2025年11月3日月曜日

日本の原子力潜水艦

 



ようやく高市政権となり、日本でも原子力潜水艦保有の機運が生まれそうになってきた。自衛隊にとって、特に旧日本帝国海軍の歴史をもつ海上自衛隊にとって、空母と原子力潜水艦の保有は悲願であった。空母に関しては、いずも型護衛艦、いずもとかがで概ね達成でき、さらに大型の空母や強襲揚陸艦の計画もあるが、原子力潜水艦については、核アレルギーが強く、漫画(沈黙の艦隊)で取り上げられるだけであった。

 

ただ最近とみに著しい海軍の増強を行っている中国に対抗するためには、潜水艦とりわけ原子力潜水艦が最も中国にとって脅威となり、台湾侵攻などを含めた中国への抑止力となる。中国海軍は、近代的という観点からは、その歴史は浅く、せいぜい30年くらいしかないし、近代的な海戦経験もない。大型空母などの設備は近年、すごい勢いで充実されてきたが、空母本体には防御機能はなく、それを取り巻く、駆逐艦、潜水艦などセットとして、空母打撃群として機能する。とりわけ最大の脅威は、水中からの攻撃、潜水艦による攻撃で、さしもの空母も潜水艦による一発の魚雷で、航行不能になる可能性もあり、第一次世界大戦以降、その構図は変わっていない。これまで中国海軍はこうした実践経験がないため、もし中国の空母打撃群がアメリカの原子力潜水艦で攻撃されたら、ひとたまりもないと言われている。

 

最も中国が恐れる兵器が、潜水艦なのである。ましてや日本は四方を海で囲まれていおり、日本を侵略するためには、必ず、海上輸送が必要となってくる。武器、兵員全て海上輸送で運ばれ、それが潜水艦で狙われるとなると、これほど怖いことはない。まして中国海軍は、これまで中国沿海の海軍であったため、広い海域での海戦経験は全くなく、とてもではないが、アメリカ海軍、潜水艦の攻撃に対抗できない。ただ中国周辺に、常時、多くのアメリカ原子力潜水艦を回遊することはできず、もし日本が原子力潜水艦を保有すると、計画されているオーストラリアの原子力潜水艦とともに、中国周辺海域にかなり多数の潜水艦を投入でき、台湾あるいは周辺国への中国による侵攻抑止となる。

 

ただ日本で、これから原子力船を作るとなると、その推進用の小型原子炉を開発しなくてはいけない。日本では原子力船むつの失敗以来、原子力船の計画、設計はなく、建造には安全性も含めて相当な開発費と期間がかかる。むしろ、アメリカ海軍の原子力潜水艦バージニア型で使われているS9Gという小型原子炉をそのまま輸入して、日本独自の船体に搭載すれば良い。実際、海上自衛隊の護衛艦のタービンエンジンはGE社のものを使っている。さらに最新のアメリカの原子力潜水艦は、原子炉は主として電力供給に使われ、推進装置は電気推進となっている。元々海上自衛隊のたいげい型潜水艦もリチウム電池による電気推進なので、この電気供給をディーデルエンジンから原子炉に変える違いとなるだけである。かなり経費や開発期間の短縮が見込まれる。さらにいうなら、アメリカではもはや造船技術がかなり後退しており、造船技術の両国の移転ケースとなりうる。実際、オーストラリア向けの原潜の建造もかなり遅れそうで、アメリカの造船能力が厳しい状況となっており、日本での建造が現実的となる。また日本の潜水艦造船技術、とりわけ船体を覆う船殻構造、金属に優れており、最大深度は1000mに達するといわれ、さらにかなり深い位置からの魚雷攻撃も可能であることから、理論上は相手の潜れない、攻撃できない深さからの攻撃が可能となる。さらにソナー能力や音声解析などを含めて探知能力は元から優れているため、日本が原子力潜水艦を持つ意味は非常に大きい。アメリカ側でも、日本と共同開発は今後の新型原子力潜水艦建造にとってメリットとなる。

 

防衛装備というのは、相手が最も嫌がる設備を揃えるのが、抑止という点では最も大事なことである。台湾有事を考えても、中国本土から兵員、武器の海上輸送がキイとなるため、この安全が確保されなければ迂闊に台湾を攻撃できない。その場合、最も脅威になるのは、台湾が潜水艦を持つことで、2023年に国産の潜水艦を進水させている。今後も増産され、8隻体制となる。ただ台湾の地政学的欠点として西方海域は大陸棚の浅い海で、潜水艦の活動がしにくい場所であり、両国が機雷を設置して港の封鎖を狙っていくであろう。中国海軍の欠点としては、対機雷戦に弱いとされており、近年は急速に能力が高まっているとはいえ、実践経験は少なく、台湾による機雷敷設は脅威となる。逆に日本の対機雷戦の技術は世界でもトップであり、台湾有事でアメリカ軍が参戦した場合、日本の役割は基地、燃料提供などの後方支援と、港湾の機雷除去、潜水艦によるパトロールなどとなろう。すでに日本の通常動力型のたいげい型の潜水艦は、フランスのリュビ級原子力潜水艦より大きく、アメリカと十分、小型原子炉、周辺設備について協議すれば、日本独自の原子力潜水艦は十分に建造可能と思う。原子力というと日本ではタブーとなっているが、原爆を開発するわけではないし、すでに53年前に原子力船むつを竣工させている。さらに三菱重工では1m*2mという小型マイクロ炉とリチウム電池のハイブリットシステムを開発しており、潜水艦にも搭載可能という。

 

軍事費の拡張というのは中国、アメリカ、日本にとっても無駄なことであり、今日のアジアでの緊張関係を招いているのは中国であるのは間違いない。旧ソ連がアメリカに対抗しようとする海軍増強を諦めたように、同じ大陸国家の中国が今更、海洋国家になれるはずはなく、4隻目の(原子力?)空母は諦めて欲しいところである。アメリカのような11隻の空母と空母群を持つのは、あまりにも海軍国として経験がなさすぎて、将来アメリカだけでなく、日本、オーストラリア、韓国が原子力潜水艦を保有するような状況には対応できないだろう。







2025年11月1日土曜日

来年度NHK朝ドラ 風、薫る 鈴木雅について 4


 



これまで3回ほど、来年度NHKの朝ドラの主人公のモデル、鈴木雅の出身校について書いた。鈴木雅については、横浜のフェリス女学院を卒業したという資料が多いが、これは間違いで共立女学校(現在の横浜共立学園)を修了しているのではないかと、いろいろな文献を引用して説明してきた。

 

鈴木雅フェリス女学院を卒業したという証拠は、フェリス側の資料には存在せず、学校の記念誌も含めて公式の場ではそうしたことを発言しておらず、高橋政子著、「日本近代看護の夜明け」の中にある鈴木雅の孫の証言によるものしかない。さらに古い資料を探すと、明治30年発行、福良虎雄編「女子の職業 新撰百種:第三編」に“尚、生徒の取締として鈴木マサ子と云える婦人を頼みたり。此のマサ子は横濱フェリス女学校の卒業生にて嘗て某陸軍大佐の細君となり、英語等にも熟達せる故、彼のウェッチ嬢の通便として雇われたるがーー”となっており、また医学史研究会による「医学史研究」(1976)では“彼女(鈴木まさ)は一期生の中では一番年長で、かつて横浜のフェリス女学校を卒業して、――”となっていて、他にもフェリス卒業としている論文は多いが、根拠は示されていない。

 

一方、共立学園では、60周年誌では同級生の寄稿文の中で、一期生の中に加藤おまさ(鈴木雅)の名前が出ており、150周年誌でも同校を修了したとしていて、学校の公式資料でも鈴木雅は同校を修了したとしている。

 

こうした中、今回、ほぼ決定的な資料が見つかったので報告する。「明治百話」という本で、篠田鉱造というジャーナリストが昭和6年に出版した。名著として今でも岩波文庫に入っていて読むことができる。当時の人から明治の思い出話を集めたもので、現在でも資料としても十分に使えるものである。ただ欠点としては、誰が話したかを明示していないことが挙げられる。今回、見つけたものは文面を読むと、明らかに今回、NHKの朝ドラのもう1人の主人公、大関和の話とわかる。彼女は昭和7年に亡くなったので、著者は直接、大関から話を聞いたのは間違いない。大関の話では、鈴木雅は横浜二百十二番館の女学校を卒業したと断言している。横浜二百十二番館とは横浜共立女学校のことである。鈴木自身、自分が行っていた学校を“共立女学校”とは人には言わず、“横浜二百十二番館の学校”と言っていたのかもしれない。普通、二百十二番館の学校と言っても、すぐに横浜共立女学校を思いつくことはなく、孫、親類もほぼ隣にあるフェリス女学院のことだと勘違いしたのだろう。以下、省略して一部引用する。


