2018年8月2日木曜日

なぞの芳園 3

鴨川風雅集より

ビクトリアアルバート美術館


 先日、ある中国人のアートコレクターの方からメールがあった。オークションで手に入れた“芳園輝”の落款のある鴨川の納涼図について問い合わせであった。現在、“芳園輝”の落款のある絵は、大英博物館に3枚、アメリカ、シンシナティー美術館に2枚、さらに今回調べたところ、イギリスのビクトリアアルバート美術館に1枚ある。いずれも見事な作品であり、大勢の人物、多くの鳥といった群集図が得意なようで、構図も見事である。以前から知人のシンシナティー美術館のアジア美術主任のホウメイさんと協議し、これまで芳園輝“の落款のある絵はすべて江戸後期に活躍された四条派の西山芳園と考えられていたが、それとは別の作者の可能性が高いという結論になった。このことは東京大学名誉教授、河野元昭先生も「秘蔵日本美術大観4」の中で、西山芳園と芳園輝”では落款も違うし、何より画風が違うとしている。河野教授は西山芳園より“芳園輝”の方がより近代的であるとし、簡単にいうとうまく、普遍的(国際的)なのである。それが証拠に、名より作品で評価する海外の美術館に多くの“芳園輝”の絵が収蔵されている。大英博物館のように西山芳園自身の絵も多く収蔵されているが、“芳園輝”の絵を集める過程で、西山芳園の絵が混じったのだろう。さらに今回、コレクターが保有する絵が鴨川であることから、鴨川を題材とした西山芳園の作品を検索すると、「鴨川風雅集」(生田耕作編著)が挙った。それを購入すると“芳園写”の落款のある挿絵が本の中に見つかった。構図はコレクターのものと同じである。さらに“芳園之印”という落款を拡大すると、大英博物館、シンシナティー美術館のそれと一致する。初めて“芳園輝”以外の単に“芳園”の落款の作品が見つかった。

 それでは“芳園輝”とは誰だということになり、中国のアートコレクターの質問でもあるのだが、結論はわかないということだ。河野元昭先生は西山芳園とは別の同時期の動物がを佳くした岸派の香川芳園を候補に挙げている。香川芳園は別号を蟾麿というグロテスクな名で、明治期に活躍した日本画家、菊池芳文(1862-1918)の最初の師に滋野芳園という人がいる。この滋野芳園という人も未知の人だが、明治15年の絵画出品目録に「岸派 号蟾麿 滋野芳園 柳陰山水 水辺花鳥 人物 月二振」とある。また香川芳園は「香川芳園蟾麿と号す。京都府上京区西大路町に寄留す宇野助順の男にして香川行徳の養子となる。天保11317日生まれなり。画を望月玉および川越前守岸岱に学び、近江、伊勢、尾張、紀州、摂津などを遊歴し、明治16年、兵庫県の命により同県下川海漁労漁具および産魚の真写二百枚を製す。」とある。蟾麿というには非常にユニークな号であり、他に使うひとはいないので、滋野芳園=香川芳園と考えて良い。

 ところが、この香川芳園の絵も、また西山芳園の絵あるいはそのコピーとなっている。私は確認した範囲で、美術館所蔵の香川芳園とする絵はなく、ヤフーオークションで過去に蟾麿の印章のある絵が3点出典された。いずれもそれほどたいしたことのない絵であり、遠く“芳園輝”の絵に及ばない。作品が少なく、ヤフーオークションのもの自体、香川芳園の偽物かもしれないが、全く名のしれない画家の偽物をつくるだろうか。ただ“芳園輝”の作品は、動物画が巧であることから四条派というより岸派とする河野先生の意見には賛成であるし、香川芳園の師である望月玉川(1794-1852)の名は“輝”であり、師から一字とり芳園輝と号したのかもしれない。

 いずれにしても同時代の同じ名前で、それも画力の劣る作家名で今日も間違えられて美術館で展示されているとすれば大きな問題だと思われる。蟾麿印の作品を探してみたい。

*香川芳園作と思われる絵がヤフーオークションで安く出ているが、あまりいい作品ではない。江戸後期、幕末、明治期の掛軸は本物でも非常に安く、今後も値上がりは期待できないが、老後の楽しみとして、こうした研究対象として、調べるにはいいかもしれない。

香川芳園? 屏風の一部


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