2014年11月13日木曜日

東奥義塾高校図書館


 昨日、東奥義塾高校に招かれて、生徒に対して「社会体験課外授業」として40分ほど講演を行ってきた。内容は「東奥義塾 過去・未来」というもので、先に経済塾友会で行ったものと内容は半分くらい被っており、最初に東奥義塾の特徴について述べた。

 東奥義塾は東北でも最も古い私立学校であること、藩校から考えれば創立218年で、日本でも広島の修道中学・高校につぐ二番目に古い学校であること、義塾という名は福沢諭吉から直接つけてもらったこと、青山学院との関連などを話した。英語の教育内容は日本でもトップクラスであり、また多くのプロテスタン系牧師を生んだのも特徴なのかもしれない。いずれにしてもこの学校は、ただの日本の果て、北国にある小さな私立学校、それも公立高校に落ちた生徒がいく学校ではないことを強調したかった。自分の学校のことを知り、もっと誇りに持ってほしい。

 私事になるが、うちの長女は、高校時代バスケットばかりして実際に受験勉強をしだしたのは、高校三年生の夏休みが終わってからで、それもそれほど必死なわけでもなかった。関西大学の推薦入試を受けるも、二次試験で不合格。ここが高校生のばかなところで、根拠なく、この推薦に通ると思っていたようで、結果発表の10月ころになってから、ようやく尻に火がつき、勉強するも、わずか3か月の受験勉強ではだめで、結局、京都にある大学に何とか入学した。ところが、いざ就職するとなると、この大学から一流企業に勤めるのは非常に難しく、現実の壁にぶつかった。運動をしていたので体力だけはあるので100社以上の会社を受け、何とか希望する会社に入り、ぶつくさ言いながらも今は懸命に働いている。一方、妹は、自分で推薦を探してきたものの、部活もしていないので、推薦文が全く書けず、ロータリーでうちに4か月ホームスティーしたアメリカの留学生のことを絡めて書類を作り試験を受けた。幸い10月には推薦が決まり、兵庫県のそこそこの大学に入った。今年、4年生だが、就職活動も姉に比べてのんびりしていたが、先輩の推薦で大企業に内定をもらった。こういった身内の現実をみていると、高校生で大学、それも県外の大学に進学するなら、できるだけ有名大学に進学することが、就職にも有利ということになる。有力400社の就職率は慶応義塾が41%、法政が15%であるが、すべての大学780校のうち、上位100校に入らなければ、実質的にはこういった有名企業に入社するのは難しい。確かに三流大学から入る優秀な生徒もいようが、きわめて例外的となる。こういった現実を高校生は知らない。何のために有名大学に進学するか、その理由は残念ながら、日本では一流企業に就職する、将来の門戸が広がることを意味する。京都大学からはノーベル賞をとる人から、お笑い芸人、プロ野球選手にもなれる。それ故、うちの長女のように就職に苦労するなら、あと半年早くから必死に勉強に取り組んだら、少なくともワンランク、あるいはもっと準備を早めたらツーランク、志望校を上げられたかもしれない。さらに言うと、今は推薦入学の比率が私立では半分くらいになっている。こうなると通常の入学試験と同様な取り組みが必要となる。小論文など、聞くとみんな親が書いており、私の場合もすべて私が、娘が慶応にいった知人二人も論文は自分で書いたと言っていた。友人に大学教員も多く、ほぼ相手の望むような論文を高校生ぽく書く自信はある。プラス英語などのペーパー試験が課されるので、とくに私立の場合は英語の比率が高く、集中的な勉強が必要となる。さらに、キリスト教の学校にも関わらず、東奥義塾ではボランティア行事がほとんどない。全校で何か活動をすれば、それで推薦文が書けるので、これはやってほしい。雪下ろし、農家、福祉施設の手伝いなど何かあろう。また学校の方も指定校推薦をもっととるべきで、東奥義塾の場合も青山学院の創立、戦前の危機を救った恩義からも45名の推薦枠はいただいてもいいと思う。さらに慶応義塾大学にしても慶応高校に次ぐ、古い姉妹校として1名くらいの推薦枠があってもいいだろう。
 こういったことを高校生に話した。本来はもっと夢のある話にすべきだが、不合理な大人の社会も少しは知ってほしいと思った。

 講演前に時間があったので、義塾の図書館を見学させてもらった。ここの図書館はすごい。藩校から継承された江戸時代の本と明治初期の洋書、約5000冊が資料室にある。さらに明治5年からの義塾の資料やOBの寄贈図書もあり、本当にその内容には驚いた。できれば一日中いて調査したい。こういった貴重な資料が多くある高校図書室は全国でも少なく、ここには多くの大学研究者が調査にくる。蔵書数は7万冊で、東北では最高、日本でも高校単独としては有数である。この日も倉庫から新たに見つかった戦前の雑誌、本を整理していたが、その中にも陸奥史談がかなりあった。全号が揃っているのは青森県立図書館と国会図書館くらいではなかろうか。その他、戦前の軍事ものの資料もたくさん机に積み上げられていたが、こういったものは戦後、すべて捨てられたのので、今では案外貴重なものである。


  写真上の明治九年の集合写真の右にある表札がそのまま、でんと資料室に置かれているのには驚いた。棚にあった資料の一部を見せてもらったが、すごいもので明治37年?の同窓会名簿には山田純三郎、四郎のことが書かれている。浩蔵、三男、四男となっていて、住所は蔵主町12番地になっている。すでにデジタル化されているとのことなので、何とか、弘前市立図書館と連携してもらい、弘前市立図書館でもパソコンあるいはプリントしたものが見られたらいいのだが。

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