2015年8月13日木曜日

高齢化社会での矯正治療の意義


 矯正歯科では、主として若い世代を対象にしているため、治療終了後の経過についてはほとんど知らない。私のところでも一番長く経過を見ている症例で15年、ほとんどの症例では治療終了後、2、3年の経過を見ているだけである。その後、どうなったかはわからない。

 治療終了して、レントゲン写真、口腔内写真、模型などをとり、保定2年でもう一度、資料をとって、その後は何かあれば連絡してもらうようにしている。半数くらいは保定2年後も経過観察に来てくれるが、それでも3年を越える患者は少ない。たまには治療終了して10年以上経って来院される患者がいて、後戻りがあるので見てほしいという。こちらはかなり緊張して、患者の来院を待つが、下の前歯に少しのでこぼこがある程度で、ほっとする。数ヶ月再治療して再び、2、3年みることになる。

 それでも患者が70、80歳になった時はどういった口腔環境になるかは予想できないし、患者は自分の年齢より低いので、こうしたことは不可能であろう。ここからは推定の議論である。

1.      あごの大きさに比べて歯が大きくて、でこぼしている症例。叢生
高校生ころに矯正治療したとする。おそらく中年以降は90%以上の確率で、下の前歯の後戻りは起こるであろう。矯正治療後20年以上の症例を調べた研究では、ほとんどの症例で下の前歯の後戻りがあった。それに比べて上の前歯の後戻りは少なく、この原因は単に歯の移動に対する後戻りではなく、顎骨の成長に起因していると考えられている。成人以降も咀嚼力、筋肉の変化により顎骨の成長(位置変化)が見られる。さらに歯を近心に動かす咬合力により下の前歯が前に出る力がかかる。上の前歯が十分に被っている場合、下の前歯を前に動かす力は歯のでこぼことなる。さらに年齢が進むと、こうした力だけでなく、歯周疾患による歯槽骨の吸収、口唇周囲筋の緊張低下などで、咬合はさらに変化する。また下の歯列は年齢に伴う縮小傾向があり、左右の犬歯間の距離は小さくなるため、この部分の拡大は無駄といえよう。こうした点を考えると、下の前歯のでこぼこは矯正治療で仮に治ったとしても、再び後戻りが多いと言えよう。それ故、下の前歯のみのでこぼこは、矯正治療の対象外かもしれないし、発達期を過ぎた症例の歯列の拡大も予後は悪いと思われる。ただ小児期の歯列の拡大の安定性については、はっきりしていない。それでも上の歯のでこぼこを治すことは、比較的安定しており、多少の後戻りがあったとしても、中等度から重度の症例においては、歯周疾患の観点からは矯正治療が有効と思われる。

2.      反対咬合、かみ合わせが逆の症例
 反対咬合については、早期の被蓋の改善が、その後の顎発育に良好な結果を示すことは知られており、そうした治療法は、老年期を考えても有効となる。中年以降の反対咬合の患者では、下の前歯が動揺を起こし、欠損するケースが多いことから、反対咬合を改善して正しいかみ合わせを作ることは、前歯の欠損を防ぐ点では有効と思われる。一方、上下のあごのずれが大きい症例で、無理矢理、下の前歯を中に倒した症例では、CTの画像診断では舌側の歯槽骨がほとんどなく、年齢により歯槽骨が吸収した場合は容易に喪失するだろう。また顎骨の大きなずれは、無歯顎となり義歯を作る場合も大きな問題がなり、義歯が転覆して安定できない。外科的矯正により顎間関係も正常にする意味があると思われる。発育期に正常なかみ合わせを作ることは、老人期になっても役立つが、上下のあごのずれが大きな場合は、無理をして歯だけで治すよりは、外科的矯正により正常な顎間関係を作った方がよさそうである。
同様に上下のあごが横にずれた顔面非対称、交差咬合の症例では、ずれが大きい場合は、歯の移動だけでは無理があり、歯周疾患に伴い咬合力が咬合をくずす可能性が高く、その後欠損歯が多くなるにつれ“すれ違い咬合”となり、補綴治療においても非常に難しい症例となる。むしろ外科的矯正により顎骨自体の位置を是正した方が、義歯になった場合を考えてもメリットは多い。

続く

2015年8月10日月曜日

マスコミの戦争責任



 戦後70年、テレビでも毎年のように、この時期になると終戦記念番組が放送されます。内容的に優れた作品もありますが、戦争体験者がほとんどいなくなった現在では、かなり着色された番組も散見されます。例えば将校が兵士を意味なくなぐるシーンがありますが、実際に海軍でも陸軍でも、こういったことはありますが、基本的には下士官が兵卒をなぐることがあっても、将校が下士官を、まして佐官、将軍が士官をなぐることはほとんどなかったと思います。

