2010年7月11日日曜日

六甲学院 3



 六甲学院に関するブログは、アクセス解析からアメリカ、ドイツなど海外にいる卒業生にも読まれているようで、母校と離れているほど、愛着も強くなるのであろう。年齢を重ねるにつれ、中学、高校を過ごしたこの学校のことが色々と思い出され、懐かしい。30、40歳の時は、仕事も忙しかったのだろうか、同級生と会うのも面倒であったが、今では一番の楽しみになってきた。友人の一人が、会社で採用担当になった時に、一人の学生の履歴書を見ると、六甲学院卒、サッカー部と記載されており、即採用したと言っていたが、こういった気持ちはわかる。

 六甲学院の生徒は、神戸、阪神沿線に散在していたため、電車通学の生徒が多かった。多くの生徒は一番近場の駅が阪急六甲駅であったため、阪急電車を使い、そこから歩いて学校までで通学していた。当時は、急行が六甲駅に止まらなかったので、普通電車で通ったが、私が乗る阪急塚口では私ひとり、次の武庫之荘で1、2人、西宮北口からさらに多くの生徒が乗ってきた。宝塚線、今津線の連絡があったので、ここでの乗車が多かったようだ。各学年、グループに分かれて、わいわいがやがやしゃべりながら毎日通学した。

 電車内には、甲南女子、芦屋女子、海星女子、神戸女学院、小林聖心などの女子校の生徒もいたが、今と違い、女の子に声をかけるなんてとんでもない風潮であった。わたしにいたっては、6年間、同級生の女の子とデートどころか、話しさえしたこともなく、その後随分苦労した。大学に入って、女の子に電話するのも、話す内容を前もってノートに書いて、汗みどろで話したほどである。男女共学の学校に行っていた、妻や子供をみると、うらやましい気がする。それでもロマンスはあり、ある友人は、電車内で女子校の生徒から手紙をもらい、まじめに大学生になってからお付き合いしましようと返事し、がんばって有名大学に入り、いざその子の大学の大学祭にいくと、すでに彼氏がいたという笑えない話もあった。彼はよくもてたのか、会社に入ってからも、見知らぬ女性社員から電車の中であなたを見て、好きになり、この会社にわざわざ入ったと告白されたようで、この時は気色が悪いので無視したようだ。30年後に電車の反対側のドアにいつもいたK女子校のこんな子だよ、と言われても全く記憶にない。当事者しかわからない話であろう。わたしも毎日同じ時間、同じ電車で通学していたので、好きな子もいて、今はどうしているのかと思う時もあるが、話したこともなければ、名前も知らず、この年になると顔もだんだん薄らいできている始末で、どうしようもない。

 事務、図書館の数名の女子職員を除き、先生はすべて男性という徹底した男子校であったが、それでも勇気のある友人が平凡パンチやプレーボーイなどの週刊誌を買ってきて、休み時間にみんなでひそかに回覧したりしていた。当時、学校での性教育が文部省で通達されたのか、一度、厳格なカソリックの神父である校長がみずから性教育の授業をしたことがあった。例のおしべとめしべの話をし、キリスト教的な倫理的なお話をした後、ある生徒が「ところで子供はどうしたらできるのですか」ときつい質問をした。この時の校長の困惑した表情には大笑いした。

 こんな中高6年間、男子のみの学校だったため、大学に入ると女性問題で失敗した者をいたが、私でも何とか恋愛結婚したくらいであるから、後輩諸君も安心してよい。ちなみに六甲学院は阪神間、神戸のおばさま方には人気があり、ここを出た子は真面目でいい子が多いといって、見合いでは引っ張りだこであった。今はどうであろうか。少女マンガの西村しのぶさんの「サード・ガール」 (一巻のみ読んだが、家内から変態と思われるからやめないさいと言われ、他の巻は未読)には主人公の神崎川夜梨子(たぶん甲南女子中学か)の恋人に六甲学院卒業後、京都大学に進学した大沢悠也という人物が登場する。またわたしとは全く関係ないが、広瀬和正という歯科医も登場するらしい(wikipedia参考)。こういった設定は、当時の神戸、阪神間のロマンスとしては案外リアリティーがある。というのは灘高校、甲陽高校は勉強家というイメージが先攻しているが、六甲高校はややハイカラで勉強もでき、誠実というイメージがあったからである。関西学院高校も非常によくもてたが、ここから京大にいくことは少ない。六甲学院の制服は、昔の予科練のようなボタンなしのもので、当時でも目立っていたし、女子校生には印象的であったのかもしれない。

