2007年2月27日火曜日

珍田捨己4



弘前市立図書館に先日久しぶりに行きました。郷土出身者のコーナーには、寄贈による古い本が入っていました。専門家ではない私が知識を得るはインターネットや本屋からで、古い本を古本屋で探すほどの気力がないため、こうして篤志家が寄贈してくれることは非常にありがたいことで感謝します。その中に昭和13年発行の「伯爵珍田捨己伝」(菊池武徳編)という本がありました。ざっと見ただけですが、面白いのは捨巳が捨己となっていることです。どちらが正しいかわかりませんが、この人の生き方を見る限りが、捨己の名の方があっている気がします。その中に「珍田伯の日本語と英語」という文章があります。
「珍田伯の東北弁、すなわちズウズウ弁は有名なものであった。宴会の時や座談の時に、あのズウズウ弁を咄々(とっとつ)として物語られた状況を見ると、よくあれで、外交の檜舞台で働かれたものだと思われる。然し座談におけるあの温か味のある顔に似合わぬ警句、皮肉、時には洒落までも語られたものである。これも西園寺公に随伴して来られた加藤恒忠前大使は人も知る如く諧謔と警句とに於いて有名な人であったが、この加藤氏が日本全権国の座談の際に、珍田全権が珍しくも洒落混じりで話して居られる最中に、突如として「珍田さん、あなたは案外日本語がお上手でございますね。洒落までおっしゃるのですから」とまるで外国人でもあるかのように諧謔を述べたので、西園寺公始め一座の人々はどっと哄笑したことがあった。然るに、この珍田伯が英語で演説し、又は外交談判をやられる時には、1つもズウズウ弁が出ない立派な英語の発音で、日本語の訥重が似合わな雄弁である。そして警句まで混へて英米人をヤンヤと云われたものである。」
ここで大きな間違いは津軽弁はいわゆるズウズウ弁ではありません。このころは東北弁=ズウズウ弁と解釈したようですが、福島や山形の言葉と津軽弁は全く違い、秋田弁に近い感じがします。言葉の最後が不明瞭、鼻音や短縮が多くて、私自身未だに年配の方の津軽弁はわかりません。実際、弘前出身の家内も郡部の方言はわからないと言っています。
一度、羽田空港で前に座っている年配の夫婦の会話を聞いていて、どこの言葉か全くわからず、15分ほど韓国語ではないし、北京語でもないし、広東あるいは福建語かなあと悩んでいると、娘が帰ってきて、親子の会話を聞いて初めて津軽弁とわかりました。弘前に住んで10年以上立つのに、恐るべしディープ津軽弁。

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