全文については、国立国会図書館デジタルコレクションで見られるので確認して欲しい。


 

日本看護婦の嚆矢



明治二十年十一月英国セントマス病院のナイチンゲル看護婦学校卒業の、ミス・アグネス・ヴィッチ女史が帝大第一病院で、看護婦学を教授すると聞き、同院の三宅秀先生におすがりして、大学の見習い看護婦に採用していただき、この聴講生の員数に加わりました。鈴木雅子さんが通訳でした。月謝が五十銭。この鈴木雅子さんと申すのは、陸軍中佐の未亡人で、横浜二百十二番館の女学校を卒業した、英語の達者な女性でした。 略

私の役目はお手術後のお手当です。幸い夫人のひとかたならぬ御寵愛をこうもり、大関大関と仰つけられ、実に身に余る面目を施し、神様の御加護の厚きに感謝しました。

 


こうして細かい誤りをしつこく探求するのは、故人にとって自分の出た学校を間違って伝えられることは嫌であろうと思うし、横浜共立女学校の奇跡のクラスと呼んでもよい一期生の影響を鈴木雅は強く受けていると考えるからである。このクラスには、津田梅子と一緒に日本で始めた海外留学をした上田悌子、吉益亮子がいた。さらにその後、アメリカに留学して女医となった、須藤かく、菱川やす、西田けい(岡見京)の3名がいる。そして櫻井女塾を開設した櫻井ちかや、慈善運動に活躍した二宮わか、渡辺かねもいて、本当に奇跡のようなクラスであった。ここで想像して欲しいのは、今でも自分の学校、クラスメートの2名がアメリカ帰り、そして3名がアメリカで医者になると言って留学し、さらに学校を作った同級生もいるという状況である。岡見は日本では五番目、菱川は八番目、須藤は五十五番目と、日本でもごくわずかな女医のうち、このクラスだけで三人もいるのもすごいし、日本女性で最初にアメリカで留学、生活した五人のうち2名が同じクラスでいるのも、若い頃から海外の話を聞いたのは違いない。

 

日本で始めて看護師という礎を築いた鈴木雅を語る上では、どうしても雅が受けた教育環境を知っておかなければ理解しにくい。怖いと思う深い崖でも、皆が次々と飛び越えるのを見ると、勇気が出る。雅にしても夫の陸軍少佐、鈴木良光の死後、確かに生活は苦しかったであろうが、階級からそこそこの軍人恩給が出ていたはずで、生活面だけから子供二人がいるにも関わらず、28(1886)から看護婦養成所に入学する動機は薄い。岡見がアメリカに行き、女子医大に入学したのが1885年、同じく菱川安が留学したのが1885年、須藤かくと阿部はなが渡米したのが1890年、こうした同級生の動きも影響したのであろうか。

2025年10月22日水曜日

宋元仏画 京都国立博物館



先日、同窓会に出席のために神戸に行ったが、伊丹空港から青森への飛行機が夕方の便であったので、午前中に京都に行った。京都国立博物館で開催中の宋元仏画という特別展を見てきた。ホテルが阪神尼崎だったので、阪神電車で梅田まで行き、そこから地下鉄御堂筋線で淀屋橋まで行き、京阪電鉄で七条まで行った。ここからは歩いて京都国立博物館に行く。

 

京都国立博物館に来るのは15年ぶり、何度も行っているが、いい博物館である。今回の展覧会はNHKの日曜美術館で放送されて知った。1000年前の中国絵画がこれほど揃うことは、中国本土でもないし、台湾の故宮博物館にも多分、これほどの数は収蔵していないだろう。特に国宝の孔雀明王像(京都仁和寺)と秋景冬景山水図(京都金地院)は、北宋、南宋を代表する作品で、東洋絵画の中でも傑出した作品である。

 

展示品の多くは、京都の寺院に保存されていたもので、よくぞ1000年近い歳月、紛失、焼失もせず、残っていたものだと感心する。何度も火災に遭って、その度に僧侶たちは寺の宝として持ち出したろうし、明治になり廃仏毀釈運動の中でも売らずに保存した先人たちの気持ちに感動する。中国、あるいは朝鮮にも多くの古い文物があったが、数多くの戦乱により多くの文物がなくなった。特に書画ほど繊細なものはなく、虫食い、シミ、破れなど、陶器や仏像などの他の芸術作品に比べても長期に保存するのは難しい芸術品である。中国の書の研究家から、昔聞いたことがあるが、中国に著名な書家の作品が一番残っているのが日本だと言っていた。物持ちのいい国なのである。また古い美術品、建造物は必ず修復が必要であるが、修復技術も長年継承していた国でもある。

 

私自身、展覧会が好きで、旅行すれば、その地方で何か展覧会がないかと探す方だが、今回の宋元仏画はここ十年の展覧会の中でも最高のものであった。せっかちな性格のためか、あまり一つの作品をじっと見ることはなく、どんな名作でも1分も見ることはない。ところが今回の孔雀明王像と秋景冬景山水図は十分以上見た。単眼橋を持っていくのを忘れたが、細かい描写を見ていくうちに作品に溶け込んでいく。不思議な感覚で、これが名画も持つ力である。特に秋景冬景山水図は、それほど大きくない作品であるが、作品から音、風、あるいは気温まで感じるような作品で、山水画の醍醐味、作品の世界に没入するという行為を楽しめる。傑作である。

 

展示品の多くは、国宝、重要文化財で、さらに収蔵は博物館、美術館ではなく、寺院であるというのが日本らしく、欧米でも宗教画の多くが教会所蔵という点でも似ている。宗教画は、単に芸術作品だけではなく、宗教の信仰の対象であり、寺の記念日や法事などで飾られ、皆から崇められたものである。作品も、こうした信仰の対象でありそこには多くの大衆の千年にわたる願いが封じられている。今後、こうした大規模な展覧会は開催されることはないと思う。それにしても日本という国はすごいところで中国、韓国ですでに滅びているものが多く日本に残っている。今回は絵画という分野であったが、他の美術品、書仏像、陶器の名品の多くは日本に残されており、今や日本の骨董業界、オークションは、中国人バイヤーで埋め尽くされ、日本に残る中国の名品は次々と中国人で買い戻されている。ただ現在、中国では相続税はないため、日本から買い戻された作品の多くは個人の投資対象としてコレクションされたもので、日本の金持ちのように私設の美術館を作って、見てもらうような中国人は少ない。作品の存在は日の目を見ることはない。

 

宋元の絵画はこうした中国人のコレクターにとっては、まさに投資としては最高に優れたものであり、もしサザビーのオークションに今回の作品が出されたなら、小さい作品でも数千万円を下回ることはなく、国宝の作品については十億円以下ということはない。場合によっては50億円をこえる落札価格になるかもしれない。ヨーロッパには、ルネッサンスを中心とする、ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッチチェリーなどの世に名高い名品が存在するが、今回の作品をこうした西洋の名品と匹敵するもので、東洋の名品として肩を並べるものである。

 

こうした展覧会を企画した学芸員に感謝する。寺宝として大切にされてきた京都の寺から展覧会という貸し出される関係は、長い博物館との信頼関係を基盤として成り立ってきたものだからこそだろう。京都という地で開催されるにふさわしい展覧会であった。


 

2025年10月16日木曜日

六甲高校卒業50周年記念同窓会

 




先週、神戸で中高校の同窓会があった。卒業生170名のうち80名くらいが出席した。おおよそ半分の出席率で、これは高い。卒業後50周年記念同窓会は、実は昨年開催する予定だったが、幹事がいなくて今年になった。若い頃はあまり同窓会に参加するのは苦手で、ほとんど出席したことがなかったが、確か20年前の30周年記念同窓会に参加して楽しかったので、その後は東京在住者の同窓会にも参加するようになった。

 

今回は、卒業以来初めて来た同窓生もいて、久しぶりの再会する人もいて楽しかった。胸に名札をつけてもらったので、まあまあ思い出した。一学年、四クラスの170名の学年だったので、必ず同じクラスになっていて、学生当時はほぼ全ての同窓生を知っていた。ただ当時でも友人関係の濃度差があり、あまり親しくなかった人がいて、大まかにいて20名くらいはよく知り、思い出も多い友人で、40人くらいはまあまあ知っている知人、それ以外は学生中もあまり話したこともない同窓生である。

 

