2016年3月3日木曜日

虫歯が減った




 先々週は1歳児歯科健診、本日は1歳半児歯科健診をしてきた。1歳児では前歯が生えているくらいであるが、半年たつと奥歯も生え、表情も豊かになって、子供の成長は早い。弘前市ではマタニティー、1歳児、1歳半児、2歳児、3歳児の歯科健診を行い、虫歯のレクチャー、口腔衛生指導、食事指導などを行い、齲蝕予防に努めている。

 30年前までは3歳児健診でも普通皆に虫歯があったが、最近の健診ではほとんどの子供に虫歯はない。この急激な減少には、歯科医自身もびっくりしている。私が小児歯科にいた昭和56年ころは、まだ仙台市でも子供の虫歯が多く、大学の診療室も市内の開業医で治療できないと断られた子供達で一杯であった。朝大学病院の診療科に行くと、早くも子供の泣き声が待合室にこだましている。診療室に入れると、レストレーナーと呼ばれる抑制台に患児をくくりつけ、開咬器という口をむりやり空ける装置をいれ、麻酔をする。その後にラバーダムをしてから治療を開始する。これが一般的な治療スタイルであった。ラバーダムをしないと舌を切ることが多くて、常にラバーダムを使って治療した。バイトに行くと、それこそ小児歯科用に当てられた2台のユニットにはレストレーナーが置かれ、1週間分の非協力児がその日に集められ、待っている。麻酔、ラバーダム、治療の繰り返しで、次々に患者をこなしていく。一日、診療を終えるとぐったりであった。隣のユニットでは東北大も矯正科の元教授が矯正治療をしていたが、こちらの泣き騒ぐ状態を毎回いやがられた。

 東北大学の小児歯科では、当時、前歯、大臼歯の咬合面はレジン充填であったが、大臼歯の隣接面を含む齲蝕はインレー、抜髄処置をした歯は乳歯冠であった。そのため、平均すると一人の患者で抜髄が2本、インレーが4本、乳歯冠が2本、レジン充填が4本といった感じとなる。そのため、乳歯冠は週で数個くらい、インレーも同じくらい作った。治療はすべて教授がチェックし、インレーはすべて印象から鋳造、研磨、装着まで一人でやったので、忙しかった。その後、鹿児島大学では矯正科に行ったが、診療科が小児歯科の隣だったので、ここでも勉強させてもらった。当時の鹿児島大学は今と変わらない1/4顎治療を行っていた。

 レストレーナー、開咬器、麻酔は東北大と同じだが、ラバーダムに最初から乳犬歯、第一乳臼歯、第二乳臼歯に穴を空けておき、すべての症例で、犬歯から乳臼歯まで固定して治療した。抜髄はほとんどせず、生活歯髄切断が基本で、深い場合は深部生切で対処した。即日に乳歯冠まで製作し、それ以外はすべてレジン充填で、1/4顎を一気に治していく。前歯部はサフォライド塗布のため、通常は4回か5回の治療で終了した。臼歯II級のレジン充填の仕方はずいぶんに役に立った。ただこの時点ですでにディスタルシューという第二乳臼歯を早期喪失した際に使われる誘導装置のケースはほとんどなく、クラウンループなどの保隙装置のケースも東北大ほどなかった。当時でも東京の小児歯科医に聞くと、もはや生活歯髄切断などのケースはないと言っていた。子供の虫歯のピークが過ぎていったのだろう。

 その後、矯正歯科専門で、小児の齲蝕治療することはなくなったが、最近の3歳児健診や学校歯科健診の状況をみると、齲蝕の急激な減少で、大学病院や小児歯科専門医院でも、治療内容は変化し、保隙装置、乳歯冠はなくなり、昔の予防歯科に近い内容になっているのであろう。そのため未だに日本小児歯科学会の会員で、学会誌も一応目を通すが、昔ほど勢いはなくなっている。小児歯科から早くに矯正歯科に転職したことは、自分ながら先を見る目があったかなあと思っている。


 こうした齲蝕の減少は、矯正歯科の分野にも関係しており、20年前はほとんどの患者では第一大臼歯にはインレーかクラウンだったので、必然的にバンドを多用したが、今では成人患者でも齲蝕がない人や簡単な処置しかしていない人が多いため、バンドを使うことは上の第一大臼歯を除いて少なくなった。直接に歯にチューブを接着する。

0 件のコメント: