2019年12月8日日曜日

中村哲医師の死を想う





 アフガニスタンの復興に尽力した中村哲医師が殺された。誰によって殺されたか、今のところ不明であるが、計画的な犯行から組織的グループが関わった可能性が高い。すでにタリバーンは犯行を否定しており、それを信じるならば、最近勢力を増大しているイスラム国支部組織の可能性が高まる。おそらくは外国人のNPO組織や支援団体を殺害することで、国を混乱に貶めて、その混乱に乗じて自分たちの勢力を増大させようとするものであろう。

 個人的にはアフガニスタンの国民のために、人生を捧げた中村医師がこうした形で亡くなることは無念であるし、これまで日本とアフガニスタンとの間を行き来して、日本での募金をアフガニスタンの灌漑整備に回すと言うシステムがこれで消失するかもしれないと言う危惧もある。もちろん中村医師の意思を継ぐ人々が事業の継続に邁進するだろうが、シンボル的な人物を失うことで、事業の縮小は避けられず、さらに言うと日本人のアフガニスタンへの渡航がますます難しくなる。それ以上に現地アフガニスタンで、カリスマ的に事業を行なっていた中村医師がなくなった後、アフガニスタン人の中にそうした事業を引っ張る人物がいるのであろうか心配である。

 こうした一部の過激派、日本でも過去に連合赤軍などもいたが、基本的な考えは暴力革命を起こし、国を混乱させ、その混乱に乗じて政権を取るというもので、1970年代くらいまで、日本共産党もそうした思想であった。当事者にとっては真剣なものであるが、爆弾テロなどで犠牲になった人々からすれば本当に迷惑な話である。こうした異端の者を警戒するのは近代国家では、正当とみなされ、日本でも公安の監視対象となっている。一方、アフガニスタンのような混乱の地では、あまりに反政府グループが多く、それを取り締まるにはかなり暴力的な手段を使い、それがまた反政府運動を増大させる結果となる。被害を被るのは大部分の普通のアフガニスタン人であり、生活はますます困窮する。

 昔、ネパールを旅行したとき、エベレストの麓のナムチェバザールという所にトレッキングをした。その途中に、日本人の年配の夫婦が経営しているロッジに泊まった。話を聞くと、日本で長年、会社勤めし、老後にネパールに来て、学校をしているという。夕方になるとランプを持った子供たち10数名がこのロッジに集まり、授業開始である。我々も一日先生となり、この人と一緒に授業をした。こうしたボランティアで海外で活躍している日本人は中村医師以外にも多い。ただ不思議なことに宗教とは関係なく活動している人が多いのが日本の特徴である。韓国でも海外ボランティアが多く、存在するが、ほとんどがキリスト教関係の団体であり、欧米のボランティア団体もそうした宗教的な組織をバックボーンとした人が多い。

 大分県のボランティアおじさん、尾畠春夫さんもそうだが、こうした日本人の無宗教のボランティア精神は、どこから来るのか、不思議に思っている。おそらく仏教の善行から来るもので、良い行いをすれば良いことがあり、極楽に行けるという素朴な感情があるのだろう。キリスト教徒である中村医師もこうした古い感情が残っているのだろう。今ではこうした仏教からという概念もないが、それが阪神大震災を契機にボランティアという概念が定着した。今後とも日本人による海外でのボランティア活動がますます多くなると思うそれと同時に、今回の中村哲先生についても残された家族の生活はどうなるのか、心配になる。もちろん生命保険などには入っているだろうが、果たして国民年金や厚生年金などに入っているだろうか。文化功労者には毎年350万円の終身年金が支払われる。こうした日本のために貢献し、犠牲になった人物については、国で特別顕彰を行い、何とか文化功労者並みの残された家族が生活する額の年金を支給したらどうだろうか。誰も反対はすまい。

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