2018年3月10日土曜日

倉敷に学ぶ


 日本臨床矯正歯科医会の学術大会が2月に岡山市で行われたので、以前から行きたいと思っていた倉敷に泊まることにした。倉敷には弘前ロータリークラブの知人の実家が旅館を経営しているため、そこに泊まるのも目的の一つである。何でも幕末から続いている倉敷でも老舗の旅館で、部屋数も5つほどしかないが、本当に素晴らしい旅館であった。最近はホテルに泊まることが多かったが、久しぶりに日本旅館の最高のサービスを受けた。日本人でよかったと思う瞬間である。

 倉敷は、アイビースクエアーが出来た時に兄と一緒に泊まった記憶がある。古い紡績工場を改修してホテルになったのが昭和48年であるから、今から45年も前のことである。もちろんその時も、川沿いの美観地区や大原美術館を見学したが、観光名所のあまりの狭さに驚いた記憶がある。アイビースクエアーは日本でも初めての古い建物を改築した宿泊施設で、ホテル自体がおしゃれであったし、美観地区に古い建物が時代劇のセットのようの並び、興味深かったし、大原美術館も教科書に載るような有名な絵が飾られ、これも見応えがあった。ただ本当にこれだけの町で、一歩、川沿いの道を外れると古くさい普通の町であり、駅前まで商店街もずいぶんと廃れていて、がっかりした。もう一度、行くような町ではないとずっと思っていた。

 ところで今回45年ぶりに倉敷を訪れたが、すっかり見違えてしまい、本当に驚いた。旅館のある裏通りには雑貨屋、喫茶店などしゃれた店が立ち並び、平日とはいえ、中国、韓国からの観光客も多くいてにぎわっていた。とりわけ若い人の姿が多かった。旅館の女将に聞くと、ここ20年ほど前から倉敷の美観地区を中心の古い商家を改築し、観光の活性化を図っているという。その中心になるのが、林源十郎商店という雑貨屋で、一回は陶器、ガラス、インテリアグッズなどを、二階は喫茶店とマスキングテープ、毛布などが置いていて大勢の若い女性でにぎわっていた。特に注目したのはスウェーデンのクリッパンの毛布などの製品が充実しており、また地元、倉敷の民芸作品も多く扱っていて、雑貨屋のレベルとしても東京の店に十分対抗できるほど高い。林源十郎商店は2012年にできたそうだが、この店を基点として一気に商店街の活性化が進んだ。原動力と言ってよい。喫茶店やジーンズショップなど若者向けの店が次々とでき、おしゃれな町並みとなった。

 倉敷の町おこしは、弘前にも十分と参考になる。45年前に倉敷を訪れた時は、川沿いの美観地区以外ほとんど見るべきところがなく、大原美術館も今より狭くて、倉敷観光と言っても2、3時間あれば十分なところだった。ところが今は若者向けの雑貨屋、喫茶店、お土産屋、レストランが集まるエリア周遊型の地区となり、半日あるいは宿泊しても十分に楽しめるところとなった。大原美術館、倉敷民藝館、倉敷市立美術館、いがらしゆみこ美術館、アイビースクエアーなどの観光施設も集客の理由となっているが、それ以上に商店街の繁栄が中心となっている。伊勢のおかげ横丁のようなものである。

 倉敷でも当初は、美観地区の裏通りの改築には足並みが揃わず、反対者も多くいたようである。それでも何とか説得して、古い町並みをおしゃれに変貌させ、結果的には商店街の繁盛に導いた。くわしいことはわからないが、おそらくは最初の店、林源十郎商店の強い想いが伝染して、商店街の変化させたのだろう。わずか六年前のことで、そうした思いは弘前でも十分に可能で、弘前の若者の熱意を見せてほしい。そうした若者の熱意こそが町おこしに最も必要なことだと今回の倉敷旅行で改めて感じた。

*大原美術館の収蔵絵画は近年、高騰しており、その資産価値は図りしれない。ピカソ、モネ、ルノアール、セザンヌなど、どの作品も一点売るだけで、おそらく数十億円の価値があり、美術館の建てかえができる。

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