2019年5月29日水曜日

矯正治療をする人が増えています。

アメリカの矯正患者数



 先日、東北矯正歯科学会のために福島の郡山に行ってきた。そこで矯正器材業者の方に“最近、矯正治療はブームになっていない”と聞くと、ここ二、三年、東京を中心に、矯正機材の出荷量もかなり増えているとのことであった。その前の10年くらいはあまり増減もなかったことから、一種のブームと呼んで良い。

 どうして矯正患者は増えてきているのだろうか、いろんな要因があるが、まず、人口、特に若年人口の減少で、子供一人当たりにかかる費用が増えたことが挙げられる。昔のように数人も子供がいれば、なかなかみんなに矯正治療をすることは金銭的にも厳しかったが、最近は1か2名の子供が一般的であり、さらに虫歯がほとんどない。結果的に口腔内で最も気になるのは不正咬合となる。さらに芸能界に出てくるタレントはみんな歯並びが綺麗で、昔のように八重歯が可愛いといったことは少なくなった。それだけ矯正治療がポピュラーになってきたのだろう。

 矯正先進国のアメリカで1年間に受ける矯正患者数は約500万人、一方、日本は年間30万人くらいと言わられている。アメリカの人口はいつも間にか増えて、今は約3億人となっており、日本の約3倍で、人口比でいえは日本の矯正人口はアメリカの1/5くらいと言えよう。つまりアメリカ並みになれば、今の5倍くらいは矯正患者が増える。つまり年間150万人くらいになる可能性がある。アメリカでは矯正専門医は約1万人で、一人当たりの患者数は単純計算すると約300人となる。この数は非常に大きい。もちろん、一般歯科医で矯正治療も多くいるために、この数はそのままではないが、海外の矯正歯科医に聞くと、この数値は満更でもなく、毎日かなり大変なようである。一方、日本では矯正専門で開業している歯科医は約2000名くらいであろう。単純に割ると一人当たりの患者数は150名くらいで、アメリカのほぼ半分くらいとなる。もちろんアメリカに比べて日本では、歯科の専門医制度は未発達なため矯正専門医以外の一般歯科で矯正治療をする割合も多く、個人的には半分くらいの患者は一般歯科医で矯正治療を受けていると思われる。

 最初に述べたように、今は矯正治療がブームとなっており、必要なことには金をかける若者文化からすれば、一過性のブームではなく、今後も矯正治療をする比率は増加するであろう。2、30年後には、若者人口の減少にも関わらず、アメリカ並みの150万人の矯正人口になる可能性は高い。その場合、矯正歯科医の数も現行の少なくとも3倍は必要で、日本でも矯正専門医が4000人くらいは必要であろう。現在、日本矯正歯科学会の専門医は300名程度、認定医は2700人くらいでまだまだ数が少ない。将来的には標榜可能な専門医制度を日本矯正歯科学会は目指しているが、患者が全国、どこでも矯正歯科を専門医から受けるためには、少なくとも4000人の専門医は必要であり、今の認定医をそのまま専門医にしてもまだ足らず、より高度な専門医をこの10年、20年で育てるためには、やめる先生を含めると毎年200名程度は増やしていかなくてはいけない。これを27歯科大学で育成するのは、一大学で毎年、9名以上の医局員が必要であるが、全く不十分である。現在、認定医を取るのは研修医期間も含めると7、8年はかかり、一大学で毎年9名ずつの認定医を取得させ、さらに専門医にするのは極めて難しい。というには、一学年に9名も認定医取得を目指す先生がいると、総医局員数は70名以上の大世帯となり、それに十分な患者数を配当することも難しい。いずれ破綻するシステムであり、アメリカのように3年の大学院のコースを出れば、その証拠として認定医を取得させ、その後、開業専門医あるいは専門開業して専門医を目指すシステムを取らない限り、日本で必要な矯正専門医数、4000名の確保は非常に難しい。取得までに7,8年もかかるような認定医の上にさらに期間がかかる専門医を作ることは、質の保証にはなっても数の確保は難しく、個人的には大学では3年で認定医を取れるような教育システムを確立すべきだと考える。そのためには、このブログで何度も言うように、国立大学歯学部の基礎研究の研究者を育てる大学院大学は廃止すべきで、欧米に沿って矯正専門医を育成する専門職大学院にすべきである。こういったら怒られるが、将来研究者にもならない、あるいはなるつもりもない学生を大学院に入れるのは、全く研究費の無駄遣いであり、学生にとっても時間の無駄である。大学院の4年間で矯正臨床と基礎研究を併行して行うことは難しく、むしろ3年の矯正歯科の専門職大学で徹底的に矯正治療の知識と技術を学ぶ方がよほど、役に立つ。
 若者の科学離れが危惧され、国立大学の医学部、歯学部でも大学院大学が施行されたが、国民にとって医者、歯医者の科学者を期待している訳ではなく、優れた臨床医を期待しており、そのためには法科院大学などの専門職大学院への移行が何より必要である。医師においても、博士号より専門医の資格を求める流れとなっている。

