2025年12月17日水曜日

根尖病巣とラバーダム

 




多くの患者さんで、レントゲン上で、歯根の先に黒い暗影と見える歯尖病巣があります。うちにきている患者さんの中でも、昔、歯の根っこの治療を受けた人によくこうした根尖病巣を見かけます。ほとんどの人は無症状なので、そのまま経過を見ていく場合が多いのですが、最近、症状がなければ、そのまま放置しても良いのかという議論があります。

 

根尖病巣部には炎症があり、それに対する炎症性物質が体にいろんな害を及ぼすと言われています。掌蹠膿疱症は手のひらや足の裏に水脹れや膿を持つ病気です。以前は、歯科用金属アレルギーによる代表的な疾患とされ、こうした患者が来れば、口腔内の全ての金属を除去して、アレルギーの少ないセラミックなどに置き換える治療が推奨されていました。ただ掌蹠膿疱症については、口腔内のすべての金属を除去しても治らないケースが多く、皮膚科では他の原因、喫煙や扁桃炎などの病巣感染が疑われるようになり、次第に金属製アレルギー説は下火になっています。最近の報告では、最初に述べた根尖病巣が強く関係しているというようになっています。そのため知人の歯科医にも、皮膚科から根尖病巣の治療を紹介されるケースが増加していると言います。

 

根尖病巣を持つ患者さんには、これまでは積極的に治療を勧めず、痛くなったり、腫れてきた場合は、治療をした方が良いよと説明してきました。ただこうした全身疾患との関係性を危惧するとやはり症状がなくても治した方が良いかと思います。ただ現状では、多くの歯科医では、症状のない根尖病巣を治すのは、かえって痛みが出て患者からクレームが出るため、積極的に治す先生はほとんどいません。

 

これは日本の歯科医療で残念なことの一つですが、いまだにきちんとした根っ子の治療、歯内療法がなされていません。技術進歩によりマイクロスコープ、CT撮影などでより精密な治療ができるようになりましたが、治療法そのものはさほど進歩しておらず、私の個人的な感想からすれば、実際の患者さんの治療結果は昔と変わらないように思えます。1950年まで虫歯が進み、歯の神経まで感染すると中心感染説という考えで歯は抜歯されていました。それに対してグロスマンや日本の森克栄先生は徹底的な無菌治療で治ることを証明し、全力を注ぎました。ところが安い診療報酬によるためか、80年経った今でも、こうした治療は日本では基本的にはほとんど行われていません。

 

無菌治療には必須のラバーダム防湿というごく基本的な操作はしていない歯科医院がほとんどです。小児歯科にいた時は、すべての症例で必ずラバーダムをしました。慣れれば2,3分で乳犬歯、第一乳臼歯、第二乳臼歯、3本の防湿を行えますし、ベテランの衛生士はもっと早くできます。大学での臨床実習、教科書でも、小児歯科の治療、および根っこの治療には必ずラバーダム防湿をするようにしていますが、実際、している先生はほとんどいません。昔、ラバーダムをすれば10点、100円取れる時代があり、ほとんどの先生がこの点数を請求しましたが、厚労省が実態を調べると、点数を取るがラバーダムをしていない先生がほとんどで、呆れ返り、その後はなくなりました。

 

最初の話に戻ると、根尖病巣と全身疾患との関連から、見つければ治した方がいいのですが、それを確実に治せる歯科医がいません。少なくとも私の周辺、弘前市にはそうした先生は少ないと思います。東京ではこうした治療は自費となり、一本、20万円くらいとるそうですが、これは治らないと患者からひどいクレームがつく治療法の一つです。尊敬する東京の森克栄先生は、歯内療法を自費で始めた先駆者の一人ですが、2030年の経過を見てきていますし、転住する場合は紹介するような先生です。自費でするのはそれだけの覚悟が必要なのです。実際は、すべての患者とは言えないにしても、少なくとも補綴を自費でする患者には、根っこの治療も自費ですべきだと思います。さすがに一本の歯の根っこの治療費を20万円に設定できないなら5万円でもいいです。とにかく自費で根っこの治療ができてこそ、優秀な歯科医と言えると思います。新しく開業する若い先生は、インビザラインを学ぶより先に、一般歯科の定番、歯内療法をきちんとする努力をしてほしいと思います。まずは立派なホームページを作るなら「当院では、すべての小児の患者の虫歯の治療と歯の神経の治療にはラバーダム防湿をしています」と書き、スタッフにラバーダムの仕方を教育したらいいでしょう。難しくはなく、覚悟だけの話です。


実は、新型コロナ騒動の前、手袋をしないで治療する歯科医もたくさんいましたし、使う場合もあまり交換しないこともありました(私です)。ところが新型コロナの時期、ほぼすべての歯科医院で手袋を使うようになりましたし、もちろん患者ごとに交換もしています。アメリカで30年前から一般的になっていた標準予防策がようやく日本でも定着しました。日本歯科医師会でも、ラバーダムの重要性(“歯の神経の治療にはラバーダムが必須です。それをしている歯科医院で治療を受けてください”)をテレビキャンペーンで流せば、一億円くらいの広告費で、日本でも欧米並みの歯内療法のレベルになるかもしれません。もちろん点数を2倍くらいにしないとかなり文句が出ると思いますが。


レジン充填にもラバーダム使っています(中国)。自費専門歯科ですが、料金は9千円くらい







2025年12月13日土曜日

日中関係の修復には

中国、広州 山田良政

弘前 山田兄弟碑

台湾、忠烈祠


 高市首相の発言をめぐり、日中関係が悪化している。さらに今日、1213日は南京事件の発生した日で、各種の行事が行われる予定である。日本、中国政府とも、経済的な関係からは早く鞘を納めたいところであるが、なかなか収拾がつかないようである。収拾をつけるひとつの方法を提示したい。内容は六年前にブログに書いたものを少し修正した。

 

 中国の南京市、孫文が祀られている中山陵には、孫文の中国革命を助けた山田良政の碑があるという。山田兄弟の評伝である「芳醇なる日本人」(結束博治)に“山田良政の碑は、南京、中山陵よりやや離れた丘にあり、楓の高い樹が植えられた楓林と呼ばれる公園のような奥の寺院の入り口に、十数基の革命志士の碑と一緒に祀られている”とある。

 

さらに昭和19年に、そこを訪れた歌人土屋文明の歌に

 

日本志士山田良政君を悲しみて孫文自ら立てし碑を見つ

中山先生遺骸安置の白き室とともに輝く日に来りあふ

限りなくつづきて丘を上がり来るは中山陵参拝の青少年等

もみぢしてとぶらふ国民革命烈士の霊それを助けし日本志士の墓

 

 

 

こうした記述から、中山陵からそれほど離れていない国民革命軍陣亡将士公墓のある南京霊谷寺周辺や紅葉で有名な栖霞山を調べているが一向に手がかりがない。多くの山田兄弟の資料がある愛知大学に問い合わせるも不明とのことで、さらには南京日本人会にも照合したが、これもわからないという。また中山大学や中国領事館あるいは群馬にある土屋文明記念文学館にも問い合わせしたが返答はない。その後、弘前大学の中国人学者を通じて中国の研究者にも聞いてもらったが、これといった反応はない。さらに戦前の南京市の地図や旅行記に記載はないかとネットで調べているが、これといった資料はない。

 

 土屋文明は昭和197月に南京を訪れたが、そこで山田良政の幻の碑を見たのだろうか。とても幻の碑から土屋が4つの詩を作ったとは思えず、実際の碑を見て感動したのだろう。中国国民党が山田良政の建碑を議決したのは昭和二年(1927114日である。土屋が中国旅行したのは昭和19年であるから、碑が建てられ、南京市が日本軍に占領されても大切に保存されていたようだ。であれば、戦後、どこかの時点で山田良政の碑が破壊、消滅した。少なくとも蒋介石が率いる国民党が南京市を支配する1949年まで、碑が破壊することはない。文化大革命では中山陵自体は保護され、破壊を免れたが、付近の寺は、宗教はアヘンだというスローガンのもと破壊されていった。南京市でも霊谷寺、栖霞寺などが大きな被害を受けた。その際に国民党関係の墓や記念碑もかなり壊された。おそらくはこの折に山田良政の碑も壊された可能性が高い。“中国の革命・戦争記念碑に関する基礎的調査—広州地域を中心に”(王暁葵)によれば、広州にあった多くの記念碑、墓が文革中に破壊された。文革前に一部は壊されたものもあったが、文革の狂気の時代に壊されたものが圧倒的に多い。その後、壊された碑は、1980年代以降に修復あるいは再建されたが、中国政府の意向に沿わない碑はそのまま再興されなかった。山田良政の碑については、おそらく日中台友好のシンボルとして中国政府で再建は可能と思われるが、写真がなく、場所も特定されていないので、いまだに再建されていないのだろう。何とか、存在の証拠を見つけて、山田兄弟の念願であった、師の孫文と一緒にしてやりたいものである。

 

安倍元首相は、2010年に台湾の忠霊祠を訪れ、そこに祀られている山田良政についての説明を受け、さらに谷中の全生庵にはよく行き、そこにある孫文揮毫による山田良政碑についてはよく知っていた。また山田良政の弟、純三郎は、孫文の妻であり、中華人民共和国、副主席であった宋慶齢とは非常に仲が良く、共産党政府にとっても革命に協力した人物といえる。おそらく中国政府が本気で捜索すれば、南京にある山田良政の碑の所在ははっきりするだろう。もし再建が可能であれば、その碑の除幕式に高市首相が出席することは安倍元首相の遺志を継ぐことであり、同時に台湾政府にも感謝されることである。実際、ここまでしなくても南京に碑跡が見つかり、再建され、それを高市首相が感謝するというニュースだけでも今のような冷え込んだ日中関係は多少修復されるだろう。

 











 

2025年12月11日木曜日

世界はすでに停滞期、発展しない時代に入っているのか






 来年の5月で70歳になる。まだまだ若いと年配の方からは言われるが、子供の頃の記憶では70歳は完全に爺さんである。1960年代の母親の実家の法事に参加した時の記念写真を見ても、4050歳でおじさん、おばさん、60歳以上になると完全におじいさん、おばあさんで、いつ死んでも早く亡くなったとは言われない年齢である。昭和30年頃の青森県総覧という本の最後にはご長寿の方ということで名前が載っているが、それが80歳以上で載る。今は本にご長寿で乗るとなると100歳以上となる。村田英雄は王将を歌っていたのが33歳で、亡くなったのが73歳、フランク永井がおまえに歌っていたのが45歳、最後のレコードを出したのが53歳、三橋美智也が怪傑ハリマオを歌っていたのが30歳、亡くなったのは65歳で、とても考えられないほど年寄り、おじさんであった。

