2013年2月14日木曜日

大学受験

 受験シーズンである。うちの衛生士のところも高校3年生の娘がいて、先日センター試験があったばかりである。私の娘は、長女が5年前、次女は一昨年、大学受験で、その際、私も大学受験については久しぶりに勉強したが、昔に比べて受験機会が多く、ほぼ実力通りのところに行けるような受験システムになっていること、AO入試の枠が非常に多くなったことが随分違う。といっても受験の大変さは昔も今も変わらない。

 私の場合、現役の時は、サッカーで龍谷大学から誘われたが、ここは却下した。当初、将来ジャーナリストになりたいと出来たばかりの大阪大学の人間科学部にも興味があったが、結局はなじみのある歯科大を選び、大阪歯科大学、東北大学歯学部、東京医科歯科大学歯学部の3校を受けた。高校3年生の時はサッカーばかりしていたので、勉強しようという気がどうも最後までしないため、全滅した。大阪歯科大学は模擬試験でも常にA判定であったので、いまだにどうして落ちたかはわからないが、他の二校は実力通りの結果であった。英語、国語、世界史など文系の科目はまあ得意であったが、いかんせん数学、物理が全然ダメで足を引っぱっていた。浪人が決まってもそうは落ち込まなかったが、一番ショックだったのは、当時、六甲高校の浪人生徒のほとんどが行っていた大道学園という予備校の入試に失敗したことだ。当時は予備校にも試験があり、成績が足りない場合は落とされた。さあ大変、大阪の予備校を片っ端から受験し、何とか、YMCA予備校難波校に入学した。豊中校は落ちた。

 この予備校は、さすがYMCAで、予備校内に体育館があり、そこでよくバスケットボールをした記憶がある。苦手科目の数学を中心に勉強したが、やはり先天的に苦手なのであろう。数IIIが何とか、点数をとれるようになったが、数IIIは最後までできなかった。それでも現役時代よりは多少はましになったのであろう。

 浪人して、受けたのが、大阪医科大学、東京歯科大学、松本歯科大学、東北大学歯学部、東京医科歯科大学歯学部の5校である。国立大学受験までの3校のうち、大阪医科大学は補欠、東京歯科大学、松本歯科大学は合格した。親の知人は大阪医科大を勧めたが、松本歯科大学が寄付金なしということで、この時点では松本歯科大学に入学することにしていた。入学生代表というとことで挨拶文まで一応用意していた。この年、東北大学歯学部の定員は40名から80名になり、それも出願後に国会で定員の倍増が決まったため、自動的に競争率も半分になった。ラッキーであった。前回、大学からの斡旋に従って泊まった旅館が5人部屋で、いびきがうるさく、寝られなかった苦い記憶があるため、浪人の時は奮発した二人部屋の旅館に泊まった。同室の学生は文学部を受験するひとで、最後にじたばたしてもしようがないということで、夜はテレビで「ベンハー」を見たり、考古学の話などをしていた。すると次の日の世界史の問題にベンハーの時代のことが出題され、二人で昨日勉強しないで映画見ていたのは正解だったと喜んだ。肝心の数学は、この年は不思議なことに数III中心に出題されていたため、5問中、驚異の4問半解けて、自分ながら今回はうまくいったと思った。もちろん合格し、こうなったら全校合格と、医科歯科大学を受けたが、当時の二期校の中でも医科歯科大学の競争率は13倍ほどで、ああこの列の中から一人だけが合格するのかと思うと、無理だと思ったし、数学は結局できなくて、落ちた。

 昔の入試は、センター試験も何もなく、合否は一発勝負だったので、そういった意味ではかなり運も作用した。受験の際に、うちの娘にも言ったのは、受けない限りは受からない。数打ちゃ当たる。運を信じて、受験生もがんばってほしいものであるし、人生、1、2、3年の回り道は、81歳と84歳は何ら変わりのないように、気にする必要はない。。


2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

六甲の高2の頃、私の家のお向かいにあった歯科医院の大先生(業界の有力者)が「O歯科大に行かないか、六甲なら問題なく行けるよ」と言ってきてくれ、親父から「どうする?」と聞かれ、即答で断りました、手先が不器用で絶対に歯科医は不向きだと思ったのです。
先生はきっと入試の成績が良すぎたのでしょうね。
同級生で、かなり成績上位の男が某私大理学部受けて落ちましたが、そいつはニヤニヤ笑ってまして、結局京大理学部合格しました。
昔はこんなこともあったようです。

広瀬寿秀 さんのコメント...

今は凋落していますが、昔は歯学部も人気が高く、東北大でも理系トップの受験成績は医学部でなく、歯学部という時代もありました。今はトホホという状況です。それでも今の職業を選んだのは良かったと思います。