2019年5月27日月曜日

教育の平等


「  古き佳きエジンバラから新しい日本が見える」(ハーディー智砂子、講談社@新書)は、面白い本であった。著者はスコットランドのエジンバラで投資家への資産相談などの業務を行なっている。最近はこうした海外に長く住む日本人による日本人論が流行っていて、よく読む。日本の常識が海外の常識でないことが、発見できて面白い。特に日本では、マスコミ、教育関係の人々が、少し社会主義かぶれの人が多いので、そういた偏向した視点で論じられることが多い。例えば、受験競争がひどくなると、有名大学だけが、全てでない、それよりは自分の好きなことを勉強した方が良いといった論調である。これは一見、正しいように思えるが、実際の社会は少なくとも就職活動において、学歴は大きな意味を持つ。

 この本では「一流大学を出てるからって、実社会では役に立つかどうかは別だよね、勉強ができるのと頭がいいのとは違うというのも英国では聞いたことがない。一流大学の入試に合格したということは、18歳時点での学力が同世代の中でかなり上位にあったということで、こういう人は優秀な頭脳を持っている可能性が高い。過去の試験問題から出題の傾向を読み取ったりする能力や、それをもとに学習計画を立てる計画性、それを実行している意志の強さなどが備わっているという意味で、社会に出た時にも優秀な人材となる可能性が高いのではないか」と書かれている。

 これは日本の会社でもそうで、就職では学歴が大きな意味を持つ。もちろん英国だけでなく、アメリカでもイエールやハーバードのような有名校は授業料も高いが一流企業への就職も良い。かってソニー就職試験において学校名を伏せて試験をしたことがあったが、結果、採用された学生は、学歴を書かせていた時以上に、有名大学の学生ばかりとなった。次の年からは、あまり同じ大学が集中しないようにまた学校名を書かせることになった。娘が就職する時に、大学別の就職先を調べてみたことがあるが、メガバンク、有名商社など大企業になればなるほど、きれいに大学のランキングと相関している。おそらく企業偏差値(会社に入る難度)と大学入学偏差値との間にはきれいな相関関係があると思う。これが現実である。

 昭和大学医学部でOBの子供優遇で大きな問題となったが、昔はこうしたことは私立の医学部、歯学部では当たり前であった。大学の大きな目的はOBの子弟を医者にさせて、その医院の跡を継がせることである。地域にとっては、古くからの病院が継続してあることは非常に重要なことであり、そのためには院長の息子に跡を継いでもらわなくてはいけない。これはアメリカでもそうであり、OBの優先枠があり、子供のことを考え、OBは大学に寄付をして、その権利を持とうとする。公立の学校ではこうした不公平はまずいが、私立ではあまり問題されない。

 学歴が大事でない、入試は公平でないといけないといった、一見してごく真っ当な意見でも欧米ではかならずしも常識ではなく、グレイのまま、必要悪とされている。逆にお隣の韓国では、常に白黒の決着をつけたがり、名門高校を公立、私立とも全て潰した。さらに入試で少しでも不正があれば大騒ぎとなる。そのために大学修学試験では、受験場所は不正を防ぐために試験日当日の朝に発表され、遅れてパトカーで試験場に駆けつける受験生が出てくる。さらに進学高校をなくしたことで、逆に学校外の勉強、塾、予備校通いが加速され、文武両道のエリートは生産できなくなった。高校では部活はなく、さらにアルバイトもできず、勉強だけである。

 お隣の韓国を参考にするわけではないが、何でもかんでも理屈で、処理することは大きな問題があり、様々な問題があっても、そのままにしておいてよい場合がある。平等という不変の概念もこうした点から考慮すべきである。 

2019年5月16日木曜日

矯正治療の保険化2



 前回、矯正治療の保険化について、世代による健康保険料の不公平から論じた。つまり若い世代では、健康保険料を負担している割には、老人世代に多く医療費が使われ、自分たちの世代ではあまり使われていない。さらにう蝕が若い世代では少なく、歯科医療の負担金も不公平である。そうしたことから子供を持つ若い世代で、矯正治療が保険適用となることは、家計的には助かることだし、健康保険料を払って良かったと思える。