あちこちをまわりながら少し話すという感じであるが、50年分を一気にしゃべるので、凝縮した内容となり、いきなりハードな話となる。病気自慢では大腸がんになった、乳がんになったという話から、嫁が亡くなって寂しい、娘が離婚したという深刻な話となる。こちらも大阪人の習性で、同じくらいのインパクトのある話を探すことになる。幸いと言ってはなんだか、私の場合、腹部大動脈瘤の大手術をしたので受け答えができる。何人かの親しい同級生は高校生以降もバンドを作ってライブハウスなどで活動している。今やアマチュアの年配のバンドが演奏をする場所も多く、楽しそうで、羨ましい。またボランティア活動を一生懸命している友人もいて、まだまだ何かやれるかと勇気づけられる。

 

あと気づいたのは、久しぶりに会う友人とは自然に握手してしまう。場合によっては右手で握手をして左手で相手の肩を叩く軽いハグをすることもある。まるでアメリカ人であるが、けっこうそうした場面があった。よく考えると同級生の多くは海外で仕事のため生活した経験を持つので、自然にそうしたことになるのだろう。卒業後、スペインに11年、メキシコに10年、中国に5年とほとんど日本にいない友人もいた。さらに不思議なことは、三次会で隣に座った同級生、茶髪で長髪の同級生が全く思い出さない。そこで正直に「全く思い出せないのだが」というと、高校一年生の時に学校の方針が嫌で転校したという。同窓会の二次会からであるが、転校生も参加していたのである。彼は転校先の関学の同級生とも飲むようで、学校は嫌いだが同級生は好きということで今でも六甲の同級生とよく飲む。まあこの歳になれば、そんなことはどうでもよく、その夜も友人が勧めるSMバーで楽しく飲んだ。

 

男子校の同窓会というと、もちろん女子はいないので楽しくないというが、ある程度、歳をとると、なんでも言える同級生がありがたい。各々会社人間であった頃は、会社での上下関係があり、呼び捨てで呼べる人は少ない。まして会社での地位が上がると、同年輩でもなんでも話せるわけにはいかない。まだ3040歳の頃は仕事関係で同級生と付き合うこともあろうが、極力、なんでも言える関係を保つために、仕事関係の話はしないようになる。ただ例外は、同級生に医師がいる場合、何かあると同級生に中から今の症状にあった知人に連絡する。20人くらいいるので、診療科別に誰かに相談できる。

 

みんないうのは、これから残り10年、元気なうちに楽しくやろうということになった。確かにいつ病気するかも知れず、元気なうちやりたいことをすべきであるが、SMバーはないと思った。個人的には一番金のかからない趣味は、小説を書くことで、今のところ歴史小説、「須藤かく、阿部はな」に関する小説を書いて、何かの投稿サイトに出そうと思っている。数年は楽しめる。来年、福岡でサッカー部の同窓会をすることが決まった。

2025年10月15日水曜日

ネットでいい矯正歯科医院を見つけるのは難しい


日本でもIT企業を中心に、いわゆるスタートアップ企業が続々と出ている。若い方がこうした新しい試みをすることは、日本にとってとても大事なことである。ただあくまで一部の企業であるが、過剰に業績を強調する会社がある。昔は、世間に認知される手段が、新聞、雑誌、テレビに限られていたし、これらのマスメディアはある程度のチェックが入ってから取材されるので、そこにあまり自己宣伝の要素はない。ところが今やSNSの普及により、ツイッター、フェイスブック、インスタ、You-tubeで簡単に発信でき、かなり誇張したものを流している。もちろんいまだにオールドメディアと称するテレビや雑誌、新聞では、発信にはかなり慎重に精査しているが、ネット上では嘘も含めてある意味、フェイク情報が満載しており、その判断は非常に難しい。

 

こうしたアメリカ的な経営方向、S NSを縦横に使い、会社の価値を実際以上に高く見せる手法は、さらにいうと株価操作とも言える楽天的な将来性を語る手法は、うんざりである。会社業績が悪い会社ほど、より会社の将来性、未来は明るいと言うし、そうした情報を大量に流す。結果、株価が上がることこともあるが、最近では、会社、アナリストのこうした予測を、Googleの口コミ同様にあまり信じていない。

 

一例を挙げると、ここ数年、雨後の筍のように出現したマウスピース矯正、A社はホームページで国産メーカの中でのシェアーは40%を占めているというが、B社のアンケート調査では、A社のシェアーでは全体の6%、国内シェアーの10%しかないとしている。そしてA社は年商60億円を公言しており、これに従えば国内のマウスピース全体の市場は60億円÷0.61000億円となる。

 

厚労省の患者調査によれば、年間の初診の歯科矯正患者数は292000人で、アナリストは歯科矯正の平均治療費は100万円なので、これをかけると約3000億円が市場としている。実態は学校検診や本人が歯並びを気にして、歯科医院に行っても実際に治療する人は少ないし、治療する人は何件もの歯科医院を回るため、矯正歯科の市場はこれほど大きくはない。全国には矯正歯科専門医院が約1000軒あり、それぞれ年間多く見て100名の治療開始者がいると計算して、年間で10万人、平均治療費を80万円として800億円、一般歯科での治療する人も同数いて、少し高いが治療費も同額として80億円、計1600億円くらいが実態であろう。予想値の半分くらいである。

 

1600億円が新規矯正患者による年間の収入だとすると、1000億円規模となっているマウスピース矯正はすでに年間の矯正治療費の52.5%ということになる。アメリカでのマウスピース矯正の普及率は23%で、ワイヤー矯正が77%だが、アメリカより日本の方が、マウスピース普及率が高いことになる。アメリカでも、最大手のインビサラインを扱うアラインテクノロジー社の株価が暴落し、1/6 になっており、その理由として顧客数の減少が挙げられている。スマイルダイレクト社の倒産も含めて、すでにこの業界が下降局面に入っていると思われ、さらに業者の言うようにシェアーであれば、これはもっと厳しい。どこかに統計、アンケート上の嘘があるとしか考えられない。

 

これは私の少し知っている業界の話であるが、同じようなことは今やネット上では当たり前になっており、統計、調査上の嘘をつくことが普通になっている。Googleの高評価の口コミがヤラセというのはよく知られているし、化粧品や健康食品の満足度調査も適当と思っている人も多い。本当に正しい情報を得るのはますます難しくなっている。さらにわかりにくくしているのが、専門医の資格を持つためには各学会での倫理規定を守らなくてはいけない、そして多くの学会では医療広告法に違反する不適切な広告を禁止している。つまりまともな治療を行うところは学会の倫理規定で、ネット上で派手な広告が出せない。いざ治療をしようにも上位検索の多くは、専門医でないと言うこともありうる。どこで治療しようかと検索すると怪しい歯科医院が上位となり、まともな歯科医院は学会の倫理規定で派手なHPは出せず、下位となる。またGoogleの口コミの多くもやらせである。企業競争の激化によりますます巧妙な宣伝手法が取られるようになり、さらにアメリカ式ビジネス手法が広まる結果、倫理のなくなった金と訴訟のリアルな世界に日本も入ろうとしている。難しい時代である。


 

2025年10月8日水曜日

北村滋という人



安倍政権のことをよく知る人からすれば、北村滋内閣情報官ほど重要な存在はないという。この人は、あまり知られていないが、安倍晋太郎元首相の最側近の官僚で、首相に入るほとんどの情報を制御していた。元々は警察庁官僚で、長い間、警察畑を歩んでいたが、2006年の第一次安倍政権から秘書官として官邸に入り、2011年には民主党の野田内閣の内閣情報官となり、さらに2012年の政権交代後も引き続き、第二次安倍内閣、第三次、第四次安倍内閣でも内閣情報官であった。さらに2019年からはその高度な分析能力が買われ国家安全保障局長として、トランプ、プーチン、あるいは中国高官と会談し、安倍首相の外交政策を影から支えた。20217月に股関節手術のために退官し、現在、読売調査研究機構理事長に就任している。安倍内閣後もこわれて管義偉内閣でも国家安全保障局長を続けたが、岸田文雄首相とは反りが合わないのか、手術を名目に退任したのであろう。

 

いずれにしても2006年から2021年まで、政権交代、首相が変わっても、用いられていたのは、よほど優秀であったからである。逆に岸田、石破政権下で、これといった外交成果をあげられなかったのは、こうした人物の欠如も響いているのだろう。首相官邸にくる情報のほとんど、手紙も含めて、北村内閣情報官により検閲し、そしてその意味も含めて首相に解説するのが彼の仕事であり、首相の行動を決める最重人物といえよう。

 

