NHKの連続テレビドラマ「風、薫る」が始まった。どのような展開になるかはっきりしないが、現時点で気になる点を挙げる。
1.主要なキャストについて、そのモデルになった人物の生年月日
大関和(1858-1932、安政5年生まれ)と鈴木雅(1858-1940,安政4年生まれ)で同年齢である。そして鈴木雅が育つ教会の牧師、吉江善作のモデル、植村正久は1858年(安政4年)生まれで、これも大関、鈴木とほぼ同じ年齢となる。さらに大山捨松は1860年(安政7年)生まれで、大関、鈴木より2歳若い。ちなみに大山捨松は明治四年に11歳でアメリカに留学した。一緒に渡米した吉益亮子(1857年、安政4年生まれ)と上田悌子(1857年、安政4 年生まれ)は留学途中で帰国し、その後、横浜にできた日本婦女英学校(横浜共立女学校)に入学し、鈴木雅とは同級生であった。また教会で英語を教えるメアリーのモデルはマリア・ツルーで、1840年生まれ、大関、鈴木より18歳も年上となる。清水卯三郎は本名のままであるが1829年生まれ、外科医の今井益男のモデルは佐藤三吉(1857年生まれ)、入院患者、丸山忠蔵は新宿中村屋の創設者、中村愛蔵(1870年生まれ)となる。朝ドラでの歴史史上、「あさが来た」の主人公、廣岡浅子(1849年生まれ)に次ぐ古い時代を舞台にしたドラマであり、主人公は江戸時代の人である。つまり大関和、鈴木雅、植村正久、佐藤三吉、は同年齢、大山捨松は2歳年下、中村愛三に至っては12歳年下となる。
2.大関和は家老の娘というが
大関和の父親、弾右衛門は家老も務めた黒羽藩の重臣とされているが、それでも家禄は200石くらいである。一方、鈴木雅の父親、加藤信盛は幕臣で、鳥羽伏見の戦いから箱館戦争まで参戦している。黒羽藩は禄高18000石程度の小藩であり、戊辰戦争の出兵数は417名、その半分が農兵であるのことから、家臣は200名程度であろう。一方、幕臣は2万人程度、旗本だけでも5千人ほどおり、200石の家禄は幕臣では多い方ではない。そのため大関和は家老の娘ということで注目されがちであるが、実態においては鈴木雅の家格、家禄とそれほど違わないように思える。番組の主人公の一人は史実通り、もう片方は孤児という設定は、番組構成としては面白いが、鈴木雅の子孫からクレームが来ないのだろうか。
3.明治の孤児事情
江戸時代、両親が亡くなって孤児になった子供は基本的には親類に、あるいは稀であるが、寺に引き取られた。明治になると、キリスト教宣教師による孤児救済活動が行われるようになり、菊池章太「カトリック修道女会による明治期の孤児救済活動家」に詳しい。それによると、横浜でカトリックの幼きイエス会修道女が孤児養育を始めたのは明治5年である。鈴木雅が生まれたのは1858年で、教会で孤児養育が始まったのは1872年で14歳の時となる。ドラマ「風、薫る」では鈴木雅をモデルにした大家直美は生後間も無く親に捨てられ、教会で育ったという設定だが、14歳までどうしていたかの説明は難しい。番組では大家直美の生まれを実際より5歳ほど遅くして、看護婦養成所(1886)には23歳くらいの入学にしている。そうすると、可能性としては、教会ではないが、1863年にできたヘボン塾の家の前に捨てられた設定ができる。ヘボン婦人、クララは孤児を支援、教育したという事実はある。
4.鈴木雅との関係者
鈴木雅が在籍した当時の共立女学校の同窓生には、先に述べたアメリカ留学途中で帰国した吉益亮子と上田悌子がいる。同年齢で友達だった可能性もある。この二人は一緒に渡米した大山捨松とはもちろん面識はある。また福沢諭吉の娘や井上馨の娘、武子、とは同級生、のちに武子は大山捨松らと共に看護婦教育所の設立に尽力している。また同級生の桜井ちかは桜井女学校を設立し、この学校は大関、雅が入学した附属看護婦養成所を作る。また当時、桜井女学校の実質的な校長であったツルーは雅の共立女学校の時の恩師であった(外国人は校長になれず、矢嶋揖子が校長)。菱川安はシカゴ女子医科大学、岡見京はペンシルベニア女子医科大学、須藤かくと阿部はなはシンシナティー女子医科大学に留学し、女医になった。また水上せきは明治学院の総理となった井深梶之助と結婚したし、植村正久と横浜共立女学校の関係も深い。鈴木雅を取り巻く人物は、のちの雅の生涯に影響を与え、関係していったかもしれない。ある意味、鈴木雅の方が大関和より看護教育に関係する人物との接点は多かったし、看護協会や日本婦人衛生会などの組織化するに当たっても、共立女学校および父親の幕臣時代の有力者に頼りやすかった。
5.鈴木雅の英語
看護婦養成所に入学した時には、すでに外国人教師の通訳、英語で書かれた教科書の翻訳ができるほど英語レベルに達していた。3で述べたように教会で孤児養育が始まったのは明治5年以降、外国人宣教師たちの主たる活動は日本での宣教活動で、孤児の教育をメインにしていない。そうした環境で孤児たちが高い英語能力を身につけるのはかなり難しい。もちろん簡単な挨拶や会話などはできるとは思うが、通訳をして、本を翻訳するためには正規の教育を受けないと難しい。一つの方法としては、キリスト教系の学校に校費生として入ることである。将来的に宣教師になる前提で、海外、主としてアメリカの篤志家の支援を得て、教育を受ける。これについては前にブログで述べたが、可能性はある。それ以外の方法としては、いい家庭に養子に行き、そこから学校に通うという方法である。実際の人物としては、若松賎子(松川甲子)が近い。甲子は会津藩藩士の娘だが、1歳の時に父親が隠密として出たきり、亡くなり、また6歳の時に母親も亡くなり、親戚の養子となった。その後、養母の勧めでギターの英語塾に入塾し、幼児の頃から英語を学び、当時の女性として抜群の英語力を有していた。ただ番組ではすでに大家直美はマッチ工場で働き、生活して、英語でタメ口を話すというシーンがあったので、どちらでもなさそうだ。
番組の設定に沿うと、主人公の大家直美は、1863年(文久3年)の10月から12月生まれで、生後すぐにできたばかりの横浜のヘボン塾の前に捨てられ、最初はヘボン婦人、クララ・ヘボンにその後は、1870年からはメアリー・ギターのもと、フェリスセミナリー、あるいは1871年からメアリー・ブライアンのアメリカン・ミッション・ホームに預けられ、英語教育を受け、1879年からは植村正久の日本基督一致教会あるいは富士見町教会(1887年に設立だが、少し変更して)で育てられ、1886年に看護婦養成所に入学ということか。

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