 現在、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデンなどのヨーロッパ諸国では子供の矯正治療は保険が適用されている。またアメリカでも民間の保険会社では矯正治療もある程度カバーされているため、半分から2/3くらいの費用となる。こうした保険化の理屈としては、う蝕や歯周疾患は本人の努力によりある程度、予防できるのに対して、不正咬合は予防できず、正常咬合の人に比べて咀嚼、発音、あるいは社会心理的な不利益があるとされているからである。こうした理屈は、何も欧米人のみに当てはまるものではなく、日本人でもそうである。

 今後の日本の歯科医療について、最近の厚労省の予想と対策について、医科もそうだが、主として高齢者に偏っている。若い世代へ歯科医療の対策は、ほとんどなく、昨年、小児の口腔習癖などの口腔機能についての指導が保険化された。ただ、これについては、単純な指導にとどまり、それによる咬合の変化は少なく、むしろその後の自費、矯正治療への誘導に使われている。これではむしろ反発につながるであろう。さらに口腔機能の異常を判定するのは難しく、むしろ子供を持つ親にすれば、口腔機能の改善も大事ではあるが、形態の改善、すなわち不正咬合の治療を望んである。

将来的にはどのような不正咬合が保険化すべきであろうか
1.     反対咬合
 反対咬合については、早期治療に関してはいまだに異論はあるものの、多くの矯正歯科医で少なくとも前歯部での被蓋を早めに改善する点についてはコンセンサスが得られているし、前歯が逆では、食物を前歯で咬むことはできない。その後の上顎骨前方牽引装置や急速拡大には異論もあろうが、真っ先に保険適用にして欲しい不正咬合である。発生頻度は5%程度であり、重度化した手術を要する反対咬合はすでに保険適用となっていることから、この範囲を子供までに広げて欲しい。
2.     開咬
 前歯、奥歯が噛まないで開いている開咬は、反対咬合よりさらに頻度は少ないこと、さらに保険適用となった口腔機能と密接に関わることから、矯正治療と口腔機能指導の両方が保険適用して欲しい不正咬合である。

3.     上顎前突
 上あごに比べて下あごが小さくて出っ歯になっている骨格性上顎前突では、私のところでは機能的矯正装置による下あごの成長促進を行なっているが、これに関してはかなり異論が多く、早期治療は必要ないという声も多い。それでも上下の前歯のズレが8mmを超えるような症例では、前歯では物を食べにくく、症例としては保険適用に含めてもよかろう。

4.     叢生
 歯のでこぼこ、叢生の患者さんは最も多く、上記の1.2.3(オーバジェット8mm以上)を合わせたより、大きな頻度となる。おそらく矯正治療を保険適用にした場合、その医療費において最も問題となる不正咬合となる。軽度の叢生も含めて保険適用とすると、全児童の70%程度くらいが適用となり、莫大な医療費がかかる。また小児の叢生に対する床矯正装置(拡大床)や上顎骨急速拡大装置などは、日本矯正歯科学会でもあまり肯定されておらず、これは世界的にも同様である。現在、日本全国で最も問題になっているのは6、7歳頃から床矯正をすれば、将来的にマルチブラケットをつけなくても綺麗な歯並びになると言われて治療するケースである。全て失敗すれわけでないが、重度の叢生に対してはこうした治療法は厳しく、むしろ軽度のものに対して有効なのだろう。中から重度の叢生については、基本的には永久歯完成する中学生頃まで経過観察し、その時点で、口唇突出感などを判断して非抜歯、抜歯を決定してマルチブラケット装置による治療をするのが一般的である。また中学生以降に治療をしても手遅れになることはなく、十分な治療が期待できる。それゆえ、保険適用できるのは中学生以降の叢生とし、軽度のものは適用にしないことが医療費の高騰を防ぐ。


 上記、1.2.3および4(中等度から重度の叢生)は、素人が見ても十分に判断できるため、正面および側方からの写真を添付して保険者あるいは支払基金の許可を求める方法もある。また医療機関が従来の口蓋裂の矯正治療を行う施設だけに限定されるなら、個別指導などで、違反があれば、保険医を停止にすれば、軽度の不正咬合に対しる拡大適用は抑えられるかもしれない。

2019年5月15日水曜日

マウスピースタイプ矯正装置の流行



 私が所属する日本矯正歯科医会から昨年、会に寄せられたクレーム相談の内容をまとめたレポートが送られてきた。数年前から担当の先生を決めて患者さんからの矯正相談に応じているが、年々、相談件数が増えて、今年のレポートはかなり厚いものになった。以前のレポートに比べて変わった点としては、インビザラインなどのマウスピースタイプの矯正治療に対する相談が多い。大きく分けて、そうした治療を受けたが治らないといった治療そのものの問題と、やめたいが返金してくれないという料金に関わる問題である。