私自身、文化大革命の失望から、20歳の頃から自民党一本でやってきたが、前回の衆議院選挙では、岸田、石破政権があまりにも酷いので、自民党以外の候補者に投票した。今度、もし高市さんではなく、小泉進次郎さんを総裁に指名されれば、完全に自民党支持を止めようと思っていたので、高市総理誕生は嬉しいことで、新たな日本の保守政権の復活を願っている。さらに高市総理は、安倍晋三元首相の信念を継承すると言っており、それには必要不可欠な存在が、この北村滋という人である。ウィキペディアで調べると、まだ68歳でまだまだ現役で働いてほしい年齢である。アメリカのトランプ、中国の習近平、ロシアのプーチン、これらに伍して、世界で戦うにはまだまだ高市総理といえ経験不足であり、それを補うのが、ベテランで経験豊かな外務大臣と北村滋さんであろう。

 

石破総理は置き土産に先の戦争になぜ負けたかという自身の見解を述べるそうであったが、その一因として名著「失敗の本質:日本軍の組織的研究」に述べられているように、入ってくる情報をどのように精査、分析して、それを指導者に助言するかが重要であり、ドイツのソ連参戦の情報が入ってきても、それがクズ箱に捨てられ、首相の耳に入らなければ意味をなさない。そうした意味では、内閣情報官、さらにその上の国家安全保障局長の仕事は、現在の国際社会においては最も重要な役職であり、外務畑ではなく、機密漏洩も含めたインテリジェンス活動を求められる警察畑の人の方が適している。

 

中国のいわゆる浸透という情報活動は驚くべきもので、政府官僚、政府首脳、野党にも中国政府の協力者、内通者がいるかも知れず、情報漏洩も含めて、総理周囲には、そうした人物を炙り出すような人が絶対に必要である。もちろん高市さんもスパイ法の成立を目指すくらいの人なので、よく知っていると思うが、安倍首相の路線を継続するのは、まず北村滋という人を利用する以外に方法はなく、三顧の礼を持ってでも早急に内閣に迎えるべき人物である。


 

弘前城多聞、白壁の復元計画 中止

 




あまり新聞、テレビでも報道がなかったので、このブログで取り上げる。以前から弘前城城壁修復に伴う白壁、多聞の復元について問題提起をしてきた。それに対して弘前市議の坂本崇市議が議会で取り上げ、質問してくれた。かなり詳細の質問で、市長と担当職員からの答弁については弘前市の動画で見られるので、興味のある方は見てほしい。

 

坂本市議からは、まず弘前城の整備計画の進行について質問があり、職員からはコロナなどの影響で遅れているとの答えがあった。さらに坂本市議から当初の計画にあった弘前城の周囲にあった白壁、多聞の復元についての質問があり、職員の答えは、復元するのに十分な資料がなく、今のところ復元計画は難しいということであった。さらに復元の際に邪魔になる樹齢100年以上の御滝桜の移動も難しく、そうした意味では白壁、多聞の復元は今回の整備計画の中ではないとしていた。つまり復元できる資料もなく、有名な桜の移動の難しいので、現状のまま、白壁、多聞の復元をしないということである。

 

まずこの答弁の矛盾点として、復元に必要な細かい資料、材質、設計図、詳しい写真など、正確な復元ができる資料がないと復元はできないというのは確かにそうである。それではこれまでの復元はどうかというと、ほとんどの復元建築物は正確な資料はなく、ある程度は想像で建築された。一番ひどい例は三内丸山遺跡で、考古学的な資料以外のものは全く残っておらず、あんなものは復元とは言えない。これは極端な例であるが、どこまでが正確な復元と言えるのかは線引きする考えにより異なる。例えば、名古屋城の御殿については先の戦災で消失したので、多くの写真は残っているが、それでもカラー写真はなく、襖絵や内部の装飾については、かなり推測で復元したと思う。

 

さらにいうと、これも最近の事例であるが、熊本城の御殿についても、数枚の遠景写真から推測して何とか復元までこじつけた。報告書があるが、これは執念を感じるほど、少ない資料から復元計画に導いている。相当困難な作業であったと思うが、なんとか文化庁の許可を得て復元した。これに比べれば、弘前城の白壁、多聞の復元など、熊本城御殿の復元に比べれば、よほど簡単なもので、これで復元の正確な資料がないから復元できないというなら熊本の関係者に笑われるだろう。

https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/115386

 

さらにいうと、移植が難しいという本丸にある御滝桜は、大正3年に在弘宮城県人会の寄付によって植栽された枝垂れ桜で、確かに110年を超える名木ではあるが、これが白壁、多聞復元の障害になるというのは、本末転倒である。もし樹齢100年の木が道路予定地にあるとすると、これを迂回して道を作るか考えてほしい。もちろん樹齢300年、500年を超える古木であれば、その保全のために道を迂回することもあるが、計画そのものがなくなることはない。どうしても保全するなら、この部分は作らず、本丸東側の復元だけでも良い。

 

結局、復元というのは思いの強さであり、熊本城本丸御殿の復元計画を見ると、熊本市、熊本県民の強い思い、もちろん観光資源としての重要性もあるが、復元に対する強い気持ちが困難な条件を克服して復元に漕ぎ着けたと思う。

 

今のところ、弘前市長、弘前商工会議所、観光コンベンション協会、弘前市民にも弘前城の白壁、多聞の復元を希望する気配はない。弘前城は弘前の観光資源の目玉で、熊本市における熊本城と同じ存在である。是非とも白壁、多聞を備えた勇壮な外観を望みたい。それでなくとも、観光客にはしょぼい、あれは櫓であると揶揄されている

 


2025年10月4日土曜日

格安マウスピース治療の危惧

 



ここでは格安マウスピース治療の治療上の問題は扱わない。経営的な観点から危惧されることを挙げる

 

1.前金制度

矯正治療は基本的には治療開始時に全額を支払う。これは格安マウスピースでもそうである。美容整形、脱毛など治療期間が短期の場合はこの料金制度は問題ないが、矯正治療のように長期の治療期間(2年以上)になると、治療中の患者がどんどん溜まっていく。1日の診られる患者数が決まると、新規患者数は多くできないことになる。ただ格安マウスピースは通院回数が少なく、またネット上での治療相談をしているので、患者数はかなり増やせるのだろうが、それでも売上の限界がくる。

 

2.自転車操業

多くの患者を集めるためには、宣伝広告費にかなり投資しなければいけないし、医院も東京、大阪など都市部の一等地に開業しなくてはいけないため、人件費や家賃は高い。借金をして次々に店舗数を増やし、宣伝も増やし、集客をして、治療費、前金をそれに突っ込むやり方である。コロナバブルの頃は面白いように患者が集まったが、今では宣伝しても集客できなくなっている。新規患者数の落ち込みがすぐに経営に響く。

 

3.医師法、医療広告法、訴訟、オンライン診療

アメリカのスマイルダイレクトクラブのような歯科医師のいない営業形態は、人件費の削減には有効でも、明らかに日本の医師法に抵触する。少なくとも歯科医がいないと治療を提供できない。ただ多くの格安マウスピースを提供する歯科医院では、セファロ分析を含めた治療計画を患者に説明しておらず、シミュレーション結果を見せるだけである。シミュレーション結果は治療計画ではない。患者から治療結果にクレームが出て訴訟になった場合、セファロ撮影をしていない、診断、治療計画もないと負ける。実際、30-40万円程度のことで訴訟をするのは弁護士料などを加味すると合わないが、それでも集団訴訟されると厳しい。また格安マウスピースの歯科医院のホームページを見ると、医療広告法に触れるケースが目立つ。今後さらに広告法あるいは罰則規定が厳しくなると、宣伝しにくくなる。また美容医療を提供する医療機関でのオンライン診療は論議が多い。オンライン診療の枠から外れるかもしれない。

 

4.安いと言っても安くない

Oh my teeth 33万円、ローコストのライトプランで30万円、スタンダードで45万円、確かにインビザラインよりは安い。とはいえ30万円を超える金額は決して安い金額ではない。私のところではワイヤー矯正の基本治療費40万円、調整料3000円でしているが、全ての患者は“高い金を出しているのだから、きちんと治してもらわないと困る”と言う。昔、安売り住宅の営業の人に聞いた話では、安いからといってクレームが少ないわけではなく、お金持ちはそもそも安売りの会社で家を建てないし、安い住宅を建てる人は金がない人だと言っていた。金がないから安い治療を受けるのであり、その人にとっては30万円でも決して安くはない。

 

5.医療業界の壁

アメリカのダイレクトスマイルクラブが潰れた原因として、アメリカ矯正歯科学会とアメリカ歯科医師会が強烈なネガティブキャンペーンをしたことも挙げられる。多くの格安マウスピース業社は、これまでの矯正歯科の既得権を犯すもので、私も含めて矯正歯科医は一切、認めていない。学会でもネガティブキャンペーンとは言えないまでも、警告は行なっている。あまり既得権を犯すようなら、テレビ、ネットでも大掛かりな広報活動を行うかもしれない。

