2014年9月23日火曜日

津軽手踊り 阿波踊り









 前回、津軽手踊りについて少し書いた。日本の踊りというと、いわゆる日本舞踊に代表されるお座敷踊りと、盆踊りに代表される外で、集団で踊る廻り踊りに分けられるように思える。

 芸子さんなどが京都のお座敷で踊る踊りは狭い日本間の空間で踊るため、手、足、しぐさで表現した個人的な技術を要する芸であるのに対して、盆踊りのような集団で、やぐらを立て、その廻りを単純な様式で踊る。同じ動作の繰り返しで、上手、下手はあっても個人の芸を見せるものではなく、むしろ同じ動作を繰り返して集団的な熱狂を誘うものであり、本来的には若者の性的エネルギーの発散の場でもあったのだろう。

 手踊り、それも女性と限定すると、日本で最も美しいものは、徳島県の阿波踊りと津軽の手踊りであるように思える。前者は廻り踊りの範疇に入るもので、今は連を組み、道をパレードのように踊っていくものであったが、昔は三味線を主体として、家や辻のところで、踊りの名人がその技を見せたのであろう。初めて阿波踊りを見たのは徳島県の脇町で、近所のおばさんたちが三味線を鳴らし、脇町の道を流していた。55年程前の話である。徳島市にも何回か見に行ったが、傘を被った踊り子が本当に皆、美人に見えた。最近もテレビで阿波踊りを見るが、昔に比べてもどんどん手が上がってきている。とても年配の方ではああいった手を高く挙げた姿勢での長時間の踊りはきついてあろう。昔は、もう少し、手の位置も低かったように思える。阿波踊りも時代が経るにつれ、少しずつ変遷しているのだろう。

 昔の阿波踊りの記録はほとんど残っていないが、松浦舞雪の「踊り」という作品がある。徳島の歴史家によれば、この絵は創作で、当時の阿波踊りを表現したものではないとのことであるが、92歳の母によれば、昔の脇町での阿波踊りは、こういった踊りだったという。町の踊りの名手、芸者たちが、辻や家の前で踊り、家々から出た人々から喝采を浴びた。集団踊りで町を流すが、ここぞというところでは踊り、三味線、歌の名人が登場して、その技量を披露するのである。

 確かに今のような連を組み、審査するような形式では集団で統一した美しさが求められるが、脇町のような田舎では阿波踊りも数少ない娯楽のひとつで、演芸として、男衆はきれいな女性の美しい踊りを見たかったのだろう。松浦の絵を見ると、踊り手は腰を中腰にしており、津軽の手踊りに近い踊りのように思える。今のように背筋をぴんと伸ばし、手をまっすぐに挙げる、女踊りとは全く違う。足の運びは、音曲が津軽とは全く違うので、むしろ前後的な動きで、横への動きは少ないと思うが、手の動きは、津軽手踊り同様にかなり変化に富んだものだったのだろう。


 現代舞踊と津軽手踊りのコラボの動画を載せたが、あまり成功しているようには思えない。むしろ日本で最も美しい手踊りの阿波踊りと津軽手踊りのコラボから、さらに美しい手踊りができるかもしれない。弘前と徳島市との踊りの交流があってもよさそうである。

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