2015年12月13日日曜日

弘前市立郷土文学館 考



 市立弘前図書館の隣に郷土文学館がある。一階は弘前に関係のある太宰治、佐藤紅緑、葛西善蔵などの資料が、二階は石坂洋次郎記念室となっている。いろいろと努力はしているようだが、どうも入場者数は少ない。インターネット上に掲載されている議事録には添付資料がないため、はっきりしないが、年間の入場者数はおおよそ3500-4000人、このうち小中学生は平成25年で250名くらいである。一日、15から20名くらいの入場者となろうか。入場料は大人100円、小中学生50円だから、年間の入場料収入は40万円くらいで、完全に赤字である。

 石坂洋次郎記念室については、熱烈なファンがいて、郷土を代表する作家ではあるが、さすがにもうだめだと思われる。青い山脈が発表されたのは、1947年、その後、1960年代まで“百万人の作家”として活躍したが、1956年生まれの私でさえ、もはや過去の作家で、ほとんど本を読んだことはない。実際に、弘前紀伊国屋書店でも郷土作家コーナーをのぞいて、文庫、小説のコーナーには石坂の本は一冊もない。アマゾンでみても、多くは中古本で、新刊本は「石坂洋次郎わが半生の記(人間記録)(2004)」があるだけで、この本も11年も前の本である。おそらく石坂洋次郎のファン層は1950-60年代に青年、壮年だった層、つまり現在、75歳以上の人々となろう。これから十年を考えると、ほとんど無名の作家となろう。ちなみに葛西善蔵は、アマゾンで文庫、新刊書で26冊、太宰にいたっては文庫本だけで30冊以上ある。太宰、ましてや葛西を越えた圧倒的な人気作家、石坂洋次郎の凋落ぶりは激しい。絵でもそうだが、石坂の本はあまりにアップデート、当時の流行に沿った内容なので、今の読者には全く受入れられず、人気はないし、今後も葛西善蔵は再ブレークの可能性もあるものの、石坂についてはそうした要素は全くない。

 そうした状況で、文学館の2階の石坂洋次郎記念室はいつまで続けるのか。確かに石坂は弘前名誉市民であり、その業績を後世に伝えることは大事であるが、誰も行かない記念室もまた意味がなかろう。普通に考えれば、石坂洋二郎記念室を人気のある太宰治文学コーナーに変更すべきであろう。太宰を偲んで、わざわざ弘前、五所川原を訪れる若者は多く、そうした要望にそうような文学館であってほしい。文学館は地元の一部の文学愛好家のものではなく、広い意味での弘前観光、学校教育に関係した施設でなくてはいけない。幸い館名に作家名が入っていないので、変更自体それほど問題は少ない。宮城県では阿部次郎記念館、白鳥省吾記念館、原阿佐緒記念館、秋田県でも石坂洋次郎文学記念館、松田解子文学記念館、矢田津世子文学記念館などがあるが、作者名を聞いても、よほど文学通でなくてはわからず、今後このまま続けるのだろうか。こうした文学館は各地に多く存在するが、どうも市、県の教育委員会、文化関係に携わる人には文学好きの方が多いため、いきおいオラが町の有名作家ということで記念館に作るのだろう。ただこうした文学館に誰が訪れるかというと、地元の者で、文学好きな者でも、年に2、3回がせいぜいであろう。石坂洋次郎記念室の廃止を唱えると、必ず反対する人がでようが、その人に聞きたいが、年に何回、この記念室を訪れるかと。


 郷土文学館に訪れる地元の文学好きの人々は、おそらく年に何度か開かれる企画展に行くのであろうが、一階の常設展示場に併設されて開催されるため、スペース的にもどうも物足りない。石坂洋次郎も一階の常設展示場に移し、二階を企画展用にして、内容の濃いものにしてほしい。さらに言うと、今年は陸羯南展が企画展としてあったが、ジャナリストでも文学の範疇に入れるなら、愛知大学に協力してもらえば山田良政、純三郎展もできるし、青山学院に協力してもらえば本多庸一展、さらには弘前に関係のある今東光展、珍田捨巳展など、弘前の偉人についての企画展もできそうである。また図書館の附属施設と考えるなら図書館所有の古絵図、貴重古書の展示や、小中学校の郷土教育を一貫として、郷土文学館の二階も十分に活用できないだろうか。

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