 インビザラインのよる治療は、年々進歩しており、かっては単純な非抜歯の叢生ケースだけであったが、最近では種々のアタッチメントを用いて抜歯ケースや骨格性不正咬合にも対応できるようになった。それでも治療手段としては、まだまだ従来のブラケットを用いた治療法には適用あるいは期間では劣る。すなわち、かなり多くの症例にも使えるようになったが、期間がかかったり、仕上げが不十分、さらには治らない症例もある。また従来のブラケット装置による治療と同等の治療結果を得るには、かなりの経験と知識が必要となり、当たり前だが、通常の矯正治療ができない先生には、インビザラインによる治療はできない。

 ところがここ2、3年、驚くほどのスピードで歯科医院でのインビザラインあるいはそれに類したマウスピースタイプの治療法が広まっている。一つは歯科医院の金づるであったインプラントが、欠損歯の減少により頭打ちとなり、さらに金目のものとして、矯正治療、とりわけ簡単と考えがちなマウスピースによる矯正治療がターゲットとなった。患者さんが来院し、型をとり、会社に送ると、治療終了までのマウスピースが送られてきて、それを患者に渡すだけなのである。取り外しににできる装置なので、患者さんがあまり使わないことがあるが、そうした場合は、患者さんの責任にすればよく、治らなければ今度はインビザライン社のせいにする。お金だけとって、楽な商売をするという類である。本来なら、治らないなければ、もう一度、治療計画を変更し、場合によってはブラケット治療にすべきであるが、金儲けのためにマウスピース矯正を使う歯科医院は、ブラケットによる治療はできない。

 アメリカではSmile Direct Clubという会社があり、ここでは治療希望者がHPで申し込むと、会社から印象のセットが送られ、指示に沿って口に型をとると、それによって治療終了までのマウスピースが送られてくる。二週間ごとに新しいマウスピースを変えて、治療を進めてくる。流石に自分で正確な印象を取るのは難しいのか、最近では全米各地に店舗を作り、全くの歯科の素人を雇い、医療法に触れない範囲で、口の写真、あるいは3Dのスキャナーを利用してお口の型をとる。デジタルによる印象なので、かなり正確であり、素人でもうまくカメラを扱えれば、患者さんの口の状況を正確に写し取る。それを元にマウスピースが作られる。料金は20万円くらいで通常の矯正治療が60-80万円なので、かなり安く、年々、会社は大きくなり、さらには全米大手の薬局チェーンと提携して、薬屋の一角に店を出すようだ。日本への進出はまだだが、私自身は、Smile Direct Clubの日本進出には賛成である。やっている内容な一般歯科でのマウスピースと変わらず、たとえ失敗しても患者さんの費用的な負担は少ない。もちろんSmile Direct Clubが日本にできれば、一番影響されるのは、マウスピース治療を金儲けのためにしている一般歯科で、私らの矯正歯科医がほとんど影響しない。こうした歯科医が関係しないビジネスは、医療法からすればかなりグレーではあるが、歯科医院以外での歯のホワイトニングエステの普及を考えれば、日本に上陸してもおかしくはない。ホワイトニングはもともと歯科医院の金儲けの手段であったので、こうした歯科医院以外のホワイトニングエステも、歯科医師会による表立っての反対はない。

 最初に述べたようにインビザラインのようなマウスピースタイプの矯正治療のクレームが増加しており、その多くが金儲けの歯科医院によるものであるなら、お恥ずかしいことであるが、かなり灰色のSmile Direct Clubといったビジネスがそうした医院を駆逐してくれるかもしれない。私たち、矯正歯科医はそうした治療で治らないという患者さんに、より専門性の高い治療を提供できるため、あまり影響はないと思う。

2019年5月13日月曜日

矯正治療の保険化

こうした問題もあります。  

 今年の10月から幼児教育・保育の無償化が実施され、幼稚園、保育園の授業料、保育費が無料となる。さらに大学の授業料については経済状態により無償化されそうであり、いずれも子供を持つ家庭では大きな福音となる。これは自分たちの税金が年寄りばかりに使われていると言う若い世代の不満を解消する政治的手段であり、政府の票集めと言っても良い。確かに若い世代からすれば、多くの税金を払いながら、自分たちにとって何のメリットもなければ、政府への不満が多くなるだろう。これをかわす試み、あるいは今後実施する消費税の値上げを納得させようとするものであろう。