 

山下達郎が72歳、竹内まりあが70歳、ユーミンは70歳、吉田拓郎に至っては何と79歳である。みんな若い。もし1960年の人にこれらの歌手の写真を見せれば、40-50歳くらいというだろう。昔に比べて今の人は20歳若いように思える。特に僕たちの世代は、子供の頃の大人と、うちの父親もそうだが大正、明治の人で、ほとんどの男に人は戦争を経験し、もちろん戦前の教育を受けている。全く別人種と言っても良いほど考えは違う。

 

パンよりは米、肉よりは魚、ウイスキーよリは日本酒、歌は民謡、演歌、軍歌、浪曲、そして洋装よりは和装を好んだ。うちの姉の世代(戦後生まれ)からこうした好みも逆転し、昭和40年くらいから道行く人も和装より洋装が多くなり、学校給食以外でも家でも食パンを食べるようになった。もちろん当時でもあんぱんやジャムパンはあったが、あくまでオヤツであった。音楽もビートルズが出現した1960年以降、完全に変わり、その後のグループサウンズ、フォークソングブームとなり、ここで若者と父親世代には完全な溝ができた。さらに決定的となったのは1960年後半からのミニスカートブーム、長髪ブームで、これで完全に世代間の断裂となった。うちの父親は大正8年生まれ、軍隊に6年いて、歯科医をしていた。そこそこ進歩的であったが、それでもパンの朝食は無理だったし、洋酒よりは日本酒を好み、洋服よりは着物を好んだ。

 

逆にいうと1970年以降の世相を見てみると、それほど世代間の大きな壁はなく、音楽で言ってもユーミンの1970年代の曲を今の若い人は聴いているし、ミニスカートも人気がある。おそらく1970年の格好で道を歩いてもそれほど違和感はないと思う。この50年をみると、インターネットの普及など、デジタル社会となったが、それでも僕たちが1970年代に大人に感じていたほどのギャップを今の若い人は年配の人に感じていないのではなかろうか。子供の頃に母親や父親の若いときの写真をみても、白黒写真で、皆着物を着ており、古いというイメージしかないが、うちの子供に私たちの若いときの写真を見せても、若いというイメージしかなく、それほど古いとは思っていない。

 

日本の江戸時代は、1600年頃から明治が始まる1868年までの250年くらいの時代であるが、大雑把にいえば、生活、食べもの、服装、習慣など、それほど極端に変化しておらず、1868年から現代までの160年の方が大きな変化があった。まず産業で言えば、製鉄、機械産業が指数関数的に発達し、そして船、飛行機、車などは戦争を契機に一気に進歩し、1970年代以降はパソコン、そして最近ではIT 産業が興隆している。ただ船、車で言えば、1880年にベンツがガソリン車を発明し、50-60年後には今と同じシステムとなり、船で言えば、タイタニック号と今の豪華客船には大きな違いはないし、飛行機にしても1950年代のボーイング707から大きな進歩はない。同様にパソコンにしろ、デジカメにしろ、スマホにしろ、最初は大きく発展するものの、しばらくすると大きな発展はなくなってくる。その間隔はますます早くなってきており、おそらく今のAI産業もあと10年くらいでプラトーになるだろう。

 

こうした変化の経過を見ていくと、未来を予想できる。まず人々の服装、食べ物、生活は100年後もそれほど違わない。歌舞伎、オペラ、バレーなどの観劇は今のままだし、ひょっとすると本や映画もそのまま残るかもしれない。スタートレックのような一律のユニフォームではなく、1970年代の服を着ている人もいよう。車、飛行機、船は自動化されても残るし、完全な自動翻訳機ができても日本語は残るし、英語も勉強するだろう。

 

僕らが昔思っていたほど、未来はそれほど未来でない可能性が高く、今のままの生活がそのまま続くように思える。最初に述べたように、1970年代というとすでに50年以上前である。当時のコカコーラやJR東海のコマーシャルを今見ても、それほど違和感はなく、逆に言えば、今の社会を50年後に見ても違和感はないし、そうならそれより50年前、つまり百年前の社会にも違和感はないのではなかろうか。エジプト文明、メソポタミヤ文明は3000年以上続き、ローマ帝国も一千年続いたが、それほど大きな変化はなく、世界もそろそろ文明が発展しない、停滞する時代に入ったのかしれない。SFが描くような宇宙に進出し、火星や月に住む、あるいはスタートレックのようにワープ航行により別の惑星に行くようなことは多分百年後でもないだろう。ジュール・ヴエルヌが「月世界旅行」を発表したのが1865年で160年前、アポロ11号の月面着陸は1965年で60年前だが、いまだに観光客が月に旅行できていない。多分百年経っても無理かもしれない。

 










2025年12月4日木曜日

西村しのぶさんのこと

 



先日、リタイア後の生活として、漫画、アニメをもっと見たいというと、友人から「先生が漫画好きとは意外だ。そんなものには興味がないと思っていた」と言われた。私は大の漫画好きで、小学校1、2年生くらいから少年マガジン、サンデー、キングなどを読むようになり、高校卒業まではずっと週刊マガジンを購買していた。その後は、週刊誌は読まなくなったが、単行本はずっと読み、ここ30年くらいは年間で100冊は読んでいる。主としていわゆる青年誌というカテゴリーのもので、今、読んでいるのは「大乱 関ヶ原」、「Blue Giant」、「昭和天皇物語」、「絵師ムネチカ」、「平和の国の島崎へ」、「正直不動産」、「Dr.Egg’s」、「史記」などである。どうも女性漫画については、読み慣れていないせいか、ほとんど読んだことはなく、思いつくだけでも女性作家の漫画は「のだめのカンタービレ」、「ガラスの仮面」、「坂道のアポロン」、「テルマエ・ロマエ」、「ピアノの森」くらいしか思いつかない。

 

個人的には、女性漫画家の中で、もっとも気になるのは、神戸のことをオシャレに描いている西村しのぶさんである。なぜかというと、西村さんの作品には広瀬という名のキャラクターが複数存在する。まず処女作の「サードガール」では、広瀬和正という歯科医が登場する。さらに「メディックス」では広瀬浩一という医師が登場し、「RUSH」では住吉という矯正歯科医が登場する。また「サードガール」では、主人公の神崎川夜梨子は神戸市出身、聖K女学院中等部、高等部、短大とされているは、おそらく甲南女子中学、高校、大学短期大学部のことと思われる。ちなみに神崎川という名は、奇妙な名であるが、阪神尼崎に住む人から見ると、尼崎市と大阪市の境、淀川の支流、神崎川を思い出す。昔は汚い川で、主人公の名としては奇妙である。また夜梨子の彼氏、大沢悠也は神戸、六甲学院から京都大学という設定となっており、広瀬、六甲学院、歯科医、矯正歯科医という点でも、不思議に自分と一致する。実際、RUSHが出た当時、1993年頃は、まだ神戸市でも六甲学院の先輩の小島矯正歯科など、数軒しか矯正歯科医院はなく、この時代に矯正歯科医を作品に取り上げるのは珍しい。

 

昔、甲南女子中学校の子を好きになった。彼女は阪急塚口駅近くに住まいがあり、おそらく1960年か1961年の生まれ、神戸大学附属住吉小学校と甲南女子中学に通学していた。小学校から越境入学させるのは、医者かよほど教育熱心な家庭の出であろう。背の高い、綺麗な子だった。当初、西村しのぶさんかなあと思ったが、Wikipediaによれば西村しのぶさんは、19635月生まれ、宝塚市の出身、神戸市外国語大学在学中に小池一夫主宰の劇画塾に入りデビューしたとあり、年齢、住まいも違うので、全くの別人である。

 

ただ興味があるので西村しのぶさんの作品を、きちんと読もうかと、これまで何度か挑戦した。「サードガール」も一巻目を買って読んだが、二巻目には進めず、また「RUSH」も一巻目でギブアップ、「下山手ドレス」は二巻と三巻をかろうじて読んだが、どうも作品に入り込めない。時代、舞台とも私はよく知っている神戸なので、よくわかるはずであるが、どうも女性読者にはハマるが、男性読者には内容について行くのが難しい作品なのかもしれない。

 

本当に寡作な作者で、ごく稀に作品を発表するようで、最近では2021年に「砂とアイリス5」を発行したのが最後である。プロの漫画家、それも多くの人に支持されている作家は、天賦の才能を持つ人である。私の尊敬する女優、カトリーヌ・ドヌーブは、初期の「シェルブールの雨傘」以降も次々と作品を発表し、老年に至った今でも渋い演技を見せている。漫画家も若い時とは違った、私たちのような古いファンを対象にした作品を発表してほしい。島田順子さん、大橋歩さんなどのように80歳を過ぎてもデザイナーとして活躍している人もいる。西村しのぶさんはまだ62歳で、まだまだ若く、60歳代のおしゃれ、生き方、恋愛を、漫画を介して発表してほしい。才能のある人は、その才能を世間に出す義務があるように思える。コアのファン、多分40-60代からすれば、本当に新たなシリーズが発表されるのをずっと待ち望んでおり、そうした声にも応えなくてはいけない。


2025年12月3日水曜日

矯正歯科医に紹介をしない歯科医院



歯科医院で矯正治療をしているところは多い。歯科診療所、68000件のうち、矯正歯科を標榜している歯科医院は27000件、39.7%の比率となる。このうち、矯正歯科専門の歯科医院は2000件くらいであろう。

 

一般の患者さんからすれば、矯正歯科を標榜しているのであれば、何らかの専門機関で教育を受けたと思うが、多くの先生は数回の講習会を受けただけで、専門知識もないし、技量もない。患者さんが歯並びについて先生に尋ねると、普通は矯正歯科専門医を紹介する。なぜなら自分は専門教育を受けたこともないし、できないからである。当たり前である。私の父親は50年間、真面目に歯科医をしてきたが、不正咬合の患者は全て矯正歯科の先生に紹介してきたし、私の兄も歯科医だが同じようにしている。

 

なぜできもしないことを標榜し、患者に勧めるのか、全くわからない。以前、もう十年以上前だが、地元の矯正歯科のスタディーグループに入っていたことがあった。月に一度、症例を持ち寄り、皆で検討するような会であった。私以外は全て一般歯科医だったので、結局は私の意見が治療方針になった。そこで報告される多くの症例で「先生の力では、この症例は治療できないのでやめなさい」と厳しく言うことが多かった。もちろん簡単な症例で、一般歯科の先生が手を出してもいいのもあるが、成人症例の多くは、マルチブラケット装置の知識と経験が必要であり、これをマスターしている一般歯科医はほとんどいない。例外は矯正歯科の医局に3年以上勤務して、専門医にならないで一般歯科で開業した先生だけである。