 

6.人気に翳りが出ている

スマイルダイレクトクラブが潰れた他の原因として、顧客の減少が挙げられており、アメリカ矯正学会の調査でも、2022年から2024年の2年間でアライナー矯正の割合が25%から23%に減少しており、以前ほど人気はなくなっている。特に抜歯ケースが多い日本人の成人ケースでは、直せない症例が多く、非抜歯で、それもディスキングなしで直せば、口元の突出感などで患者の不満が残る。安いと言っても、それは言い訳にならず、かなりクレームに悩むことになる。

 

7。専任の.矯正歯科専門医がいない

格安マウスピース医院については、担当医はほとんど公開していないが、日本歯科専門医機構の矯正歯科専門医が担当していることはない。いわば素人が治療しているようなもので、日本では問題ないが、アメリカでは、特に裁判では、そうした専門教育を受けたかが争点となる。簡単な症例を治すとしているが、簡単かどうかは矯正歯科専門医でないとわからない。患者も今はネットでよく勉強しており、セファロ分析も含めてきちんと検査、診断しないと、患者のクレームに対応できない。さらにいうとリスボン宣言では患者は自分の病気、治療に対してセカンドオピニオンを受ける権利を有するが、こうした格安マウスピース医院では、求めに応じて必要な資料を渡せるのだろうか。

 

7.特定商法取引法による規制

近日中の出来そうなのは、マルスピース矯正を特定商法取引法に入れる流れである。特定商法取引法の対象になると、書類によるかなり細かな説明、中途解約、クーリングオフ制度となる。例えば歯にホワイトニングの場合、期間が1ヶ月、料金が5万円を超える場合、対象となったが、法規制後はほとんどのホワイトニング業者は料金を安くした。矯正歯科では同様な条件は絶対にできないので、全ての症例が対象となり、その場合はかなりの新規患者減が予想される。

 

8.適用症例が少ない

格安マウスピー矯正の適用は、軽度の空隙歯列、叢生に限られる。私のところの患者で言えば、成人矯正の場合、80%以上は抜歯ケースで、軽度のケースはせいぜい5−10%くらいである。100名の患者を集客して5人しか適用でないなら商売にならない。実際は余程の症例でなければ、来院した患者すべて治療を勧めることになる。いくら経っても治らず、担当医がこうした患者を放り投げて辞めるか、患者が去っていく。

 

9.競合会社が多すぎる

格安マウスピース業者は、どこもアライン・テクノロジー(インビザライン)の特許切れの治療法を使っており、基本的には全て同じである。デジタル印象をして、コンピューター処理して、3Dプリンターで作っていく。材質や分割法の違いがあっても、治療期間、審美性、仕上がりは基本的には変わらない。となると売り上げを伸ばすには、値引きか宣伝となる。製造単価は低いので値引きは可能であるが、同時に宣伝もしなくてはいけないし、銀座など一等地の開業が求められるので、これ以上の値引きは難しく、宣伝が決め手となる。シェアー獲得と認知度アップが生き残りの最重要課題となる。

 

10. 従業員が集まりにくい

ます歯科医にとって、こうした格安マウスピース矯正の医院に勤めるメリットは少ない。矯正歯科をやりたい人は、きちんとした矯正歯科専門医に勤務するし、またマウスピース矯正を本格的に学びたい人はインビザラインを中心して歯科医院に勤めるだろう。おそらく数年で、大まかなやり方が理解でき、患者からのクレームの多さに閉口するだろう。歯科医の多くは将来、開業するが、こうしたマウスピース専門歯科医での勤務は自分のキャリアアップにつながらない。また衛生士も同様で、自分のキャリアアップのためには、ここで学ぶことは限られていて、魅力を感じないし、長年の勤務はないであろう。給料を高くしないと集まりにくい業種である。私が学生時代の頃も歯科矯正講座に残ると一般歯科診療はできなくなるとされ、不人気であった。おそらく格安マウスピース歯科医院では、指導する矯正歯科専門医もおらず、セファロトレース、分析、診断や各種矯正装置の製作、治療、マルチブラケット治療法など、矯正歯科全体を教えるような教育プログラムはなく、また人件費の削減のため、内部でお互いに学んでいくような環境もなかろう。

 

2025年10月3日金曜日

マウスピース矯正の陰り



アラインテクノロジー社(インビザライン)の一部特許がなくなったため、45年前から同じようなマウスピースタイプの矯正治療装置を扱う会社が一気に増えた。中にはヤマト運輸のような他分野の会社も参入するほど、乱立した状況である。

 

その後、こうした会社がどうなったか調べようと考えたが、Googleで検索してもはっきりしない。それゆえ、若者に人気のあるインスタグラムでの反応を見てみた。2022.5.19日のブログでは14社を紹介したが、それぞれについてインスタの最新の投稿日とフォロワー数を以下に示す。

 

Glory Smile: 最新投稿2025.4.27. フォロワー数 2544

We Smile: 最新投稿 2025.2.7.   フォロワー数 592

ローコスト: 最新投稿 2024.8.29. フォロワー数 1554

Be-Setlign: 最新投稿 2025.3.14.  フォロワー数 547

クリアアライナー: なし

Hanaravi: 最新投稿 2023.7.27. フォロワー数 439

Oh my teeth; 最新投稿 2025,9.2 フォロワー数 1.5万人

キレイライン: 最新投稿 2024.4.10 フォロワー数 5584

Depaerl:   なし

Hanalove: なし

SmileTYU: なし

アソアライナー:最新投稿 2020. 10 フォロワー数 6

インビザライン:最新投稿 1日前 フォロワー数 7281

SureSmile:   最新投稿 2日前 フォロワー数 6577

 

これを見ると、現時点でまだ活動している会社はインビザラインとSure Smile、あるいはOh my teethくらいしかない。活発に営業をしている会社なら、SNSに最近の投稿はあろう。

 

それではその母体となる会社の経営を見ると

 

アラインテクノロジー社(インビザライン)  最新の株価は126.192021.8709のほぼ1/6になっており、2025年の7月決算では、インビザラインの販売数が予想を下回ったことから株価が下落した。同社は従業員の削減などのコストカットで対応すると言っているが、少なくとも業績の急激な上昇は望めない。

デンツプライシロナ(Sure Smile);ここの株価はアラインテクノロジー社よりさらにひどい。最新の株価は12.5、これは2021.4681/6となっている。特にここ2年間で42から12.5まで下がっている。一つの要因として、サンキンなどの矯正機材分野を全て切り捨て、Sure Smileに重点を置いた経営方針の影響もあろう。完全な失敗であろう。

Oh my teeth : 100億円の売り上げをめざすスタートアップ企業としてマスコミにも多く取り上げられた会社である。同様のサービスを行なっていたアメリカのスマイルダイレクトクラブが2023,11に倒産しており、キレイラインを主として提供していた東京歯科プラスも倒産して多くの患者に迷惑をかけた。メーカーのいうような急激な発展は厳しいかも。

 

つい最近のヤフーニュースによれば、ニューヨークタイムズの記事で、アメリカではティーンエージャーを中心にメタルブラケットによる矯正治療が流行っていると伝えている。さらにアライナー矯正については2022年から2024年にかけて25%から23%に減っていると伝えている。もちろんこの傾向は成人矯正とは違うと思うが、ようやくアライナー矯正、マウスピース矯正の結果が広まってきて、宣伝するほどきれいに直らないとわかってきた結果であろう。アラインテクノロジー社(インビザライン)の予測では、マウスピース矯正の未来は明るく、いずれ矯正治療のほとんどがこの治療法になるとしている。ただ現実的には矯正治療をメインにしている矯正歯科専門医では全患者のうちマウスピース矯正の割合は10%程度であり、その症例もワイヤー矯正を併用するとしている。歯を動かすという点ではマウスピース矯正は非効率的で、今のところ適用は限られているし、ワイヤー矯正を上回ることはない。一部の優れた先生はマウスピース矯正でかなりのレベルの治療を行なっているが、それでもワイヤー矯正を上回ることはない。アナリストが分析するほど倍々でマウスピース矯正が伸びなかったことで株価の低迷を招いている。完全にアナリストの分析失敗である。ワイヤー矯正は、すでに百年以上経つ古めかしい治療法であり、もっと早く、確実に、痛みがなく、見た目も良い治療法が望まれるが、マウスピース矯正はそうした治療法ではない。矯正治療学の近年の発展、インダイレクトボンディング、超合金ワイヤー、歯科用アンカースクリュー、セルフライゲーションブラケット、リンガルブラケットなど、出現して十年くらいで一気に広がり、その後の進歩は少ない。インダイレクトボンディングにより、それまでの帯冠を介した接着から直接、歯にブラケットを付けられるようになったが、製品そのものはここ40年以上進歩していない。他の治療法もそうで、マウスピース矯正も、アタッチメントの発明と三次元プリントでの製作でほぼ進歩は終了であろう。個人的にはこれ以上の普及は難しいと思う。


