2012年12月4日火曜日

日本ブランド


 先日の新聞で、ドイツのミーレ社のことが載っていた。ミーレと言えば、洗濯機、食器乾燥機で有名な家電メーカーであるが、何でも、故障が少ない、仮に故障しても15年分の部品をストックしており、大抵の故障には対応できるシステムになっている。値段は高いが、信頼のあるメーカーとして健全な経営をしている。

 こういったメーカーは欧米で多く、日本の家電メーカーでも故障は少なく、補充品も揃っているが、欧米のメーカーほどではない。これと対極なのが、中国、韓国メーカーで安いが、故障は多く、故障すればそれまでである。

 いわゆるブランドというのは、こういった信頼関係のことであり、当分、中国、韓国からはブランドメーカーは現れない。例えば、世界を代表するカメラメーカであるニコンの話であるが、古いレンズが故障したとすると、関連のレンズ製作メーカーに当時の、3040年前の設計図をメーカーに送り、装着に失敗した時のことを考えて2枚のレンズを発注するという。手間がかかり、それなりの費用もかかるが、それでもたった一つの修理のために、2枚のレンズをわざわざ作らせるのである。これがブランドメーカーである。

 こういった話は、あまり知られていないし、経営的には、無駄が多い。現代のような安売り社会では、こういったブランドイメージを守ることは非常に難しいが、ミーレの例を出すまでもなく、長く商売するためには、大事なことであろう。往々に売れだすと、事業の拡大に走る傾向があり、そうした途端に破綻する。今の規模を維持しながら、発展させるのが、長く続ける方程式であり、こんな例はおかしいのだが、弘前に明治4年にできたせんべい屋があるが、ここ150年、店の規模は同じ、生産数も同じ、多分売り上げも同じであろうが、一切、支店を作らず、150年前と同じ商売をしている。おそらく商売として、厳しい時期もあったし、逆に好調な時期もあって、多分この好調な時期に欲をかかなかったことが、商売を続けられた秘訣であろう。

 足りて知る、自分の欲をコントロールし、背丈に合った経営をすることが必要であろう。成熟した社会とはそういったものであろう。中国では、共産党幹部が私利に走り、数千億の資産を海外に持ち出しているという。一人の人間が一生食うには、こんな巨額な金は必要ない。欲にはきりがないということか。

 世界に認められている日本人のブランドは、勤勉で、真面目という点であり、こういった評価は海外で働くすべての日本人が背負うものであり、これに答えるべき世界の各地で日本人は活躍している。昔、ネパールのナムチェバザールというエベレスト麓に小さな村のさらにはずれに旅館を経営しながら、付近の子供たちに学校を開いている一人の老人がいた。キリスト教とかいう宗教的なバックボーンは一切ないが、自分がしたかったので、定年後にネパールに来たという。どちらかというと金よりやりがい、生き甲斐に、価値を見いだす人物が日本人には多いように思える。こういった活動は、あまり報道されていないが、ネパールのこの地区の人々にとっては、日本人はこういった人物とイメージされる。先の東日本大震災は大きな試練であったが、一方海外の人々の日本人に対する暖かい思いを知る機会になった。

 サムソンのような韓国型経営をしないと世界では生き残れないという識者も多いが、ひとのものをパクリ、安く売るやり方は、日本人には合っておらず、研究者、営業担当者のやりがいに繋がるような、品質の優れた製品を真面目に、勤勉に作るのが長く生き残る方法と思える。昨今のスバル、マツダ、ダイハツのような自動車企業の姿勢には拍手を送りたいし、こういった企業姿勢は世界で通用する。ソニー、パナソニックも原点に帰れば、もう一度復活するだろう。日本ブランドを大いに活用すべきであろう。


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