 

それでも先生方は治療する。その挙句、うまく治療できないと、「これが限界だ。私は専門医でないのでこれ以上治せない」と言う。これで費用がものすごく安かったらまだしも、ひどいところになると専門医の私のところより矯正料金が高い。それではこうした先生は、金儲けのために矯正治療しているのかというと、そうではない。単純に患者は自分のところでの治療を希望してきたのだからだと言う。なぜわざわざ自分のところでの治療を希望している患者を矯正歯科医に紹介するのか、あるいは矯正治療くらい誰でもできると考えている。もちろん、私の父や兄のように矯正治療に関心がない歯科医は、患者から歯並びの相談を受ければ矯正歯科医に紹介する。ところが少し矯正治療をかじった先生は、自分で治そうとする。ではなぜこうした考えになるのか、それは一般歯科医の多くは矯正治療のゴールを知らないからである。

 

マルチブラケット装置を扱う際には、矯正歯科治療のゴールというのを研修機関でさんざん叩き込まれる。具体的にいえば、大臼歯関係はI級、適切なオーバーバイト、オーバージェット、緊密な咬合、そして一番大事なのは美しいフェイスライン、こうしたゴールについて厳密な点数付けが可能であり、100点満点の何点と採点することができる。実際、専門医の症例審査では、こうしたクライテリアに従って点数を出して、その結果によって合否を判定する。一方、一般開業医には、こうした採点ができるか疑問である。例えば、歯のデコボコのケースでは、とりあえず並べればOKとする先生もいる。矯正歯科医では、もちろんデコボコは取るし、前歯、奥歯をしっかり噛ませて、綺麗なフェイスラインを作ろうとする。今時は矯正装置も発展しているので、形状記憶のワイヤーを入れれば、デコボコは容易に改善する。難しいのはきちんとしたゴールの達成で、これをマスターするのが大学の矯正歯科講座での最低でも3年の教育が必要である。その点、小児の矯正治療を主訴は大まかに治れば、子供も親も満足するのでまだしも、成人はこうはならない。そうしたこともあり、矯正歯科と標榜していても子供の矯正治療だけで大人の矯正治療は紹介するという先生は多い。問題はインビザラインによる矯正治療を勧める歯科医院である。インビザラインの患者の多くは成人症例で(子供はGO)、こうした患者は仕上げに厳しい。患者を満足させるにはマルチブラケット装置でも難しく、ましてやインビザラインで治療ゴールを達成するのはさらに難しく、クレームになるリスクが高い。矯正歯科医の場合は、最悪、インビザラインからワイヤー矯正、外科的矯正に変更することで治療は可能であるが、一般歯科医ではそうしたことができない。

 

料金も同じなので、なせ専門医のところで治療しないで一般歯科医で治療するのか、これは明らかに患者に責任がある。今時こうしたことはネット上では常識で、高い費用を出して、長い期間を費やすなら、どこで治療を受けるか。特に成人患者では、専門医で、少なくとも日本矯正歯科学会の認定医のところで治療を受けるしか選択肢はない。You Tubeで矯正歯科のチャンネルを見ていると、専門家から見ると素人レベルの先生が、さも知った顔をして語っている。私が尊敬し、臨床能力の優れている先生は、一切、YouTube、インスタには出ていないし、そもそも認定医の更新でネット広告がチェックされ、YouTubeの動画はダメであろう。皮肉な言い方をすれば、YouTubeで出てくる先生で派手に宣伝している歯科医院は、少なくとも医療広告法あるいは学会の倫理規定に反しており、そうした法律を破るようなところで治療を受けるのはいかがなものかと考えるし、多くは認定医の資格すらない、きつい言い方だが素人と言っても良い。素人のところで高い治療費を払い治療するのは患者にも責任がある。


 

2025年12月1日月曜日

鈴木雅の父親 わからない

 



Wikipediaによれば鈴木雅の父親は、静岡県士族加藤信盛、鳥羽伏見の戦いに参戦し、その後も日本各地を転戦し、最後に五稜郭に立てこもり生き残ったとある。つまり、幕末戦争、箱館戦争に参加した加藤という士族を探せばいいわけで、調べるのは簡単だと思っていた。ところがどこを探しても加藤信盛という名は出てこない。武士は通常、多くの名前を持っており、号、諱、字、通名などあるため、信盛の他の名前で出ている可能性が高い。さらに難しいのは、明治維新後に通名も変える人が多く、過去の調査でも、別人と考えていた人物は実は同じ人物で、明治以降に名前を変えたという例があった。そこで該当する人物を国会図書館デジタルアーカイブで検索していくことにする。

 

まず、幕府崩壊に伴い静岡藩に移った幕臣、2500名について記された「駿府表召連候家来姓名」というものがある。これには27名の加藤姓が記載されているが、そこには加藤信盛の名前はない。ただこれは慶応4年に静岡に移住した人で、明治2、3年に移住した者の名前はない。箱館戦争に参戦した幕臣の名前はおそらくないであろう。

 

次に箱誰戦争に参戦し、脱走した幕臣の氏名を記載した「箱館戦役徳川脱走軍人名簿」が北大の北方資料関係の資料に中にあり、WEB上で公開されている。それを見ると、加藤新次郎、加藤春之助、加藤精一郎(折戸死?)、加藤光蔵、加藤作太郎(宮古死)、加藤一、加藤金二郎(江良町官手_?)、加藤喜十郎(松前?傷)、加藤覚之氶(箱館丸)、加藤長太郎、加藤國三、加藤昇太郎、加藤幸造、の13名の名前がある。これらは「駿府表召連候家来姓名」の27名の加藤姓とは一致せず、やはり箱誰戦争の参加者は「駿府表召連候家来姓名」には記載されていないようである。そのため戦死者を除いた11名が加藤信盛の可能性がある。

 

信盛は日本各地を転戦したとあるが、鳥羽伏見の戦いと箱館戦争に参戦し、彰義隊に参戦しないわけはないと考え、彰義隊のメンバーの中から加藤姓を探った。彰義隊のメンバーの中で、加藤姓を持つものは、加藤順四郎、加藤光逸、加藤新太郎、加藤重吉、加藤金次郎(戦死)、加藤今吉、加藤作太郎(宮古にて戦死)、加藤勇太郎、加藤大五郎、加藤光造、加藤真太郎、加藤誠一郎(戦死)、加藤正太郎、加藤栄之進、加藤帰之郎、加藤昌三郎、加藤八郎がいる。彰義隊、箱館戦争の両方に名前があるのは、加藤光蔵と加藤帰之郎である。加藤光造は埼玉県幸手市のホームページ(市指定文化財「伝彰義隊士横山光造所用陣笠」の説明文で、安戸村二本木生まれの剣士、横山光造が彰義隊では加藤と名乗り、その後、箱館戦争にも参戦し、戸島に戻り、そこで剣道を教えながら、明治32年に81歳の生涯を閉じるとしている。名前も元の横山光造(蔵)に戻すので、鈴木まさの父親、静岡藩士、加藤信盛ではない。加藤帰之郎は彰義隊、箱館戦争にも参加する800石の旗本で、本家は3600石の高官、加藤光泰、光直であるが、年齢的には合わない。

 

結局、加藤雅の父親、加藤信盛については、同定できなかった。ただ東京大学の鈴木博之先生が「下級武士の暮らし 彰義隊組頭加藤大五郎の背景」という論文で、彰義隊の第二白隊の隊長、加藤大五郎について取り上げている。加藤大五郎の兄は鈴木源五郎重固という旗本で、そして次男で家を継げなかった大五郎は加藤清正に憧れて加藤姓の家に養子にいき、彰義隊に参戦し、明治維新後は横浜に逃れ、商売をしたという。兄の源五郎は測量の技術を持っていたので、新政府に出仕し、キリスト教に入信し、明治20年に亡くなった。箱館戦争に参戦したかは不明であるが、履歴は加藤雅の父親に似ているが、大五郎=信盛かは全くわからない。ただ加藤雅の嫁ぎ先は鈴木良光、父、信盛の生家、鈴木と同姓であるのも不思議である。


鈴木源五郎重固の名は、静岡学問所、沼津兵学校関係者によるキリスト者、静岡バンドの中にその名前が見える(宇野美恵子、西周の教育思想における東西思想の出会い 沼津兵学校時代を中心に、北東アジア研究、14/15,2008).中村正直は横浜共立女学校の創立に関係した人物で、強引に辻褄を合わせると、中村正直と鈴木源五郎は友人で、弟の娘、マサの進路を相談したところ、共立女学校を紹介されたと。何しろ中村正直は明治四年亜米利加婦人教授所告示という生徒募集広告を書いた人物である。妻、娘3名をここに行かせた。


2025年11月23日日曜日

佐藤慎一郎先生の50年前の教え

 



 弘前出身の拓殖大学、中国学者、佐藤慎一郎先生は、あの文化大革命、毛沢東礼讃の時代、1人、その本質を見抜いた人物である。彼ほど中国と中国人を愛した人物は少なく、何度も中国人に助けられて生き残った。さらに彼の誠実な人柄は多くの中国人に愛され、語学も堪能なことから、政府発表とは異なる情報源から現代中国の真実を見ようとした。以下の文は、ラクーンのブログに掲載されたもので、佐藤慎一郎先生の講義をテープにとり、それを文字起こしした。その内容はほぼ50年たった今でも新鮮である。高市首相をめぐる今日の日中関係も見ても、中国政府関係者はこの北京大学の先生、郭沫若と同じと考えればよく、中国共産党の体質というのは、あれだけ経済が発展しても全く変わっていないのに驚かされる。是非、全文を読んでほしい。

 佐藤慎一郎先生は、岸内閣から30年以上に渡って総理に報告したが、そのレポートは国政の参考になったと思われる。高市内閣では、松田康博東大教授(非常に優秀)のような軍事専門家もブレーンとして必要だが、中国の古典をきちんと学んだ佐藤慎一郎先生のような存在もほしいところである。できれば中国政府に対して、中国古典の的確な引用で返答してほしいところである。

 

ラクーンのブログ

http://racoon183.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/19766-3d82.html

 

