2011年7月7日木曜日

家系図


 先祖が弘前出身という方が、北海道からわざわざ調査のため、弘前に来られたとのことで、本日お会いしてきました。友人が家系図調査会社をしていること、會祖父の写真が家に多くあることことから、先祖のことを調べようと思い立ったわけです。

 市役所、図書館、菩提寺、教育委員会などあちこちで調べたようで、その情熱には頭が下がります。弘前市立図書館には代数調というものがあり、武家の累代がこの書物に載っていますが、くわしくはわかりません。私の家にも家系図というものがありますが、西日本の家では割と多くの家に家系図が残っています。それも私の家のように数百年も百姓だった、たいした家でなくても家系図があります。これは主として菩提寺の過去帳、位牌を参考に作られています。江戸期はほとんどの住民が義務的に菩提寺を決められ、そこの過去帳が今の住民票のようになっていました。そのため火事などで過去帳が焼けなければ、相当古い記録がわかります。私の家も永正13年(1516)に武士から徳島県板野郡で百姓になったことはわかっていますし、その後もほぼ30年で世代が変わっているので、まあ正確でしょう。ところがその前となると一世代が数十年も離れていたり、藤原の姓になっていたり、しまいには藤原鎌足に繋がっていきます。まったくのでたらめです。おそらくは家系図作成者のサービースで何系統かの家系を繋ぎ合わせたものです。

 宗派にもよるのでしょうが、昔は直系の子孫に位牌が譲られました。私の家にも広瀬家の位牌が3つか4つありました。ひとつの位牌には10枚くらい位牌板が入っていて享年や戒名、俗名などが書かれていましたので、それを菩提寺の過去帳と繋ぎ合わせると割と簡単に家系図は作られるものと思います。ただ家内の家などをみると津軽ではあまりこういった習慣がないことが家系図を作るのを難しくしている可能性があります。我が家も、母が思い切りのいい性格で、仏壇を新しくした際に古い位牌はすべて処分しました。先祖の中にこういった人がいると調査が難しくします。

 今回の北海道の方の調査でも明治以降は除籍謄本からきちんと調べられたようです。さらに明治二年絵図で婚姻関係をみると、割と近所のひとと結婚していることがわかりましたし、兄弟も含めて当時どこに住んでいたかまでも具体的にわかりました。こういった点では、明治二年弘前絵図は強力なツールになります。ただ先祖を調べる最も基礎的な資料の除籍謄本も保存期間は150年だそうで、できれば一度市役所で一番古い除籍謄本をもらっていただければ、武家であれば明治初期、幕末の先祖の住まいを明治二年弘前絵図で探すことができます。

 自分の先祖が誰であったかを知ることは、趣味としてはおもしろいと思いますし、複雑な婚姻関係から弘前に偉人に繋がっている可能性もあります。

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