2010年11月8日月曜日

チンキャップ



 上あごに比べて下あごが大きく、かみ合わせが逆になっている骨格性反対咬合の治療法のひとつとしてチンキャップ治療があります。頭に帽子のようなものを被り、オトガイ部にキャップをつけ、帽子のようなものからゴムをこのキャップにつけて下あごの成長を抑えるものです。

 私のところでは開業当初はこのチンキャップを使っていましたが、今ではほとんど使っていません。以前、矯正学会のセミナーで5つくらいの大学にチンキャップを使っているかと質問したところ、5大学ともチンキャップはほとんど使っていないとのことでした。中の一校は、チンキャップの研究で有名なところでしたので、おそらくは全国の大学のほとんどで今やチンキャップは使われていないのでしょう。

 日本は欧米に比べて反対咬合の症例は多く、その治療法についての研究も古くからありました。東北大学の坂本教授のころが、最も研究が盛んで多くのチンキャップの研究が発表されました。大体1970-85年ころの話です。そのため多くの大学でもチンキャップによる治療が行われていました。私がいた東北大学、鹿児島大学でもほとんどの反対咬合の症例でチンキャップによる治療を行っていました。来院患者5人のうち3人がチンキャップの患者さんという状態です。来る度に「がんばって使っていますか」、「もっと使う時間を増やしなさい」、「使わないと良くならないよ」と言い続け、10年以上、ほぼ3か月ごとに来てもらいます。子どもは親からも先生からも叱られ、多くの場合、途中で挫折します。中には10年以上もがんばってきた挙げ句、結局は手術という症例もいました。術者にしても患者、その親にしても効果がはっきりしませんが、他にあごに対する治療法がないため、この方法が長く使われてきました。

 1985年ころから、東北大学の教授が三谷教授に変わったことから、もう一度チンキャップ治療の見直しが行われ、それに伴うクラスIIIシンポジウムというものが1995年ころから毎年開催されました。そこではチンキャップの効果が疑問視され、一時的に効果があっても最終的には抑制された成長は後でその分がキャッチアップされる、あまり確実性のない治療法とされました。同時期に欧米から上顎骨前方牽引装置、これはフレームのようなものを顔につけ主として上あごの成長を促進させる装置、の関する研究が多くなってきました。こういうことから2000年を境に、早期治療では上顎骨前方牽引装置による1,2年間の治療、その後は経過観察を行い、成長終了時に手術も含めた治療方針を決めるというガイダンスが一般化してきました。さらには上顎骨前方牽引装置による治療も確実性は低いので早期治療では前歯の改善のみ行い、その後は経過観察だけするというのが、今や主流かもしれません。この頃からチンキャップ治療は全国的に使われなくなったと思います。

 ただ大阪歯科大学は割と長くチンキャップの研究をしていたようですし、臨床家としては徳島の黒田先生、松本歯科大の出口先生、仙台の糠塚先生はすばらしい症例を発表していました。昔、山形の沓沢先生という方がおられ、チンキャップの終日使用、食事、歯みがき以外はすべての時間、学校に行っている時も使わせていました。そして完全に成長が終了するまでチンキャップの終日使用を続けさせていました。沓沢先生の症例をみると、よくこのひどい骨格性の反対咬合が治ったなあというものが多く、本当にびっくりした記憶があります。30年前の話ですが。先生はもう亡くなりましたが、それにしても患者も先生もよく続けたと思います。

 一方、チンキャップを長期に続けた患者の声も出始めました。当然お子さんの性格にもよるのですが、使っていないと先生、親に怒られ、青春期に相当心理的な負担が大きかったようです。私も長女、次女の上顎骨前方牽引装置による治療を行いましたが、1,2年が治療感覚としては限度のように思えます。10年を超える治療は、患者、ドクターともくたびれていまます。途中、休みながら治療していかないと、疲れてしまいます。

 こういったことから、ここ数年学会誌からもチンキャップの研究はほとんど見なくなり、たまにチンキャップをしている子どもにどこで治療しているのと聞くと、年配の一般歯科の先生にところで治療しているようです。学会、シンポジウムに参加しないと新たな情報が入らないからです。今や矯正治療もグロバルスタンダード化しており、日本独自の治療法というものが少なくなりました。チンキャップはそういった治療法でしたが、成長をコントロールすること、とくに成長を抑制することは不可能であり、骨格性反対咬合の治療法は歯の移動による代償的な改善と手術を併用した治療法しかないという方向になっています。すなわち反対咬合の患者さんは、取りあえず前歯のかみ合せを治し、成長終了後に歯の移動で治すか、手術を併用するのかを決定するということです。これが世界共通の考えのようです。

 こうしたことを書いているところに、本日、アメリカ矯正歯科学会雑誌の最新号(138巻4号2010)が届きました。その中に久しぶりにチンキャップの研究が載っていました。ミシガン大学のBarettという人の「Treatment effects of the light-force chincup」という研究です。顎関節にできるだけ負担をかけないように弱い力を用いる方法で、日本でもなおチンキャップを積極的に使っている先生もこの方法です。結果は、チンキャップによる治療は歯の移動を行うが、骨格的な影響はなかった、あごのに対する整形力はなかったというものでした。最近の考えに近い結論です。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こんにちは。顎変形症について検索いていたところこちらのブログに・・・。そしてこのチンキャップって言うんですね。当時知りませんでしたよ。矯正には欠かせなかったような記憶が・・・いやでしたね。私は顎変形症の手術を高1の冬休みに受けました。盛岡市の大学病院でした。私の手術は学会で発表するって言ってましたので広瀬先生も見たことあったりして。
現在40歳になりました。今は本当にいろんな治療法があって羨ましいです。小・中・高と学校生活の記憶がほとんどありません。歯の事、あごの事で悩み、いじめもありました。
そんな記憶ばかりです。現在、青森県在住なので宜しく。