さて、昨年、私は香港へ行きました。香港で北京の大学の先生と会いました。私がこの大学の先生に話を聞いて、三日間、ノートとりました。朝から始まって、お話をノートした。僕がこの大学教授に「先生、あんたは郭沫若をどう思いますか?」とこう聞いた。そしたら「あの人は素晴らしい学者です。毛主席も信頼しています。」とくる。「おーちょっと待て、あんたね、ここはね、北京じゃないよ。ここは北京じゃないの、あんたを誰も監視していないの。ここは自由社会という自分で信じたこと自分で考えたことそのまま言っていいんだよ。しゃべって大丈夫な自由社会ですよ」こう言った。

そしたらね、「すみません、ついその癖がでました。私たち北京におればね、なんか質問されれば、まわりをみて皆はどういうだろうということをまず考えて、それからその上を行くようなことを、嘘を言うんです。つい癖がでて、つまらんことを言ってすみませんでした」というから、「いや、誤る必要はないよ、あんたは郭沫若をどう思いますか?とあんたの本当の気持ち、僕は聞きたいんだ」といったら、彼いわく、「あのくらい悪い奴はおりません、あれは悪党です。あんなずるい奴おりません。風をみて舵を取るけしからん奴だ。あれくらいずるい奴ありません」。「どうずるいの?」と聞いたら、「いや、わたしたち北京の大学の先生たちは、文化革命始まる前までは、郭沫若という人を尊敬しておりました。ところが文化革命が始まったら、これは自分にとっても危ないなあと、この人頭が良いからすぐわかった。それで、まだ労働者や学校の紅衛兵が彼を呼びつけてもいないのに、彼自ら出て行って『私はいままで、何千何万の論文を書いたけれども、あんなものは論文に値しない、全部焼き払ってくれ。私は今日から毛主席の一年生となって毛沢東思想を勉強します』とこういった。そうして皆に謝って、まだ誰も彼をぶんなぐらないうちに自分からでんとひっくり返って『さあ、殴れ』とこう言った。『俺みたいな悪い奴、さあ殴ってくれ』とこう言った。このね、狡い、狡さにはかなわない、こうやって彼は助かった。このずるさにはね我々唖然とした。それ以来、みんなこの野郎と思って、誰も彼を尊敬するものはおりません」。「わかりました。あんたはそうおっしゃるが、あなたは去年二月まで、北京大学に長く働いていらっしゃいましたね。長く働いていられたのは、あの共産党の世界でどういう態度をもってあなたは生きてきたから、働くことができたのですか?郭沫若けしからんというのは、わかりました。それなら、あなたはどういう態度で生きてきましたか?」こう尋ねた。そうしたら、彼しばらく下を向いておった。「そう言われると恥ずかしいかぎりです。わたしたちはあの郭沫若に唾でもひっかけてやりたい気持ちですが、あの強力な共産党の中で生きるためには、郭沫若の生き方以外に生きる道はないということを教えられました。それで、私たちも郭沫若に学んで、あの狡さを見習って今日まで生きてまいりました。そうしなきゃあとても生きられませんでした。」と白状しました。

それで、私はその話が本当か、去年あった革命委員会の共産党員に聞いてみました。こういう話を聞いたけど、あなたはどう思うかと問いかけました。「いや佐藤さん、それは無理だよ。あの共産党の世界でね、そんな自分の意見なんか言って生きられるもんじゃない。一日だって命がない。正直に言ったら絶対駄目です。なぜなら、私も嘘八百でそういった芝居をやりながら生きてきましたから。とにかく、その場その場の芝居やるしか我々は生きる方法がないんです」とこう答えました。

良く聞く話ですが、日本人の旅行者が北京に行き郭沫若に会って、郭沫若はこんなことを言っていたというようなことを報告しています。誰も信用しない奴の話しを聞いてきて、この嘘八百の話をとくとくと日本で発表しております。それをまた読む奴が、さすがは偉い学者だと言って感心しているかどうかはわからんけれども、じっくり読んでいるというのが現状です。裏の裏を読まないと、何が本当で、何が嘘なのかわからないでしょう。そういう状態ですから、大陸におけるあらゆる現象はすべてその場その場の芝居であると私は判断しています。中国語にホンチャンソウシ(逢場作戯)という言葉があります。その場その場に合わせて芝居をやる、こういう言葉がありますが、これが現代の中国人の生き方であろうかと思います。本当のことを言えない、こういう世界であると私は信じております。


2025年11月19日水曜日

リタイヤとは 楽しい引きこもり、楽しい隠遁生活

 



今年の1220日の診療をもって診療所を閉院する。その後、1か月くらいで院内の備品を整理して完全引退となる。半年くらい前から古いカルテや模型などを業者で処分してもらっているが、個人情報、医療廃棄物などの規制があり、かなり費用がかかる。幸い、歯科用ユニット、レントゲンなどの大型機械は処分、廃棄するところも決まり、その他の機器類も寄贈先も決まった。院長室には、膨大な矯正歯科関係の本、雑誌、論文があり、この処分をしているが、最終的には全て処分することにした。この5月に一戸建てからマンションに引っ越してきたので、スペースが全く不足し、矯正歯科関係のものをおくところがないのが理由である。

 

古い論文や本を紐で縛り、処分すると、今まで歯学部に入学してからの50年以上の自分の歴史を全て捨てるような気がして寂しい思いがする。これからは先生と呼ばれることもなくなるし、職業欄は“歯科医”ではなく、“無職”になるのだろうという思いもある。歯科医というだけで世間的には得をしたことも多かったが、そうした特権もなくなる。ただ矯正歯科という非常に期間のかかる治療を行う職業では、辞める時を自分で決めなくては、患者さんに大きな迷惑をかけるため仕方ない。友人、知人、あるいは患者さんからもどうして辞めるのかと聞かれることが多く、さらに病気説が流れたりもする。

 

 

矯正歯科の場合、通常のマルチブラケット装置でも2年間の治療が必要だし、子供の場合は、一期治療、二期治療も含めると10年以上かかることも珍しくない。そのため閉院にあたり、子供の治療は5、6年前から新規患者の受け入れはやめ、2年前から全ての新規患者の受け入れをやめた。一応、通常の患者の動的治療(マルチブラケット装置による治療)は全て終了できそうだが、保定終了までは診ることはできず、近くの先生に紹介している。唯一失敗したのは、外科的矯正の患者で、術前矯正が終了して口腔外科へ入院予約をしても、すぐに手術ができず、長い場合、半年以上のタイムラグが起こる。そのため数人の患者については、術後矯正が終了できす、動的治療中の状態で転医することになる。申し訳なく思っている。

 

歯科医の引退というと、通常の退職のない職業、個人商店、飲食店などと同じで、健康上あるいは経営上の問題から辞める。うちの親父は85歳くらいまで歯科医をしていたが、最後の方は1日の患者数が4、5名となる、ワンオペで診療していたが赤字となったので、やめて引退した。従業員が居れば、もっと赤字になる時期は早い。

 

先日も、友人でリタイアについて議論した。健康で、充実した老後を送りたいという声が多く、診療所を小さくして自分の理想の歯科診療を行いたいという友人もいたが、それはリタイヤしないということだとからかわれていた。他には、旅行に行ったり、ボランティア活動をしたいと友人もいたが、私はリタイヤとは、何もしないことだと思う。もっというと世間からは忘れられた存在になり、葬式には家族と少数の友人しか来ない存在になることかと思う。不思議なことに現役時代はあれほど、いろんな場所で頻回にあった先輩歯科医に、リタイア後は全く会わなくなる。リタイヤしたから家にずっといるわけではないと思うが、全く会わなくなる。リタイヤとはこういうものかもしれない。忘れられていく存在なのだろう。

 

アメリカ人に聞くと、リタイヤして家でビールを飲んで、好きな音楽や映画を見たり、プレステでゲームをしたり、釣りをしたり、何もしないことがリタイヤだという。朝起きる時間も決まっておらず、寝るのもいつでも良い、おそらく幼稚園に入学した4歳くらいから、引退するまで規則的な生活をしてきたので、全く制約のない生活をするのは初めてと言っても良い。参考になるのは、引きこもりの人たちの生活である。引きこもりの楽しい点についてAIで調べると、「映画、ゲーム、読書、アニメなどの家で完結する趣味や、オンラインゲーム、YouTubeSNSなどのインターネットを介した活動、創作・学習としては料理、お菓子作り、塗り絵、立体パズル、語学学習、自宅での筋トレが挙げられ、さらに外出する際の楽しみとしては、自然に触れられる公園や河川敷、静かに過ごせる図書館や公民館、気軽に立ち寄れるショッピングモール、ネットカフェ、スポッチャのような複合型レジャー施設を利用する。」としている。これは参考になる。このうちあまりしたことないのが、ゲーム、料理、お菓子作り、塗り絵、立体パズル、筋トレなどで、ネットカフェやスポチャなども行ったことがない。シニア年間パスポートもあるらしい。ただ年寄りができそうなのはカラオケ、ダーツ、卓球、ビリヤード、ゴルフくらいか。孫と行くのはいいところかもしれない。また常連の飲み屋というのもないので、これを開拓する楽しみもあろう。

 

ここまで書いていて、これはひょっとすると中国の文人の理想、隠遁生活のことかもしれない。リタイアとは、よく言えば隠遁生活かもしれない


2025年11月17日月曜日

核兵器を持つ2つの独裁共産主義国家に隣接する日本と韓国

 


世界で最初の共産主義国は、1917年に政権をとったソビエトである。そして1991年に崩壊した。それから34年経ち、現在、共産主義国、社会主義国は、中国、北朝鮮、ベトナム、ラオス、キューバの5カ国だけである。世界195カ国のうちの5つである。残りは民主主義国家というとそうでもなく、実際は権威主義国家が最も多い。権威主義国家というのは、一応は民主主義を装った独裁主義国で、これが実際には一番多い。共産主義国家も広い意味ではこの権威主義国家に該当するし、イランやアフガニスタンのような宗教指導者が全てを決めたり、サウジアラビアのような国王に権力が集中しているところもあり、アメリカが世界に宣伝する民主主義国は必ずしも世界の標準ではない。

 

それでも欧米を主体とする先進国のほとんどは民主主義国で、後進国から先進国に発展するためには強い権力をもつ独裁政府のほうが効率良く、台湾も選挙による総統選が始まったのはここ30年くらいで、それまでは国民党、総統による権威主義国家により国力が発展した。同様に韓国でも金大中が当選したのが1997年、この頃からようやく民主化が進んだ。ある程度、国力が発展してから、民衆による突き上げがあり、権威主義国から民主主義国に移行する流れとなる。共産主義、社会主義国家では、体制を完全に転覆しないと、民主主義国家に移行するのは難しい。

 

