2017年12月17日日曜日

冬用のブーツ 2

KeenのウィンターポートIIとソレルのAlphapac XT

ソレルのカリブー

インナーブーツはそれぞれ9mmだが、XTの方が活動しやすい


 いよいよ本格的な冬となりました。昨夜は一日で30cmほど雪が積もり、朝から雪かきです。門から玄関まで20mくらいあるので、新聞を取りにいくのにも雪かきが必要ですが、こんなに降ると、スコップでも50cmずつしか進めないので大変です。

 こうした季節に必要なのが、スノーブーツです。江戸時代は、藁ぐつ、その後、長い間、ゴム製の長靴でしたが、最近は色々なスノーブーツが登場してきました。こうしたブーツを選ぶポイントはまず、滑らないこと。といっても、世の中どんなアイスバーンでも滑らないない靴はないので、あくまで滑りにくい靴と言っていいでしょう。最近の靴で、これをクリアしないものはほとんどないでしょう。次には、防寒性。1、2月になると津軽でもマイナス5−8度になります。足下が暖かいと体は冷えにくく、逆に足が寒いと、すごく寒く感じられます。これに関してはゴム性の長靴は寒くてしょうがない。

 以前は、LLビーンのビーンブーツが好きで、これまで4足ほど履いています。ただ12月ころはまだいいのですが、本格的な雪シーズンとなる1、2月はもっと暖かい靴を履きたい。そこで数年前にカナダのソレル社のカリブーというブーツを買いましたが、これは暖かくていいのですが、インナーブーツが厚く、歩きにくく、あまり使っていません。そこで3年前にKeen Summit County IIIというブーツを買いました。これは暖かいし、滑りにくく、冬用のブーツとしては非常に優れています。ただ欠点は、ヒモで締めるタイプの靴のため、着脱に時間がかかります。近くに買い物に行ったりするには、ちょっと面倒です。そこで作年、もう少し、簡単に着脱できる長靴タイプのものを探していたところ、KeenのウィンターポートIIというのが1万円以下で売っていたので、これはいいと早速、購入しました。暖かく、滑りにくく、なかなかいいスノーブーツです。ただこれは私だけなのかもしれませんが、靴の脱着がたいへんで、ことに脱ぐときは、死ぬかと思うほど、力を込めないと脱げません。サイズ自体は9.5でピッタリですが、とにかく脱着が大変です。履いているうちの延びるかと思い、しばらく履いていましたが、どうにも苦痛で、その後は、箱にしまったままです。

 それでも今年、やはり長靴タイプのものがほしくなり、1万円くらいのものを探したところ、カナダのカミック社のGreenbay4というものと、ソレル社のブリザードXT、 Alphapac XTが見つかりました。いずれも厚いゴム底にナイロンの本体、中はインナーブーツとなっています。カミックは普通の長靴ぽいが、ソレルの方がいかにも冬用のブーツぽい。使用限界温度、マイナス51.5度(この0.5度は何か意味があるのでしょうか)と南極観測隊にも使えそうです。

 貯まっているポイントと割引を使うと12000円くらいで買えるので、アマゾンで購入しました。物凄く大きな箱に入って届きました。心配した足入れは容易で、まずは安心しました。前のソレルのカリブーが9だったので、これも9で注文しましたが、ピッタリで、上のサイズ10ではゆるかったでしょう。カリブーに比べてインナが薄い感じがして、早速、雪かきに利用し、近くのデパートにも履いて行きましたが、それほど滑らなくて、いい靴です。今シーズンはかなり寒くて雪が降る予想なので活躍しそうです。ただこうしたブーツは東北、北海道、長野のような雪の多いところ以外では全く必要なく、そうした意味では地域にあった靴を履いて自然を楽しむのもいいのかもしれません。夏の暑さは裸になっても暑いのですが、冬の寒いのは衣料に工夫することで快適に過ごせます。今のところ、クールネックシャツにパタゴニアR3LLビーンのメイン・ワーデンパーカ、下はユニクロのヒートテックの下履きに、LLビーンの裏地付きチノかグラミチのウール・クライミングパンツ(パタゴニアのシンチラスナップTパンツは外では風を通し寒いです)、帽子はフィルソンのダブルマッキーノ・キャップ、靴は今回買ったソレルのAlphapac XTのコンビで最強でしょう。エベレストにでも行くのでしょうか。寒い弘前でもこの格好では浮いています。






