2021年4月2日金曜日

ディスカバーニッケイに投稿しました

 



チャールズ・ペダーセン




現在、“ディカバーニッケイ”というウエブマガジンに、須藤カツのことを書いた原稿を送り、校正もほぼ終わり、今月の中頃に掲載予定である。日系アメリカ人は種々の活動をしており、全米日系人博物館やこのディスカバーニッケイも活動の一つで、日系人の歴史、芸術、文化などを保存し、紹介してきている。日系アメリカ人は全米で約140万人おり、昔はアジア系アメリカ人の中に占める割合も高かったが、近年は中国系、フィリッピン系、インド系、ベトナム系、韓国系も増え、これらに次ぐ6番目となっている。それでも日系人の移民の歴史は古く、また子弟の教育レベルも高いことから、多くの著名人を生み出している。個人的にはアメリカ陸軍参謀総長となったエリック・シンセキの業績は素晴らしい。1903年にアメリカ陸軍の最高職位として陸軍参謀総長ができたが、シンセキを除く歴代の39人の参謀総長は全て白人である。同様に海軍にはハリー・ハリス大将がいる。有機化学でノーベル賞をとったチャールズ・ペダーセンも日系人とされていて、本当かと思っていたが、彼の写真を見ると正しく日本人である。

 

こうした日系人の活躍は、人口の割合にしても頻度が高く、例えば、さいたま市の人口は130万人くらいであるが、日系人ほどの著名人はおらず、異国の地にあって、白人からの差別にあいながらも、勤勉に働き、そして苦労しながらも子供たちに良い教育を与えた、さらに太平洋戦争では、全財産を取り上げられ、強制収容所に入れられるという悲劇もあったし、また日系人よりなる第442部隊の活躍などもあった。戦後も敵国であったため、なかなかアメリカ市民権を得ることができなかったが、ようやく1960年代頃から市長、知事となる日系人が現れ、1988年にはレーガン大統領による日系人強制収容所への謝罪があった。現在では日系アメリカ人も4世あるいは5世の時代となり、日本語を話す世代も少なくなっている。

 

今回、ディスカバーニッケイに応募したきっかけは、タカノ・デイさんの“Atypical Japanese women- the first Japanese female medical doctor  and  nurses in Chicago”という論文をこのウエブマガジンで見たことである。そこには横浜共立女学校を卒業後、シカゴ女子医科大学に留学して女医となった菱川ヤスの幼い頃の写真が出ており、それをブログに載せるために著者に連絡した。幸いタカノ・デイさんは日本で教育を受けられた方なので日本語でメールできたが、写真の版権元には英語でメールのやり取りをして、少し面倒だった。さらに知人のノンフィクションライターの川井龍介さんも多くのレポートをこのマガジンに投稿しているため、一度、ここに須藤かくのことも投稿しようと考えた。最初は日本語のレポートのみを考えていて、これは以前、東奥日報に投稿しようと用意した文があったので、すぐに完成できたが、最初に述べたように日系アメリカ人の多くは英語世代であり、彼らに情報を伝えるためには英語翻訳も必要と考えた。実は、暇だったので以前出した須藤かくの小冊を大まかに翻訳していたので、これを元にもう一度、手を加えた。ただ所詮、中学生レベルでの英語文章である。知人のアメリカ人に最低限の訂正をお願いして、3200語くらいの英文レポートが完成した。早速、ディスカバーニッケイに英語翻訳を送った。校正段階で相当直されたが、校正前後を比べると明らかに文書レベルが上達しており、助かった。私自身、これまで多くの矯正歯科専門誌や歯科雑誌に論文を投稿したし、長年にわたり編集委員をしてきたが、理科系論文では内容についてはかなり細かい質問をするが、それ以外については明らかな誤字を修正するにとどまる。文章自体の言い回しを大きく修正することはない。また本を出版した時も出版元の編集者によるコメントはあまりなかったが、今回のディスカバリーニッケイの編集者は本当に優秀で、積極的に文章を変更し、さらに追加の説明も加え、読者にとって見やすいものとした。修正には全面的に応じたので、私のレポートが掲載された時は、英語のレポートも是非とも読んでほしい。実際の私の英語力はこのレベルではないのに、我ながらいい英文であると自慢したくなる。これをきっかけに日系アメリカ人の方にも須藤かくのことを知っていただければ嬉しい。

 


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