とにかく懐かしい。本の前半は、昭和34年頃の日本の状況を余すことなく伝えている。こうした時代の色、匂いまで文章で表現できる点では、宮本さんは日本でももっとも豊かな才能と経験を持つ作家である。宮本さんの子供時代の経験が色濃く反映された物語で、一種の流転の海の別巻と呼べよう。ある日の記憶。昭和35年頃、私が4歳くらい。梅雨の頃だろうか、尼崎の難波幼稚園の門を入った右側には紫色の紫陽花があり、その葉の上には雨に濡れたカタツムリがいる。それを見ている幼い私がいる。園長室に行くと白髪の年配の園長から毎朝、手帳のようなものにハンコをもらう。黒い修道女服を着ていた先生は石鹸のいい香りがした。こんなシーンが映画のように思い出す。ただそれだけである。作者の断片的なこうした思い出のシールをつなぎ合わせ、文章として形にする。そんな本である。
つい最近も作家、佐藤愛子さんが102歳で亡くなった。多くの作品を残した偉大な作家であるが、その代表的な作品といえば、やはり佐藤弥六、佐藤紅緑、サトウハチロウとその周辺を描いた「血脈」になろう。同様にどくとるマンボウで有名な北杜夫さんについても、小説家としての代表作となると「楡家の人々」であり、太宰治の代表作も、自身を色濃く反映した「斜陽」が挙げられる。作家にとって、自分の聞いたこと、見たこと、感じたこと、味わったこと、などなど実際に経験したことがより具体的な形となって文章に出てきるのではなかろうか。そしてそれは読者にとっても、具体的な説得力の強い描写となり、感動を得る。
戦時体験のない子供の話であり、世代、男女、社会、都市との断裂がバックボーンのように鳴っている。今から振り返ると、子供の頃の大人たちは驚くほど老けており、大成していた。子供心に自分も大人になったら、自然にああいうどっしりした、威厳のある大人になれるとばかり思っていたが、実際は全くそうでない。自分だけではない。同年齢の友人、知人も皆そうである。昭和34年当時の主人公の父親は、39歳、母親は33歳、周囲の爺さん婆さんは62、3歳である。昭和28年の東京物語の笠智衆と東山千栄子の約年齢はそれぞれ70歳と67歳だった。今では考えられないくらいに皆老けていた。そういえば、昭和30年代でも、年配(多分、30歳台)の婦人が赤や黄色の原色の洋服を着ているだけで、色きちがいと呼ばれて批判されていた。
ここまで前半の感想である。ところが、後半は少しおとぎ話となっていて、ああまた宮本輝ワールドに入ったのかと思ってしまう。連載小説の宿命、次回を期待させる、気分よく読後を終えるための仕組みかもしれないが、何もアストンマーチDB7はないかもしれない。異父違いの姉と弟の恋愛に似た感情も未消化なまま終わっている。ただこれは宮本さんだけに許される特権で、読者をしあわせな気分にさせ、明日を生きる勇気を与える、宮本さんの姿勢であり、悪い人は出てこない。この世ではない、別の世界の話である。本の読む一時、幸せな気分になり、嫌なことを忘れたい、宮本さんのファンはそうなのである。暴力、裏切り、中傷に満ち溢れた世界はもういい。また作家は、結局、経験していないことを小説にはリアルに表現できず、幸せな作家は幸せな、感謝を込めた小説を書くのだろう。
本のカバーを開いて欲しい、そこには五老ケ岳から眺めた舞鶴湾が描かれている。リアス式の複雑な地形、海に沿ったわずかな土地に人が住み、裏は山。海―狭い土地―山。これが舞鶴で、その間を結ぶのは船が便利なのはこのカバー絵を見ただけでわかる。小説の説明図が、そのままカバー図となっている。アイデアであり、小説の内容にも合致する。故郷の自然の風景が、思い出の中にある人は幸せである。都会しか知らない人は、すべての風景が変わり、そこは思い出、ノスタルジーしかないのである。
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