2018年10月2日火曜日

十五の夏

1980.3 昆明 バスが止まると人だかりです

1980.3 万里の長城 ガラガラです


 今話題の「十五の夏」(佐藤優、幻冬舎)を読了した。上下巻、800ページを越える大作だが、4日ほどで読めた。佐藤優についてはすでに何冊かの著書は読んだ。その中でもこの本は一番面白いし、共感できる点が多かった。

 1975年の夏。私も知人の勧めで、インドに1か月間の旅行をした。羽田空港からアリタリア航空で、タイを経由してインドのデリー国際空港に着き、そこで現地解散をして1か月後に再び集まって日本に帰る。団体割引を利用した安いツアーで、参加者はほぼ大学生であった。税関を出たのが午後11時ころだったので、バスでツアー会社の指定するホテルまで連れて行かれ、翌日から帰国までの1か月はまるまる自由旅行となる。知人の二人連れと一緒に、デリー、アグラ、ウダイプール、ジャイプール、バラナシ、そしてネパールに行って、カトマンズ、ルクラ、ナムチェバザール、またインドに戻り、チェンディガール、スリナガルに行く計画であった。飛行機と列車を利用して旅で、基本的には三人での旅行であったが、途中一人で旅行したこともあり、また他の外国人グループと行動を一緒にしたこともある。最後のスリナガールには行けなかったが、ほぼ計画通りに旅行ができた。その後の人生でも一番思い出深い旅行となった。

 佐藤優さんは、高校一年生の1975年の夏に、東欧、ソ連など社会主義国への一人旅を行った。これはよほど大人びていて、すごいことである。本ではさすがに記憶力抜群の佐藤さんとは言え、脚色の部分も多いと思うが、それでも中学で習った英語だけで旅行するのは冒険である。旅の途中で会う大人たちに自分の意見をきちんと述べ、接する姿は、全く高校一年生には見えず、その後の佐藤さんの外務省、評論家としての活躍を予感するものである。早熟といってもよかろう。

 私は大学に入ってから海外で見聞をしたいという欲求(むしろ高校時代はそれを封印していたきらいがあるが)が高まったが、佐藤さんはそうした思いが早い時期から強く、親も若い頃の旅行の意味を充分に理解していた。私の場合はとても海外に行こうとは思いつきもしなかったが、高校一年の時に見た映画「旅の重さ」を見て感動し、高校二年生の夏休みの終わりに一人、リュックを担いで神戸港から沖永良部島に向かった。大学生や現地の高校生とも親しくなり、9月1日からの授業には間に合わず、生まれた初めてずる休みをした(親からは病欠の届け出)。この旅については友人にも言わなかったが、大学に入ったら、もう一度と旅に出たいと考えていた。

 佐藤さんの場合は、高校生のころから日露協会やソビエト放送などとコンタクトを取り、かなりよく勉強して社会主義国を訪問し、その体験は後に彼の履歴に大きく関係している。私の場合は、大学一年生の時にインドに、大学四年生の時には、初めて外国人に解放された中国に向かった。文化大革命がどうだったのか関心があったからだ。香港から電車で広州、そして昆明、北京の旅行であった。文化大革命の現実の姿を見れたのはよかった。

 佐藤さんが旅行した1970年代というには、若者を中心として自分探しとして旅が流行った時期であり、そうした時代の雰囲気をよく伝える本であった。同時に当時の大人、60歳以上はすべて戦争経験者であり、佐藤さんの周囲の先生、日露協会の人々も含めて若者に対する真摯な姿勢は、2018年現在、その歳になった自分も反省させられた。とてもこうした立派な大人になりきれていない。情けない。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

お嬢様、ご結婚おめでとうございます。

広瀬先生も「十五の夏」を読まれたのですね。
ねこ吉も、上下巻図書館で借りて読みました。
下巻は、予約待ちが3桁で、待ちきれず、芦屋の友人に芦屋の図書館で借りてもらいました。2人待ちでした。
「芦屋はお金持ちが多いので、図書館で本を借りずに買うからだ。」これはねこ吉の僻みでしょうか・・・。

ねこ吉は佐藤優さんの本は初めて読みました。
余りに賢い高校1年生なので感心してしまい、また、ご両親の素晴らしさにただただビックリでした。
ねこ吉など、今更子育てを反省しても、時すでに遅し。また、「鳶は鷹を生まない」と思いました。

広瀬先生も、インド、中国をお若い頃に旅をされたのですね。
ご両親もご心配だったでしょう。でも、佐藤さんのご両親のように、子供を信じて見守っておられたのでしょう。

「求めよ、さらば与えられん。」改めて、いくつになっても求めなければ、願いは叶わない。
諦めないでおこうと考えさせられた本でした。

上下巻6cmもある本を読めた自分を褒めてやりました。

長々とすみません。

広瀬寿秀 さんのコメント...

コメントありがとうございます。当時、 1970年代は、こうした自分探しの旅がはやった時期でした。ある者はリュックを背負って北海道へSL写真を撮りに、ある者は与論島など離島へ、ある者はインドへなど、一人旅が流行っていました。さすがに高校生で、それも共産圏に行くのは非常に珍しいと思います。この本を読んでいて、一番感心したのは、旅行会社や日露友好協会の人々、著者からすればかなり年長の人々の真摯な対応です。今に振り返り、自分が若者にこうした対応をしているかと思うと、お恥ずかしい次第です。若者自体も冒険心を無くしていますが、我々年配者も若者にやさしくなくなったのかもしれません。