歴史上、もしといえることがあるとすれば、1936年の西安事件を挙げたい。西安事件は張学良が中国国民政府の蒋介石を拉致して、国共合作を成立した事件である。それまで国民党との抗争により共産党は勢力を大幅に弱められていて、この事件をきっかけに勢力を回復し、その後の政権奪回につながっていった。むしろこの前に、日本と国民党が協力して徹底的に共産党を壊滅させておれば、のちの中華人民共和国は成立しなかったであろう。少なくとも日本は、満州国成立で矛を収めるべきであり、日中戦争を起こす必要性は全くなかった。もちろん、中国北部、朝鮮を占拠する日本帝国は、独立運動に伴い、朝鮮は独立し、満州は国民党中国に吸収されていったと思うが、アメリカとの戦争もなかったであろう。その場合は、日本は敗戦することもなく、日本の周囲は、共産主義でない中国(台湾を含む)、朝鮮となり、さらに広げてタイ、ベトナムなどに囲まれた民主主義国家群なった可能性がある。

 

現状では、東アジアは、共産主義国の中国、北朝鮮と権威主義国のロシアがあるのに対して、民主主義国は日本、韓国、台湾という関係となる。中国と北朝鮮を民主主義国にさせることで、これが日米韓台の究極の目標となる。特に今は、この共産主義国の中国と北朝鮮が権威主義国の色彩を強くしている。つまり中国では習近平、北朝鮮では金正恩の独裁制で、なおかつ習近平は72歳、金正恩は41歳と若く、現状の政治体制はまだまだ続きそうである。共産主義と独裁制が重なると、ろくなことはなく、毛沢東は朝鮮戦争、大躍進、文化大革命で数千万人の人民を殺し、スターリンは大粛清、強制労働収容所、ウクライナ大飢饉で数百万人の人民を殺し、カンボジアのポル・ポトは150-120万人、人口の1/4を殺した。現在、欧米の主要国、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカなどでは共産党はほぼなく、ヨーロッパでいえばソ連の崩壊により、周囲に共産主義国はなくなった。アメリカは近くに共産主義国キューバがあるが、それほど武力的に恐れる国でもなく、日本を取り巻く環境、中国、北朝鮮という二つの共産主義国、独裁制の核兵器を持つ国に囲まれた、は理解しにくい。さらに驚くことは、この状況で平和、外交で解決できると信じているマスコミ、左翼の人が多い。

 

以前のブログで通常兵器による台湾侵攻は不可能と書いたが、その後、最も費用がかからず、兵士の損失の少ない中国軍による台湾侵攻計画があるのを知った。台湾近辺、日本の南西諸島に戦術核兵器を打ち込み、次は台北、東京に打ち込むと脅し、内部から屈服させる方法で蓋然性は一番高い。アメリカ軍は、直接、在日米軍基地が攻撃されない限り、核兵器による自動的な中国への全面反撃はない。台湾近辺の海に中距離核ミサイルを打ち込む、本土の人口の少ない地域に打ち込む、自衛隊の派遣されている南西諸島の基地に打ち込む、犠牲者の少ない場所を選んで、戦術核ミサイルで脅しをかける。この方法であれば、アメリカ軍による報復核ミサイル攻撃は避けられ、おそらく即刻の自衛隊の全面出動、反撃はできず、国連で抗議し、中国への経済包囲網を築くくらいしか対抗方法はない。1995年の第三次台湾海峡ミサイル危機では、アメリカは2つの強力な空母戦闘群を派遣し、事態を収拾したが、この屈辱がその後の中国海軍の増強に結びついた。現在、中国も3隻の空母を保有し、沿岸部には多数の中距離ミサイルを配備し、1995年のように台湾海峡にアメリカ軍は出動しにくい。どのように対抗するか、核三原則の見直しもこの文脈に沿うものである。

 

 


2025年11月12日水曜日

日本に革命をと言っていた人は、今

 


私が東北大学に入学したのが1975年で、その頃はまだ学園闘争の末期であったが、活発な活動が行われ、教室がロックアウトされ、授業がなくなったり、教授に三角帽を被せて自己批判はさせたり、図書館前ではヘルメット、角棒でデモの練習をしていたりしていた。朝から教養部では、全学連の連中が“革命”、“反帝国主義”、などのオドオドロしい言葉が拡声器で流され、ビラを配る。当時、すでにほとんどの学生は、こうした学生運動に関心はなく、むしろ運動に夢中になっている連中を馬鹿にしていた。個人的に、そんなに革命が好きなら、大学など辞めて、中国、ソ連、北朝鮮など社会主義国へ行けばと思っていた。

 

若い頃の議論はよほど危険であり、革命と叫ぶなら、結局は革命に参加しろという結論になり、さらに理論を進めると爆弾を作って国会議事堂を爆破しろという極論までいってしまう。萩の松下村塾の吉田松陰はまさしくそうした人物で、生徒に狂えと火をつけ、生徒は師匠の言葉に追い詰められ、死んでいく。この歳になると、もし人から革命、革命というなら、お前は革命に参加しないのかと追求されても、あくまで言葉だけだと開き直れるが、若い時はそうできない。太平洋戦争末期、国を愛するなら特攻に参加しろという論理も、同じようなものである。

 

個人的には当時、学生運動に積極的に参加していた人、今は75歳以上になると思うが、今はどういった考えになっているのかが非常に興味を持つ。藤田省三、「転向の思想史的研究」は、戦前の共産党員がいかに転向するかという主題で、内容は忘れたが、意外に共産主義から真逆の右翼思想に向かい、積極的に軍部に協力する人が多いことに驚いた記憶がある。1960年、1970年代に安保闘争、学生闘争にどっぷり浸かった人々は、今どうしているのか。

 

そうした疑問に答えてくれる書が、岩波現代文庫の「原点 The Origin 戦争を描く、人間を描く」(安彦良和、斎藤光政、2025)である。著者の安彦はガンダムで有名なアニメーター、漫画家で、弘前大学在校時に学生運動にはまり、最終的には退学処分された。1947年生まれ、現在、77歳で、学生運動真っ盛りの世代である。この本では当時の学生運動の仲間との対談など、著作物ではなく、対談形式のため、本音が聞けて面白い。結論から言うと、その後の生き方は人それぞれであるが、安彦については、遠い過去の若気の至りという境地になっているように思える。それほど懐かしい思い出でもなく、今に思えば日本に革命と言っても誰もついてこなかったという反省もあるし、また心理的に深く傷ついた記憶と言うものでもない。今は皆、普通のおじさんになっているだけである。ただ一部の仲間は、その後、武力闘争、パレスチナ解放人民戦線へと革命路線を貫く人もいる。多くの人は当時のことについて沈黙している。

 

こうした感覚は、うちの親父の世代でも見られるもので、大正生まれの世代の多くは、否応なく戦争に参加し、多くの仲間が亡くなった。子供の頃に会った父の知人を思い出しても、特攻隊の生き残り、ラバウル航空隊の飛行士、ニューギニア、インパール作戦の生き残り、過酷な戦争経験をしているが、皆、普通のおじさんで、戦争中のことは戦友会以外で語ることはない。親父の場合、中国北部に3.5年間、その後、ソ連の捕虜収容所に3年間いた。この6年間のことは、断片的に聞いたが、多くは語らなかった。同じように学生運動をしていた人々も、すでに50年以上前のこともあって、ほとんど語ることはない。

 

私の場合、高校生の頃に毛沢東の文化大革命に憧れたこともあったが、その後、徐々にその真実が明らかになり、そして大学2年生の頃に、親に無理を言って外国人に解放されたばかりの中国に旅行に行った。そこには無惨な文化大革命の傷跡が残り、案内のガイド、ほとんどが文化大革命中は下牧、の口からは文化大革命の悲劇を聞いた。そして京都大学の竹内実教授、朝日新聞、左翼を恨んだ。彼らのような知識人が、あれほど礼賛していた文化大革命、そして造反有理というスローガンのイカサマを思い知った。ただの毛沢東の権力闘争の手段であり、若者の暴力だけであった。広州、北京の博物館の掛け軸は破られ、飾られていた。現在、中国はいまだに大躍進と文化大革命の犠牲者、おそらく数千万人を認めていないし、朝日新聞、左翼もそれには触れない。一方、テルアビブ空港乱射事件で26名を殺した岡本公三もまだ生きているし、いまだに支援者がいるという。12名の仲間を殺した連合赤軍メンバーも服役、逃亡している。学生運動そのものは、誰かに多大な迷惑をかけてなければ、忘れてもいいものかもしれないが、犠牲者、殺人が出たとなると、彼らこそ、公の場に出て、総括と自己批判をすべきであろう。一種のカルト、宗教のようなもので、テロ、戦争に向かう同じ方向性を持つものなので、藤田省三、「転向の思想史的研究」のような研究も必要かもしれない。安保闘争、学園闘争の当事者もすでに高齢となっており、その声を聞くのも今しかなくなってきている。


「原点 The Origin 戦争を描く、人間を描く」(安彦良和、斎藤光政、2025)はお薦めである。




2025年11月8日土曜日

農家がもっと豊かに

 



今年も、米の値段が高く、困った何とかしろというニュースが連日流れている。昨年は、小泉農林水産大臣が貯蔵している古米を放出し、米の市場価格を下げたが、現在の鈴木農林水産大臣は米の増産はしないし、米の値段は市場価格に任せると言っている。そのためか、今年の新米価格はかなり高くなっていて5kgの米で4500円くらいになっていて、10年前が1800円くらいだったことを考えると2から3倍近く上がっていることになる。

 

大正7年の米騒動を調べると、72日の一升34銭だったものが、89日に60銭とわずか1ヶ月で2倍になったことに起因する。他の時期を調べると、一升の値段は昭和29年が108円に対して、昭和50年では450円で4倍くらいになっているが、会社員の年収でいうと昭和29年が20.5万円であったのが、昭和50年では203万円とほぼ10倍になっていて、収入に占める米の価格はかなり低くなっている。一升は約1.5kgで、5kgの米の値段は、昭和29年で360円、昭和50年で1500円となる。令和5年の会社員の平均年収は545万円なので、それで換算すると昭和29年では5kg9570円、昭和50年では4027円となる。2年前の令和5年の5kgの米価格は全国平均で2100円くらい、月収に対する米価格は、昭和29年で2.1%、昭和50年で0.89%、そして令和5年では0.46%と下がり続けていた。それがようやく今年、0.99%くらいとなった。

 