 一方、税金と同様に、健康保険への若い世代の不満が高まっている。高い保険料を払いながら、その多くは老人医療に使われており、自分たちへの恩恵は少ないと感じている。若い世代では病気にかかる機会も老人より少なく、また費用も少ない。特に歯科においては、20歳以下の若い世代では、以前に比べて虫歯もかなり少なくなっており、ほとんど歯科医院に行ったこともない人も多い。彼らにすれば医療費の7%を占める歯科医療費は全く関係ないコストとなり,
使わないのであれば、7%安くしろと言う意見は間違っていない。さらに医療費にも保険料だけでなく、税金が使われていることから、彼らの不満は大きい。

 そうした中、なぜ歯科矯正が保険適用されないかと言う声がある。18歳以下の子供を持つ平均的な家庭においては、おそらく矯正歯科治療費が最も高い医療費であり、他の教育費や生活費などの出費を考えると、子供に治療を受けさせたくともなかなか家計的にむずかしい。もし歯科矯正が保険適用されるなら、どうでしょうかと問えば、若い世代ではほぼ100%近く、賛成するであろう。さらに言えば、う蝕の減少に伴い、今後、歯科医療費は下がる可能性があり、それをカバーする点でも歯科矯正の保険化はありうる。

 高校、大学、幼稚園や保育園の無償化は、子供を持つ親からの支持があるだけでなく、学校運営者からも無償化による経営的なメリットがある。そうした両者による働きにより政府が答えた。一方、歯科矯正の保険化は、実現に向けた市民による動きは少しあるようだが、歯科医師会、日本矯正歯科学会からの動きは全くない。日本矯正歯科学会は、矯正治療が保険化すれば、症例あたりの単価がかなり安くなり、収入が減ること、さらに一般歯科医も今まで以上に矯正治療をすることで、全体的なレベルが低下することを恐れている。一方、歯科医師会では、立場上、矯正歯科を標榜している一部の歯科医院のみに益する点数改正には興味がなく、むしろ全歯科医院に益する初診料や再診料のアップを狙う。

 現在、歯科矯正で保険が認められているのは、唇顎口蓋裂児の不正咬合と、顎変形症に伴う不正咬合である。前者が保険化された直接のきっかけは、唇顎口蓋裂児の自殺がきっかけであった。公明党により国会で、取り上げられ、概算すると医療費もそれほどかからないため、国会でもすぐに賛同されて、保険適用となった。この時は、昭和大学歯学部矯正歯科の福原名誉教授の力で、かなり高い点数で保険適用された。その後、ダウン症などの各種の先天性疾患の不正咬合に対する矯正治療が保険対象になったが、症例数は少ないので、厚労省もすぐに保険適用となっていった。さらに手術を伴う重度の反対咬合なども保険適用されるようになった。これがおよそ30年前で、ここからは新たな先天性疾患が追加されることがあっても、大きな変化はない。

 国民、特に子供を持つ若い世代の不満の声からいずれ、矯正治療も保険適用になる日も来るかもしれない。医療費も老人医療費を一部削減できれば、何とかなるかもしれない。ただ最近の厚労省の方向性を見ると、矯正治療を行う医院を施設基準により絞り、現状では口蓋裂、顎変形症の保険診療を担当している歯科医院に限定される可能性が高い。地方では、専門医の数が少ないので通院が難しいが、これについても数年前に口蓋裂患者については、バイトで専門医がいれば施設基準に通ることになったので、たとえ、小笠原列島でも専門医が月に1回でも来れば、保険治療を受けられる。

 厚労省の役人も頭が良く、こうした矯正治療の保険化については、長年にわたって少しずつ、進めている。次のステップとして、まず18歳以下の子供の矯正治療費を保険にした場合の予算を現行の口蓋裂の保険点数をもとに算出し、総額で年間どれくらい医療費がかかり、その負担をどうするか検討すべきである。国民医療費は1999年から10兆円増えているが、歯科医療費は2.6兆円のまま変化はなくが、医療費の増加率からすれば8000億円くらい増えてもよく、その差額分で十分に子供の矯正治療費は保険適用できる。

1.     現行の口蓋裂患者の矯正治療の保険点数を基準として、18歳以下の子供の矯正治療費を保険化する場合の費用を算出する。欧米の例からすれば、総数の30-40%が適用となる。
2.     医療の質を担保にするために、保険による矯正治療をできる歯科医院は、施設基準の届け出をする。現行の口蓋裂の施設基準に沿って、セファロの設置と矯正歯科学会の認定医の資格(バイトも可)が必要。
3.     中から重度の不正咬合を対象とし、点数付けをして、ある点数以上の場合のみ保険適用とする。それを示す写真の添付。
4.     日本矯正歯科学会のガイドラインから逸脱した治療法は保険適用とならない。
5.     患者が治療途中で転住した場合は、転医先を探し、紹介する。
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2019年5月9日木曜日