2017年12月15日金曜日

津軽美人 2




 
 美人の多い都道府県を挙げてもらうアンケート調査によれば、一位は秋田、二位は東京と続き、青森県は沖縄に続く13位となります。これはあくまでイメージですので、実際にそうかはわかりませんが、まあまあの成績と言えると思います。随分前のことですが、週刊朝日の記事で「日本海美人一県おき説」を考証しようと、作家の酒井順子さんが、県庁所在地の繁華街で、美人と認める女性100名を調べました。結果は、青森県では12.5%が美人、秋田県が20.5%、山形県が7%、新潟県が12.5%、富山県が9%、石川県が12.5%、福井県が6.5%と、青森を除くと美人一県おき説はほぼ正しいとしています。ちなみに東京は4%かなり少ないようです。この結果では、青森は新潟なみに美人が多いと言えます。


 作家の今東光によれば、「津軽女は円顔が多く、黒目勝ちの大きな眼が印象的で、色は抜けるように白い」と絶賛しています。それでもシャイな性格の県民性のためか、津軽出身の女優さんは少ないようです。古くは、大正時代に活躍した澤村春子(1901-1989)という人がいます。北海道、礼文島生まれということになっていますが、両親とも黒石の出身で、小学校二年生まで黒石の小学校に通っていましたが、両親の仕事のため、礼文島に転居します。成人になり、松竹キネマ俳優学校に学び、「路上の霊魂」という同郷の小山内薫の作品で初出演します。その後は大きな役もなく、青森県の駄菓子屋の女房になって1989年に亡くなります。次に紹介するのは昭和20年代に活躍した相馬千恵子(1922-)です。宮本武蔵の映画でお通の役をしていたことから、“お通さん”と呼ばれていたそうです。この人も大柄な女優さんですが、着物姿はしっとりして美しく思います。1922年生まれですが、まだ存命のようです。その次となると、歌手の方が有名な奈良光枝(1923-1977)がいます。生まれは私の今、住んでいるところの近く、萱町の出身です。「青い山脈」、「赤い靴のタンゴ」などのヒット曲がありますが、大映映画「或る夜の接吻」ではキスシーンが話題になりました。身長は165cmで、戦前の女優さんでは最も身長が大きかったようです。現代風の美人です。他には忘れて行けないのが、長内美那子(1939-)です。お父さんは歯科医ですが、役者バカと呼ばれて、仕事より劇団活動に熱心でした。美那子さんが今でも美人ですが、若い時はそれはきれいな人でした。女性の少ない頃の弘前高校の卒業生で、在学中は目立ったことでしょう。他には、北海道開拓で活躍したお雇い外国人、エドウィン・ダンの夫人、松田ツルもきれいな人で、この人を愛するあまりダンは生涯日本にいることになります。あるいは太宰治の姉、津島タネも、残っている写真をみると美人です。最近の人では、東京の新橋で芸者さんをしている寿寿女(すずめ)さんもきれいな人で、大相撲観戦の際にテレビに写り話題になりました。またモデルさんでは、聖愛高校を卒業した西村みえこさんや、中央高校を卒業し、映画にも出ている飯村未侑さんや、附属中学校を卒業した駒井蓮さんもいます。

 津軽の女性は全国的にみて、身長が高く、肌が白く、二重まぶたの人も多いようです。また変わった点として瞳が青い、緑、グレーの人も見かけることがあります。さらに全国と比べると血液型はA型が少なく、B型、O型の多い、縄文系であり、血液型からは北秋田からの流入が示唆されます。728年から922年のおよそ百年間に、現在の中国東北部、シベリアにあった渤海国から大規模な使節が能代などの北秋田に何度も来ます。1000名以上の帰化希望者がいて、地元民との混血化が進んだのかもしれません。戦後、全国的には移動することも多くなりましたが、戦前まで婚姻圏は非常に狭く、ほぼ同じ地域の中で結婚し、県外に行くことはありません。最近でこそ、そうした意味では混血化は進んでいるが、それでもまだまだ地域性があるようです。津軽美人というのは、北秋田からの流入がもとになっており、基本的には秋田美人に属するのでしょう。青森県といっても八戸のような南部よりは津軽地域に、津軽の中でも青森市よりは弘前市に、さらに黒石、平川、板柳のような郡部の方がより美人が多いように個人的には感じています。