昭和29年に比べても、あるいは昭和50年に比べても、子供の数は減り、一家での米の消費量はかなり減っており、今年、米価格が上がったとはいえ、家計に占める米代はそれほど多くなったとは思えない。大正7年のような米騒動を起こすような問題となっていない。小泉前農林水産大臣が古米を放出したが、それほど緊急性、切迫感があったのか。一般の家庭では米価格が上がったとしてもそれほど深刻なものではなかったと思う。

 

一方、農家にとっては、米価格の上昇は、非常に明るいもので、若い農業従事者にすれば、ようやく米農家にも何とか農家でもやっていけるという希望が出てきた。実際、青森、弘前市では、税理士に聞くと、農家では、りんご価格が上がり、米価格も上がり、少し景気が良くなってきたという。これまで農家というと、収入が少ない割に過酷な労働で、若者からは見向きもされず、農業従事者の高齢化が深刻であった。このままでは青森のような農業国では、後継がいなくて、どんどん衰退していく。こうした傾向を打破するには、まず農家の収入を上げるのに尽きる。ましてや安全な食品を自給できる環境を作るためには、若い世代がどんどん農業に参入するような魅了ある職業にならなくてはいけない。そのためには農作物の価格を上げる必要も出てくる。

 

物価高騰を防ぐためには、食品価格を抑える必要があるのはよくわかるが、地方の活性化、あるいは国産の安全な食品の自給には、農作物の価格の上昇は、認めてほしい。鈴木大臣の言うように、米価格を下げるよりは、貧困層にはお米券の配給あるいは、外米の輸入を進めるべきで、都市部の一般家庭には申し訳ないが、日本の農家を応援する意味でも、少しくらいの米価格の上昇には辛抱してほしい。一個500円のケーキを平気で買うのに、5kgの米、うちでは老夫婦1ヶ月分が、4500円は高くはないと思うのだが。

 

専従で米を作っていて、その売却益だけで、子供2名を大学に入れるくらいの収入にならないと、日本の米は、あるいは地方は消滅していくかもしれない。そのことをよく理解してほしいし、政府、マスコミもきちんと説明すべきであろう。教育ととともに、農業は国の基礎である。


2025年11月6日木曜日

シンシナティからのお客さん

1/24のフィギュアです


先日まで、アメリカのシンシナティーから2人の友人がやってきて、3日間、一緒に弘前とその周辺を案内した。東京、大阪、奈良、京都、出雲を回り、最後に弘前にきたという。日本でも弘前が最も好きで、これまで2回きてくれた。3回目の弘前は、秋のいい時期だったので、紅葉やりんごを見てもらい、満足して帰国した。

 

私の英語は、それはひどいもので、ジャパニーズ英語の典型で、ほぼ単語を並べただけで、文法的にはメチャクチャである。15年前に、友人の歯科医から英語の勉強会をしているので参加しないかと言われ、それから毎週、歯科医四人と英語の先生1名で、お酒を飲みながら、主として時事問題について喋る。とにかく無茶苦茶でもいいので、喋り、聞く。予習、復習は一切しないので、全く上達しないが、度胸だけはついた。こうしたこともあり、弘前や旅行先で外人に会うとできるだけ喋るようにしているが、短い会話であれば、特に問題はなかった。

 

ただ今回、3日間にわたって一緒にいたが、なかなか慣れなかった。1人は中国系アメリカ人Hさんで、50年近くアメリカにいて社会的地位も高いインテリであるが、ネイティブではない。もう1人はシカゴ生まれのNさんで、オハイオ州に50年以上いるネイティブである。Hさんの言っていることは100%理解できるし、こちらの言っていることもほぼわかっている。問題はNさんで、こちらが喋っていることがわからず、たまらなくHさんが通訳している。こちらもNさんの言っていることの半分もわからず、最初の1日目はお互いわからないだらけの状態であった。ところが2日目からはお互い少しわかるようになり、3日目には逆にこちらが喋っている複雑な話も、NさんがHさんにわかりやすく説明するまでになった。

 

多分、相手の発音、癖になれるのに3日かかったということなのだろう。そういえば、4、5年前に家の近くの道で道に迷っているイタリア人夫婦を旅館まで案内したことがあったが、この夫婦の英語がひどいイタリア訛りで最初は全くわからなかった。それでも英語を母国語としない外国人の英語は簡単で、ゆっくりなので何とかわかるが、ネイティブになると、そうした配慮をしない人もいる。

 

Nさんにすれば、人生のほとんどをオハイオで生きてきて、日本人と喋ることもなかったのだろう。あるYouTubeで、イギリス人がアメリカ人ウエイターにいくらWaterと発音しても全く理解されない動画があった。同じ英語圏でも通じないことがあるんだなあと思ったが、よく考えれば、津軽弁で喋るとほとんどの人がわからないように、同じアメリカでも地域で方言があり、わからないこともあるんだろう。さらにいうと、私の場合、英語でも鼻にかかる発音をされるとわかりにくいし、アメリカ人よりイギリス人の方がわかりやすい。一番わかりやすのが、日本人の英語で、これは経験の違いなのだろう。

 

早速、先週の英語の勉強会の時に先生に尋ねてみると、これはネイティブでも同じことで、同じアメリカ人でも、今は中国系、スパニッシュなどいろんな人種がいるので、お互い話言葉に慣れるまでしばらくかかるという。とりわけ同じ州にずっといて、他の州や海外に行ったこともない人は、特に外国訛りがあるとわからないという。また私が卒業した六甲学院は、イエズス会系の学校で、フランシスコ・ザビエルが創始者である。これを説明する際にザビエルの英語名、Xavierを発音すると、シンシナティの2人はすぐにわかったが、ミネソタ出身の私の英語の先生は、このXavierという言葉が全くわからなかった。シンシナティーはカソリックの教会が多く、イエズス会系の高校や、さらにXavier Universityという大学もある。Nさんの旦那さんはイエズス会系の高校を卒業していて、オハイオ州ではザビエルという名は誰もが知る。

 

さらに今回、夕食は日本料理とイタリア料理のコースを予約した。シンシナティーは200万人をこえる大都市で日本料理店もあるが、基本的には内陸の州で生魚を食べることはない。また海藻、きのこ、食用菊、クラゲ、ウニ、豆腐など、あまり母国では食べる機会もない。日本料理は、彼らにとってよくわからない食品を使った料理で、また昆布、カツオ、などでとる出汁もついていけないのかもしれない。次の日に食べたイタリア料理とはえらい違いであり、日本料理の懐石コースはアメリカ人にはかなり敷居は高いようだ。一方、イタリア、フランスあるいは中華料理などは日頃食べ慣れているので、アメリカでも出身地によっては、日本に来たんだから日本料理としないほうがいいのかもしれない。アメリカ、オハイオ州では、買い物は週に一回か二回、大きなスーパマーケットで行くので、魚はほとんど冷凍物、野菜や果物も新鮮なものが少なく、日本の野菜や果物は美味しいと言っていた。カボチャなどあんな甘いパンプキンはアメリカにはなく、初めてスープで食べたと言っていた。

 

今回は、一般的な観光地以外にも、虹のマートという地元市場や、パン屋、あるいは雑貨店なども回った。かなり興味を持ったようで、とりわけ女の人だったので、雑貨店は結局2回も行って、そこでお土産を買っていた。また近所の洋服屋の店頭に5足、550円で靴下が売っており、安い、クリスマスプレゼントにすると和柄の靴下を買っていた。外国人にはなかなか入りにくい、地方の雑貨店や普通の店も十分に観光地になると思った。そういえば、以前、土手町で道を迷っていたミラノ出身の女性に声をかけると、弘前の雑貨店を回っていると言って、英語のマップを見せてもらうと、たくさんの小さな雑貨店に丸印がついていた。


 

2025年11月3日月曜日

日本の原子力潜水艦

 



ようやく高市政権となり、日本でも原子力潜水艦保有の機運が生まれそうになってきた。自衛隊にとって、特に旧日本帝国海軍の歴史をもつ海上自衛隊にとって、空母と原子力潜水艦の保有は悲願であった。空母に関しては、いずも型護衛艦、いずもとかがで概ね達成でき、さらに大型の空母や強襲揚陸艦の計画もあるが、原子力潜水艦については、核アレルギーが強く、漫画(沈黙の艦隊)で取り上げられるだけであった。

 

ただ最近とみに著しい海軍の増強を行っている中国に対抗するためには、潜水艦とりわけ原子力潜水艦が最も中国にとって脅威となり、台湾侵攻などを含めた中国への抑止力となる。中国海軍は、近代的という観点からは、その歴史は浅く、せいぜい30年くらいしかないし、近代的な海戦経験もない。大型空母などの設備は近年、すごい勢いで充実されてきたが、空母本体には防御機能はなく、それを取り巻く、駆逐艦、潜水艦などセットとして、空母打撃群として機能する。とりわけ最大の脅威は、水中からの攻撃、潜水艦による攻撃で、さしもの空母も潜水艦による一発の魚雷で、航行不能になる可能性もあり、第一次世界大戦以降、その構図は変わっていない。これまで中国海軍はこうした実践経験がないため、もし中国の空母打撃群がアメリカの原子力潜水艦で攻撃されたら、ひとたまりもないと言われている。

 

最も中国が恐れる兵器が、潜水艦なのである。ましてや日本は四方を海で囲まれていおり、日本を侵略するためには、必ず、海上輸送が必要となってくる。武器、兵員全て海上輸送で運ばれ、それが潜水艦で狙われるとなると、これほど怖いことはない。まして中国海軍は、これまで中国沿海の海軍であったため、広い海域での海戦経験は全くなく、とてもではないが、アメリカ海軍、潜水艦の攻撃に対抗できない。ただ中国周辺に、常時、多くのアメリカ原子力潜水艦を回遊することはできず、もし日本が原子力潜水艦を保有すると、計画されているオーストラリアの原子力潜水艦とともに、中国周辺海域にかなり多数の潜水艦を投入でき、台湾あるいは周辺国への中国による侵攻抑止となる。

 

