるもので、数ヶ月すると自然に溶けてなくなるため、チタンのネジやプレートと違い、取り出す必要がないものです。何年か前に弘前大学でもこの吸収性のものを使ったことがありましたが、術後の後戻りが大きく、患者さんにかなり迷惑をかけたので、それ以降は使っていません。その後、改良され、かなりしっかり固定できるものができたようですが、値段も高く、使っていません。神経損傷は下あごの手術の際に起こる可能性が高く、程度にもよりますが、神経が圧迫されたため、口唇のしびれが強くでることがあります。上あごの場合はきわめて稀ですが、浮腫により視神経などに症状がでることもあるようです。

 このアンケート結果を見る限り、今や顎変形症の治療をかなり確立させて、ほぼルーチンにやられるもののようですが、少数ですがやはりリスクはあると考えていただきたいと思います。

なお顎変形症の手術法は新潟大学歯学部の矯正歯科のホームページにわかりやすく解説されていますので参考にしてください。
http://www.dent.niigata-u.ac.jp/ortho/hp/treat2.html

2008年12月20日土曜日

山田兄弟17



 供養とは、亡くなったひとを思い出す事である。こういったブログで山田兄弟など郷土の生んだ偉人を紹介し、少しでも故人を思い出すひとが出ることは、そういった意味で供養となろう。中国革命に実際に参加し、亡くなった先人として山田良政を紹介してきたが、良政とともに恵州起義に参加し、からくも生きながらえ、その後第二革命で亡くなった櫛引武四郎というひとがいる。

「醇なる日本人」(結束博治著 プレジデント社)にも「良政が33年春、南京に開設された同文書院の舍監教授となった時の教え子に、櫛引武四郎がいた。櫛引は良政と同郷青森県の出身で、東奥義塾に学び、いわば良政の後輩である。彼は無理を願って良政と行を共にし、恵州の戦いに参加した。彼は幸い重囲を脱して上海に帰り、その後南支と内地の間を往復して、孫文の革命を支持し、1911年の辛亥革命から引き続き第二革命にも参加し、第二革命の偵察となって活動中、南京の戦陣で殺害された。彼もまた、師良政を追って若い生涯を終えた。恵州起義に参加し、第二革命でたおれた彼の死は、良政とともに孫文伝に記憶されるべき人物であろう。」と述べている。

 最近東奥日報社から発刊された笹森儀助書簡集に、明治35年に櫛引武四郎から笹森儀助宛の手紙が載せられている。抜粋すると「自分は櫛引英八の長男で、中国およびインドの革命に奔走しているものだが、一度韓国の義州から海城をへて、牛荘に行った折、山田良政とお尋ねしようと思ったが、そのときは不在で会えなかった。その後、恵州起義で山田良政の行方がわからず、あちこち探しまわったが、結局はわからず、今は革命資金?をためている。是非一度会っていただけないか。」というものである。この後、櫛引と笹森が会ったかどうか不明だが、山田良政と笹森義助は面識があるが、笹森と櫛引はとくに面識はなかったものと思われる。ただ武四郎の父である櫛引英八は五所川原(羽野木沢)選出の最初の県会議員であり、父親と笹森は面識があったのであろう。

 五所川原選出の県会議員で櫛引ユキ子というひとがいる。ロータリークラブの会員の県会議員の西谷さんに聞くと、政治家は世襲的に政治家をやるひとが多く、確か櫛引ユキ子さんも政治家の家系と聞いたので、ひょっとして同じ県会議員で親族かと思い、さきに挙げた櫛引武四郎について尋ねてみた。いまだ返答はなく、どうも関係はなさそうである。

 何とか、この櫛引武四郎と孫文、山田兄弟との関連を調べて、供養したいと考えている。情報があればご連絡いただきたい。