2008年8月24日日曜日
小坂奇石2
この前の続きです。張黒女墓誌(張玄墓誌銘)の全文は367字ですが、小坂先生は巻のページ数の関係から途中9字省略し、全文のほぼ半分で終了しています。墓誌銘集<下>(中国法書ガイド)に新井北風先生の「張玄墓誌の書法」という論文が載っていますが、小坂先生のこの書はとくに古書をまねた臨書ではなく、雰囲気を残しながら、自分流にアレンジしたものとなっています。個人的には題字がいい感じです。
もう一巻、ありますが、これは行書?で書かれたもので、出典は不明です。というより何字かは読めないのです。おそらく楷書をある程度マスターしたあと、行書に挑戦するように父に与えたのでしょう。明治期の漢籍に親しんだ知識人なら容易に読めたでしょうし、出典もわかるでしょうが、書道、漢文の素養はほとんどなく現代人にはこの程度のくずしも読めません。なさけないことです。
弘前は城下町だったせいか、書道も盛んで上田流という流派が江戸期盛んで、その後も昭和6年には書家の高橋閑鶴ら7人が参集して「北門書道会」を結成して、今に続いています。またNHK大河ドラマ「篤姫」のタイトルも弘前市在住の菊池錦子さんが書いています。ロータリーの奨学生の中国人の学生で日本に書の研究で来ているひとがいましたが、彼によれば書の研究では日本は中国より進んでおり、書の名品も中国より日本の方が多いとのことでした。文化革命直後に中国に旅行しましたが、文化革命で破壊された文化財、書画が痛ましい姿で展示されていました。おそらくは日本でいう名品と呼ばれている作品も紅衛兵などにより破られ、公民館みたいなところでほとんど
修復もされずに展示されていました。こういったことが何百年も続き、書画は紛失、破壊されていったのでしょう。
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2 件のコメント:
蘭亭十三跋の第五跋です。
コメントありがとうございました。参考になりました。
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