ただ日本で、これから原子力船を作るとなると、その推進用の小型原子炉を開発しなくてはいけない。日本では原子力船むつの失敗以来、原子力船の計画、設計はなく、建造には安全性も含めて相当な開発費と期間がかかる。むしろ、アメリカ海軍の原子力潜水艦バージニア型で使われているS9Gという小型原子炉をそのまま輸入して、日本独自の船体に搭載すれば良い。実際、海上自衛隊の護衛艦のタービンエンジンはGE社のものを使っている。さらに最新のアメリカの原子力潜水艦は、原子炉は主として電力供給に使われ、推進装置は電気推進となっている。元々海上自衛隊のたいげい型潜水艦もリチウム電池による電気推進なので、この電気供給をディーデルエンジンから原子炉に変える違いとなるだけである。かなり経費や開発期間の短縮が見込まれる。さらにいうなら、アメリカではもはや造船技術がかなり後退しており、造船技術の両国の移転ケースとなりうる。実際、オーストラリア向けの原潜の建造もかなり遅れそうで、アメリカの造船能力が厳しい状況となっており、日本での建造が現実的となる。また日本の潜水艦造船技術、とりわけ船体を覆う船殻構造、金属に優れており、最大深度は1000mに達するといわれ、さらにかなり深い位置からの魚雷攻撃も可能であることから、理論上は相手の潜れない、攻撃できない深さからの攻撃が可能となる。さらにソナー能力や音声解析などを含めて探知能力は元から優れているため、日本が原子力潜水艦を持つ意味は非常に大きい。アメリカ側でも、日本と共同開発は今後の新型原子力潜水艦建造にとってメリットとなる。

 

防衛装備というのは、相手が最も嫌がる設備を揃えるのが、抑止という点では最も大事なことである。台湾有事を考えても、中国本土から兵員、武器の海上輸送がキイとなるため、この安全が確保されなければ迂闊に台湾を攻撃できない。その場合、最も脅威になるのは、台湾が潜水艦を持つことで、2023年に国産の潜水艦を進水させている。今後も増産され、8隻体制となる。ただ台湾の地政学的欠点として西方海域は大陸棚の浅い海で、潜水艦の活動がしにくい場所であり、両国が機雷を設置して港の封鎖を狙っていくであろう。中国海軍の欠点としては、対機雷戦に弱いとされており、近年は急速に能力が高まっているとはいえ、実践経験は少なく、台湾による機雷敷設は脅威となる。逆に日本の対機雷戦の技術は世界でもトップであり、台湾有事でアメリカ軍が参戦した場合、日本の役割は基地、燃料提供などの後方支援と、港湾の機雷除去、潜水艦によるパトロールなどとなろう。すでに日本の通常動力型のたいげい型の潜水艦は、フランスのリュビ級原子力潜水艦より大きく、アメリカと十分、小型原子炉、周辺設備について協議すれば、日本独自の原子力潜水艦は十分に建造可能と思う。原子力というと日本ではタブーとなっているが、原爆を開発するわけではないし、すでに53年前に原子力船むつを竣工させている。さらに三菱重工では1m*2mという小型マイクロ炉とリチウム電池のハイブリットシステムを開発しており、潜水艦にも搭載可能という。

 

軍事費の拡張というのは中国、アメリカ、日本にとっても無駄なことであり、今日のアジアでの緊張関係を招いているのは中国であるのは間違いない。旧ソ連がアメリカに対抗しようとする海軍増強を諦めたように、同じ大陸国家の中国が今更、海洋国家になれるはずはなく、4隻目の(原子力?)空母は諦めて欲しいところである。アメリカのような11隻の空母と空母群を持つのは、あまりにも海軍国として経験がなさすぎて、将来アメリカだけでなく、日本、オーストラリア、韓国が原子力潜水艦を保有するような状況には対応できないだろう。







2025年11月1日土曜日

来年度NHK朝ドラ 風、薫る 鈴木雅について 4


 



これまで3回ほど、来年度NHKの朝ドラの主人公のモデル、鈴木雅の出身校について書いた。鈴木雅については、横浜のフェリス女学院を卒業したという資料が多いが、これは間違いで共立女学校(現在の横浜共立学園)を修了しているのではないかと、いろいろな文献を引用して説明してきた。

 

鈴木雅フェリス女学院を卒業したという証拠は、フェリス側の資料には存在せず、学校の記念誌も含めて公式の場ではそうしたことを発言しておらず、高橋政子著、「日本近代看護の夜明け」の中にある鈴木雅の孫の証言によるものしかない。さらに古い資料を探すと、明治30年発行、福良虎雄編「女子の職業 新撰百種:第三編」に“尚、生徒の取締として鈴木マサ子と云える婦人を頼みたり。此のマサ子は横濱フェリス女学校の卒業生にて嘗て某陸軍大佐の細君となり、英語等にも熟達せる故、彼のウェッチ嬢の通便として雇われたるがーー”となっており、また医学史研究会による「医学史研究」(1976)では“彼女(鈴木まさ)は一期生の中では一番年長で、かつて横浜のフェリス女学校を卒業して、――”となっていて、他にもフェリス卒業としている論文は多いが、根拠は示されていない。

 

一方、共立学園では、60周年誌では同級生の寄稿文の中で、一期生の中に加藤おまさ(鈴木雅)の名前が出ており、150周年誌でも同校を修了したとしていて、学校の公式資料でも鈴木雅は同校を修了したとしている。

 

こうした中、今回、ほぼ決定的な資料が見つかったので報告する。「明治百話」という本で、篠田鉱造というジャーナリストが昭和6年に出版した。名著として今でも岩波文庫に入っていて読むことができる。当時の人から明治の思い出話を集めたもので、現在でも資料としても十分に使えるものである。ただ欠点としては、誰が話したかを明示していないことが挙げられる。今回、見つけたものは文面を読むと、明らかに今回、NHKの朝ドラのもう1人の主人公、大関和の話とわかる。彼女は昭和7年に亡くなったので、著者は直接、大関から話を聞いたのは間違いない。大関の話では、鈴木雅は横浜二百十二番館の女学校を卒業したと断言している。横浜二百十二番館とは横浜共立女学校のことである。鈴木自身、自分が行っていた学校を“共立女学校”とは人には言わず、“横浜二百十二番館の学校”と言っていたのかもしれない。普通、二百十二番館の学校と言っても、すぐに横浜共立女学校を思いつくことはなく、孫、親類もほぼ隣にあるフェリス女学院のことだと勘違いしたのだろう。以下、省略して一部引用する。


全文については、国立国会図書館デジタルコレクションで見られるので確認して欲しい。


 

日本看護婦の嚆矢



明治二十年十一月英国セントマス病院のナイチンゲル看護婦学校卒業の、ミス・アグネス・ヴィッチ女史が帝大第一病院で、看護婦学を教授すると聞き、同院の三宅秀先生におすがりして、大学の見習い看護婦に採用していただき、この聴講生の員数に加わりました。鈴木雅子さんが通訳でした。月謝が五十銭。この鈴木雅子さんと申すのは、陸軍中佐の未亡人で、横浜二百十二番館の女学校を卒業した、英語の達者な女性でした。 略

私の役目はお手術後のお手当です。幸い夫人のひとかたならぬ御寵愛をこうもり、大関大関と仰つけられ、実に身に余る面目を施し、神様の御加護の厚きに感謝しました。

 


こうして細かい誤りをしつこく探求するのは、故人にとって自分の出た学校を間違って伝えられることは嫌であろうと思うし、横浜共立女学校の奇跡のクラスと呼んでもよい一期生の影響を鈴木雅は強く受けていると考えるからである。このクラスには、津田梅子と一緒に日本で始めた海外留学をした上田悌子、吉益亮子がいた。さらにその後、アメリカに留学して女医となった、須藤かく、菱川やす、西田けい(岡見京)の3名がいる。そして櫻井女塾を開設した櫻井ちかや、慈善運動に活躍した二宮わか、渡辺かねもいて、本当に奇跡のようなクラスであった。ここで想像して欲しいのは、今でも自分の学校、クラスメートの2名がアメリカ帰り、そして3名がアメリカで医者になると言って留学し、さらに学校を作った同級生もいるという状況である。岡見は日本では五番目、菱川は八番目、須藤は五十五番目と、日本でもごくわずかな女医のうち、このクラスだけで三人もいるのもすごいし、日本女性で最初にアメリカで留学、生活した五人のうち2名が同じクラスでいるのも、若い頃から海外の話を聞いたのは違いない。

 

日本で始めて看護師という礎を築いた鈴木雅を語る上では、どうしても雅が受けた教育環境を知っておかなければ理解しにくい。怖いと思う深い崖でも、皆が次々と飛び越えるのを見ると、勇気が出る。雅にしても夫の陸軍少佐、鈴木良光の死後、確かに生活は苦しかったであろうが、階級からそこそこの軍人恩給が出ていたはずで、生活面だけから子供二人がいるにも関わらず、28(1886)から看護婦養成所に入学する動機は薄い。岡見がアメリカに行き、女子医大に入学したのが1885年、同じく菱川安が留学したのが1885年、須藤かくと阿部はなが渡米したのが1890年、こうした同級生の動きも影響したのであろうか。

2025年10月22日水曜日

宋元仏画 京都国立博物館



先日、同窓会に出席のために神戸に行ったが、伊丹空港から青森への飛行機が夕方の便であったので、午前中に京都に行った。京都国立博物館で開催中の宋元仏画という特別展を見てきた。ホテルが阪神尼崎だったので、阪神電車で梅田まで行き、そこから地下鉄御堂筋線で淀屋橋まで行き、京阪電鉄で七条まで行った。ここからは歩いて京都国立博物館に行く。

 

京都国立博物館に来るのは15年ぶり、何度も行っているが、いい博物館である。今回の展覧会はNHKの日曜美術館で放送されて知った。1000年前の中国絵画がこれほど揃うことは、中国本土でもないし、台湾の故宮博物館にも多分、これほどの数は収蔵していないだろう。特に国宝の孔雀明王像(京都仁和寺)と秋景冬景山水図(京都金地院)は、北宋、南宋を代表する作品で、東洋絵画の中でも傑出した作品である。

 

展示品の多くは、京都の寺院に保存されていたもので、よくぞ1000年近い歳月、紛失、焼失もせず、残っていたものだと感心する。何度も火災に遭って、その度に僧侶たちは寺の宝として持ち出したろうし、明治になり廃仏毀釈運動の中でも売らずに保存した先人たちの気持ちに感動する。中国、あるいは朝鮮にも多くの古い文物があったが、数多くの戦乱により多くの文物がなくなった。特に書画ほど繊細なものはなく、虫食い、シミ、破れなど、陶器や仏像などの他の芸術作品に比べても長期に保存するのは難しい芸術品である。中国の書の研究家から、昔聞いたことがあるが、中国に著名な書家の作品が一番残っているのが日本だと言っていた。物持ちのいい国なのである。また古い美術品、建造物は必ず修復が必要であるが、修復技術も長年継承していた国でもある。

 