 今では制服姿の高校生カップルが街を歩いている姿はごく当たり前で、ほほえましい感じがする。尼崎では、40年ほど前はカップルが歩いていると「何いちゃいちゃしてるんや」、「ええかっこしてるやないか」と言われ、場合によっては殴られたりもした。こわいところである。とにかく連絡しようにも、当時は手紙か電話しかなく、電話すると必ず親がでたものである。電話すれば、「おまえは誰や」と言われるようでは、怖くて実際電話などできっこない。こういった状況に比べると携帯電話世代は、随分男女交際の壁は低くなったと思うが、なかなか好きな子に告白できない心情は今も変わらないであろうし、こういった切ない気持ちが青春の思い出となろう。

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私も尼崎生まれで、六甲の50期生で芝と申します。阪急塚口駅を利用していました。広瀬さんのページはつらつらと検索していて見つけました。生まれは1974年ですので、広瀬さんが卒業した年に生まれております。はとこが同じく芝という名前で30期生で東北大に行っておりました。確か中退したかと。私は今は広島県の尾道で会社勤めをしております。サードガール読んでみようかと思います。阪急電車という映画ももうすぐ公開ですが、基本的に今津線、宝塚線の映画です。六甲についての文章懐かしく読ませていただきました。広瀬さんの頃も、僕らの頃も恋愛模様は変わってなかったように思います。今はわかりませんが。。またつらつらと部ログを読ませていただきます。ありがとうございました。

広瀬寿秀 さんのコメント...

阪急塚口駅は40年前と全く変わっておらず、今での本当になつかしい思い出の場所です。どうか、これからもあのままの姿であってほしいものです。建物は、当時の思い出も封印しますので。

匿名 さんのコメント...

僕は、72期の六甲生で、なんとなく六甲学院と検索していたら、こちらのサイトを見かけけたので、少し読ませて頂きました。今の六甲生と言うのは、少しマナーが昔に比べ劣っているみたいです。例えば雨の日に一般人にぶつけてしまったりして苦情の電話で「昔はいい学校だったんですけどね」と言われる始末です。勉学の方でも、最近は厳しいみたいです。『六甲学院3』の記事に少し恋愛の話がありましたが、僕や友達なんかは、なんとか女子校のメアドを手に入れようと頑張ったり「文化祭で女の子に声かけてみよう!」とか話したりしてます。とは言っても難しいです。学校生活の方は、なかなか楽しいです。友達とくだらない話をしたり、バスケをしたり、今年中3になるので訓育生をしてみたいとも思っています。ご存知だと思いますが、校舎は完全に取り壊され、新しい校舎を建設しています。その校舎の完成して初めての文化祭は予定通りなら僕らが後輩を引っ張ってやらせて頂きます。ぜひ、たくさんの方に来て頂けたらなぁと思っています。長文すいませんでした。また、ブログを読ませてもらおうと思っています。では、ありがとうございました。

匿名 さんのコメント...

はじめまして
私も結婚するなら六甲学院の出身の方がいいなと思います。

どうすれば六甲の出身の方と出会えるのかなと思います☆

匿名 さんのコメント...

私は六甲学院74期生です。ネットダイブしてたらここにたどり着きました。ここ最近の全校朝礼では>>3さんと同じように、マナーが悪すぎる、等の話が多いですね。
また、最近、六甲学院の性教育は改善してきたように思いますが、文化祭を見ていると二次元が入って来ていたり、彼女連れてくるやつがいたり、また逆に「リア充爆発しろ!」と言ったり、等と紳士の学校にはなさそうなところが多くなっているように感じます。

広瀬寿秀 さんのコメント...

ああいった別世界で男子170名が閉じ込められている状況では、だんだん世間とは感覚的に遊離していくのでしょう。こういった井の中の蛙状態に我慢できず、多少不良ぽく、いきがる生徒がていても、社会からみればかわいいものです。ただこういった修道院のような環境は、今の世の中珍しく、今後も六甲精神は健在かと思います。