2022年6月23日木曜日

吉井千代子さんの遺産


 


本町の旧千葉酒造店があっけなく消滅したのはショックであった。本町に残る最後の明治時代の商店だっただけに、古い建物を使って喫茶店、レストラン、インテリアショップなどできないか、何か方策はなかったのかと単純に思ってしまう。地価の下がった現時点では以前ほど土地価格は高くない。「ウチノカチ」というサイトで調べると、本町の土地価格は坪35万円となっており、旧千葉酒造店の敷地は150坪程度であるので、5250万円程度になる。ただ、この値段では売買は難しいであろう。というのは昔ほど商業地としての本町の価値はなくなり、実際の売買価格は坪25万円がせいぜいであり、さらに旧千葉酒造店、住宅などの解体費用に500万円かかる上、買っても駐車場くらいにしか用途はない。旧オーナー、吉井千代子さんはかなり趣味人で、調度も素晴らしかったようで、内部をよく知る人によれば、十分に住める状態であっただけに、全国的にもう少し募集あるいは、弘前市の多少の助けがあれば、買い手は見つかったかもしれない。相続人にとっては、一刻も早く、現金にかえたかったのであろう。

 

同様なことは同じ吉井千代子さんが保有していた、弘前大学裏、富士見町の桜林も跡形もない。先日、散歩がてらに見に行くと、50坪くらいの敷地に区分けされ、住宅が建設中であった。昔の面影は全くない。ここは坪15万円くらい、一区画700-800万円程度、建物価格2000万円くらいとなり、全部で44戸の区画となる。住宅、土地合わせて3000万円以下となる。弘前では、住宅付きで2500万円くらいが、よく売れる価格帯であるので、こうした分譲になったのであろうが、坪単価としては少し高い。2000坪以上の土地を開発し、販売する場合、人気のある価格帯の住宅を売るやり方をとるのだろう。ただ周辺を見ると学生向けのアパートばかりあり、それもあまり入居者がいないようである。人工減の弘前で、こうした住宅を建てても、将来的に魅了ある、あるいは土地価格が上がるような要因とはならない。桜林の中の住宅といった、昔の面影を残したような魅力的な土地開発も可能であったと思われるし、家の周りが全て庭、森という環境は子供達の格好な遊び場ともなる。費用を無視すれば、同じ住宅にするにしても、自然環境を残しながらもっと魅力的な空間を作ることはできそうである。昔の記憶が全くなくなるのは残念である。

 

いずれの物件も、相続関係で、関係者が一刻も早く現金化したことが、残念な結果となったと思われるし、仕方がないと言えよう。自分に置き換えれば、遠い親戚の持つ土地が、例えば宮崎県の延岡市にあったとしよう。そんなところは一度も行ったこともないし、思い入れも全くない。たとえ、明治時代の貴重な建物があっても、そんなものは関係なく、できれば金をもらいたいと思うは当たり前である。

 

吉井千代子さんが残した遺産のうち、吉野町のレンガ倉庫は、奈良美智さんの功績もあり、レンガ倉庫美術館として残ったが、残る弘前駅前の吉井酒造事務所、倉庫については、早晩、壊された更地になるのだろう。この倉庫も使われていなかったが、台風などで屋根が壊れたりし、その都度、吉井さんが修繕していたが、そうした費用を出す人もいなければ、潰すしかない。ここは市民にとっては全く未知のところであり、少なくともテレビ、雑誌などで取り上げていただき、内部の状況を伝えてほしい。それはまずは保存の第一歩となるかもしれない。

 

PS1988年の藤代営業所から弘前駅前までの弘南バスからの風景を撮影した、この動画は本当に面白い。上鞘師町と元寺町との交差点は非常に狭い一方通行の道で、齋吉旅館も大きく、その前にはたこ焼き屋があった。駅前も全てアーケード街であった。19831984年頃は家内と遠距離恋愛で、2ヶ月に一回ほど弘前に来ていたので、このころの弘前の街の風景も覚えている。画像が悪いが、一種のストリートビューで、貴重な動画である。ちょっと気になるのは、ねぷた村の横の道をすぎ、蔵主町に曲がる道の角に大きな屋敷がある。今はセシーズ弘前公園というマンションになっている。カネショウ、櫛引家のあったところである。

 

https://www.youtube.com/watch?v=1q5zxgXgl_c&t=423s

 

 

 

 

写真のマルエ食堂の一部がたこ焼き屋になっている

























4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ご紹介の動画、興味深く見させていただきました。
亀甲通りから進んで蔵主町に曲がる角の建物、1987年の地図では三芳商会となっていました。
http://tom.sakura.ne.jp/jpeg/KamenokoKuranushi.jpg
屋根の様子から見て、ここもお向かいと同じ食品工場かなという気もしますが、検索しても何も情報がなく、詳細は不明です。

広瀬寿秀 さんのコメント...

年配の方に聞いて、そのまま記載しましたが、仰るよう三芳商会があったところでしょう。その前の昭和10年の地図では中谷孝三の名があり、中谷建設と関係があるかもしれません。この時代となると、記録を調べるより、年配の方に聞いた方が早いと思いましたが、結構、記憶違いがあるようです。多分、図書館に行って、弘前商工会議所50周年、80周年史を見ると載っていると思います。古いビルが多数載っていて、いい資料です。

匿名 さんのコメント...

はじめまして

弘南バスからの車窓動画のご紹介ありがとうございます
1988年には県南に住んでおりましたが 現在は津軽に戻っております

蔵主町に曲がる角のカネショウ櫛引食品には1972年頃に
事務員として一年ほど勤めておりました

懐かしいです

これから遡ってブログを読ませていただきます

ありがとうございました

広瀬寿秀 さんのコメント...

コメントありがとうございます。
他のコメントにもありますが、カネショウの前の大きな家は何をしていたところでしょうか。今はマンションになっており、1987年の地図では三芳商会、1935年の地図では中谷孝三となっています。
この動画は34年前のものですが、ある意味、街は変わっていないと見ることもできますし、ある意味、ずいぶん変わったと見ることもできます。駅前はすっかり変わりましたが、中央通りのSKK前あたりは今と同じです。もう少し画像が綺麗ならいいのですが。グーグルのストリートビューが古いデーターを残してくれれば、昔の風景を自由に見れるようになるでしょう。