私自身、展覧会が好きで、旅行すれば、その地方で何か展覧会がないかと探す方だが、今回の宋元仏画はここ十年の展覧会の中でも最高のものであった。せっかちな性格のためか、あまり一つの作品をじっと見ることはなく、どんな名作でも1分も見ることはない。ところが今回の孔雀明王像と秋景冬景山水図は十分以上見た。単眼橋を持っていくのを忘れたが、細かい描写を見ていくうちに作品に溶け込んでいく。不思議な感覚で、これが名画も持つ力である。特に秋景冬景山水図は、それほど大きくない作品であるが、作品から音、風、あるいは気温まで感じるような作品で、山水画の醍醐味、作品の世界に没入するという行為を楽しめる。傑作である。

 

展示品の多くは、国宝、重要文化財で、さらに収蔵は博物館、美術館ではなく、寺院であるというのが日本らしく、欧米でも宗教画の多くが教会所蔵という点でも似ている。宗教画は、単に芸術作品だけではなく、宗教の信仰の対象であり、寺の記念日や法事などで飾られ、皆から崇められたものである。作品も、こうした信仰の対象でありそこには多くの大衆の千年にわたる願いが封じられている。今後、こうした大規模な展覧会は開催されることはないと思う。それにしても日本という国はすごいところで中国、韓国ですでに滅びているものが多く日本に残っている。今回は絵画という分野であったが、他の美術品、書仏像、陶器の名品の多くは日本に残されており、今や日本の骨董業界、オークションは、中国人バイヤーで埋め尽くされ、日本に残る中国の名品は次々と中国人で買い戻されている。ただ現在、中国では相続税はないため、日本から買い戻された作品の多くは個人の投資対象としてコレクションされたもので、日本の金持ちのように私設の美術館を作って、見てもらうような中国人は少ない。作品の存在は日の目を見ることはない。

 

宋元の絵画はこうした中国人のコレクターにとっては、まさに投資としては最高に優れたものであり、もしサザビーのオークションに今回の作品が出されたなら、小さい作品でも数千万円を下回ることはなく、国宝の作品については十億円以下ということはない。場合によっては50億円をこえる落札価格になるかもしれない。ヨーロッパには、ルネッサンスを中心とする、ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッチチェリーなどの世に名高い名品が存在するが、今回の作品をこうした西洋の名品と匹敵するもので、東洋の名品として肩を並べるものである。

 

こうした展覧会を企画した学芸員に感謝する。寺宝として大切にされてきた京都の寺から展覧会という貸し出される関係は、長い博物館との信頼関係を基盤として成り立ってきたものだからこそだろう。京都という地で開催されるにふさわしい展覧会であった。


 

2025年10月16日木曜日

六甲高校卒業50周年記念同窓会

 




先週、神戸で中高校の同窓会があった。卒業生170名のうち80名くらいが出席した。おおよそ半分の出席率で、これは高い。卒業後50周年記念同窓会は、実は昨年開催する予定だったが、幹事がいなくて今年になった。若い頃はあまり同窓会に参加するのは苦手で、ほとんど出席したことがなかったが、確か20年前の30周年記念同窓会に参加して楽しかったので、その後は東京在住者の同窓会にも参加するようになった。

 

今回は、卒業以来初めて来た同窓生もいて、久しぶりの再会する人もいて楽しかった。胸に名札をつけてもらったので、まあまあ思い出した。一学年、四クラスの170名の学年だったので、必ず同じクラスになっていて、学生当時はほぼ全ての同窓生を知っていた。ただ当時でも友人関係の濃度差があり、あまり親しくなかった人がいて、大まかにいて20名くらいはよく知り、思い出も多い友人で、40人くらいはまあまあ知っている知人、それ以外は学生中もあまり話したこともない同窓生である。

 

あちこちをまわりながら少し話すという感じであるが、50年分を一気にしゃべるので、凝縮した内容となり、いきなりハードな話となる。病気自慢では大腸がんになった、乳がんになったという話から、嫁が亡くなって寂しい、娘が離婚したという深刻な話となる。こちらも大阪人の習性で、同じくらいのインパクトのある話を探すことになる。幸いと言ってはなんだか、私の場合、腹部大動脈瘤の大手術をしたので受け答えができる。何人かの親しい同級生は高校生以降もバンドを作ってライブハウスなどで活動している。今やアマチュアの年配のバンドが演奏をする場所も多く、楽しそうで、羨ましい。またボランティア活動を一生懸命している友人もいて、まだまだ何かやれるかと勇気づけられる。

 

あと気づいたのは、久しぶりに会う友人とは自然に握手してしまう。場合によっては右手で握手をして左手で相手の肩を叩く軽いハグをすることもある。まるでアメリカ人であるが、けっこうそうした場面があった。よく考えると同級生の多くは海外で仕事のため生活した経験を持つので、自然にそうしたことになるのだろう。卒業後、スペインに11年、メキシコに10年、中国に5年とほとんど日本にいない友人もいた。さらに不思議なことは、三次会で隣に座った同級生、茶髪で長髪の同級生が全く思い出さない。そこで正直に「全く思い出せないのだが」というと、高校一年生の時に学校の方針が嫌で転校したという。同窓会の二次会からであるが、転校生も参加していたのである。彼は転校先の関学の同級生とも飲むようで、学校は嫌いだが同級生は好きということで今でも六甲の同級生とよく飲む。まあこの歳になれば、そんなことはどうでもよく、その夜も友人が勧めるSMバーで楽しく飲んだ。

 

男子校の同窓会というと、もちろん女子はいないので楽しくないというが、ある程度、歳をとると、なんでも言える同級生がありがたい。各々会社人間であった頃は、会社での上下関係があり、呼び捨てで呼べる人は少ない。まして会社での地位が上がると、同年輩でもなんでも話せるわけにはいかない。まだ3040歳の頃は仕事関係で同級生と付き合うこともあろうが、極力、なんでも言える関係を保つために、仕事関係の話はしないようになる。ただ例外は、同級生に医師がいる場合、何かあると同級生に中から今の症状にあった知人に連絡する。20人くらいいるので、診療科別に誰かに相談できる。

 

みんないうのは、これから残り10年、元気なうちに楽しくやろうということになった。確かにいつ病気するかも知れず、元気なうちやりたいことをすべきであるが、SMバーはないと思った。個人的には一番金のかからない趣味は、小説を書くことで、今のところ歴史小説、「須藤かく、阿部はな」に関する小説を書いて、何かの投稿サイトに出そうと思っている。数年は楽しめる。来年、福岡でサッカー部の同窓会をすることが決まった。

2025年10月15日水曜日

ネットでいい矯正歯科医院を見つけるのは難しい


日本でもIT企業を中心に、いわゆるスタートアップ企業が続々と出ている。若い方がこうした新しい試みをすることは、日本にとってとても大事なことである。ただあくまで一部の企業であるが、過剰に業績を強調する会社がある。昔は、世間に認知される手段が、新聞、雑誌、テレビに限られていたし、これらのマスメディアはある程度のチェックが入ってから取材されるので、そこにあまり自己宣伝の要素はない。ところが今やSNSの普及により、ツイッター、フェイスブック、インスタ、You-tubeで簡単に発信でき、かなり誇張したものを流している。もちろんいまだにオールドメディアと称するテレビや雑誌、新聞では、発信にはかなり慎重に精査しているが、ネット上では嘘も含めてある意味、フェイク情報が満載しており、その判断は非常に難しい。

 

こうしたアメリカ的な経営方向、S NSを縦横に使い、会社の価値を実際以上に高く見せる手法は、さらにいうと株価操作とも言える楽天的な将来性を語る手法は、うんざりである。会社業績が悪い会社ほど、より会社の将来性、未来は明るいと言うし、そうした情報を大量に流す。結果、株価が上がることこともあるが、最近では、会社、アナリストのこうした予測を、Googleの口コミ同様にあまり信じていない。

 

一例を挙げると、ここ数年、雨後の筍のように出現したマウスピース矯正、A社はホームページで国産メーカの中でのシェアーは40%を占めているというが、B社のアンケート調査では、A社のシェアーでは全体の6%、国内シェアーの10%しかないとしている。そしてA社は年商60億円を公言しており、これに従えば国内のマウスピース全体の市場は60億円÷0.61000億円となる。

 

厚労省の患者調査によれば、年間の初診の歯科矯正患者数は292000人で、アナリストは歯科矯正の平均治療費は100万円なので、これをかけると約3000億円が市場としている。実態は学校検診や本人が歯並びを気にして、歯科医院に行っても実際に治療する人は少ないし、治療する人は何件もの歯科医院を回るため、矯正歯科の市場はこれほど大きくはない。全国には矯正歯科専門医院が約1000軒あり、それぞれ年間多く見て100名の治療開始者がいると計算して、年間で10万人、平均治療費を80万円として800億円、一般歯科での治療する人も同数いて、少し高いが治療費も同額として80億円、計1600億円くらいが実態であろう。予想値の半分くらいである。

 

1600億円が新規矯正患者による年間の収入だとすると、1000億円規模となっているマウスピース矯正はすでに年間の矯正治療費の52.5%ということになる。アメリカでのマウスピース矯正の普及率は23%で、ワイヤー矯正が77%だが、アメリカより日本の方が、マウスピース普及率が高いことになる。アメリカでも、最大手のインビサラインを扱うアラインテクノロジー社の株価が暴落し、1/6 になっており、その理由として顧客数の減少が挙げられている。スマイルダイレクト社の倒産も含めて、すでにこの業界が下降局面に入っていると思われ、さらに業者の言うようにシェアーであれば、これはもっと厳しい。どこかに統計、アンケート上の嘘があるとしか考えられない。

 

これは私の少し知っている業界の話であるが、同じようなことは今やネット上では当たり前になっており、統計、調査上の嘘をつくことが普通になっている。Googleの高評価の口コミがヤラセというのはよく知られているし、化粧品や健康食品の満足度調査も適当と思っている人も多い。本当に正しい情報を得るのはますます難しくなっている。さらにわかりにくくしているのが、専門医の資格を持つためには各学会での倫理規定を守らなくてはいけない、そして多くの学会では医療広告法に違反する不適切な広告を禁止している。つまりまともな治療を行うところは学会の倫理規定で、ネット上で派手な広告が出せない。いざ治療をしようにも上位検索の多くは、専門医でないと言うこともありうる。どこで治療しようかと検索すると怪しい歯科医院が上位となり、まともな歯科医院は学会の倫理規定で派手なHPは出せず、下位となる。またGoogleの口コミの多くもやらせである。企業競争の激化によりますます巧妙な宣伝手法が取られるようになり、さらにアメリカ式ビジネス手法が広まる結果、倫理のなくなった金と訴訟のリアルな世界に日本も入ろうとしている。難しい時代である。