歩行者中心へ





 滋賀県大津市で、幼児に車が突っ込み、2名が亡くなる痛ましい事故があった。その前には老人による子供と母親が交通事故死する悲惨な事故があったが、こうした車が歩行者をはねる事故が後を絶たない。うちの次女も子供の頃、近所の横断歩道を青信号で歩いていると、信号無視の車にはねられた。幸い大した怪我もなくて、良かったのだが、その際に、警察で言われた言葉に違和感を覚えた。警察官は、「青信号で渡る時の左右をよく見て渡るようにお子様に伝えてください」という。確かにそうではあるが、青信号で渡るときに左右をよく見ないで渡れない方がどうかしてしている。私も、自宅から診療所までわずか8分ほどだが、歩いて通っている。2つの横断歩道があるが、今まで車に轢かれそうになったことが、数回では及ばない。多くは右折車が突っ込んでくるもので、一番ひやっとしたのは、歩いている前、1mくらいをかなりの速度で車が突き抜けたことがあった。流石にカッとしたが、横断歩道を歩いている人と人の間が3m開けばそこに突っ込んでくる車が絶えない。

 また実際に青信号を渡っている自転車に車がぶつかったことを二度ほど遭遇した。買い物を後ろに積んだおばさんにタクシーが当たり、自転車は曲がり、買い物品は付近に散乱した。タクシーは一瞬止まり、おばさんに怪我がないのを知ると、そのまま行こうとする。私が引き留めると、『お客さんを乗せているので』とそのまま去ろうとするし、おばさんは荷物を片づけながら『大丈夫です』というので、第三者のこちらは何も言えず、そのままとなった。2回目はこれもタクシーが右折しようとして女子高校生の自転車にぶつかった。高校生には怪我がなかったが、自転車の前輪は曲がっている。タクシーの運転者が降りてきて、何をするのかと思うと、前輪を股の間において、手で曲がった前輪を直している。そして『治ったよ』といってそのまま立ち去った。

 こうしたこともあり、私は青信号でも左右どころか前後もしっかり注意して渡ることにしている。さらに知人の外国人は青森のドライバーマナーは最低なので、傘を持っている時は、前に出して横断歩道を渡ると言っていたので、これを真似して、長傘を前に出して歩くようにしている。何度、傘に触れそうになって急ブレーキを踏む車があった。ドライバーから見れば変な人と思われるが、それでも傘の長さくらいの隙間に突っ込むドライバーの方がどうかしている。こうした無茶な突っ込みをするドライバーは、変な人かと思ったが、若い男女から年配の方まで種々で特徴はない。強いて挙げれば、30から50歳くらいの女の方が多い。

 こうした歩行者軽視の社会は、それだけ市民の民度が低いことを示しており、インドに旅行した時は、歩行者にはクラクションでどけどけと脅していたし、車が人にぶつかると、逆に怒っていた。今はそうでもないと思うが、中国でもそうだった。つまり車に乗っている人は、俺は金持ちで、歩いているのは貧乏人という感覚なのだろう。貧乏人は文句を言うなということである。弘前市のドライバーマナーからみる民度はインドより少しマシな程度であろう。それでは東京や大阪はどうかというと、弘前市よりはマナーはマシではあるが、そもそも東京の池袋の事件でもそうだが、都心部で車を乗ること自体問題である。ヨーロッパの多くの都市では、都市の中心部には許可車やバス、路面電車以外に入れないようにしており、自転車と歩行者優先となっている。こうした取り組みは日本でも時折あるが、恒常的に行っている町は知らない。車に乗る人からすれば、随分と面倒と思うかもしれないが、地下鉄、バスなどが発達している都市部で、一般人が車を乗る理由は少ない。

 田舎では、バスや電車がなく、車がないとどうしようもないところもあるが、それでも今のままの交通マナーでは、死亡事故は減らない。まず車自体の対策としては、追突防止などの安全機構を持つ車の車両保険とそうでない車では差をつけることが考えられる。実際に保険会社の資料によれば、明らかに安全機構を持つ車の事故は少なく、その分保険料を安くすることは可能である。もう一つは取締りの強化である。警察としては人員も少なく、なかなか取り締まりも難しいので、これは市民のタレコミを積極的に活用すべきであろう。暇な老人も多く、交通事故が多い、交差点を始終スマホで撮影する人も出よう。その動画で明らかに違反、スピード違反、信号無視、危険運転などがあれば、即刻、警察に出頭させて、罰金、減点などを行う。また信号機には防犯カメラを設置して活用する手もある。ドライブレコーダーがあれば、それも証拠にすべきであり、メーカーもデーターは一週間、消去できないようすべきである。こうした密告制度が多くなると、町中が警察の取り締まりと同じ状況となる。確かに車とナンバーが写ってもドライバーが特定されないという声もあるが、それでも家に信号無視なので出頭するようにと警察から電話が来るだけで、かなりビビるだろう。

