2021年7月1日木曜日

弘前の喫茶店

1977年頃の中土手町

旧弘前図書館が喫茶店、下宿としてあった



 弘前市は流行に敏感な都市で、東京で流行ったものがすぐに入ってくる。弘前で最初のカフェは、銀座街の慈善館に近いところにできた「カフェ オーロラ」で大正8年にできた。パン専門の喫茶店で、その後は、下白銀町のローソン弘前公園店のところの道を東に少し行ったところに転居し、昭和10年の弘前案内図にも「オーロラ食堂」の名がある。その隣にはアイスや洋菓子の「パリスタ」がある。さらに大正12年には慈善館前に「ライオン」が開業し、その後、昭和初期には多くの代官町にカフェができ、旧制弘前高校の生徒に人気があった。



 戦後になると、まず昭和30年ころからジャズ喫茶が全国で広まった。弘前で多くのジャズ喫茶店ができ、1977年に発行された” Key worldof Hirosai”(DEAD 弘前編集分室、1977)を見ると、ジャズ喫茶として11の喫茶店名が載せられている。「オーヨー」、「愚羅馬亭」、「KEN」、「JEAN」、「仁夢」、「すが」、「アヴェント」、「セコンド」、「バードランド」、「JAY MAC」、「サッチモ」がある。ついでにいうと「青い花」(BGM)、「キャヴァーン」(Blues)、「ナッシュビル」(Country)、「ひまわり」(Classics)、「ユパンキ」(Folkrore,「萬燈籠」(Rock Folk)、「Jailhouse 33 1/3」(Rock,「ヨーク」(Folk)などがあった。このうち現在残っているJazz喫茶は、代官町に1975年に開業した「Jazz in 仁夢」(今は和徳町)、新鍛治町に1971年に開業した「Suga」くらいしかない。代官町の「オリーブ」、新寺町の「れもん」はもう少し遅い開業だったのかもしれない。「仁夢」には、私は初めて弘前に開業のために来た1994年に本町の一戸歯科の先生に連れて行ってもらった。弟さんが仙台でプロのサックス奏者だったので、ジャズが好きで、この店に通っていたのだろう。私もジャズは好きで学生の頃はよく聞いていたが、流石にジャズ喫茶に行く世代ではなく、この店に来たのもこれ一回切りであった。


 1970年頃になると歌声喫茶、ジャズ喫茶に代わって、純喫茶が流行ってきた。当時の弘前市の純喫茶あるいはレストランとしては、レストラン「セーブル」(松森町)、喫茶「スワン」(土手町)、「ボルドー」(土手町)、「再会」(百石町)、「めとろ」(本町)、「マロニエ」(本町)、「微苑」(新寺町、朝日会館内)、「ラ・セーヌ」(銀座街)、「微」(代官町)、「田園」(駅前)があった。また百石町と中央通りの十字路にフランス料理「グリル マツダ」が、その支店、「ニューマツダ」が下土手町にできた(1970422日、陸奥新報)。

 1980年代になると、弘前の喫茶店の最盛期で、この頃には650軒の喫茶店があったという。流石に今は少なくなり100軒程度になっている。1970年代、1980年にできた喫茶店で現在あるには、「セーブル」(1973,松森町)、「煉瓦亭」(1979、土手町)、「可不屋 葡瑠満」(1979、一番町から下白銀町)、「ブルーライト」(1980、土手町)、「かわしま」(1973、土手町)、「きりまんじゃろ」(1979、北川端町)、「壱番館」(1976, 一番町)、「ピンクベアー」(1975, 桶屋町)、「カフェーDo」(土手町、パレスホテル、1983)で、カレー、パフェー、ナポリタンなどが美味しいと多くのファンを持つ。ほとんどの店は、すでに40年以上の歴史を持つ老舗喫茶店で、昭和の色合いを色濃く残したレトロな店である。ただ喫茶店は、夫婦で個人経営する場合が多く、後継者がいないと閉店する場合が多いし、スターバックスコーヒーなどの全国店も多く弘前に進出してきおり、なかなか経営も難しいであろう。


 周りの50歳以上の女性に聞くと、中土手の花邑の二階の喫茶店のことや、朝日会館内にある大型で豪華な喫茶店「微苑」のカスタードプリンが美味しかった、一番町の工藤パンの喫茶店のホットケーキがうまかったなどの思い出が尽きない。私自身、青春時代をこちらで過ごしたわけでないので、昔の弘前の喫茶店についてはまったくわからないが、話を聞いているだけで、楽しいし、実際、多くの店がなくなってしまったが、それでも今でも健在な店も多く、それは幸せなことでもある。


 

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