 私自身、先の大戦を振り返り、一番反省すべき点は、マスコミの煽動、景気のいい話をして戦争を賞賛した点でしょう。その路線は、日清戦争から始まり、逆の形で現在も続いています。日露戦争では、国力が劣るロシアと戦争するためには、それこそ国として死にものぐるいで戦う必要があり、そうした風潮をプッシュする形で、日本のマスコミ、中心は新聞が煽動しましたし、それで売り上げを伸ばしました。若干の反戦運動もあったものの、勝った、勝ったという方が勇ましく、そうした声が大勢を占めました。白人の強国に勝ったことが、どれだけうれしかったのか、その後、世界の五大国と有頂天になったのが日露戦争以降のことです。マスコミでも世界に冠たる日の出る国、アジアに君臨する一等国として持ち上げます。さらに遅れたアジア諸国のレベルを上げたいというおせっかい、あるいは優越感から次第に大東亜圏の発想となっていきます。

 大正のころまでは、アジア諸国、ことに中国、朝鮮について、それほど優越感はなかったのですが、新聞の報道により次第に中国、朝鮮はけしかん、懲らしめるといった雰囲気が助長されていきます。昭和になると「チャンコロ、チャンコロ」と子どもまで、中国人をバカにするようになります。ことに軍人は、中国軍に対しては強い優越感があったため、絶対に負けることはないと、常に強い態度で臨んでおり、新聞もこれを援護しました。邦人が一人でも中国人に殺されると、軍隊を出して中国人を懲らしめよというのが昭和初期の一般的な論調であり、国民のほとんどが同調しました。逆に政府、軍が、こうした好戦的な論調を抑えようと苦労する有様です。さらに一部の学者、新聞が、天皇の意思に反して、天皇の神格化をすすめ、いつのまにか日本陸軍は皇軍と呼ばれるようになりました。支那事変以降のことです。

 南京事件、従軍慰安婦、強制労働、マニラ虐殺事件など、今日でも議論になっている日本の戦争責任の大半は、これ以降のことです。こうした事件の有無、解釈については、種々ありますが、間違いなくあったことは、アジア諸国、住民に対する蔑視です。自分たちより劣った存在とし、軍事力を背景に尊大な態度をとったことは疑いありません。もちろんアメリカ人、白人の有色人への差別はこんなものではありませんが、マスコミ、社会的風潮が抑止力として働いていました。

 『戦争と新聞 メディアはなぜ戦争を煽るのか』(鈴木健二著、ちくま文庫、2015)は好著で、戦争に向かう過程でのマスコミ、新聞と政府、国民の関係を詳しく説明しています。著者は新聞記者のため、新聞は政府の検閲制度によりしかたなく政府の手下となって動いたとしていますが、個々の記事を読むと必ずしもこうした検閲だけで責任が逃れるわけではなく、大正期の検閲が緩むと政府批判を繰り返し、政権を解散させたと喜び、戦争で検閲が厳しくなると軍部に迎合して、軍の代弁者となりました。そして戦後のマスコミは、驚くほどの変わり身で転向します。終戦翌日には、戦争批判の論説を出し、昨日まで戦争を礼讃した同じ記者が、批判します。


 戦後も文化大革命を礼讃した朝日新聞などを見ると、事実は新聞報道の逆ではないかと思えるほどです。最近ではネットでの新聞批判も多く、そうした意味では、ようやく国民が自分で考えれられる環境になったのかもしれません。

2015年8月2日日曜日

通常兵器の高騰化

 今日、買ってきた本である。全く脈絡もなく、どんな脳の回路をしているか疑いたくなるような選択である。「弱虫ペダル」は10巻を越えると展開が遅くなり、ここは一気にツールドフランスまでもっていってほしいところである。「ミッドウェイ海戦『魔の5分間』がなければ日本は太平洋戦争に完全勝利していた」。こうしたIFものは、ほとんどナンセンスなものばかりで、この本もざっと見ただけで、突っ込み所満載のおそまつな内容だが、つい買ってしまう。「終戦勅書と日本政治 義命と時運の相克」は真面目な本であるが、安岡正篤がどうかかわっていたか、興味があり購入した。

 新国立競技場の建築費が2000億円を越え、高すぎると話題になっている。前のブログで海上自衛隊の最新イージス艦が1680億円だとしたが、それを考えると森元首相が発言したように、新国立競技場の建築費はそんなに高くない。

