2016年8月12日金曜日

黒石市 松の湯

日本財団図書館より 旧松乃湯 図面

2011年、一般公開時


 5年程前になるか、ブログ関係の縁で黒石市澤成庭園の所有者の方からお葉書をいただき、庭園の一般公開の機会に訪れたことがあった。その後、開園式にも参加してきたが、今回、お盆休みのため、まだ見たことがない家内と一緒に、本日、訪れた。うだるような暑さのせいか、観光客もほとんどおらず、年配のボランティアガイドの方から親切な案内をいただき、感謝している。歴史的なことはある程度知っていたが、庭、とくに大石武学流の庭園洋式についての解説は大変勉強になった。

 今回、黒石を訪れたもう一つの目的は、こみせ通りにある「松の湯」のリノベーションがどうなっているかを見たかった。5年前に澤成庭園を訪れた時、ちょうど松の湯も一般公開しており、昔の銭湯の姿が、そのまま残っていて大変驚いた。とくに浴槽が深く、二段になっており、これでは年少の子供は溺れるぞと、母の実家である徳島県脇町の古い銭湯の記憶を思い出した。子供のころ、徳島に帰省した時によく近所の銭湯に行った。浴槽は深く、上の段を踏み外し、下の段に沈んでしまい、危うく溺れかけ、大人に引っ張り上げられた。松の湯には、さらに浴槽裏にあるボイラーや家族の居間など、それこそ大正から昭和の姿がそのまま残っており、これはすごいと思った。

 ところが今回再訪してみると、これが全く期待はずれで、落胆した。外装と浴槽の部分のみが残され、内部は交流館として今風の内装となっている。いかにも若者の受けをねらった各地にある交流センターの同じコンセプトである。リノベーションの経緯は知らないが、もともとの趣旨は、土地の住民に親しまれた古い銭湯を残すことだったのだろう。それが住民、とりわけ若者に活用されるような施設にしようとした結果、外観はほぼ残されているものの、明治時代に作られた貴重な銭湯を残す目的からは外れ、観光客の視点からは全く面白く味はないものになってしまった。昔の浴槽はこんなだったと思い出させるくらいで、5分もあれば見学はお終いである。これだったら全く修理せずにそのまま見せるか、営業開始の明治44年当時を復元した方がよほど価値が高い。残念である。

 こうした古い建物を再生活用するのは、非常に難しい。市民に意見を聞けば聞く程、色々なアイディアを盛り込んだものとなり、元の重要な要素が失われ、中途半端なものとなる。それ故、文化財保護の観点から最近では、完全復元、それも建てられた時点の構造にすることが求められる。同じ黒石市の澤成庭園家屋も戦後は料亭になり、内部はかなり改造されたが、今回の整備に当たっては、最初に作られた状態に戻している。現在は、庭園のみ公開で家屋は非公開であるが、窓から覗くと内部はきちんと復元されている。古いものを壊して新しくするのは容易であるが、決して壊したものは戻らない。

 弘前市でも吉井レンガ倉庫を美術館にする計画が進んでいる。どうか松の湯のような現在風な改築にはしてほしくない。確かに美術館の特性上、美術品の展示環境、冷暖房、耐震強度など基本的な事項についてはきちんと改築しなければならないが、奈良美智さんの個展A to Zを見たほとんどの観客は、奈良作品に感動しただけでなく、レンガ倉庫の圧倒的な存在に感銘を受けた。建物と作品のコラボは奈良さん自身も十分にわかっているだろう。それ故、美術館にする場合も保存価値の少ない空間は便利に改築した方がよいが、キーとなる空間、例えば廊下、タイルばりの部屋、倉庫の二階などは文化財に準じて復元に近い整備を求めたい。へたな建築家に頼むよりは、むしろ復元を主体とした改築の方がよほどましである。壊したものは戻らない。じっくり時間をかけて検討してほしいものである。

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