2019年3月7日木曜日

土屋嶺雪コレクション

美人図(地獄大夫)

白衣観音菩薩像図

鮎と川蝉

 土屋嶺雪の作品もすでに13点となった。先日、アメリカのシンシナティー美術館の方が家にきた折に、このコレクションを見てもらった。お世辞とは思うが、素直に褒めてくれた。作品の制作年代は不明であるが、それでも1920年頃から1950年頃のものと思われ、画風と賛、署名から作品年代がある程度、推測される。大正期から昭和初期の作品は、富岡鉄斎に触発されているのか、賛が長くて、絵も大胆なタッチであるが、次第にそうした傾向は少なくなり、繊細で控えめな画風となっていく。
 
 画題については、親友あるいは師匠である橋本関雪に近く、様々なジャンルに挑戦している。特に動物画はうまく、魚、鳥、あるいはリスなの小動物の表現も巧みである。また人物画でも、浮世絵風、あるいは写実的に表現され、これもなかなかのものである。ただ山水画については、やや硬さが目立ち、伸びやかさに欠ける。これも13点、集めることで、理解できたことであり、一点、一点で見れば、こうしたこともわからない。

 土屋嶺雪については、資料がほとんどなく、おそらくどこの美術団体にも属さず、また展覧会などにも作品を出していないと思われる。大きな展覧会などに出していれば、入選などなくても記録に残るので、こうした記録がないということは、出していないことになる。作品を見る限り、速描きの作者ではなく、一点、一点、きちんと構図を練り、ある程度、下書きをして、作品を仕上げていると思われ、作品数もそれほど多くなく、また展覧会に出さないというとことは、大型の屏風などの作品は少ないと思われる。

 今の画家は画廊という中間業者がいて、そこを通じて作品を売買するが、昔は、直接、画家に依頼して描いてもらったケースも多かった。ある作家のことが好きであれば、子の誕生、家の新築を記念して、依頼し、作品を描いてもらう。それを見た違う人が、また作品を依頼するといったあんばいで画家は生活していたのだろう。土屋嶺雪もこうした生活をしていたと思われ、逆に展覧会などに作品を出さなくても、口コミの依頼だけで何とか生活ができたのだろう。

 弘前を代表する日本画家、野沢如洋(1865-1937)は、中央画壇に抵抗した画家であるが、ものすごく描くのが早くて、1日に千枚、絵を描くというパーフォーマンスをしたこともある。ただ現在、残されている作品を見るとあまりにラフ、あるいは走り書きに近く、また同じ画題、内容の作品が多い。おそらく求められたら、その場で、パパッと作品を仕上げたのだろう。馬の生態を巧みに描写しており、うまいのであるが、どうも物足りない。山水画には見事な作品があるが、今日的に見るとやや陳腐である。かっての人気ぶりに比べると近年の凋落は凄まじい。

 話を戻す。シンシナティーの方からこれだけのコレクションを集めるのにどれだけかかったかと聞かれた。34年と答えると驚き、すべてヤフーオークションで集めたというと呆れられた。昔であれば、こうした忘れられた画家の作品は書画骨董屋、画廊でも扱われず、作品収集は非常に困難であった。この土屋嶺雪についても、最初の作品は、姓がわからず“嶺雪”の名だけで出品されていた。その後、私のブログで姓が判明すると、少しずつ作品が出品されるようになった。主だった作品はほとんど購入しているが、骨董屋もすでに買い集めていた作品の素性がわかったために、次々と出品していったのであろう。ただ強烈な個性もない作家であるため、今後とも大きな注目を浴びる作家ではないし、値段も上がることはない。それでも自宅にいながら、展覧会を家で開ける喜びは大きい。いい時代になったものである。ネット社会では、無名の気に入った作品があればそのコレクターになるのは金銭的、時間的にもそれほど難しくはない。

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