週に一回集まる英語教室で、カナカナの英語教育効果を議論した。昔に比べてカタカナ英語を日常会話で使う頻度が飛躍的に増加し、それに伴い日本人の英語能力も向上しているかというものである。私は、むしろカタカナの歴史的な変遷あるいは日本語の特殊性、世界でも表現する文字として漢字、ひらがな、カタカナの3つ表記を持つ国は少ないという点に関心を持った。
昭和40年頃まで、日本では外国語は基本的には翻訳して使われていたが、近年、カタカナの使用はもっぱら外国語表記に使われ、最近はそのまま翻訳されずカタカナ表記として使われことも多い。これは我が国には、漢字、ひらがな以外にカタカナという表記法があるため、容易に外国語をそのまま表記できるからだと考えた。そして漢字表記しかない中国や、アルファベット表記しかない英語ではありえないことではないか、基本的には多くの言葉は翻訳して使われるのではないかと主張した。それに対して、他の先生は中国語でも日本語と同じように英語発音を漢字に変換して使われているのでないかという。私は漢字で英語発音を変換するのはかえって面倒で、たとえば「インターナショナル」は漢字では「国際」と表記されるが、これを発音表記すると「英特大雄納汝」となるがこれはよほど面倒で、ほとんど使われないと考えた。いくら議論しても、これ以上の結論は出ないので、台湾の知人に中国語でも外国語の発音表記が多いのか聞いて確かめることにした。
まずカタカナの多い文章としてイギリスで人気の袖木麻子の「バター」(新潮社文庫、2020)の中から以下の2つを選んだ。
「伶子はすすめられた温かい素材のスリッパに履き替え、トレンチコートを預けると、つるつるとしたフローリングの廊下を通って、オレンジかかった光に満ちた案内へと向かう。ダイニングキッチンから続く十畳ほどのリビングはごくごく平均的なものだが、カーテンとソファのリバティ柄、アンティークらしいよく使い込まれた焦げ茶色の食器棚と本棚、壁にかけられた無名の作家のコラージュのおかげーー」(P8)
「服を押さえて絶叫しているポーズのアニメキャラクターのスタンプのセンスにかちんとする。」(p98)
ややカタカナの多い文章を選んだが、現在の日本語としてそれほど違和感はなく、現代日本を代表する作者の文として問題はない。英語翻訳文は読んでいないが、ほぼ選択文の下線、カタカナ表記はそのまま英語表記になっているはずである。また「十畳」の英語表現が発音通りに「jyujyo」ではなく、「10-tatami mat room」あるいは「18m2
」と表現するだろう。そこで台湾の知人に上記、袖木の文章で、下線部の中国語は翻訳するか発音表記にするかを質問してみた。
結論を先に言うと、基本的には中国語では外国語は意訳、翻訳して使うのが主流で、文章ではほとんど翻訳表現となるが、ただ若者、都市部、専門分野では口語として英語発音のまま使うことが多くなったと言う。表音文字でない漢字で、英語発音を表音で記述するのは難しいからだろう。一方、もともと表音文字である朝鮮の言葉、ハングルは容易に外国語をそのまま発音表記できるが、全てひらがなで表現されているようなもので、これはこれで困惑するだろう。

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