2019年5月27日月曜日

教育の平等


「  古き佳きエジンバラから新しい日本が見える」(ハーディー智砂子、講談社@新書)は、面白い本であった。著者はスコットランドのエジンバラで投資家への資産相談などの業務を行なっている。最近はこうした海外に長く住む日本人による日本人論が流行っていて、よく読む。日本の常識が海外の常識でないことが、発見できて面白い。特に日本では、マスコミ、教育関係の人々が、少し社会主義かぶれの人が多いので、そういた偏向した視点で論じられることが多い。例えば、受験競争がひどくなると、有名大学だけが、全てでない、それよりは自分の好きなことを勉強した方が良いといった論調である。これは一見、正しいように思えるが、実際の社会は少なくとも就職活動において、学歴は大きな意味を持つ。

 この本では「一流大学を出てるからって、実社会では役に立つかどうかは別だよね、勉強ができるのと頭がいいのとは違うというのも英国では聞いたことがない。一流大学の入試に合格したということは、18歳時点での学力が同世代の中でかなり上位にあったということで、こういう人は優秀な頭脳を持っている可能性が高い。過去の試験問題から出題の傾向を読み取ったりする能力や、それをもとに学習計画を立てる計画性、それを実行している意志の強さなどが備わっているという意味で、社会に出た時にも優秀な人材となる可能性が高いのではないか」と書かれている。

 これは日本の会社でもそうで、就職では学歴が大きな意味を持つ。もちろん英国だけでなく、アメリカでもイエールやハーバードのような有名校は授業料も高いが一流企業への就職も良い。かってソニー就職試験において学校名を伏せて試験をしたことがあったが、結果、採用された学生は、学歴を書かせていた時以上に、有名大学の学生ばかりとなった。次の年からは、あまり同じ大学が集中しないようにまた学校名を書かせることになった。娘が就職する時に、大学別の就職先を調べてみたことがあるが、メガバンク、有名商社など大企業になればなるほど、きれいに大学のランキングと相関している。おそらく企業偏差値(会社に入る難度)と大学入学偏差値との間にはきれいな相関関係があると思う。これが現実である。

 昭和大学医学部でOBの子供優遇で大きな問題となったが、昔はこうしたことは私立の医学部、歯学部では当たり前であった。大学の大きな目的はOBの子弟を医者にさせて、その医院の跡を継がせることである。地域にとっては、古くからの病院が継続してあることは非常に重要なことであり、そのためには院長の息子に跡を継いでもらわなくてはいけない。これはアメリカでもそうであり、OBの優先枠があり、子供のことを考え、OBは大学に寄付をして、その権利を持とうとする。公立の学校ではこうした不公平はまずいが、私立ではあまり問題されない。

 学歴が大事でない、入試は公平でないといけないといった、一見してごく真っ当な意見でも欧米ではかならずしも常識ではなく、グレイのまま、必要悪とされている。逆にお隣の韓国では、常に白黒の決着をつけたがり、名門高校を公立、私立とも全て潰した。さらに入試で少しでも不正があれば大騒ぎとなる。そのために大学修学試験では、受験場所は不正を防ぐために試験日当日の朝に発表され、遅れてパトカーで試験場に駆けつける受験生が出てくる。さらに進学高校をなくしたことで、逆に学校外の勉強、塾、予備校通いが加速され、文武両道のエリートは生産できなくなった。高校では部活はなく、さらにアルバイトもできず、勉強だけである。

 お隣の韓国を参考にするわけではないが、何でもかんでも理屈で、処理することは大きな問題があり、様々な問題があっても、そのままにしておいてよい場合がある。平等という不変の概念もこうした点から考慮すべきである。 

0 件のコメント: