2018年2月4日日曜日

絵のコレクション

蓬莱仙境図

楼閣山水図(一部)

蓬莱仙境図(一部)

嶺雪教士?於魚住村荘

乙亥秋(昭和10年)


 絵画のコレクションというと大金持ちの趣味のように思えるが、ネット社会となると別にそれほどお金がなくても、好きな画家のコレクションをすることができる。もちろん日本画で言えば、富岡鉄斎や横山大観の作品をコレクションするとなると大変な金額が必要であるが、大正から昭和にかけての画家の作品は、一部の有名画家を除くと価格が暴落しており、ヤフーオークションなどをうまく利用すれば、かなり安く手に入る。さらに言うと、有名画家は当時でも高く売れるため、偽造作品を作って金持ちに売っていたが、2流とまではいわないが、そこそこしか人気のない画家については、偽造品はない。

 数年前から集めているのが、近藤翠石と土屋嶺雪である。近藤翠石は尼崎のお袋の家にあった山水画を弘前に持ってきたのだが、当初は虎で有名な大橋翠石の絵と勘違いしていた。その後、大阪画壇の森寛斎の弟子である近藤翠石のものと判明した。この画家は森寛斎の弟子の中でもやや有名な人で、桃山中学の先生などをしていた。明治、大正、昭和にかけて関西ではそこそこの人気があり、おそらく今の価値でいうと数十万円で売買されていたと思われる。私のところにあるのは、二幅の「裏山帰樵」、「雪の山水」、水墨画の「能州白次」と「甲東園八勝図」、「米欧奇勝」の二つの画帳がある。いずれも一万円前後で落札した。画力がそこそこあり、うまいのだが、新奇性はなく、古典的な南画の手法から脱していない。日本画を見慣れない欧米人にプレゼントすれば、喜ばれるかもしれないが、日本画のコレクターからすれば、面白みに欠ける。まず今後も美術館で扱うことはないだろう。今でもオークションで何点か出ているが、同じような画題で、値段も高いので買っていない。

 もう一人は、土屋嶺雪という大正から昭和にかけて主として播州から阪神間で活躍した画家で、最初、「唐美人とオウム」(大正12年)という作品を購入し、その後、「楠木正成」(大正14年)、「榴とリス」(戦後)、「楼閣山水図」(昭和10年)、そして一番最近買ったのが「蓬莱仙境図」である。前の四つの作品は落款と署名が完全に一致しているので、本物に間違いないが、今回買った「蓬莱仙境図」は他の作品とは落款、署名が違っている。ただ人物、草木の書き方、特に鶴の描き方は他の作品と全く一致する。ネットで探してみると、芦屋の骨董店のHPで「有馬大観」という作品が載っており、その署名とほぼ一致する。この骨董店の説明を見えると「国崎嶺雪  作者は通称嶺雪と言うが文化10年(1813年)に松村呉春らと共に時代を同じにしました以外まだ謎につつまれた人物ですので落款字典等には載っていません。文化10年の画家相撲番付には末席ながら載っています」となっている。土屋嶺雪ではなく、それより百年前にいた国崎嶺雪の作品となっている。

 今回買った「楼閣仙境図」の署名をみると「嶺雪教士?於魚住村荘」と読める。兵庫県加古川市の市立松風ギャラリーで開催された「播磨ゆかりの日本画展」の冊子を見ると、土屋嶺雪が「魚住村荘」と記すようになったのは、昭和二十年、明石郡魚住村中尾に転居後なので、この作品は戦後の作品と言える。同様に芦屋の骨董店の作品は、江戸時代の国崎嶺雪のものではなく、戦後の土屋嶺雪の作品と言える。土屋嶺雪も、近藤翠石同様、確かに絵はうまいのだが、訴えるものが少なく、やや単調なきらいがある。現代的な感覚からすれば、個性がないと言えるのかもしれない。五つの作品を見るだけでも、画題が多岐に渡っており、器用貧乏で、これはといった得意なジャンルがなかった。明るい色を使い、画風は師である橋本関雪に近いが、師ほどうまくない。どうも関雪の影響が強すぎるのか、画風や画題がかぶる。

 以前、「開運 お宝鑑定団」の製作会社から、お家に何かお宝ありませんかと診療所に電話があった。うちには一万円前後のお宝はたくさんありますが、値段もわかっていますので、残念ながら番組に出すようなものはありませんと答えた。ほぼ無名の昔の画家の作品を集めても、将来的には全く価値が上がるとは思えないが、ただ美術館的な視点からは、ある程度数が集まれば展示に値するようになるかもしれない。

*昨日も「遊鯉の図」という作品を安く買いました。家内から叱られたので、これでしばらく打ち止めです。以前買った「榴とリス」と同じ落款ですが、署名は少し違います。時期は同じころ、戦後のものでしょう。

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