2016年11月12日土曜日

徳島県立近代美術館


新聞記事

実家にある下絵


 日本矯正歯科学会の会期中に、河野太郎画伯が母をモデルに描いた“井川悦子像”という作品が展示されているかと思い、徳島県立近代美術館を訪れたことは前回のブロクで書いた。美術館のHPでは徳島のコレクション 2016年度第二期、テーマ展示「戦後徳島の美術」焼け跡からの出発・徳島 展示室3に、河野太郎、「婦人像(井川悦子像)(1948年)の紹介があり、油彩、キャンパス、72.8×52.9の説明がある。会期は201679日から1218日で、この間に何度か展示品を替えたので、今回はないのだという説明であった。折角の機会だったが、残念なことである。それでも徳島駅から離れたこの美術館に行けたことはよかった。

 この絵については以前のブログでも書いたが、もう一度少し説明したい。徳島県脇町(現、美馬市)にいた母は、知人から徳島大学教授で、徳島県美術界の重鎮、河野太郎先生が和服を似合う女性を探していると聞き、応募したようである。この時にモデルになったことを縁に結婚後もしばらく兵庫県尼崎市から徳島市に油絵を習いに行っていたが、子育てに忙しく、何時の間にか絵を習うのを断念した。60歳になってようやく子育ての卒業し、昔から好きだった絵、水墨画を習いだし、10年程まえに徳島県立近代美術館で個展を開催した。その折、館長と知り合いだったため、雑談の折、河野画伯と絵のことを話したとこころ、同席していた学芸員がハッとして気付き、持って来たのが「婦人像」である。その後、この絵にはサブタイトルとして「井川悦子像」となっている。家には下絵があるが、本画は当時の新聞記事に見るだけで実物は知らない。本画の構図は基本的には下絵に近いが、より側方からのアングルとなっており、顔の表情がわかりにくいが、着物を着た全体のフォルムがより強調されている。こちらの方が若い女性の真摯な生き方が表現され、成功している。いい作品となっている。こうした下絵と本画の比較は作者の製作過程を知る重要な研究である。

 この美術館ができたのは平成二年十一月なので、今年で二十六年目になる。さまざまな工夫をして楽しい美術館、博物館であるが、それでも青森県立美術館、金沢の21世紀美術館などの最近の美術館に比べるとやや古い感じがした。近代、現代と名乗る美術館でも時が経てば、陳腐化し、古くなることは歪めない。ことにこうした美術館、博物館、図書館が一緒になった複合施設では、どうしても、生活感というか、雑然とした状況になっている。一方、作品購入費は年間130万円しかなく、これでは新規にまともな作品を購入できず、遺族の寄付が最近の作品収集となっている。ただ開設時に確か20億円?程度の莫大な予算で海外の現代絵画、ピカソ、クレー、ウォーホールなどを購入したが、ここ30年で現代絵画は信じられないくらい値上がりしているので、先見の明があったのだろう。場合によっては海外の美術館のように作品の一部を売り、新たな作品購入費に当てる必要性もでるかもしれないし、徳島県の作家に囲まれたピカソを見ると、少し場違いな気がする。


 弘前でもレンガ倉庫を改装して美術館を作ることが決定しているが、30年経った時のこと、ことに美術品購入予算を考えると、よくよく慎重に収蔵品の方向性を検討する必要があろう。もはや有名な作品をエサに人を集めることは意味はないし、そうかといって地元の作品を集めても集客には結びつかない。

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