 そろそろ日本でも、歩行者優先の制度を本気で考える時代が来ているのではなかろうか。外国人の中には、日本はおもてなしの精神、人々はあたたかく、町は綺麗なのだが、どうして交通マナーは未開発国並みだと言う人がいる。車というのは相撲取り十人以上が数十キロで突進する動く凶器という点を考えれば、少しは銃器のような取り扱いは必要であり、歩行者優先、脱クルマに向けた政府の取り組みが必要であろう。

2019年5月3日金曜日

大阪人の自慢話好き



 先日から娘と婿さんが来ていたが、帰った後、妻が「婿さんに、自分たちの自慢話ばかりしていたようで恥ずかしい」と言っていた。それは私も少々気になっていたことだが、やれ先月はアメリカのシンシナティーからのお客さんを二日間、青森を案内したとか、プラタモリ弘前に協力したとか、英文で自著を翻訳しているとか、まあ自慢話ばかりである。妻も3ヶ月くらい前からピアノを習っていて、ショパンのノクターンを披露したりした。あなたの自慢グセがうつったと言われる。

 よく考えれば、尼崎生まれの私は、人と話をするときに、よく自慢話や逆に自虐ネタを話すことが本当に多い。例えば、このブログでも、ダナー社のブーツを買った、それもかなり安く買ったという買い物自慢も多いし、芸能人にあったという体験自慢も大阪人の会話では多い。流石にお金持ちや地位の高い人は、その地位自体をモロに自慢することはないが、それでも大手銀行の役員が近所の店舗にいってそのサービスをネタにするといった微妙な自慢もあるし、逆に私の場合は、よく話すのが、大阪万博に白いブリーフの上にチェックのトランクスタイプの下着を履いて、何度も行ったことを自慢する。これは自虐自慢と言えよう。

こうした見方をすれば、大阪人の会話の7割は買い物自慢、体験自慢、自虐自慢さらには年配の人では病気自慢が入る。大阪以外のところ、近辺の神戸や京都ではその比率は少ないし、東京では露骨な自慢は嫌われる。会話をしていて、大阪人に上記4つの自慢は話すなと言えば、かなり無口になるのではと思う。大阪では自慢しても、周囲もそれに乗る文化があり、お互いに自慢しあって、喜ぶような習慣があるため、とめどもなく自慢が続くことがある。海外旅行の話などもどこのホテルが良かった、料理が美味しかったというのも、すべて自慢話であり、またこの映画や本が面白かったとかいう話題も知識をひけらかせる知識自慢と言えるかもしれない。

 自分のことを面白くおかしく喋ると、いいことでも、悪いことでも自慢につながるため、自慢話をしないようにするのは、話の内容を自分以外に振る必要がある。一つは相手を褒めることであるが、これもおべっかに聞こえるため、津軽では他人の悪口が絶好の話題となる。自分のことは一切喋らずに他人の悪口、揚げ足をとる。あるいは悪口までとは言えないが、他人の噂話をすることも多い。あとは子供ネタについては、これは大阪人以外でも全国的に自慢話が多く、一番多いのは子供の学歴自慢である。他の自慢は圧倒的に大阪人が多いが、子供の学歴自慢はむしろ軽い自慢も含めると東京人の方が多いかもしれない。

 連休明けると、また英語のレッスンが始まり(自慢?)、必ず講師の“What’s new?”から始まるが、娘の中国での仕事と中国人の嫌韓の話をしようと思うが、これも子供自慢になり、結局”Nothing special”と答えそう。大阪人にとっては、自分のことを相手に知ってほしいという気持ちや、また話を盛り上げたいというサービス心が強いため、どうしても会話の中に”オーストラリアでバンジージャンプ“をしたと言った自慢話が多くなる。これらの自慢話を封印されると会話が本当に難しい。大阪人の自慢話には悪意はないと思って勘弁してほしいし、自慢が恥ずかしいと思うような人はブログなんぞ書かないように思える。何となればブログこそ知識自慢の典型である。弘前ブログこそ地元(郷土)自慢そのものである。

