2025年2月22日土曜日

宮本輝 「潮音」 第一巻



楽しみにしていた宮本輝さんの新著が出たので、早速買って読み終えた。弘前市は、紀伊国屋書店、ジュンク堂書店がなくなり、近所にも本屋がなくなったので、宮本さんの新刊が出たのを知ったのは新聞の広告であった。最近は宮本さんの本が出るやいなや、すぐの書評をブログに上げるということをしてきたが、今回は発刊してからかなり時間がたった。

 

まず新刊「潮音」でびっくりしたのは、時代小説とは。これまで宮本輝さんはほぼ現代小説ばかりだったので、時代小説はどうかなあというのがまず最初の感想であった。ところが10ページも読まないうちにこれはまったくの杞憂であり、さすがに才能ある小説家はいとも易々と新しい分野、時代小説をものにした。ここらはさすがにベテラン小説家のなせる技である。

 

100ページくらい読むうちになぜか、既視感がある。小説の時代設定、感触が何かの小説に似ている。しばらく考えると、あの島崎藤村の名著「夜明け前」に似ている。といってもこの小説自体、10年ほど前に読もうと思って本は買ったが、一部の前編しか読んでいない。それでも幕末の、新しい時代と古い時代の狭間、こうした不安な空気がそこにある。ただ「夜明け前」は藤村にとってはけっして時代小説ではなく、父親の生涯を描いたものであり、宮本さんの作品でいうなら「流転の海」に近いものとなる。幕末、明治といえば、若い人からすればかなり昔のことのように思えるかもしれないが、1947年生まれの宮本輝さんからすれば、父親、熊市が1897年生まれ(明治30年)であり、その父、宮本さんの祖父の時代が幕末、明治となる。それゆえ、「流転の海」で父親の時代を描いたなら、「潮音」は祖父あるいは曽祖父の時代を描いたものであり、けっして時代小説ではないのかもしれない。

 

それでも富山の薬売り、あまりこうした職業をベースにした小説はなく、細かい設定を調べるには相当な年数を要したのだろう。純粋な現代小説であれば、登場人物の職業や趣味の設定を調べる必要があるが、それでも資料調べの時間はそれほど必要ない。一方、「流転の海」でもそうであるが、過去の日常の様子をいきいきと描写するためには膨大な資料とそれの読み込みをしなくてはいけない。かなり大変であっただろうし、時間も要したであろう。

 

この小説「潮音」は間をおかず、四巻を一気に出版していくようであるが、宮本さんのパワーには驚かされる。あの司馬遼太郎さんも1987年、司馬さん64歳の時の「韃靼疾風録」を最後に長編小説は書かず、それ以降は短編小説あるいはエッセイが多いが、宮本さんもすでに77歳、それでも毎年のように長編小説、それも本作のように4巻の大長編をいまだに書き続けることに驚嘆する。普通ならライフワークの「流転の海」が完結したなら、そろそろさぼりたくなるのが、それ以降の作品、「灯台からの響き」、「よき時を思う」そして本作「潮音」と立て続けの出版しており、その創作意欲には敬意を払う。

 

本作でも、主人公の回想という形で話が進んでいくが、この方法は、映画の間奏のような効果があり、息継ぎができる。まだ三巻あるようなので、楽しみが増えた。映画化、ドラマ化の予感がする。大好きなBS時代劇“商い世傳 金と銀”のような作品になってほしい(この続編はいつになったら見られるのでしょうか)。


 

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