 

2025年10月1日水曜日

イスラエルという国



イスラエルというと極東の日本からすれば、よほど遠い国で、ぼんやりした印象しかない国の一つである。ナチスドイツで徹底的に虐殺されたユダヤ人が戦後、自分たちの国として作ったのがイスラエルで、中東という地域に作られたため、数回の中東戦争を経て、独立国として存在している。アメリカの強力な支援がある。防御のために核兵器を持っているが、アメリカは黙っている。などなどのイメージである。またマスコミ、ことに映画関係者の中にユダヤ人が多くいるせいか、ユダヤ寄りのハリウッド映画が多く、古くは「ベンハー」、「栄光への脱出」、新しいところでは「シンドラーのリスト」、「戦場のピアニスト」、「ライフイズビューティフル」(イタリア映画)、などから、可哀想だというイメージを持つ人も多い。しかしながら、最近のイスラエルのパレスチナ人への虐殺については、自分たちが昔ナチスドイツからあれだけ虐待され、殺されたと同じことをなぜ、ユダヤ人はするのか、疑問に思う人も多い。私もその1人で、パレスチナ人犠牲者は2025.9の段階で6.8万人を超え、これは一方的な虐殺といえよう。ひどいことである。

 

このイスラエルの論理をわかりやすく説明しているのが、イスラエルの歴史学者、イラン・パペ教授の解説である

https://nordot.app/1236210441196290377?c=899922300288598016

 

彼の説明によると、イスラエルの国家的核心、シオニズム運動について「シオニズム運動は一種の植民地主義に基づいています。ただ大英帝国によるインド支配のような、先住民搾取が目的の植民地主義と異なり、(米国のように)先住民をその土地から排除することが目的で、歴史家の間では“入植者植民主義”とや呼ばれています」としている。そしてパレスチナ人を追い出す過程として、村落を焼き払い、家屋を破壊し、住民追放や民間人の虐殺をした。まさにナチスドイツが行った民族浄化と同じことをしたとしている。

 

こうした危険なシオニズムの考えは、世界のユダヤ人の間では少数派であるが、イスラエルでは多数派をしめている。建国当時、欧州系ユダヤ人の数が少なかったため、中東や北アフリカのアラブ系ユダヤ人を呼び寄せるも、これらの人を「原始的で非近代的」と差別し、見下した。同じイスラエルにも、欧州系ユダヤ人と外見は周辺のアラブ諸国と変わらないアラブ系ユダヤ人がいて、支配階級は欧州系というヒエラルキーが存在した。これは知らなかった。そして今度は収入の低いこれらアラブ系ユダヤ人が劣等感と承認欲求からアラブ系のパレスチナ人に対して過激で暴力的になった。つまり、イスラエルは、欧州系ユダヤ人>アラブ系ユダヤ人>パレスチナ人という階層にわかれている。

 

欧州系ユダヤ人は左派と右派にわかれ、武力によるパレスチナ人追放を重視するシオニスト右派は、劣等感を抱いたアラブ系ユダヤ人の支持基盤となってきた。比較的、パレスチナとの和平に取り組んでいた左派が2001年の米国多発テロ事件以降、次第に右派に押されるようになり、今日のネタニヤフ政権につながっていった。欧州系ユダヤ人=右派+左派、右派=アラブ系ユダヤ人という構図となる。さらにネタニヤフ政権には、イスラエル国内でも差別的と禁止されていた極右の閣僚がいて、彼らはユダヤ人を反ユダヤ主義から守る名目で暴力を肯定した。パレスチナ人への偏見を容認する学校教育や軍隊教育、マスコミで、国民に浸透している。これが現在のパレスチナ人の虐殺に要因となっており、極端なジオニズム政策が民族浄化につながっている。

 

もちろん世界のユダヤ人の多くは、こうした入植者植民地政策を拒否しているが、ここ20年間のイスラエルは、完全に右派による洗脳で国民の多くは右派が推進する苛烈な政策を支持している。さらに悪いことにどんなことをしてもイスラエルをアメリカは常に支持すると考え、また実際にアメリカ、トランプ政権もこうしたイスラエル右派を支持している。トランプのアメリカも、また開拓時代に西部へインディアンを追い出す入植者植民政策をしていた国だけに、感情的にはイスラエルの政策を理解できるのだろう。

 

アメリカ政府がイスラエルを完全に拒否し、イスラエルの根幹政策であるシオニズムを撤廃させる以外にパレスチナ問題は解決できないのかもしれない。難しい問題である。

 

*欧州系ユダヤ人(アシュケナジム)とアラビア系ユダヤ人(ミズラヒム)の割合は、前者が44%、後者が45%と拮抗しているが、いまだに政治経済は欧州系ユダヤ人が牛耳る。

 


 

2025年9月23日火曜日

昭和天皇物語2

 

昭和天皇と珍田の関係性からはこうした会話は十分にあり得る



昭和天皇物語(能城純一、志波秀宇監修、半藤一利原作、小学館)が面白い。調べている弘前出身の外交官、珍田捨巳がどのように描かれているかを見るために購入したが、読むうちにこれはとんでもない漫画と思うようになった。

 

ここ20年ほど、なぜ日本はアメリカと無謀な戦争を起こしたのかを興味を持ち、昭和史関係の本を随分と読んだ。もちろんのこの「昭和天皇物語」の原作、「昭和史」も読んでいるし、昭和天皇関係の本、例えば、松本健一著「畏るべき昭和天皇」を始め、保坂正康著、「昭和天皇」、ハーバート・ビックス、「昭和天皇」など、かなり多くの本を読んできたが、今一つ、ピンとこなかった。また戦前日本の元凶、日本陸軍についても保坂正康著、「日本陸軍の研究」、これは名著である、はじめ、これも多くの本を読んできたが、逆になぜ、なぜという疑問が起こる。

 

昭和天皇物語が初めてビックコミックで連載されているのを知り、よく漫画で天皇を扱う勇気があるなあと呆れた記憶がある。漫画の描写は本より遥かに直接的で、昭和天皇、あるいは日本軍について意見のある人は大勢いて、かなり慎重な描写が要求される。急進的な右翼からの攻撃も予想されるし、逆に左翼からは内容の甘さを指摘されかねない。さらにいうなら、多くの資料があるだけに、間違いを指摘されることが半端ではない。あまり題材にしたくない対象の1人である。

 

結論からいうと、昭和天皇の生涯をこれほど詳細に、丁寧に描いたものはなく、多くの本を読むより、この漫画を読む方がよほど昭和史を理解しやすい。個人的に特に感心し、納得したのは、日本陸軍軍人が天皇をどう思っていたかという点である。下は少尉、中尉から上は大将まで、ほとんど昭和天皇を軽視、もっと酷い言い方をすると「若造」、「臆病者」、「引っ込んでいろ」と考えていたことである。天皇陛下というと直立して姿勢を正す軍人の姿はよく映画で目にするが、実際は日本が国民に課していた不敬という言葉そのままのことを彼ら軍人はしていた。

 

一例を挙げると、昭和八年、日中戦争を恐れた昭和天皇が、熱河作戦の中止を、40分にわたり侍従武官長の奈良武次大将に進言するが、全く相手にせず、さらに足りずに手紙でも進言するがこれも無視し、その挙句、天皇の命令で熱河作戦が中止されれば、陸軍は黙っていませんよ、あんたは殺されますよと脅すような内容のことを発言している。また二二六事件の主導者、多くは少尉、中尉クラスであるが、彼らの思想の中には、天皇の親政を行う、その場合は、臆病者の昭和天皇より、クーデターをおこしてでも積極派の秩父宮を天皇に担ごうという恐ろしい計画があった。

 

