2017年3月2日木曜日

かまやつひろし 祖父、釜萢兵一


 かまやつひろしさんが亡くなった。「ザ・スパイダース」のメンバーで、堺正章、井上順がお笑い系のキャラで人気があったが、かまやつさんも「ムッシュ」の愛称で、バンドの中での音楽通として人気があった。スパイダースの代表曲の「あの時君は若かった」、「いつまでもどこまでも」などの名曲もかまやつさんが作曲した。

 変わった作品に「エレクトリックおばあちゃん」がある。歌詞は
 
ばあちゃん 弘前のおばあちゃん
ばあちゃん
孫の顔見にはるばると
東京さ行きたくて
気軽に津軽を抜け出した
弘前のばちゃん
飛行機乗っ取りハイジャック
海にはシージャック
わが家は突然パパジャック
弘前のばあちゃん
ばあちゃん今日は弘前
あしたは長崎
行き先かまわず飛び回る
弘前のばあちゃん

 何でこんなに弘前の名が出るか、今の若い人にはわからないが、実はかまやつの父親、ジャズ奏者、ディープ・釜萢の父親、釜萢兵一は青森市出身である。「青森県海外移住史」(青森県発行、昭和46年)に笹森順造の記述が載せられているので、紹介する。
釜萢兵一
 —クリーニング業・剣舞達人—
青森市出身で、鳳志を抱き渡米し、カリフォルニア州ロサンジェルスに定住、クリーニング業を営み産をなし、多数の子女をよく教育した。詩吟に長じ、剣舞を好み、各種の祝賀大会などで、余興として大刀を振るい独特の妙技を演じていた。
 氏は熱心なクリスチャンで、教会伝道に奉仕した。その多数の子女は各方面に進出し、二男テープ・釜萢は日本に来て、音楽界に現われ、ジャズの先駆者として、流行歌手を多数養成している。

 ちょっと型破りなおじいさんである。ディープ釜萢、森山久(森山良子の父)と東京ローズ、アイバ・戸栗さんの面白い関係は、次のブログに詳しい。

 釜萢という姓は、全国的にも珍しく、弘前市内に今も残る水路、釜萢堰に名がある。明治二年弘前絵図には釜萢姓に、庄之助、多門、是太郎、宇一の名がある。また釜萢庄左衛門は幕末、弘前藩から江戸の勝塾に派遣され、勝が長崎伝習生督学に任じられると、勝の召使いとしてついて行く。釜萢兵一がどの家の出身であるかは不明である。

 冒頭のエレクトリックおばあちゃんとは、戦後、釜萢兵一が夫婦で帰国して弘前に住んでいたのだろうか。それともディープ釜萢の妻、浅田恭子の妹、陽子は森山久と結婚したが、恭子と陽子の母が弘前の人だったのか。わからない。そういえば、今日の弘前市立図書館は3、4名の背広を着た図書館に似つかわしくない人が懸命に古い新聞を探していたが、かまやつひろしさんの先祖を調べているのかもしれない。

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