 世界各国の軍隊で今、一番問題となっているのは装備品の高騰で、武器があまりに高くて、買えない。F-15の価格は30億円(アメリカ価格)くらいであったのが、次期戦闘機のF−35になると、この5倍150億円以上になるようで、代替わりのF-4が20億くらいなので、同じ予算で1/7しか買えないことになる。これは最新の武器は電子機器のかたまりで、高度化していることと、ボーイングなどの軍需産業が、開発費などすべの経費を価格に転嫁していることによる。同様なことはロシアでもそうであり、国有工場であったときは、戦闘機、戦車などの価格は低く抑えられていたが、民間企業になると、高くなってしまった。スホーイのSu-35の例では、韓国に出した提示価格は一機、125億円とロシア機とは思えない価格である。おそらく中国ではこのコピー品を安価に作っているようだが、どうしてもエンジン開発ができず、今後はロシアも輸出に対しては強気にかなり高い価格設定となろう。

 戦前は町の有力者や町内で軍に飛行機を寄付することもあったが(報国献納機)、今ではあまりに高くて、こうしたことは全く不可能となった。それ故、北朝鮮のような貧困国では最も安価な核兵器に防衛を頼ることになるし、フィリッピンでも軍事予算が3000億円しかないため、戦闘機は保有していない。他国でも、戦闘機は高くて買えないところが多い。さらに兵器の高度化に伴い、兵士の教育費もかかり、一人の戦闘機パイロットを育てるのに数億円の費用がかかる。

 150億円の戦闘機、500億円の早期警戒管制機、2000億円のイージス艦、1兆円の空母もたった一発のミサイルで破壊されることを考えると、おちおちと使えないし、太平洋戦争のように数年にわたる戦争は、財政上不可能である。それ故、消耗戦になる大国同士の戦争は財政上、難しいし、まして長期戦は武器調達、兵士の教育の点でも厳しい。遭遇戦はあっても全面戦争は無理となる。唯一、それが可能なのはアメリカのみで、多少の損失を覚悟して実戦にこうした高価な兵器を投入できる。また長期戦になってもある程度の武器調達も可能であろう。

 もし中国がアメリカ並みに空母10隻、イージス艦70隻、原子力潜水艦70隻、F-35を1700機揃えようとすれば、旧ロシアと同じく、国家は確実に崩壊するし、このことは十分に承知しているだろう。それでもアジア諸国では武器が高騰していることと、アメリカ軍の撤退のため、南シナ海を中心として軍事的な空白地帯が発生し、中国の進出を許している。アメリカはすでに軍備費の削減を目指しており、軍需産業も利益率の高いものしか生産しないため、アメリカに変わる国として日本が注目されている。アジア諸国に対する日本からの武器、とくに哨戒機と潜水艦の輸出、供給は、中国にとって脅威となる。まさかあの日本が武器の輸出国になろうとは思ってはいなかったのだろう。安倍首相のこうした政策は、大きな抑止力となっている。

 日本の最新式の哨戒機P-1の価格は100-150億円、これはアメリカ軍のP-8の半額、潜水艦そうりゅう型は600億円、アメリカ海軍のバージニア級は1400億円(シーウルフは2000億円)で、日本の武器は高騰した時代にあって比較的安く、さらに量産効果でもっと安くなる。安全保障上、武器輸出の両者から、くさびのなくなった日本では今後の展開が期待されているが、覇権主義の中国からも、家電、自動車の二の舞のならないことを恐れるアメリカからも反対されよう。また日本の軍需産業ももうけの少ない軍需品の輸出には消極的である。第二次世界戦争以降、正規軍同士の戦いと言えば、湾岸戦争が最後であるが、これとてアメリカ(多国籍軍)とイランという戦力的にはほぼ非対称戦争である。現在のイスラム国は金のかかる空軍、海軍は保持せず、制海、制空権を放棄したゲリラ戦であり、冷戦終了後、各国の軍事対象がテロを中心としたものに移行したのも、こうした武器の高騰が一つの要因である。そこに豊かになった中国が軍備の増強に乗り出したが、さすがにこうした高価な武器を惜しげもなく使えるかというと疑問であり、年金、健康保険などの国内の社会保障費の増大に伴い、今後はかなり難しいと思われる。さらにベトナム、インドネシアなど、南シナ海周辺国も中国の進出に最も効果があり、コストパーフォーパンスの高い、潜水艦の導入を進めており、いっそう中国の海上進出は金のかかるものとなる。アメリカのような空母打撃群を少なくとも2セットもつためには、平時下でも一つの打撃群にミサイル巡洋艦1隻、駆逐艦2隻、攻撃型潜水艦1隻、補給艦1隻が最低限必要である。さらにカタパルトのない空母では固定機の哨戒機を出せないので、より密度の高い護衛艦が必要であり、一隻の潜水艦のために、途方もない軍備費を必要とする。
 貧者の究極の武器は通常兵器に比べて安い核兵器であり、これこそは北朝鮮だけでなく、イスラム国などテロ活動を行う集団にとっては、一番ほしい武器であり、核兵器の拡散こそ最も心配なことである。

