先日、同窓会に出席のために神戸に行ったが、伊丹空港から青森への飛行機が夕方の便であったので、午前中に京都に行った。京都国立博物館で開催中の宋元仏画という特別展を見てきた。ホテルが阪神尼崎だったので、阪神電車で梅田まで行き、そこから地下鉄御堂筋線で淀屋橋まで行き、京阪電鉄で七条まで行った。ここからは歩いて京都国立博物館に行く。
京都国立博物館に来るのは15年ぶり、何度も行っているが、いい博物館である。今回の展覧会はNHKの日曜美術館で放送されて知った。1000年前の中国絵画がこれほど揃うことは、中国本土でもないし、台湾の故宮博物館にも多分、これほどの数は収蔵していないだろう。特に国宝の孔雀明王像(京都仁和寺)と秋景冬景山水図(京都金地院)は、北宋、南宋を代表する作品で、東洋絵画の中でも傑出した作品である。
展示品の多くは、京都の寺院に保存されていたもので、よくぞ1000年近い歳月、紛失、焼失もせず、残っていたものだと感心する。何度も火災に遭って、その度に僧侶たちは寺の宝として持ち出したろうし、明治になり廃仏毀釈運動の中でも売らずに保存した先人たちの気持ちに感動する。中国、あるいは朝鮮にも多くの古い文物があったが、数多くの戦乱により多くの文物がなくなった。特に書画ほど繊細なものはなく、虫食い、シミ、破れなど、陶器や仏像などの他の芸術作品に比べても長期に保存するのは難しい芸術品である。中国の書の研究家から、昔聞いたことがあるが、中国に著名な書家の作品が一番残っているのが日本だと言っていた。物持ちのいい国なのである。また古い美術品、建造物は必ず修復が必要であるが、修復技術も長年継承していた国でもある。
私自身、展覧会が好きで、旅行すれば、その地方で何か展覧会がないかと探す方だが、今回の宋元仏画はここ十年の展覧会の中でも最高のものであった。せっかちな性格のためか、あまり一つの作品をじっと見ることはなく、どんな名作でも1分も見ることはない。ところが今回の孔雀明王像と秋景冬景山水図は十分以上見た。単眼橋を持っていくのを忘れたが、細かい描写を見ていくうちに作品に溶け込んでいく。不思議な感覚で、これが名画も持つ力である。特に秋景冬景山水図は、それほど大きくない作品であるが、作品から音、風、あるいは気温まで感じるような作品で、山水画の醍醐味、作品の世界に没入するという行為を楽しめる。傑作である。
展示品の多くは、国宝、重要文化財で、さらに収蔵は博物館、美術館ではなく、寺院であるというのが日本らしく、欧米でも宗教画の多くが教会所蔵という点でも似ている。宗教画は、単に芸術作品だけではなく、宗教の信仰の対象であり、寺の記念日や法事などで飾られ、皆から崇められたものである。作品も、こうした信仰の対象でありそこには多くの大衆の千年にわたる願いが封じられている。今後、こうした大規模な展覧会は開催されることはないと思う。それにしても日本という国はすごいところで中国、韓国ですでに滅びているものが多く日本に残っている。今回は絵画という分野であったが、他の美術品、書仏像、陶器の名品の多くは日本に残されており、今や日本の骨董業界、オークションは、中国人バイヤーで埋め尽くされ、日本に残る中国の名品は次々と中国人で買い戻されている。ただ現在、中国では相続税はないため、日本から買い戻された作品の多くは個人の投資対象としてコレクションされたもので、日本の金持ちのように私設の美術館を作って、見てもらうような中国人は少ない。作品の存在は日の目を見ることはない。
宋元の絵画はこうした中国人のコレクターにとっては、まさに投資としては最高に優れたものであり、もしサザビーのオークションに今回の作品が出されたなら、小さい作品でも数千万円を下回ることはなく、国宝の作品については十億円以下ということはない。場合によっては50億円をこえる落札価格になるかもしれない。ヨーロッパには、ルネッサンスを中心とする、ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッチチェリーなどの世に名高い名品が存在するが、今回の作品をこうした西洋の名品と匹敵するもので、東洋の名品として肩を並べるものである。
こうした展覧会を企画した学芸員に感謝する。寺宝として大切にされてきた京都の寺から展覧会という貸し出される関係は、長い博物館との信頼関係を基盤として成り立ってきたものだからこそだろう。京都という地で開催されるにふさわしい展覧会であった。