2019年5月2日木曜日

弘前藩の神仏分離および廃仏毀釈

旧最勝院


法恩寺

 最近、出版された「仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか」(鵜飼秀徳著、文春新書)は、明治初期に行われた廃仏毀釈の実態を各地の例を挙げながら、わかりやすく説明している。教科書的には、明治新政府は天皇を頂点とした神道を国の土台となる宗教とするために、江戸幕府から守護されてきた仏教の力を削ぐべき、神仏混淆でごったとなった仏教と神道を分離する政策をとった。ところが俗化した仏教に対する反感もあってか、一部に地域においては、さらに急進的に寺院の破壊まで進んだケースがあった。最もひどいのは薩摩藩で、1000以上あった寺院が全て壊された。多くの仏像が壊された、中には薪として燃やされた。そのため、今でも鹿児島県には仏教由来の美術品が極端に少ない。同じようなことは宮崎県や、隠岐、佐渡などでも起こり、多くの仏像が破壊されたり、あるいは海外に流出した。あたかも中国の文化大革命のような狂気、過激さで明治4年から数年の時期にかかわらず、多くの被害を出した。

 弘前藩での神仏分離あるいは廃仏毀釈はどうかというと、結論として、ほとんど大きな被害はなかった。それでも廃藩置県により藩による保護がなくなったこともあり、経済的に寺院は厳しい状況に追い込まれ、とりわけ、檀家の少ない、藩の祈祷所、菩提寺であった寺院は、その収入の大部分がなくなった。弘前藩、最大の寺院で、藩内1000以上の寺院、社の総まとめをしていた最勝院は、弘前藩から300石を賜り、その権勢を誇っていただけに、弘前藩の消失はきつかった。

 当時の地所を明治二年弘前絵図で調べると、今の熊野神社から八幡神社までの250mの道路に沿って、多くの塔頭を持つ巨大な寺院である。絵図から、入り口には最勝院の警護を担当する官守、鹿内専右衞門の宅があり、その前の熊野宮の裏には塔頭の中でも大きな心応院があり、庫裡、本堂、観音、座敷、薬師、方丈など記載がある。その後、下馬、馬繋とあり、ここで馬を降り、繋ぎ、徒歩で参拝した。道路の東側には徳恩寺、正覚院、龍蔵院、神徳院、東覚院、西善院などの塔頭が続き、また西には宝蔵院、大善院、吉祥院、観善院、教応寺、普門院などの6つの寺が並ぶ。最勝院には表門、唐門形式の中門、および通用門があり、中門の右手には撞鐘楼があり、さらに奥には聖天堂があった。表門の北には大師牌と、経堂があり、本堂は、玄関と和ノ間があり、入って左には護摩堂、本堂、壇裁牌がり、南には座敷、待ノ間と役寮があった。さらに別棟には中ノ口、学寮、庫裡、方丈、主座があった。また台所、中間、納所や倉などもあった。寺院の西側には最勝院境内地田坪と書かれた農地があった。

 最勝院は、神仏分離令に沿って、明治三年にこれらすべての施設を捨てて、銅屋町にあった同じ天台宗の大円寺に移った。別当として弘前藩最大の八幡神社がそばにあったことから、明治新政府の神仏分離令に配慮して、大規模な移転を行なった。神仏分離令による他の廃寺は、その建材が学校建設に使われた例が多く、最勝院の建材もどこかに使われたのだろう。ただその痕跡は今に探すことはできない。また最勝院の移転については、神仏分離令だけではなく、弘前藩の財政的支援が一切なくなったのも大きな理由の一つであった。これだけの大きな寺院を支えるほど檀家がいなかったといえよう。結果的には玉突き状態で、銅屋町にあった大円寺は、大鰐の高伯寺に合併し、今日に至っている。

 この最勝院以外の明治の神仏分離令の影響は、少なく、禅林街にある寺の一部は廃寺となっているがこれは分離令とは関係ない。また新寺町でも、慈雲院が旧制の弘前中学校になったが、これも財政上の理由による。ただ新寺町で最も大きく、弘前藩主の菩提寺でもあった法恩寺については、弘前藩から最勝院に次ぐ290石の寺領を得ていたが、明治になって早い時期に善入院、一乗院、万智院、理教院、正善院、光善院、観明院などの塔頭がなくなった。おそらく神仏分離令とは直接関係はないが、最勝院のいわばダウンサイジングが見本になったのだろう。今では他の新寺町の寺以上に小さな寺になってしまった。明治以降、寺院には経営者の才覚が求められるようになり、逆に太平洋戦争後、神社への国家補助がなくなったり、地区の氏子制度が希薄になったため、近年、多くの神社がなくなってきている。田茂木野の大杵根神社、笹森町の東照宮、愛宕神社、上白銀町の稲荷神社がすでにない。