2022年5月3日火曜日

10万円あげると言われても、断る人は多い?

山元春汀の画、ヤフーオークションで1万円くらいで買える。台湾の留学生に右の絵を記念品としてあげた。

今はないが、喫茶店や雑貨店として活用できなかったのか。

まだまだ綺麗な方だと思うが、タダでもいらないと言われた。


滅菌室は去年、リフォームしたばかり



最近は、そろそろ引退ということもあり、個人の利益より、何らか社会や人々に貢献したいという気持ちが強い。具体的に言えば、持っているものを寄贈しよう、持っている技術を教えたいと思っているが、これがなかなか難しい。

 

まず数年前に、明治大正時代の卒業写真が、ヤフーオークションで出ていたので、3000円くらいで落札した、写真は数枚あって、2枚は弘前市の城西尋常小学校、1枚は時敏小学校で、これは学校に直接メールをして寄贈を申し出たところ、すぐに返事がきて、寄贈した。学校に展示して活用してもらっている。残り2枚の卒業写真は徳島県阿南市の那賀郡立那賀実科高等女学校の大正時代の卒業写真と判明し、20203月に、前身を同校とする徳島県立富岡東高等学校の同窓会と学校に直接に寄贈のメールを送ったが、二年以上経つが、未だに返事はなく、仕方なく阿南市立図書館に同様なメールを出してようやく送付してくださいと、2週間経って返事がきたので、本日、送った。

 

また弘前レンガ倉庫美術館には、図書室の郷土コーナーや展示などに活用できないかと、これまで私が書いて本4冊と、明治二年弘前絵図のB0コピー100枚の寄贈を申し出たが、3週間経つが返事はない。以前、横浜市長がラジオ番組で「須藤かく」のことを取り上げてくれたので、横浜市の図書館に20冊の寄贈を申し出たところ、これもすぐに返事はなく、かなり経ってから、図書館で必要な冊数を調べるからとのメールがあり、その後、8つの図書館から希望があり、必要冊数を送った。前のブログでも述べたが、弘前市の藤田記念庭園に孫文と藤田が写った写真を寄贈しようと思った時にも、管理している弘前市の緑地課から一年以上音沙汰なく、上司にメールを送ってから、ようやく藤田記念庭園の洋館に飾られるようになった。

 

民間の会社であれば、メールを送れば、2日以内には返事が来るし、すぐに返答ができない場合も、まず返答をするのに日数がかかる旨のメールがくる。ところが公的機関に、メールを出すと、多くの場合は、返事がないか、かなり遅くなる。返答自体、公式文書と考え、慎重になっているのかもしれないが、それでも1ヶ月以上、返答に日数がいるのであれば、まずそうしたことを早めに伝えるべきであろう。

 

70歳頃には引退しようと、誰か診療所を継承してくれるなら、全てタダであげますよと大学の矯正歯科講座にいる若手に喋っているが、誰一人、興味を持ってくれない。自分で開業することを考えると資金的にも大変助かるように思えるのだが。アメリカではこうした継承はごく普通で、矯正科の専門教育を受けた若手の歯科医は引退する先生から診療所を買い取って開業する場合が非常に多い。大学院の学費(約3000万円)を早く返済するためである。ところが日本では、若手の先生は、どうも引退する先生の診療所を引き継ぐのは、患者の引き継ぎもあって嫌がるようで、それならば借金してでも新たな診療所を建てると考える。また今年の4月まで土曜日に台湾から来た留学生に来てもらい、主として、マルチブラケット装置を学んでもらった。忙しい土曜日に一人でも歯科医がいれば大変助かるし、矯正専門医院で治療方法を学ぶ機会は少ないので彼も非常にためになったようだ。それもあって、彼がいなくなってから給料は出すので、誰か矯正歯科、マルチブラケット装置の勉強にこないかと子供が歯科医になった知人に声をかけているが、誰も応募がない。言っては悪いが、マルチブラケットの実習コースは1年間12回から24回で100万円以上かかり、また実際に患者を治療することはないので、非常にいい条件と個人的に考えているが、空振りである。

 

 青森でも矯正歯科を学びたいという先生は多く、高い金を支払って東京まで講習会に行くが、私のところに習いたいという先生は、ここ30年誰一人いない。寂しいことである。また図書館、美術館に、個人的に寄贈を申し出ても、収蔵庫が一杯という理由で、基本的には断られる。これも寂しい。アメリカのシンシナティ美術館には“芳園”と署名のある掛け軸を2本寄贈させてもらった。すぐに非常に丁寧な礼状が来て、展示の際には寄贈者の名前を記載する旨が書かれている。弘前市立博物館、図書館では、明治27年発行の笹森儀助の「南島探検」初版本を以前、弘前市立図書館に寄贈しようとしたら、一冊あるのでいらないと窓口のおばさんに即答された。古書店では10万円前後する貴重本なので、あげるというならもらっておいて一冊は閲覧用、一冊は展示用など活用方法がありそうなものだが。最終的には愛知大学図書館に寄贈し、喜ばれた。これも以前のブログで書いたが、明治二年弘前絵図と1770年頃の弘前藩領絵図を弘前市立図書館に寄贈しに行った時のこと、図書館の事務所に行くと、用紙を渡され、それに寄贈する物の名を書いて提出してくださいと言われた。明治初期の絵図と、江戸中期の藩領絵図と書いて渡すと、それでおしまいであった。流石にたまりかねて館長はいないのかと問うと、いるというので、できれば持参した絵図を見せたいというと、呼んできてくれて、資料室で絵図をお見せした。結局、寄贈した絵図は倉庫にしまわれたまま、これまで一度も公開されず、そのままになっている。

 

歳をとると、こうしたグチめいたことをつい書いてしまうが、人の親切、好意は素直に受け取り、何か困ったことがある、何かわからないことがある、何か学びたいことがあり、かつ誰かが助けたい、教えてあげたいというなら、遠慮なら飛び込むべきで、世の中、人を騙す人がいるのと同様に人を助ける人もいるものである。チャンス、美味しいことは、案外、身近にあるのだが、めんどがってつかみ損ねる人は多いのだろう。


 

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