*内容は弘前ロータリーの卓話で話したものです。上の動画は津軽出身の若手女優の駒井蓮さんです。下の動画にはお岩さんの役で、弘前市出身の相馬千恵子さんがでています。




2017年12月10日日曜日

金合金のインレー


 右下の奥歯(第一大臼歯)のインレーがはずれた。数年前にも一度、脱落し、二次カリエスがなかったので、そのままセメントで合着した。今度も、特に二次カリエスがないので、そのまま合着した。歯科医の息子なのに恥ずかしいことだが、下の右第一、第二大臼歯は金インレー、左の第一大臼歯は金インレー、第二大臼歯はアマルガム充填、上の左第一大臼歯は金のクラウンである。下の左第二大臼歯はC1程度の小さなカリエスだったが、学生相互実習でアマルガムを充填した。

 一番新しい歯科治療は、下の左第一大臼歯の金インレーで10年ほど前に古い金インレーが脱離し、一部歯質も欠けていたので、知人に頼んで治療してもらった。それ以外の歯は、アマルガム充填が23歳のころだから、38年、他のインレーは小学生か中学生のころに親父に治療してもらった歯なので、すでに50年近くなる。形成もそれほどよくないし、インレーそのもののできもよくない。ただ当時は、直接法といって、形成後、直接、柔らかくしたワックスを口に入れ、口の中で形態を作り、スプール線をさし、そのまま埋没して、インレーを作った。印象という手間を省いたので精度はよい。さらに金合金なので、試適時に十分に擦り合わせをすれば、数ミクロン単位での辺縁封鎖が可能である。

 金合金はあらゆる歯科材料の中で最もよいと言われるのは、こうした経験則から証明できる。私の場合、家が歯科医だったせいか、ほとんどの歯科治療は金合金で行ったが、その結果は50年近くの耐久性を示しているし、今後さらに持つことだろう。こうしたことはたまたまなのかもしれないが、それでも年配の方の口腔内をみても金合金の耐久性は非常に高い。さらに金合金のインレーやクラウンのよい点は素材が柔らかいので咬合に合わせて削れる点である。原始人、オーストラリア、アボリ人にみるまでもなく、人にとって咬耗というのは加齢に伴い必ず起こるものである。急激な咬耗は問題あるが、ゆっくりした咬耗は口の老化にとって必要なことである。一方、セラミックを使った補綴物は、審美性は高いものの、歯より硬い材質があり、咬耗もほとんどない。そのため、かみ合わせの細かい調整に対応できず、咬みにくい、音がするといった問題も生じる。さらに辺縁封鎖性については金合金とは比較にならず。展延性が全くないため、必ず隙間ができる。おそらくは金合金ほどの耐久性はないと思われる。私の口にあるような50年以上のセラミックインレー、クラウンは、おそらく少ないであろう。破折あるいは二次カリエスなどでダメになっていることだろう。
 
 結論からすれば、審美性のあまり要求しない大臼歯部の補綴物は耐久性、親和性からも金合金を使ったインレー、クラウンが最も優れた治療法と言える。先日もクインテッセンスの症例報告で、62歳の女性の治療ケースが載っていたが、大臼歯部の金インレー、クラウンはすべて不良補綴物として撤去され、セラミックのものに変えられていた。患者が“見た目のきれいなの”と希望したと答えるだろうが、本当にそうか。たぶん“この被せものは何十年も経っているの、この際、最新型のきれいなものにかえたら”と言われたのだろう。失礼だが、62歳のおばさんが見えないところにある大臼歯の審美性を主治医に依頼したようには思えない。


 万が一、歯科医院で大臼歯の補綴治療を勧められたら、第一候補は金合金の補綴ということは歯科における常識であり、歯の耐久性を考えればセラミックによる補綴はありえない。これは私の患者としての経験であり、もしセラミックを勧める歯科医がいたら、その先生に“先生は自分の虫歯の治療をすべてセラミックでしているのですか”あるいは“金合金より審美性以外でセラミックが優れている利点を教えてください”と質問してほしい。案外、歯科医をしていても自分の歯にはセラミックではなく、金合金のインレーを入れている場合も多い。

