2018年8月9日木曜日

大型カメラフィルムからのデジタル化




幼稚園の記念写真(1961年ころ)
上の写真の拡大図、一人横を見ている。もう少しで名札が読める


祖父の葬式(昭和2年頃、1926?)


父、叔父の唯一の子供のころの写真

 “150年前の幕末・明治初期日本”を買ってから、昔のフィルム写真を最新デジタルカメラで撮り直すということをやっている。といっても三脚などを使った正式のデュープ(複製)という大掛かりなものではなく、日中明るい部屋に写真を置いて、それをデジタルカメラで手持ちで撮影するのだ。

 まず娘が結婚し、子供の頃の写真を送れというので、娘のアルバム自体をコピーしようと考えた。一枚、一枚、撮影するのは面倒なので、一ページごと高解像度のカメラ(シグマSD Quttro)で撮影した。結果としてはまずまずであるが、元の写真のピンが甘いのか、デジタル撮影したものをコンピューター上で拡大するとぼやっとしている。昔の写真は、ほとんどミノルタCLEで撮影し、手動によるピント合わせであるが、ピントにはかなり自信があった。当時、スライド(ポジフィルム)で撮影することも多かったので、スライドを映写してピントを確認してからプリントをしていた。ほぼ90%くらいの割合で焼き付けの際に、ピントが甘くなっていた。そのため、ひどい時には3回ほどプリントをし直しをさせたが、だんだんピントが良くなってくる。ただ面倒なこともあるし、ネガフィルムではこうしたこともできないため、機械現像でプリントしてもらっていた。

 これは35mmフィルムの場合、現像所あるいは現像機械の問題によりピントが甘くなることを意味し、それをいくらデジタルカメラで撮影しても、それ以上に鮮明な画像は見られない。そこでもっと古い写真ではと、撮影してみたのが幼稚園の頃の集合写真である。おそらく60年程前の写真である。当時、こうした集合写真には町の写真館の人が来て、大型カメラで撮影した。一枚、一枚、フィルムを木箱から取り出し、それをカメラの背部にセットして撮影した。おそらく8×10インチフィルムあるいはその半分の4×5インチフィルムと思われる。200×250mmあるいは100×125mmに相当する。このサイズになると、プリントにする場合、拡大する必要もなく、ベタ焼き、すなわち直接フィルムからプリントする方法が取られる。そのため焼き付け処置の際の解像度の低下を防げる。

 実際、デジタルカメラで撮影すれば、胸元の名札が読めるほど解像度はよい。さらにもっと前の写真、これは祖父が亡くなった時の葬式の写真であるが、おそらく昭和初期、90年ほど前の写真である。この写真には多くの人物が写っているが、一部、顔が動いている人がいるので、かなり絞りを大きくして撮っているのだろう。かなり手前から奥まではっきり写っている。この写真も非常に解像度は高い。もちろん60-90年前のカメラというと露出はマニュアル、ピントも手動であったし、レンズ性能も今のレンズに劣るのだろう。それでも写真家という高度の技能をもつ職人にかかれば、非常に解像度の高い写真が撮れた。

 このことは35mmフィルムが普及した戦後の写真は数こそ多いが、解像度は低く、大型写真機でプロが撮った写真は解像度が高く、こちらの方がデジタル化の恩恵がより大きいことを意味する。さらにデジタル化することで、最近のIT技術の発展により着色や解像度のアップも図れるようで、歴史的な作品を中心に解像度の高いデジタルカメラでの複写が必要と思われる。個人的に期待するのは、昔の飛行機、船(主として軍用機、軍艦)や風景写真(城、歴史的建造物)などである。今回の“150年前の幕末——”の写真集でも、明治初期の横浜の風景写真から開業当時の横浜駅、蒸気機関車の画像が見つかった。風景写真から拡大した画像からの初めての発見である。同じようなことは他の写真にもあると思われ、早急に国の事業として写真原板あるいはオリジナルフィルムのデジタル化が望まれる。多くの古写真はオリジナルを35mmで複写したり、印刷画面からの複写であり、もともの大型写真フィルムのディテールが失われている。

PS:写真フィルムはプリントすることで解像度は低下するので、ネガフィルムがあれば、それから直接デジタル化する方が理論上、解像度は高い。場合によっては昔、撮ったフィルム写真よりネガフィルムからデジタル化することでよりよくなる可能性がある。







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