今の感覚で言うと、筑波大学に行っている悠仁親王が即位して、天皇になったようなもので、年配の軍人からすれば、若造という感覚が常にあったのだろう。それでも明治の軍人、例えば、乃木、児玉、大山、山縣などは全て士族で、藩主を中心とした長州藩、薩摩藩で育っており、年齢に関わらず、藩主には絶対服従という思想を確固として持っていた。討幕運動では天皇を玉として扱ったにしろ、乃木、大山、山縣ですら、明治天皇を脅すような言動は一切なかった。それが昭和になると奈良という大将ではあるが、大山や山形とは比較にならない凡庸な軍人から脅される時代になった。天皇という絶対的な存在がほぼない無政府状態で、誰にも軍部の独走を止めることができず、結果的に何をやっても許されるという状況が日本の敗北まで続いた。それでは昭和天皇が、ドイツ帝国カイザーのような親政をしていたなら、日中戦争、太平洋戦争は避けられたかというと、日本陸軍軍人の言動を考えれば、お飾りに追いやったのは確実で、やはり戦争に突入したと思う。

 

昭和天皇物語は、もちろんこうした評伝では、お決まりの昭和天皇、いい人という観点から描かれているが、それにしてもかなり史実を細かく研究しており、昭和を天皇の立場から見つめるという点では、下手な歴史学者の本よりはよほど面白く、勉強になる。私もそうだったが、たかが漫画という偏見は捨てなくてはいけない。ネットフリックでドラマ化してほしい物語である。

 

それでは、日本陸軍の暴走をどうして抑えられるか。大正天皇が有能で長生きしたなら、あるいは大元帥の力を誇示できたら、多少、陸軍は抑えられたか。これも難しそうで、日露戦争に負けて、今の自衛隊のようなシビリアンコントロール下にならないと無理なのかもしれない。軍人にとって命令は絶対的なもので、これを平気で破るような軍隊はありえないが、旧軍は最高統率者、天皇の命令を平気で破っている。明治11年の近衛兵による武装反乱、竹橋事件では、55名が即日処刑、関係者の多くは厳しい処分を受けた。少なくとも五一五事件、二二六事件は重臣殺害というもっと大きな事件であり、本来、竹橋事件に倣うなら、事件当事者、関係者ももっと大きな処分を受けるべきであった。さらに好きな軍人ではあるが石原莞爾や板垣征四郎も独断で満州事変を起こした罪は処刑に値する。これも以後に模倣者を多くだした要因である。軍人に対する処罰が曖昧になった時代でもある。

2025年9月21日日曜日

大学病院の教授

 



大学教授というと、世間からは名前は知っていてもそれほど実態は知らない存在だと思う。とりわけ医学部、あるいは歯学部の教授は、それ以外の理学部、工学部、文学部などの教授とは全く違っている。高校の同級生にも、多くの大学教授がいるが、友人の理学部教授Nくんについて言えば、教室は確か教授1名、助手2名、そして大学院生が5名くらい、留学生が2名くらいであった。ゆるい上下関係はあったが、年齢差からくるくらいのもので、助手以上になると同じ研究者という関係であった。それに比べて、医学部、歯学部では、教授とぺいぺいの助手では立場が全く異なり、ほぼほぼ絶対服従の関係であった。基本的には教授に楯突くことはない。

 

私が直接、働いたことのある、研究指導してもらった教授は、小児歯科1名、生化学1名、矯正歯科1名、口腔外科2名であるが、同級生や後輩、友人も含めると、20名以上の教授についてはよく知っている。ほとんどは歯学部の教授である。

 

医学部、歯学部の教授の仕事というと、研究、臨床、教育と言われているが、それ以外の重要な仕事は管理能力、つまり研究費をとり、学会などで重要なポジションをとる能力も求められる。これら4つを完璧にこなす教授はおらず、2つあれば合格、3つあれば優れた教授といえよう。

 

ある教授は、臨床はあまりできなかったが、研究、管理能力が優れており、研究費を取ってくるのがうまかった。研究費が多いと研究成果も上がり、結果的には学会でも有名となってくる。大学の研究費は、科研費という国からに研究費で賄われるが、この仕組みを十分に知り尽くし、まず金になる研究テーマを選び、提出書類を徹底的に直す。さらに年度末になると、必ず文科省から余った予算を使い切らないといけないので、緊急の予算がつく。それに合して、大中小の予算の研究書類も即日出せるように準備していた。あるいは一般企業とのコラボ研究も盛んで、そこからも予算を取ってきたり、積極的に海外留学生を受け入れていた。最終的には学会の会長になったし、日本学術会議第7部の幹事もしていた。別の教授は、医学部の口腔外科というマイナー科でありながら副病院長になったり、各種の全国的な委員会に理事になったりした。こうした管理能力が上手であった。

 

一方、教育に長けた教授は、門下生の多くを教授にした。例えば、東北大学医学部の赤崎兼義教授は、病理学の大家で、多くの門下生が全国の医学部教授となって散らばっていた。私が鹿児島大学にいたときも、たまたま来られた東北大学歯学部口腔外科の教授が一緒に来いと、鹿児島大学の医学部に表敬訪問した。ここでも2名の教え子がいて、全国では相当いると言っていた。昔は、外科の先生は病理で学位をとる先生が多く、赤崎先生のもとで研究したのであろう。大阪大学の矯正科の作田先生も、その門下生の多くが全国の歯科大学の教授となった。人脈だけでなく、臨床、研究などバランスよく教えるのが上手な先生だったのだろう。また東京医科歯科の三浦教授などは、全国に国立大学の矯正学講座ができたときに大量の教授を送り出した。

 

最近では、教授選挙が、特に臨床教授については、教育、臨床、研究、管理のうち、臨床と管理能力を求められることが多く、あまり研究を重視されなくなった。昔は基礎研究だけして臨床は全くできない教授も多くいたが、今や大学病院も独立採算制となり、患者をたくさん呼べる先生を教授にしたい。アメリカでは、完全に基礎と臨床教授が別れていて、日本もそうした方向で進んでいる。一般病院から大学教授になるケースもあり、臨床重視の流れは主流になろう。そうした意味では、医学部、歯学部の大学院大学は、基礎で博士号を取らすという制度で、時間の無駄であり、全く意味を持たない。

 

昔であれば、医学部の外科教授になれば、薬のプロパーが出張費や飲食費を払ったり、果ては講演会を開いて多額の講演代を払ったり、患者からの謝礼、薬の治験など、税金のかからない副収入があったが、今はほとんどなくなった。国立大学の医学部教授と言っても収入はそれほど多くない。一方、アメリカでは、有名な医師になると比例して治療費が高くなり、医師本人の収入も多くなる。昔に比べて、お金の面での旨みはなくなり、下の医局員からの突き上げや、患者からのクレームなど、教授となっても苦労が多い。優秀な臨床医は、教授にならないで、開業するかもしれない。


2025年9月18日木曜日

大学病院の医局というところは(歯学部の場合)

 


テレビドラマで、大学病院の医局というと上下関係の酷い、権力構造の縮図のような描かれ方をしている。典型的な例でいうと、その頂上に教授が君臨し、その下には助教授、講師、そして助手とピラミッド構造で、教授の言うことは何でも聞く、「白い巨塔」のような世界を思い浮かべるに違いない。私が東北大学歯学部にいた頃、「白い巨塔」は東北大学医学部附属病院のことだという噂を聞いたし、実際、医局も第一外科という名称ではなく、財前外科という風に教授名を講座名に冠した。また教授と便所で一緒になると、「あれ、君はうちの医局だっけ」、「はいそうです」、「そういえば、―――村の診療所から医師を送ってくれと催促されている。君行ってもらえるかね」というような話を聞いたことがある。また教授回診と称して、教授、助教授、講師に若い先生がゾロゾロと続いて、患者を診る儀式もあった。こうした構造は医局員の多い講座では今でもそうかもしれないが、少なくとも歯学部病院では、多くても医局員は30名くらいで、もっとファミリーな感じとなる。

 

先日も、鹿児島と東京から後輩が弘前に遊びにきた。2年、4年後輩である。私がいた鹿児島大学歯学部歯科矯正学講座は、全員でだいたい20名くらい、教授1名、助教授1名、講師1名、助手が6名、大学院生が4名、医員が6名くらいであった。当時はまだたたき上げの助手がいた時代で、その後、国立大学の大学院大学構想により大学院生でなければ医局に入局できなくなった。私の場合は、かなり特殊で、東北大学歯学部小児歯科に三年いてから、助手として鹿児島大学歯学部歯科矯正学講座に入局した。同期は3名で、矯正の新人教育を受ける一方、すぐに歯学部六年生の実習の担当教官となった。三年医局にいて、宮崎医科大学の歯科口腔外科学講座に出向することになり、そこで口蓋裂と外科矯正患者を担当した。ほとんどの手術の助手としてオペ室に入った。その後、鹿児島大学に戻ってからはやめるまでは外来長として勤務した。

 

