2019年7月6日土曜日

My songs













 英語で”My songs”というと、自分の世代の曲、若い頃によく聞いた曲という意味となる。私の” My songs“というと1960年代から1980年代まで、年齢でいうと六歳くらいから三十歳くらいの独身時代に聞いた曲ということになる。結婚後もJazz, Classicやボサノバ、フレンチなどいろんな分野の曲を聞くが、どちらかというと古い曲を聞くことが多く、新作を聞くことはあまりない。My songsとは当然、時代を反映した新作でなくてはいけないので、1990年以降はカラオケで新しい曲をたまに歌うことがあっても、新作CDを買うことはほとんどない。

 最近は、保険請求のレセプトをコンピューターに打ち込むのは、本当に苦痛で、この2時間をどうすれば楽しくなれるか苦労する。今やっているのはレセプト入力のファイルメーカプロに画面の裏に、YouTubeを出し、昔の曲を聴いている。例えば、今、外国で流行りのJapanese City Popと検索すると、Matsubara Mikiの真夜中のドアやTakeuchi Mariaのプラスティックラブなどが出てくる。これを聴きながら、レセプトを書いていくのだが、一曲が終わる頃になるとYoutubeの右欄にいろんな曲が出てくるので、それを押してみる。すると今度は丸山圭子の“どうぞこのまま”となる。1976年、私のマイソングである。そうすると今度はペトロアンドカプリシャスの“別れに曲”の登場で、これは1971年で、中学三年生の頃の曲で、ラジオでよく聴いた。それが終わるとサーカスの”American Feeling”、おしゃれな曲で、確かどこかの航空会社のCM曲だった。1979年。海外旅行はそれほど珍しくはなくなったが、それでも恋人が海外にいる状況はカッコ良い。竹内まりやの“駅”、これは中森明菜が歌っていたが、後日、竹内まりあが歌った方がはるかにわかりやすい。すると突然、トワエモワの“ある日突然”となる。1969年で、中学二年生であったが、姉が山手女子短大のフォークソング部に所属して、アリスの堀内孝雄も知っていて、こうしたフォーク系の曲もラジオでよく聴いた。するとベッティー&クリスの“白い色は恋人の色”、これは懐かしい。同時代で、当時はこうした綺麗な曲が多かった。平山みきの“真夏の出来事”、こんな声の歌手はもういないなあ。西田佐知子の“アカシヤの雨がやむとき”、これは古いと思ったが、1969年で、綺麗な人という記憶がある。題名はずっと“アカシヤの雨に打たれて”と思っていた。

 まあこんな風に次々に連想ゲームのように歌が続いていき、最後は三橋美智也の“星屑の街”までいくことがある。新型のI-macは音質もそこそこ良いために最大音量で鳴らしている。こうして1960年代から1980年代のマイソングを聴いていくと、日本の音楽界において、ユーミン、山下達郎、桑田佳祐の存在は本当に大きい。彼らは、いまだに現役で、フアン層も10台から70歳台まで本当に広く、多くの名曲を生み出している。それと同時に何度もリバイバル作品があり、他の歌手によってもカバーされている。その結果、1980年代の曲もいまだに若い人にも覚えられている。昔の歌手は、歌手生命があり、割合現役時代は短く、40年間以上も現役で、ファン層も若い人から年配の方までいる歌手はいなかった。先の三人が初めてのケースであり、日本の音楽界の成熟を示す。最近ではこうした197080年代の日本のポップ曲が海外のクラブ音楽の流れで、脚光を浴び、世界的に注目されだした。Youtubeのおかげで家にいながら世界中の曲が聴けるため、こうしたことも起こったのだろう。

 My songsは聴いているうちに当時の時代まで感じることができ、不思議な感覚である。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

広瀬様

先日は、お兄様に連絡を取っていただき有難うございました。
「先生を囲む会」に、お兄様に出席頂いて嬉しかったです。有難うございました。

My songのブログ楽しく読ませて頂きました。
どれも、ねこ吉には懐かしく大好きな歌です。

ねこ吉にとって、YouTubeは無くてはならないものです。
2か月に一度ぐらい、「年金生活者カラオケ大会」お名前を付け、3,4人がジャンカラに行き、「コーラ久喫茶」方式で、マイクを持たずに合唱してます。
ブログに出ていた曲はほとんど歌います。星屑の街も。
歌いながら当時を懐かしみ、画面に日活映画(浜田光男、吉永小百合など)が出ると、この映画見たよ!と叫び、楽しく過ごします。

お姉さまが、山手女子短大のフォークソング部だったのですね。
ねこ吉は、クラブは入っていませんでしたが、山手女子短大を卒業しました。

ジャイアント馬場の奥様は、山手女子短大のボーリング部を創設した人で、遠征?に行くときチャコールグレーのブレザーを揃いで誂え、それが山手女子短大の制服になったそうです。

長々と失礼しました。
つい、懐かしくて書いてしまいました。

ねこ吉

広瀬寿秀 さんのコメント...

昨日もノンフィクション作家の方と飲んでいて、次回作は切ない曲についてのもののようです。この本で取り上げられた曲に、My songの曲も何曲が入っています。ちなみにこの方と私は年齢は同じで、話が合いました。
兄が出席したようで、この夏に帰る時に詳しく聞いています。