テレビドラマで、大学病院の医局というと上下関係の酷い、権力構造の縮図のような描かれ方をしている。典型的な例でいうと、その頂上に教授が君臨し、その下には助教授、講師、そして助手とピラミッド構造で、教授の言うことは何でも聞く、「白い巨塔」のような世界を思い浮かべるに違いない。私が東北大学歯学部にいた頃、「白い巨塔」は東北大学医学部附属病院のことだという噂を聞いたし、実際、医局も第一外科という名称ではなく、財前外科という風に教授名を講座名に冠した。また教授と便所で一緒になると、「あれ、君はうちの医局だっけ」、「はいそうです」、「そういえば、―――村の診療所から医師を送ってくれと催促されている。君行ってもらえるかね」というような話を聞いたことがある。また教授回診と称して、教授、助教授、講師に若い先生がゾロゾロと続いて、患者を診る儀式もあった。こうした構造は医局員の多い講座では今でもそうかもしれないが、少なくとも歯学部病院では、多くても医局員は30名くらいで、もっとファミリーな感じとなる。
先日も、鹿児島と東京から後輩が弘前に遊びにきた。2年、4年後輩である。私がいた鹿児島大学歯学部歯科矯正学講座は、全員でだいたい20名くらい、教授1名、助教授1名、講師1名、助手が6名、大学院生が4名、医員が6名くらいであった。当時はまだたたき上げの助手がいた時代で、その後、国立大学の大学院大学構想により大学院生でなければ医局に入局できなくなった。私の場合は、かなり特殊で、東北大学歯学部小児歯科に三年いてから、助手として鹿児島大学歯学部歯科矯正学講座に入局した。同期は3名で、矯正の新人教育を受ける一方、すぐに歯学部六年生の実習の担当教官となった。三年医局にいて、宮崎医科大学の歯科口腔外科学講座に出向することになり、そこで口蓋裂と外科矯正患者を担当した。ほとんどの手術の助手としてオペ室に入った。その後、鹿児島大学に戻ってからはやめるまでは外来長として勤務した。
大学の医局というところは、部活にも似ているが、そうかといってそれほど上下関係は厳しくなく、あえて言えば、戦友会に近いのかもしれない。教授といってもそれほど距離はなく、結婚する場合は、ほぼ全員、教授が仲人となったので、子供ができると挨拶にいったりする仲であった。上司の鹿児島大学の伊藤教授とは、スキューバーダイビングしたり、ヨットに乗ったり、野球をしたりした。講師や助手くらいになると年齢も近いので、しょっちゅう飲みにいったり、ドライブにいったり、独身であれば、合コンに一緒にいったりした。感覚として一応は先輩であり、指導教官ではあるが、距離は近く、敬意を払いつつも、友達感覚だった。
朝から晩までいる点では会社組織にも似ているが、会社のような利益追求ではなく、唯一の目標が患者の病気を治すことである。教授から医員まで、大学病院のメインの目的が患者の病気の治療に尽きるので、その点ではチームとしてのまとまりがある。特に矯正歯科学講座は、専門開業する人も多く、開業後も学会のたびに同門会が開催されたり、患者紹介、治療、経営の相談など、かなり頻回にやり取りがある。高校の友達といえば、ほぼ同級生に限定されるが、医局は上下5年くらいまでは非常に仲良く、仕事も同じであることから、部活メンバーより幅広い。また矯正歯科の場合は、医局により治療システムが違うため、有名な例では、アメリカのイリノイ大学矯正歯科の出身者はイリノイ派として有名だし、オーストラリアのベッグ教授に習った先生はベッグ派と呼ばれる。
もちろん医局によって、雰囲気はかなり違う。私の場合は東北大学歯学部小児歯科にも3年間いたのでこの医局の雰囲気も知っているが、ここは教授との交流は少なかったし、女性が多かったため、あまり飲みに行くことは少なく、運動系というよりは文化系の雰囲気であった。また宮崎医科大学医学部歯科口腔外科にも1年間出向に行ったが、ここは完全に外様であったし、病院自体も完全に孤立し、周囲は田んぼであった。医局であまり遊んだ記憶はない。外科系の医局だが、それほど体育会系ではなかった。
医局というは、一般の人からはあまりわからない存在だが、中にいるとなかなか居心地がよく、他所から教授が赴任してくると、ひどいところになると医局員のほとんどがやめるということも起こりうる。それでなくとも、教授選の対抗馬の助教授、講師は間違いなくやめる。医局の新陳代謝をするためには、他大学から教授を迎えるのが一番である。