2015年8月1日土曜日

「新編 軍艦武蔵」

 「新版 軍艦武蔵」(手塚正己著、太田出版)を読んだ。上下で1200ページを越える大著で、速読の私ですら、読了まで丸2週間かかった。上下でおおよそ10cm、辞書なみの厚い本で、読んでいて腕がしびれほどである。よほどの戦記もの好きでないと、値段もあるが、その厚さに躊躇するであろう。それでも内容は誠に読みやすく、戦艦武蔵のノンフィクションの金字塔となる作品である。著者の手塚さんには敬意を表する。

 戦艦大和、武蔵の建造費は合わせて一億三千万円、昭和17年の国家予算が総額で244億円なので、約0.5%となる。三号艦の信濃もいれれば、建造費は総額で2億円近くかかることになり、現在の国家予算の80兆円から換算すると、大和型3艦で、6000億円くらいとなろう。1艦が2000億円というとかなり高いように思われるが、海上自衛隊の最新イージス艦あたご型の建造費が1680億円であることを考えると、これは驚くほど安い。駆逐艦の建造費は戦艦の1/10程度とされ、一隻200億円くらいとなり、イージス艦並みの10000屯、昔の軽巡洋艦と考えれば、駆逐艦の二倍としても400億円で、ほぼ1/4くらいの値段となる。日本海軍の主要戦闘機、零戦の制作費は数億円といわれ、最新のF35が200億円くらいすると考えると、近代軍隊の装備品が昔に比べていかに高騰しているか理解できよう。

 それにしても「軍艦武蔵」を読むと、最後の戦いのレイテ沖海戦まで、ほとんど戦闘行為をせず、トラック、パラオに泊まっていたにすぎない。同型艦の大和が“大和ホテル”と揶揄されたように、建造後、あまりに石油を食うため(駆逐艦の10倍)、ほとんど停泊しただけに等しい。太平洋戦争の全般で、使い道が最後まで分からずお荷物になっていたのは事実である。さらに言うと、同型艦で空母に改装された信濃にいたっては、処女航海で数発の魚雷をくらって沈没した。まことに費用—効果比は低い。

 こうして見ると、武蔵の場合のハイライトは唯一と言ってもよいレイテ沖海戦しかなく、戦記としては上下二册の大部となる内容ではないが、乗務員、周辺を詳細に描くことで、読み応えのある内容の濃い作品となっており、著者の力量を示す作品となった。おそらくこれ以上の戦艦武蔵を扱う作品は今後とも出ないであろう。

 全体を読み、印象深かったのはアメリカ海軍の潜水艦と日本海軍の駆逐艦の活躍である。これら海軍の亜流の艦艇の活躍が目を引く。アメリカ海軍は太平洋戦争を通じて、ほぼ一種類の潜水艦、ガトー級、77隻で戦った(および改良型のパラオ級)。設計的にはそれほど目新しいものではないが、信頼性の高い船体で、太平洋戦争を通じて、空母大鵬、翔翮、信濃(パラオ級)などの他、多くの輸送船を撃沈し、その通商破壊活動は、日本の息の根を止めた。非常の費用—効果比の高い艦艇であった。一方、日本海軍の駆逐艦は、高性能魚雷による攻撃型のものより、哨戒、護衛に適した“松型”が適しており、早い時期での同型艦の大量建造をしなかったことが悔やまれる。もっぱら輸送と救助に尽力した。本書で紹介されている野村中尉が最後に乗船した松型駆逐艦、“柳”では乗員200名のほとんどが沈没経験をしており、艦長は2度の沈没をして「俺の艦は沈むよ」と言ってはばからなかったが、50機以上の数度の来襲にも、最後は沈まずに終戦を迎えた。武蔵の乗員の多くは、武蔵沈没後も過酷な戦いをし、生き残ったものも運がよかったと語っているのが、全編を読むとその理由がわかる。


 日本海軍は戦後、解体されたが、戦艦武蔵の反省に立ち、海上自衛隊が費用—効果比の高い駆逐艦と潜水艦に建艦をしぼったのは正解であり、2000億円のイージス艦も搭乗機も含めれば1兆円を越える空母も潜水艦からの1から数発の魚雷でおじゃんになるのは、本書に描かれて戦艦武蔵と全く同じであろう。兵器が高価になるにつれ、ますます怖くて使えないというのが、実際であろう。中国も数隻の空母を造船中であるが、本当の戦争になれば、今の防御態勢では出港は難しい。