昭和天皇物語(能城純一、志波秀宇監修、半藤一利原作、小学館)が面白い。調べている弘前出身の外交官、珍田捨巳がどのように描かれているかを見るために購入したが、読むうちにこれはとんでもない漫画と思うようになった。
ここ20年ほど、なぜ日本はアメリカと無謀な戦争を起こしたのかを興味を持ち、昭和史関係の本を随分と読んだ。もちろんのこの「昭和天皇物語」の原作、「昭和史」も読んでいるし、昭和天皇関係の本、例えば、松本健一著「畏るべき昭和天皇」を始め、保坂正康著、「昭和天皇」、ハーバート・ビックス、「昭和天皇」など、かなり多くの本を読んできたが、今一つ、ピンとこなかった。また戦前日本の元凶、日本陸軍についても保坂正康著、「日本陸軍の研究」、これは名著である、はじめ、これも多くの本を読んできたが、逆になぜ、なぜという疑問が起こる。
昭和天皇物語が初めてビックコミックで連載されているのを知り、よく漫画で天皇を扱う勇気があるなあと呆れた記憶がある。漫画の描写は本より遥かに直接的で、昭和天皇、あるいは日本軍について意見のある人は大勢いて、かなり慎重な描写が要求される。急進的な右翼からの攻撃も予想されるし、逆に左翼からは内容の甘さを指摘されかねない。さらにいうなら、多くの資料があるだけに、間違いを指摘されることが半端ではない。あまり題材にしたくない対象の1人である。
結論からいうと、昭和天皇の生涯をこれほど詳細に、丁寧に描いたものはなく、多くの本を読むより、この漫画を読む方がよほど昭和史を理解しやすい。個人的に特に感心し、納得したのは、日本陸軍軍人が天皇をどう思っていたかという点である。下は少尉、中尉から上は大将まで、ほとんど昭和天皇を軽視、もっと酷い言い方をすると「若造」、「臆病者」、「引っ込んでいろ」と考えていたことである。天皇陛下というと直立して姿勢を正す軍人の姿はよく映画で目にするが、実際は日本が国民に課していた不敬という言葉そのままのことを彼ら軍人はしていた。
一例を挙げると、昭和八年、日中戦争を恐れた昭和天皇が、熱河作戦の中止を、40分にわたり侍従武官長の奈良武次大将に進言するが、全く相手にせず、さらに足りずに手紙でも進言するがこれも無視し、その挙句、天皇の命令で熱河作戦が中止されれば、陸軍は黙っていませんよ、あんたは殺されますよと脅すような内容のことを発言している。また二二六事件の主導者、多くは少尉、中尉クラスであるが、彼らの思想の中には、天皇の親政を行う、その場合は、臆病者の昭和天皇より、クーデターをおこしてでも積極派の秩父宮を天皇に担ごうという恐ろしい計画があった。
今の感覚で言うと、筑波大学に行っている悠仁親王が即位して、天皇になったようなもので、年配の軍人からすれば、若造という感覚が常にあったのだろう。それでも明治の軍人、例えば、乃木、児玉、大山、山縣などは全て士族で、藩主を中心とした長州藩、薩摩藩で育っており、年齢に関わらず、藩主には絶対服従という思想を確固として持っていた。討幕運動では天皇を玉として扱ったにしろ、乃木、大山、山縣ですら、明治天皇を脅すような言動は一切なかった。それが昭和になると奈良という大将ではあるが、大山や山形とは比較にならない凡庸な軍人から脅される時代になった。天皇という絶対的な存在がほぼない無政府状態で、誰にも軍部の独走を止めることができず、結果的に何をやっても許されるという状況が日本の敗北まで続いた。それでは昭和天皇が、ドイツ帝国カイザーのような親政をしていたなら、日中戦争、太平洋戦争は避けられたかというと、日本陸軍軍人の言動を考えれば、お飾りに追いやったのは確実で、やはり戦争に突入したと思う。
昭和天皇物語は、もちろんこうした評伝では、お決まりの昭和天皇、いい人という観点から描かれているが、それにしてもかなり史実を細かく研究しており、昭和を天皇の立場から見つめるという点では、下手な歴史学者の本よりはよほど面白く、勉強になる。私もそうだったが、たかが漫画という偏見は捨てなくてはいけない。ネットフリックでドラマ化してほしい物語である。
それでは、日本陸軍の暴走をどうして抑えられるか。大正天皇が有能で長生きしたなら、あるいは大元帥の力を誇示できたら、多少、陸軍は抑えられたか。これも難しそうで、日露戦争に負けて、今の自衛隊のようなシビリアンコントロール下にならないと無理なのかもしれない。軍人にとって命令は絶対的なもので、これを平気で破るような軍隊はありえないが、旧軍は最高統率者、天皇の命令を平気で破っている。明治11年の近衛兵による武装反乱、竹橋事件では、55名が即日処刑、関係者の多くは厳しい処分を受けた。少なくとも五一五事件、二二六事件は重臣殺害というもっと大きな事件であり、本来、竹橋事件に倣うなら、事件当事者、関係者ももっと大きな処分を受けるべきであった。さらに好きな軍人ではあるが石原莞爾や板垣征四郎も独断で満州事変を起こした罪は処刑に値する。これも以後に模倣者を多くだした要因である。軍人に対する処罰が曖昧になった時代でもある。
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