大学の医局というところは、部活にも似ているが、そうかといってそれほど上下関係は厳しくなく、あえて言えば、戦友会に近いのかもしれない。教授といってもそれほど距離はなく、結婚する場合は、ほぼ全員、教授が仲人となったので、子供ができると挨拶にいったりする仲であった。上司の鹿児島大学の伊藤教授とは、スキューバーダイビングしたり、ヨットに乗ったり、野球をしたりした。講師や助手くらいになると年齢も近いので、しょっちゅう飲みにいったり、ドライブにいったり、独身であれば、合コンに一緒にいったりした。感覚として一応は先輩であり、指導教官ではあるが、距離は近く、敬意を払いつつも、友達感覚だった。

 

朝から晩までいる点では会社組織にも似ているが、会社のような利益追求ではなく、唯一の目標が患者の病気を治すことである。教授から医員まで、大学病院のメインの目的が患者の病気の治療に尽きるので、その点ではチームとしてのまとまりがある。特に矯正歯科学講座は、専門開業する人も多く、開業後も学会のたびに同門会が開催されたり、患者紹介、治療、経営の相談など、かなり頻回にやり取りがある。高校の友達といえば、ほぼ同級生に限定されるが、医局は上下5年くらいまでは非常に仲良く、仕事も同じであることから、部活メンバーより幅広い。また矯正歯科の場合は、医局により治療システムが違うため、有名な例では、アメリカのイリノイ大学矯正歯科の出身者はイリノイ派として有名だし、オーストラリアのベッグ教授に習った先生はベッグ派と呼ばれる。

 

もちろん医局によって、雰囲気はかなり違う。私の場合は東北大学歯学部小児歯科にも3年間いたのでこの医局の雰囲気も知っているが、ここは教授との交流は少なかったし、女性が多かったため、あまり飲みに行くことは少なく、運動系というよりは文化系の雰囲気であった。また宮崎医科大学医学部歯科口腔外科にも1年間出向に行ったが、ここは完全に外様であったし、病院自体も完全に孤立し、周囲は田んぼであった。医局であまり遊んだ記憶はない。外科系の医局だが、それほど体育会系ではなかった。

 

医局というは、一般の人からはあまりわからない存在だが、中にいるとなかなか居心地がよく、他所から教授が赴任してくると、ひどいところになると医局員のほとんどがやめるということも起こりうる。それでなくとも、教授選の対抗馬の助教授、講師は間違いなくやめる。医局の新陳代謝をするためには、他大学から教授を迎えるのが一番である。


2025年9月15日月曜日

県立郷土館の後継

 


青森市にあった県立郷土館が耐震問題で休館しており、今後どうするかが議論になっている。おそらくは従来の建物を改修するのではなく新築するようだが、建築場所を従来通りに青森市にするか、弘前市、あるいは八戸市にするかで揉めている(今の場所は津波で水をかぶる恐れがある)。

 

青森市には県立美術館があり、弘前市には弘前れんが倉庫美術館と弘前市立博物館、八戸市には八戸市美術館、博物館がある。青森市は県庁所在地であるし、これまでの郷土館も青森市にあったのだから、新しく作るとしても当然、青森市以外にはあり得ないし、青森には博物館がないと考えている。一方、八戸市、弘前市からすれば、何で県立の施設が青森市ばかりにつくられるのかという不満もある。どうしても博物館が欲しいなら、弘前市、八戸市同様に青森市立博物館をつくればよい。そもそも郷土館の意義は、青森県のお宝を収集、保護して、県民に見てもらい、学んでもらおう、おおまかにはこうした内容であろう。美術品の多くは県立美術館に移管されたことから、青森県のお宝のうち、美術品を除くものといえよう。

 

美術品を除く青森県のお宝といえば、まず歴史的な資料、これは縄文から現在までの遺跡、考古品、文書、絵図、絵が挙げられる、さらに民俗的な資料としては、祭りや庶民の生活雑貨や家具など、そして自然資料としては、青森県特有の動物、植物などとなる。縄文土器については、八戸市の是川縄文館、青森市の縄文時遊館、つがる市に縄文住居展示資料館があるし、旧郷土館、弘前市立博物館、弘前大学にもある。また弘前藩の資料のほとんどは、弘前博物館と弘前図書館、高岡の森弘前藩歴史館、弘前大学が所有している。そして民具や雑貨は、旧郷土館が一番多く保有し、弘前市立博物館、八戸市立博物館、あおもり北のまほろば歴史館、山車展示館(弘前)、八戸市民俗資料収蔵館、五所川原市市浦歴史民俗資料館、十和田郷土館、十和田歴史民俗資料館などかなり数多くある。

 

一方、現在、世界的に着目されているBOROと呼ばれるつぎはぎのテキスタイルは、田中忠三郎氏のコレクションで有名になったが、青森県にはまとまった展示はないし、津軽こぎんについても、弘前市立博物館やこぎん研究所にそこそこあるが、これもまとまったコレクションとはいえない。ねぶたについては、青森市のねぷたの家、ワラッセ、弘前市のねぶた村、五所川原市の立佞武多の館などがあるが、津軽三味線、尺八、琴、民謡などの音楽資料、あるいは津軽の誇る相撲の歴史資料なども分散して各地に展示されているだけである。またこけしについては、黒石の津軽伝承工芸館、津軽こけし館や弘前市の津軽ねぷた村にあるが、これもまとまった形ではない。また津軽発祥の玩具、例えば弘前の『_弘前馬コ』、「下河原焼人形」の名品などもあまり見かけない。津軽塗り、ぶなこ、弘前木綿、津軽裂織などのコレクションもない。

 

津軽は、美術品を除いても、後世に伝えるべき、優れたお宝をいっぱい持っている。ただそれを大規模に収集して展示する場所は意外に少なく、郷土館が唯一と言ってもよかった。現在、郷土館は休館状態になっており、一刻も早く新しい資料館が必要である。

1.この資料館では、まず県民からの寄贈、寄付を第一として、調査ができる職員数、場合によっては購入できる予算が必要である。これがこれまでの博物館、美術館で最も欠けていたもので、器のみ作り、収蔵、展示までは気が回らなかった。おじいちゃん、おばあちゃんが亡くなった遺品で珍しいものがあれば、ここに連絡してすぐに調査してくれる環境が望ましい。

2.もう一つは、市民による運営を目指すためには、後援会組織の充実と寄付金が必要であろう。アメリカの多くの美術館は市民による寄付で運用されており、入館料など取らないこともあり、図書館、美術館、博物館がもっと市民に活用されている。

3.さらにこれも非常に大事なことであるが、保管庫の充実が必要で、将来的に拡大も可能な広い敷地がいるだろう。弘前市立博物館や図書館でも収蔵庫が小さく、そのために市民からの寄贈、寄付を断るケースが多かった。従来の郷土館でも同様な問題が発生し、その管理が指摘されたこともある。

4.県民、あるいは県外、国外からの観光客に喜ばれる施設になってほしい。一つの例として、青森市にある三内丸山遺跡にある縄文時遊館、この施設はかなり金のかかったものであり、館内にも多くの展示室があり、それなりに展示の工夫をしているが、あまり面白くない。青森駅前のララッセについても、当初は見学のみでものの10分で見て終わりの施設であったが、いつからか案内の人がいて、説明、あるいは踊りを教えたりしたところ、人気が出てきた。同様に、弘前市のねぷた村も、中はいろんな催しがあり、それこそ10回くらい訪れているが、楽しい。つまり参加体験型の展示が望まれる。

 

弘前市長は、弘前城周辺の市保有地への誘致を表明している。城内は国の許認可が難しく、ここでの建設はない。となると旧青森銀行前の広場なのだろうか。ここは前市長が、追手門広場にあった旧市立図書館、東奥義塾外人教師館を移設するために設けた広場であるが、現市長の号令で中止となり、空いたままになっている。ただここだとすると、やや上記の文化資料を十分に収蔵、展示するには狭い。少なくともれんが倉庫美術館前の広場くらいは欲しいところである。

 

他に細かいことになるが、個人的に最も気になるのは、宙ぶらりんになっている「松野コレクション」で、これは県の方できちんと調査して、予算も組んで、新しい郷土館には展示してほしい。また旧郷土館では、青森の歴史資料の多くがコピーで、原本は弘前博物館、図書館にあるものが多かった。新しい郷土館が弘前にできたとしても、弘前博物館、図書館の協力がなく、同じようなコピー展示で、競合的な施設になるなら無意味となる。さらに小川原民俗博物館のように建物の老朽化で、資料の保管、管理ができない施設が出てきた。ここ以外にも県内に同様な事例はあるだろう。そうしたコレクションを全て引き受けられるような資料保管倉庫のような役割も求められる。