2013年6月23日日曜日

三沢航空科学館



 本日、三沢の航空科学館に行って来た。前日、東北大学13期の同窓会が三沢の青森屋であり、招かれ、「明治二年弘前絵図を読む」と題して、講演をした。お粗末な内容で、遠方から来られた先生方にはつまらなかったかもしれないが、弘前、青森の歴史を少しでも知っていただければ幸いである。

 以前から三沢の航空科学館には是非行ってみたいと思っていたが、今日は特に用事もなく、ホテルからタクシーで行ってみた。結構遠く、往復でタクシー代だけで5000円くらいかかったが、飛行機ファンの私にとっては充実した日であった。

 今回の目玉は、十和田湖底から引き上げられた一式双発高練で、最近、組み立てられ、展示されていることを新聞で知っていた。自称、飛行機ファンである私もこの機体については知らなかった。戦闘機、爆撃機などの知識はあるが、練習機については赤トンボ、九十三式中練などは知っているが、一式双発高練はよほどの飛行機マニアでないと知らないであろう。

 秋本実著「日本軍用機航空戦全史 第三巻 紫電改帰投せず 大空の攻防」から引用する。

 昭和十年に採用された陸軍の九十五式二型練習機はフォッカー・スーパーユニバーサル旅客機を改造したもので、エンジンを機首につけた単発のもので、爆撃機の近代化に伴い練習機も双発のものを開発することになった。試作は立川に依頼され、品川信次郎技師を主務者として、昭和16年に正式採用となった。エンジンは信頼性の高い九十八式450馬力発動機(離昇出力510HP)、低翼単葉引込脚式の近代的な練習機に仕上がった。最大速度は367キロ、巡航速度は240キロ、航続距離は960キロとなっている。

 用途により操縦と航法の練習用の甲型と、旋回銃の射撃、通信、爆撃用の乙型、輸送機型の丙型、次期探知機を搭載した対戦哨戒機型の丁型に分かれる。今回展示されているのはこのうちの甲型である。

 80年の湖底に沈んでいたのに色鮮やかで驚かされた。実際に現物をみて初めて陸軍の明灰色のイメージがつかめた。第二次大戦中の飛行機の塗装は非常に難しく、ことに明灰色の解釈は色々あった。以前はもう少し緑に入った色とされていたが、艶こそなくなくなっているが、陸軍のほぼ明灰色の色は確定できたのではなかろうか。主翼前縁、尾翼黄の黄色はほぼイメージ通りのオレンジかかった黄色がきれいに残っている。機体は金属製セミモノコック構造であったが、全端部のみ木製であったので、展示している機体もその部分は欠落している。同様に胴体上部の天測用の半球型の小型ドームもなくなっている。

 こういった戦後に発見された機体は、リストアされ、きれいな状態にするのが、アメリカでは一般的であり、原型がほとんど残っていなくても、部品ひとつずつ完全復元してきれいな状態にもっていく。これはひとつの方法であろうが、ほとんど復元せずに機体の構成をある程度わかるようにした航空科学館の展示法はすばらしい。

 他にもPCオライオンやF104などの機体など、見学するだけでなく、コクピットに入ることもできるのが、この科学館の魅力で、ヘリコプターから戦闘機、レシプロ練習機の操縦席に座れてうれしかった。T-3初等練習機に座ると私の座高が高く、これではキャノピーが閉められないのはトホホである。できれば、復元された零戦のコクピットにも座れ、コンピューターで空戦のシュミレーションができれば、これはたまらない。



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