2008年2月28日木曜日

阪急電車



阪神間に住む人たちは、阪急電車に何となく、おしゃれで上品なイメージを持っています。大阪ー神戸間には北から阪急電車、JR線、阪神電車はほぼ平行に走るため、比較的裕福な階層が住む北側と工業地帯で労働者の住む南側とでは乗車するひとの服装や会話も違ってきます。私の住んでいたところは阪神尼崎でしたので、普段は大阪に行くのにも、神戸に行くのにも阪神電鉄を利用していましたが、中学、高校の6年間は毎朝バスで塚口まで行き、そこから阪急電車に乗り、六甲まで通っていました。

有川浩著「阪急電車」(幻冬舎)を読みました。題名通りおしゃれな小説になっています。舞台は西宮北口から宝塚までの今津線の8つの駅に関わるさまざまなエピソードが絡まりながら、物語は進んでいきます。いじめられている小学生の凛とした姿に共感し、励ます失恋した女、図書館通いの男女の出会いと愛、ほのぼのとした話のリレーが展開されます。

この本を読んで思い出したことがあります。中学、高校時代、毎朝7時14分塚口発、神戸元町行き普通列車の後ろから2両目の最後の扉が僕たちの定位置でした。この後の電車に乗ると、六甲の長い坂道を走らなくてはいけません。塚口からは私ひとり、武庫之荘、西宮北口など駅が進むにつれ、仲間が増えていき、ワイワイといつも雑談をしながら通学していました。

高校1年生ころだったと思います。ひとりの妖精のような目のくりっとしたかわいい小学生が塚口からいつも一緒に乗るようになりました。某大学の付属小学校の制服を着ていましたが、背が高く、160cmくらいあったでしょうか、小学校の制服が妙にちぐはぐな印象でした。当然小学6年生と高校1年生、当時の感覚からすれば大人と子供です。次の年の春、僕たちもいよいよ高校2年生になり、部活、勉強でいそがしくなりました。彼女はというと、K女子中学に入学して、そのセーラ姿が本当に似合っていました。ある日のことです。いつものように改札口を出てホームを歩いていくと彼女が1本の赤いバラ(カーネーション?)を持って立っていました。何だろうと思いましたが、別に気にもかけず、そのままいつもの位置に行き、電車に乗りました。それ以来、彼女は一度も僕たちの定位置にくることはなく、僕たちは卒業しました。

その後、大学6年生の夏休みに帰郷した折に、どういう訳か神戸から阪急で帰ったことがありました。西宮北口で特急から普通の乗り換えて、席についたところ、左一人はさんで隣になんと彼女がいました。すっかり大人になり、その頃流行ったJJファッションに身を包んでいましたが間違いなく彼女です。おそらく大学生になったのでしょう。むこうも気づいたのか、何度も腰を浮かしこちらを見ています。塚口駅に着いたら声を掛けよう、掛けようと勇気を振り絞り、構えていました。ところが、塚口駅に着くやいなや、彼女は僕の前をあっという間に走り去ってしまいました。たったこれだけの話ですが、あの赤いバラがいまだに塚口駅の思い出です。

その年の夏に今の家内と知り合い、結婚しました。家内にこの話をすると、よっぽど嫌われていたんじゃないかと言いますし、友人にはストーカに思われたのじゃないかと言われます。おそらくこちらの勝手な思い込みで、彼女はこんなこと全く忘れているのでしょう。ちなみに家内と僕は5歳違いで、僕が高校2年生のころ小学6年生でした。

有川さんの「阪急電車」のような話は実際にはないという話でした。

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