2007年2月28日水曜日

寺山修司 1



寺山修司(1935-1983)が弘前で生まれたのを知ったのは、こちらに来てからだ。当初は父親が警察官で、紺屋町生まれてということで、左の写真の紺屋町派出所(現紺屋町集会所、下図2)が生誕地とされ、三沢にある寺山修司記念館のHPでもそのようになっていた。近年、阿部誠也さんの調査により、寺山の生誕地は弘前市紺屋町35番地ということがわかった。弘前市史の付録にちょうど寺山の生まれた昭和10年の地図がある。付近の地理は当時と変わらず、現在の住宅地図をみれば35番地に相当するところは1に該当する。田澤拓也著「虚人寺山修司伝」のあとがきに「(海老川)夫婦が八郎氏(寺山の父)から隣が開いたから引っ越してこないかとさそわれ、弘前市紺屋町の二軒長屋に壁ひとつへだてて一緒に暮らすことになった。それぞれ六畳二間に台所などがついていた。それは秩父宮がまだ弘前の歩兵第31連隊に勤務していた1936年のことだったという。修司がまだ満一歳になる前のことである」と修司の従姉にあたる海老川スミさんの話を載せている。寺山の父は当時、秩父宮の警護に当たる警官で、その事務所は川村酒造店敷地内(3)にあった。
この記述によればかなり小さな長屋に住んでおり、先の1の土地ではやや広すぎる(敷地後ろが庭の場合は別だが)。阿部さんの著書では、小さな地図でわかりにくいが、1の下のクリーニング屋の下あたりを生誕地としている。大きさは合致するが、3軒長屋で、私はやはり1が生誕地ではないかと思う。ただ当時と今では番地が変わることがあり、はっきりしない。
2の派出所は残念ながら寺山の生誕地ではないようだが、昭和初期の派出所としては非常にユニークで、またお城に近接しており、ロケーションもよく、何とか保存してもらいたい。できれば当時の派出所を再現し一般開放して、ミニ寺山修司記念館のようにならないであろうか。

0 件のコメント: