2012年12月20日木曜日

中国の民主化


 今回の選挙では、自民党の圧勝に終わった。安部首相もしばらくは経済、景気対策に主眼が置かれると思うが、その次に課題となるのが外交関係となろう。とくに日米関係と日中関係がキイとなろう。

 思い起こすと、戦前の日中関係で、一番の失策は、日本政府が孫文、蒋介石を支援しなかったばかりか、敵対したことであろう。孫文、蒋介石らの国民党幹部と日本人との関係は非常に深く、早い時期に日本政府が支援の方向で進めていたなら、中国の赤化は抑えられ、現在、台湾のような政治体制をもつ国が隣国にできたであろうことは間違いない。日清、日露戦争による朝鮮半島の権益までは許されようが、さらに満州、ここまでは当時の帝国主義的な観点からすれば、ぎりぎりであったが、日支事変まで拡大したことから、日本の体力を越える膨張主義となった。中国人である孫文、蒋介石からすれば、満州までは漢民族の埒外で何とか、我慢できたとしても、中国本土まで日本軍に責められると、国民感情からも敵対せざるを得ない。それをもって生意気だとばかり、ほとんどの新聞、マスコミは中国を懲らしめるといった風潮となった。明らかに中国本土を日本領としようとする帝国主義の流れであり、今日の観点から言っても完全に誤りであった。少なくとも、満州国建設の時点で、外務大臣佐藤尚武の主張するように国民党政府と妥協すべきであったであろう。中国軍より軍備的に優勢であるという奢りによる、さらに侵略的に進めたことは敗因であった。
 こういった歴史から現在の日中関係を眺めると、現在の国家を否定するのではなく、将来的な民主化国家になるように時間をかけて、眺めていくことになろう。台湾の中国化が危惧されているが、ここで中国の台湾化という逆の発想もありうることで、共産党下での経済的自由化という離れ業ができたのであれば、ゆっくりとした民主化は可能な流れであろう。国民が食うのに困らない状態にするまでは、ある程度、アジアにおいては独裁的な政治体制が必要だが、生活に余裕ができた時点になると、その不満のはけ口として、民主化、投票によって指導者が決められる社会が求められる。もはや中国各地で行われる争議、デモを保安によって押さえつけるのは無理な状況になっている。現在、県レベル以下では直接選挙によって決められているが、日本の国会議員に当たる全国人民代表は間接選挙となり、全国人民代表大会でも大きな議論はなく、候補者も党の審査を必要する制度では、将来的には国民の不満を解消できないであろう。中東のジャスミン革命のような急速な民主化は混乱を招くだけであり、ゆっくりとした民主化が求められる。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

日本が当時の中国国民党を支援していたらですが・・・

台湾に戦後入ってきた国民党は日本的考え方が浸透していた台湾人から見ると数十年はクソでしたし
ソ連の存在
中華思想・小中華思想の存在
識字率の低さ
民度の低さ
貧困
民主主義とは言いがたい現在の南朝鮮人たちの態度

日本にとって中国国民党を支援したほうが良かったかは甚だ疑問です
中国共産党より厄介な大国ができてた可能性もありえます

広瀬寿秀 さんのコメント...

これは議論があるところですが、国民党とは満州の帰属については合意はできていました。すなわち満州は日本のもの、その南は国民党というものです。北支への戦線の拡大がなさなければ、少なくとも日中戦争、さらには太平洋戦争には至らなかった可能性はあります。その後の国民党による中国支配と現在の共産党支配の中国と、日本にとってどちらがよかったかは、仮定の話となるでしょう。石原莞爾の説く世界最終戦争で日米が戦うかもしれませんが、もう少し時間的な余裕はあったと考えます。

匿名 さんのコメント...

>北支への戦線の拡大がなさなければ

それはそうかもしれませんが、いわゆる華北分離工作は、華北から日本統治下の満州に侵入してくる匪族などの対策のためやむを得なかったのではないでしょうか。

広瀬寿秀 さんのコメント...

仰るように匪族対策に手を焼いていたのは、事実でしょう。ただ軍部が華北の資源、経済進出のために出兵したことは反日運動を助長し、さらに対支政策を難しくし、後の全面的な日中戦争に端緒になったと思われます。中国と連合国との東西の二面戦争は、戦略上、まずかった。結果的に対米戦争をおこすのであれば、後で日中和平を画策するより、この時点で、満州からで進出しなかった方がよかったと思ったからです。