2017年12月7日木曜日

六甲学院に通っていた頃

現在の六甲学院、第一グランド



 尼崎の難波小学校から六甲中学に入ったのはいいが、阪口塾から入った三名を除き、誰一人知らない面々で、最初は緊張した。それでもサッカー部に入るとすぐに友人もできて、慣れていった。ただ朝は早く、毎日六時に起床して、六時半には家を出る生活を六年間ずっと続けた。東難波のバス停留所から645分のバスに乗り、阪急塚口まで行き、7時10分ころの神戸三宮行きの普通に乗った。これをはずすと、始業ギリギリとなるため、阪急六甲駅から学校までの坂を走らなくてはいけない。結構きつい。

 電車の乗る場所は大体決まっていて、私の場合は後ろから3両目のところで、武庫之荘、西宮北口、夙川駅と電車が止まる度に仲間が増えていく。ほぼメンバーは固定される。一方、他の学校、甲南女子、芦屋女子の中学、高校の生徒もこうした傾向があったのか、これも同じメンバーが一緒の電車に乗ることになる。そうなると毎日、顔を合わせるため、気になる子がでるものだが、当時はお互いに話しかけることもなく、そのまま自然消滅した。ただ友人の一人は、大学卒業後に大手飲料メーカーに勤めたが、そこに一緒の電車に乗っていた女の子が2、3年後に入社し、“中学生のころから憧れ、同じ会社に入りました”と告白された。こういった例は少なく、私のようにもてない学生は、結局、中高六年間、女学生とデートどころか、全く話したことがないという異常な生活をしていた。弘前の友人や家内に聞くと、中高校時代、それなりのボーイフレンドやガールフレンドがいて楽しそうな生活をしていたようで、そうした楽しい青春の思い出がないのがくやしい。

 今でもそうだが、六甲学院は校則が厳しいところで、ダメと言われると破りたくなるのが若者の本能である。まず流行ったのは、平凡パンチやプレイボーイなどの雑誌を皆で回し読みするようになった。中学生のころは本屋で、こうした雑誌を買うのはなかなか勇気がいたので、学校に持ってくる生徒はその勇気を賞賛された。その後、次第にエスカレーしてアメリカ版プレイボーイも持ち込まれた。さらに中学三年生ころになると、当時、ロックの全盛期で、シカゴ、レッドゼッペリン、ディープパープルなどのバンドに人気があったが、レコードが高くて買えなかった。そこで、500円ずつくらい十名くらいで出し合い、梅田のLPコーナで買ってきてもらい、これも廻し聞きをした。この前の同窓会で、驚いたのはこの中の数人の同級生は、1972年の伝説のディープパープルの大阪公演を聞きにいったと言っていた。高校一年生でこうしたライブに行くのもいかにも六甲ぽい。お酒を飲んだのは、高校二年生ころで、当時の仲間十名くらいで、六甲山にある同級生の別荘に泊まりに行った。そこでウイスキーを買って、コーラで割って飲んだ。コンドームを持ってくるものもいたが、男同士で風船にして遊んでいた。次の日は、この別荘から学校に行くため、二日酔いの状態で朝早いケーブルカーに乗った記憶がある。

 サッカー部にいたので、土曜日は練習、日曜日は試合という日程だった。そのためあまり神戸や梅田に出て遊ぶことはなかったが、それでも暇な時は、こずかいをもらって神戸三宮のビック映劇という映画館に行った。ここは少し古い映画を二本立てで安く上映していたので、イージーライダーなどのニューシネマと呼ばれる映画を多く見た。といっても当時は携帯電話もなく、友人とわざわざ電話するのも面倒なので、ほとんど一人で遊びに行った。暗い空間に包まれ4、5時間いるのは気持ちが良かった。

 最近、六甲学院のサッカー部のHPができたのでよく眺めている。昔は近畿大会優勝など兵庫県の強豪校として知られていたが、よく週3日、1時間半の練習で勝ったなあと思う。さらに部員も皆、学業も優秀で、私の学年でも私以外はすべて現役で、神戸大学が2名、大阪大学が1名、京都大学が1名、東京大学が1名、早稲田大(政経)が1名と、名門大学に入っているし、一学年上のゴールキーパーは神戸大学医学部へ、一学年下のGKは京都大学建築と難関学部に入っている。練習と勉強の切り替えが上手だったのだろうが、一人私は、どちらも中途半端で、練習にも力が入らず、入試にも失敗し、さらには大道学園という予備校の試験にも失敗したときには、さすがにへこんだ。