2020年6月8日月曜日

たばたせいいち(田畑精一)さん 原画

下段の左以外は”ダンプえんちょうやっつけた”の原画




 絵本作家の田畑精一さんが昨日、89歳で、老衰で亡くなった。田畑さんは大阪生まれで、京都大学の理学部で原子物理学を学ぶが、人形劇、絵本に興味を持つようになり、大学を中退して絵本作家になったという変わった経歴を持つ。代表作には“おしいれのぼうけん”、“さっちゃんのまほうのて”などがあり、いまだに人気は高い。“おしいれのぼうけん”は1974年、“さっちゃんのまほうのて”は1985年なので、いずれも出版から35年以上経つロングラン絵本である。“おしいれのぼうけん”は、最近も又吉直樹や広末涼子がコメントを寄せ、いまだに保育園では園児への読み聞かせとして人気が高い。

 実は田畑精一さんについては、昨年10月頃よりその絵本原画がヤフーオークションに出ていて、何件かは落札したので、知っている。絵本の原画は当たり前だが、この世に一点しかない。なぜこの時期、田畑さんの原画が大量に出たか不明だったが、昨日亡くなったことを知ると、ここしばらくは体調が悪く、自分の作品の原画を、死ぬ前に知人を通じてオークションに出したのだろう。全部で数十点の原画や下絵が出品されていて、安いのもので1000円くらい、高いもので10万円くらいで落札された。私が落札したのは“ダンプえんちょうやっつけた”の原画4点と、“だんち5階がぼくのうち”が1点、それと学童保育の表紙画1点である。流石に人気作品の“さっちゃんのまほうのて”と“おしいれのぼうけん”はオリジナルの原画は出品なかったが、その草稿画がかなりの値段で落札された。“ダンプえんちょうやっつけた”はいまだに再販されており。これも人気のある作品であるが、上記の本ほど読まれていない。

 おそらく今回の原画のオークション出品にあたって、代表作の“さっちゃんのまほうのて”と“おしいれのぼうけん”の二つの絵本の原画はオークションに出さず、どこかの図書館や展覧会に出すために残しているのだろう。

 こうして落札した原画は、病院に壁にきなりの立体額に入れて飾っている。当初はそのまま飾っていたが、絵本の原画なので、絵本も買って、そのセリフも一緒に載せることにした。なかなかオシャレで自分としては気に入っている。こうした白黒のシンプルな絵もインテリアとしては映える。

 うちの母もアマチュアの絵描きであるが、高齢のため、数年前から自分の作品の整理をしている。故郷の徳島県の脇町を描いた作品は、脇町の役場、図書館や観光施設に寄贈し、飾ってもらっている。また知人や友人にも送っている。展覧会用に50号以上の大型作品や屏風は、場所を取るため、知人、都会に住む兄や姉のところには送られないないので、もっぱら私のところに送られる。娘の8畳の部屋が母の絵でいっぱいになってきた。お客さんが来るときにはたまには玄関に屏風を飾ることもあるが、いずれにしてもかなり場所をとる。画家にとって自分の死後、作品が一括して美術館などに収まれば、これほど嬉しいことはないが、今や美術館も収容作品も保管場所がなく、寄贈するといっても、なかなか引き受けてくれない。勢い知人や友人に送ることになるが、人に送って喜ばれる作品とそうでない作品がある。静物画、風景画は人気があるが、人物像、裸婦、ことに嫌われるのは仏像や怖い絵である。昔、弘前ロータリークラブにいた頃、知人から青森県でも有名な作者の遺作があり、欲しい人にあげるという。写真を見ると地蔵さんが描かれた作品が2点だったが、これを家のリビングに飾ろうとする人は誰一人おらず、結局、葬儀店をしている人が葬儀場の飾りとしてもらった。

 田畑精一さんの絵本の原画もこうした断捨離の一環としてオークションに出されたものと思われる。今後、田畑さんの原画展のようなものが開催する場合は、ご協力するので是非、ご連絡して欲しい。原画には絵本とは違う良さがある。


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